迫る魔手
「僕が帰ってきたら結婚しよう、ヴァレンティナ」
待ちに待ったその言葉に、私、ヴァレンティナ・デ・ロスはアルフォンソ・センディノの手を取り頷いた。
「嬉しいわ、アルフォンソ。もちろん、お受けします」
「君の夫として、君を助けられるよう頑張るよ。でもまずは、アルバロ王国に勝たなくちゃね」
「勝たなくてもいい、生きて戻ってきて……!」
空色の目に優しい光を宿したアルフォンソは、にっこり笑って私にキスをした。私のおでこに。そして彼は行ってしまったの。朝の光を受けた麦藁色の髪を輝かせて。皮の鎧を着て剣を提げて……前線へ。
突然始まった隣国アルバロとの戦争は、だんだんと激しさを増していた。若い人たちが次々と戦地に送られていく、それは武器も魔法も習得していない、ただの会計士のアルフォンソにすら適用されてしまった。同じ若さで戦える能力のある人たちはすでに前線で戦っていることを考えると、アルフォンソはまだ猶予をもらっていたほうなのかもしれない。
うちは父さんも兄さんも騎士だから、ふたりはもちろん真っ先に戦場へ向かった。特に兄さんは、私たちルシオ公国の「希望の光」とまで呼ばれるほどの英雄になっているとか。とはいえ、本人が使える魔法は回復系のみという、ほぼほぼ地力の槍の腕前だけで戦っているのだから心配だわ。アルフォンソは二十二、ルカ兄さんだって二十八よ、まだ死ぬには早すぎるわよ。
「みんな、無事で戻って来てよね……」
ひとり残された私には、祈ることしかできない。私もデ・ロス家の出自、魔法使いではあるものの主な魔法は支援系だったため、従軍する許可が下りなかったから。とにかく今はできるだけのことをやろうと決意して、私は支援物資をまとめている仮拠点へ向かった。
教会を開放して作られた仮拠点では、今日も女性たちが働いている。ここには怪我人や病人、子どもが集められているから、それを世話するための人間が必要で、必然的にそれらは女性の仕事になっている。なぜここに拠点を置くのかと言えば、もし仮にカントの街の外壁が破られてアルバロ軍が入ってきたとしても、教会の外壁を閉ざして閉じこもることができるから。
前線からここまで200㎞以上、魔法で馬を早くしても、丸一日はかかるでしょう。ひとりふたりならともかく、軍隊ではここまではきっとすぐには来られないから、少し過剰に恐れすぎなんじゃないかとは思うけど。用心に越したことはないわよね。この街までにも拠点はいくつかあるし、怪我人を治療する野戦病院だってある、カントはきっと戦場にはならない。頭ではわかっていても、街のみんなの顔色は悪かった。
「誰か! 助けて!」
若い女性の叫び声に、みんなが振り返った。教会の外からだ。私も慌てて駆けつける。するとそこには、ボロボロのマントをまとった見慣れない女性がいて、若い女の子を捕まえてナイフを突きつけていた。
「デ・ロス卿の娘はどこダ。連れてこい!」
外国の訛り。隣国アルバロの人間なのかもしれない。彼女は私を名指しして、自然と街の人たちの視線が私に集まった。怖い……、でも、やるしかない! 私は大きく一歩踏み出して、声を張り上げた。
「その子を離して! 私なら、ここにいるわ」
「ほう。勇気があるナ? だが、本物か?」
「私は紋章入りの指輪を持ってるわ。見せてあげてもいいわよ。だから、その子を離しなさいよ」
そう、動きやすいように他のみんなと同じ格好をしていても、私は誰かに求められた時のために自分自身の出自を証明するものを持っていた。指輪と言っても、邪魔になるから実際は首から鎖で提げてたんだけどね。
私をじろじろ見て値踏みしたナイフ女は、捕まえた女の子をさらに深く掴みなおした。悲鳴が上がり、街の人たちがどよめく。
「翠の髪……いいダロウ、お前と引き換え。お前はこっちに来い、街の外れで女を解放する」
「今離しなさいよ」
「ダメだ。交渉はしない。……人質の顔は大事か?」
「いやぁぁ! 助けて!」
「卑怯者! わかったわよ、私が行くからナイフを引っ込めなさい!」
女の子の顔を傷つけようだなんて、最低!
「そうだ、来い。ゆっくりとナ」
私は言われたとおりにした。ナイフ女は他の人たちについて来ないように言って、カントの街の外壁まで歩いた。マントのせいで見えないのか、通行人たちはナイフ女を気にも留めない。ううん、それどころかみんなうつむいてこっちをまともに見ていない。
「ごめんなさい、ヴァレンティナさん……」
「ううん、気にしないで。あなたこそ、私のせいでごめんなさい」
「しゃべるナ」
アルバロへ続く道に出ると、扉の前に立っているはずのおじいさんたちがいなかった。
「まさか、おじいさんたちを……!」
「眠っているだけダ。まだ死んでない」
「……本当に?」
「信じるも信じないもお前次第」
ナイフ女は私に、先に道に出るように言った。外にはナイフ女の仲間なのか、馬に乗ったマント姿の人間がふたりいた。
「馬に乗れるか?」
「乗れないって言ったら?」
「べつに。どうせお前は荷物」
ナイフ女の仲間とのふたり乗りにさせられた私は、さらわれて隣国アルバロへ行くことになった。人質の女の子がいっしょうけんめい叫んでくれていたけれど、馬の速さには勝てなかった。
「私をさらってどうするの?」
「戦争を止める」
「どうやって?」
答えは返ってこなかった。




