第71話 ディスコミュニケーション
ダキスタリアの守護兵団が手配してくれた宿の一室で俺は寝ていた。
スキル「健康体」のおかげで本来必要のない睡眠ではあったが、監獄「アバドン」でのヘレナ、ジークとの連戦で身体はともかく、精神的に疲弊し切っていたからだ。
ただスキル「健康体」の作用もあってか、俺は早朝に目覚める。
まだ手に残るジークを斬った際の感触。きっと多くの剣士はこういった経験を乗り越えていくのだろうが、俺は斬った相手のことを忘れるようなことはしたくない。
人を傷つけるという行為自体は同じでも、俺は絶対にジークのような人殺しには堕ちない。
そう決意した瞬間。突然EX狩刃の声がビリビリと部屋中に響いた。
「仮の主よ、朝食を用意せよ!」
人が真面目なことを考えてるときに何?
剣は飯食わねえだろ。
「へえ。スープを鞘に注げばいいのか?」
「見ているだけで気分が変わるというものだ。疾くせんか」
EX狩刃は記憶喪失をしてしまったかのようにすっかりと聖剣時代と思われる人格に変わってしまった。俺が無茶をさせすぎたせいだ。
ただ自身が毒剣と変質した事実を完全には受け入れられていないらしく、こういった聖剣時代に使い手にさせていたと思われる行動を俺にも求めてくるのだ。
あと俺を相棒だと認めてくれてないのがシンプルに悲しい。俺とお前の仲だろ。
「食堂に行くか。なんかあるといいけどな」
毒を抑えるために寝ながら掴んでいたEX狩刃をそのまま持って俺は一階の食堂に降りようとする。
この状態で寝るのにもかなりEX狩刃側からの文句があった。
「私を手にするときは宝玉を扱うように行え! 握りしめて寝るなど聖剣への敬意が足らんと見える!」
今のEX狩刃に毒剣の自覚がない以上、下手をすると毒液を垂れ流すことを案じての策ではあったが、彼女にとっては納得のいかないものであったらしい。
そんなことを振り返りながら階段を降りると見慣れた背中がテーブルに突っ伏しているのが見える。
フィーナだ。
こやつ、夜通し飲んでたのか?
フィーナの対面に座るのは堕印奴隷の守護精霊。相変わらず目元を隠した前髪で表情が読み取りにくいが、フィーナを見かねて付き合っているらしい。
そしてそれまで俺の横にいた金銀光り輝く甲冑を着込んだEX狩刃が姿を消した。
「堕印奴隷か。どうにも苦手だ……!」
それだけ言うともう出てこようともしない。毒剣時代は堕印奴隷を助けようと必死だったのにどういう風の吹き回しだ?
「ケントのバカぁ……どう考えてもあそこはキ……する流れじゃないですかあ」
「そうだね」
そしてあちらはどういうわけか俺について愚痴っている様子。
何がそんなに不満なんだろうか。
フィーナがどうやってあの「アバドン」に入り込んだのかはわからないけど、俺が時間を稼いでフィーナたちが転移者たちを救出する。
二人とも中々の活躍ぶりだったんじゃないか?
しかしフィーナの愚痴は続く。
「そんなにEX狩刃が大事なら霊剣と結婚でもしちゃえばいいじゃないですかあ」
「そうだね」
もしかしてEX狩刃が生きてるのに気付いてフィーナを放り出したのを根に持っているんだろうか。
そんなに怒らんでも。
堕印奴隷がいい加減うんざりしている様子。そろそろ助け舟を出すか。
「その辺にしたらどうだ? 堕印奴隷もそろそろ困ってるぞ。急に突き飛ばしたのは悪かったからさ」
「全然わかってなーい!」
「そうだね」
なんでだ。
「今回だって俺たちいいコンビネーションだったじゃないか。おかげでみんな助かったんだし、堕印奴隷も取り戻せた。な?」
「それで死にかけてりゃ世話ないってんですよー! わらひの気も知らな……きも、ぎもぢわるい……」
フィーナの表情が突然「何か」を堪えている人に変わる。
「いつもみたいにアルコールを【浄化】しちゃいなさい! ほら【浄化】!」
「びゅ、びゅりふぁい……」
突然フィーナの土気色だった顔面が普段のものに変化する。相変わらずそれって便利じゃない?
いや、そんなのがあるからフィーナの酒癖が悪いんだよ。ダメだダメだ!
「そうでした。ケントに大事な話があったんです。せっかく酔いが覚めたんですから聞いてください」
急にかつてなく真面目な表情になるフィーナ。あ、女の子から「大事な話」って前置きされてから話すのって初めてかも。
ずいと不意打ち気味にフィーナの顔が近付き思わず俺の心はドギマギする。そりゃあするでしょ。何も言わなきゃ美少女であることには変わりないわけだし。
ただ性格に問題がありすぎるだけで。
「絶望的にかみ合ってない。もう芸術の域」
俺たちのやり取りを見ていた堕印奴隷はそれだけ言い残すと姿を消した。どういうこと?
「なんで私があの監獄に入り込めたのかと、エミリーについての話なんです」
「……は? ああ。そういえば気になってたんだよ。転移者しか狙っていないというか、転移者しか縁のない場所にどうやってフィーナが転移できたのか。けどエミリーの話がそれとどう関係があるんだ?」
想定と大幅に違う話題に一瞬動揺するがすぐ持ち直す。そうだよ。俺とフィーナがこうあんなそういう感じになるわけないもんなあ。はあ。
「私、転移者失踪事件の話を聞いてケントとエミリーとリサさんに仕掛けをしておいたんです。三人に仕掛けられた別の魔術を私が探知できるような。ケントには『健康体』のスキルで弾かれましたけど、エミリーとリサさんには効きました」
だからそれがどういう……あ。
「もしかして俺たちが転移させられる時にそれが作動したってことか?」
「ピンポンです。まずエミリーにかけられた転移魔術に対して妨害と追跡を同時に行ったんです。けど転移に関しては相手の方がずっと上手で、エミリーにかけられた術を私が肩代わりするしかなくなっちゃったんですけど」
相手の術者はカミラのことか。
それにしてもさっきからエミリー、エミリーって。
どうしてあの生意気魔女っ子が「パンドラ」に狙われると踏んでたんだ?
「エミリーの使う魔術ってやっぱり普通じゃありえないんですよ。流派とか個性じゃ説明できないくらい。だとすると……」
言葉に出して命令するだけで対象にその効果を与える通称「命令魔法」……それが魔術でないとしたら。
「スキルか……!」
「そうなんです。私はエミリーの『命令魔法』を一種のスキルだと考えています。だから私はエミリーを転移者か、それに近い何者かだと考えています」
だがエミリーが転移者の線はないだろう。
俺に語ってくれた高ランクの冒険者だった両親の話。依頼から帰ってこなかった父親と流行り病で亡くした母親のことを思い出す。
「でもその話を切り出すにもなあ。エミリーにその自覚があるかもわからないし、どう受け取るか……この話は慎重に扱おう」
「……何? 二人してわたしのウワサ話なんてして。照れるじゃない」
二階に繋がる階段にエミリーが立っていた。彼女が自分自身に「命令」して音を消して動き回れるのを失念していた。
エミリーは冗談めかしていたが、その声は冷ややかだった。




