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夜襲

 夜が明けた。ジェイクが前線地アラキアへ向けて単独で出発したことは秘匿されているため、キャンプ地はいつもの朝を迎えたはずだ。兵士たちの話題の中心は変わらず、前線での出来事らしく、何かの用事で前線から人がやってくるたび、親切な誰かがエラールに情報を運んでくる。


 それはもちろん、アルバロ軍の話ばかりだった。ルシオ公国軍の様子がそんなにも簡単にわかるなら、ジェイクが命がけで潜入する必要なんてないものね。


 噂話程度の情報でわかったことは、ルシオ公国軍に突然攻撃を仕掛けたアルバロの第一王女は、ルカ兄さんの回復魔法が目当てだったらしい。


「それならどうして兄さんに怪我なんか……」

「噂ではロス卿が、自分を仕留めてみろって挑発したらしいですよ。兵士たちの士気を上げるために兜を脱いで前線に立つ御方ですから、何かお考えあってのことかもしれませんね」


 兄さんはきっと、自分に注目を集めることで他への気を逸していたんだと思う。そうすれば犠牲者が少なく済むと思って。アルバロ王女との一騎打ちを受けたのもそう。


「無茶ばかりして……!」


 回復魔法しか使えないくせに、どうしていつも前に立つのよ。兄さんのバカ……!


 けど、きっと大丈夫だと信じてる。だって兄さんの回復魔法は本物だもの。そう、信じていたのに、夜更けに戻ってきたジェイクが持ち帰ってきたのは、それと正反対の情報だった。


「嘘……兄さんが死んだなんて……! 嫌! そんなの信じない!」

「ヴァレンティナ……。俺も、信じたくない。だが、アラキアの街は喪に服していて、人々の悲しみは本物だった……」

「兄さん! 兄さん、どうして……!」


 私はジェイクの肩に額を押しつけ、あふれる涙をそのままに、頭の中でぐるぐる巡る考えを追っていた。


 兄さんが死んでしまって、ルシオ公国はどう出るのか。私は帰れるのか。兄さんの葬儀に出られる? どんな顔をして? ……いいえ、こうなったらルシオは引かないでしょう。人質を取られガイナッシュへの支援について干渉された上、停戦前に前線を襲撃されて将のひとりを失っては、ここで引き下がってしまったら、もう二度と、ルシオは大国と対等な関係になれない。ああ……、戦争は何もかも奪ってしまう……!


「ヴァレンティナ、俺の姉がすまない……」

「……アルフォンソ、彼は? 彼はどうなったの?」

「それが、聞いた情報だけでは探せなかった。すまない。似姿のひとつでもあれば……、いや、あっても一兵士では……」

「もういい! ひとりにして」


 私はジェイクの胸を押して離れようとした。けど、ジェイクは私を抱きしめたまま、耳元で囁く。


「嫌だ。このままお前をひとりになんてできねぇよ。……何もしねぇから、今は、このまま……」

「ジェイク……!」

「頼む、ヴァレンティナ」


 もうこのまま、消えてしまいたい。でもそれはきっと許されなくて。でも、もう何もかもどうだっていい、どうなっても構わない。だってどうせ私は、故郷になんて戻れないのだから。


「いいわ。もう、あなたの好きにして」

「それは……!」


 投げやりな気持ちのまま、ジェイクに身体を預ける。彼なら私を傷つけたりしない、そう信じられたから。


「いや、それはダメだ。ヴァレンティナ……!」

「もういいの」

「馬鹿言うな! ヤケになって身体を差し出されたって、嬉しくもなんともねぇよ!」


 両肩を掴まれ、私は思わず顔を上げていた。ジェイクの苦悩に満ちたダークブルーが揺れている。


「……ごめんなさい、ジェイク。私が悪かったわ……本当に、ごめんなさい」

「っ!」


 精悍な頬に伸ばした指が触れると、彼は弾かれたように顔を逸した。私に傷つく資格なんてないのに、まるで火傷をしたかのように指先が痛んだ。


「あなたまで、傷つけるつもりはなかったの」

「俺は……俺こそ、クソッ……! 出会ったのがこんな状況でなければ……」

「私も、そう思うわ。ジェイク……」

「ヴァレンティナ……!」


 私たちは傷ついた鳥のように身を寄せ合った。まるで最初からふたつでひとつの何かだったように、私の心はジェイクを求めていた。


 こんな出会いをしていなければ、きっとすぐにでも彼の胸に飛び込めた。彼もまた、私を抱き上げて拐っていってくれたでしょう。


「どうして、私たちは……」

「もう少しだけ待ってくれ。必ず、どうにかする。俺を信じてほしい」


 その言葉に、私はうなずくだけで精いっぱいだった。彼の指が首元に触れる。私は祈るような気持ちで目を閉じた。


「ヴァレンティナ……」


 影が濃くなり、ジェイクの唇が触れようとしたそのとき、キャンプ場に轟音が鳴り響いた。


「何だっ!?」


 咄嗟にジェイクが身構える。彼の胸に抱き寄せられながら、私も闇夜に目を凝らした。馬のいななき、空の端を朱に染める炎影、黒煙。まさか、襲撃……どこから、誰が?


 混乱する頭に鋭く叫ぶ声が刺す。


「ヴァレンティナ!」

「まさか……アルフォンソ、なの……?」


 ジェイクが私を抱く腕に力がこもった。

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