98.観音寺の会談
定期投稿で、二話連続投稿です。
今話は、史実にはないお話になっております。
羽柴秀吉の使者、蒲生氏郷は礼儀正しい仕草で書状を取り出し差し出した。永井直勝がそれを受け取り、不安そうな表情で家康に渡した。家康は書状を受け取ると中身を見る前に氏郷を睨みつけた。
「…信長公の娘を娶りながら、正式な後継者でもない羽柴殿に与するとは…中納言様もお怒りになる訳だ。貴殿ほどの才気のある者が何故羽柴殿の使者を務めておるのだ?」
氏郷は表情を変えずに家康を真っ直ぐ見返して答えた。
「我ら蒲生家は明智光秀謀反の折に大殿のご家族を庇護致した。だが明智軍に襲われ討たれるところを羽柴様にお助け頂き、借りがあり申す。」
「されどその借りは、此度の戦で南伊勢を落とす功を挙げ、十分に返したのではないか?羽柴方使者として働くことも無かろう。」
「徳川殿の申し分、至極当然。…されど、羽柴様は乱れた織田家を再び一つに纏め、以前より強力な勢力として諸侯にその存在を示されました。我らが義を重んじて要らぬ戦を持ち掛け、世を乱す事の方が民の為ならず。…主君は天下を一つに纏めるお方であると信じたが故に、こうして仕えておりまする。」
氏郷の返答は清々しい物言いであった。武士としての本懐や意地ではなく、民の為と申して秀吉に仕える決心をし、それを全うしようと言う心意気であった。若いのに考えに筋が通っており、その目に曇りなど無かった。
家康は氏郷を怒らせて追い返そうと思っていたが、諦めて書状に目を通した。そして綺麗に折りたたんで直勝に返した。
「…和睦の条件は受け入れられぬ。我等は羽柴殿に負けておらぬのだ。何故大坂に人質を出さねばならぬ?」
氏郷は直勝から突き返された書状を仕舞い、言い返した。
「ですが、徳川殿も此処から本国に撤退するにも我らの追い打ちが気がかりで御座ろう。和睦を結び双方兵を退くが最もと心得まする。」
「我らはこのまま引く。追い打ちを掛けたければなされるが宜しかろう。手痛い目を見るのは其方であろうがな。」
家康は不敵に笑う。氏郷は交渉を諦め、主と相談してまた参上すると返答した。
「何度来ても変わらぬよ。其の和睦条件ではな。」
そう言って家康は氏郷を退出させた。途端に諸将が寄って来る。
「和睦の条件は何だったのですか?」
石川康輝が真っ先に問いかける。
「……子息とその母を大坂に人質に出せ…だそうだ。」
「到底受け入れられぬ!我らは負けておらぬのだ!」
井伊直政が吼えるように叫ぶ。他の物も相槌を打って声を上げた。
「だから追い返したではないか。……だが秀吉は諦めておらぬであろうな。何とかして我らと和睦をすると言う結果が欲しい様だ。」
「此度の戦で名声を上げた我らをただで帰す訳にはいかぬようですな。」
本多正信が抑揚のない声で言い放つ。家臣らがギロリと正信を睨みつけた。正信とその弟、正重は他の家臣らから良く思われていない。当然でもある。何の戦働きも無く、福釜康親の家臣から家康の直臣…それも側近として戦奉行に従事しているのだ。毛嫌う者も多いのは分かる。そんな目で見る家臣らを敢えて無視して家康は正信に問いかけた。
「弥八郎、落し所はあるか?」
「……人質を差し出す…これだけは御認めにならぬよう…。それでは我らが負けを認めたと吹聴されてしまいまする。そしてこれに言い返す術が御座いませぬ。」
「殿の御子を差し出すなどもってのほかじゃ!」
酒井忠次が大声を張り上げて叫ぶ。此処で言う「殿」とは横死してしまった亡き家康の事であり、目の前の家康ではない。それが分かっている家康は忠次の意見に返事は出来なかった。
「落し所を見つけて儂に具申せよ。…あまり時間はないぞ。秀吉は明日にでもまた使者を遣わして来る。」
正信は短く返事をして引き下がった。だが目の前の家康が本物の家康ではないと知っている家臣らは正信の意見に憤っていた。「あれでは人質を差し出すのも止むを得ず」と言っているようなものであったからだ。
翌日、再び蒲生氏郷が岩倉城を訪れる。しかし今度は書状ではなく言伝であった。しかも想定外の内容である。
「我が殿が、徳川殿との会見を望んでおられます。…明日、一宮の観音寺までお越し下さりませ。」
家臣らが騒ぎ出す。「行ってはならぬ」だとか「我らを騙し殿を討つ気か」だとか怒号に近い声が飛び交う。家康は手ぶりで鎮まるように家臣らを制した。平然とその場で身動きをせずに座する氏郷に関心しつつも、頭を働かせる。自分の知っている前世の知識にはこの時期に秀吉との会談は無い。つまり己の判断でこの状況を切り抜けなければどうなるか判らない出来事であった。
家康は間をおいて返事を決めた。「人たらし」と言われる秀吉の人物像に賭けた判断である。
「…相分かった。此方は従う将四名、百騎の兵を引きつれ伺おう。」
氏郷は表情を変えず静かに頭を下げ家康の前を辞した。昨日と同じく家臣らが家康に詰め寄る。
「危険で御座る!千…いや二千は連れて行かれるべきです!」
「そもそもお会いする必要も御座いませぬ!秀吉めは殿を騙し討ちに致すつもりですぞ!」
家康の身を案じてそれぞれに言い放つが、家康は皆を座るように諭した。
「羽柴殿は、信長公の家臣の頃から、人を騙し討つような事はしておらぬ。それに己の評価を下げるような真似を、今するような男でもない。」
家康は皆に言い聞かせ不満を抑え込むと、忠次を呼んだ。
「連れて行くのは…平八郎とお主、それに虎松と彦五郎だ。引き連れる兵は赤備えと黒備え五十騎ずつ。支度を頼む。」
忠次にそう告げると、家康は城内へと消えて行った。忠次は黙ってその姿を目で追っていた。
天正12年11月13日、徳川家康と家臣四名に百騎の騎馬隊が一宮の観音寺に到着する。寺の周囲には同じく百騎程度の羽柴軍の旗を刺した騎馬が控えており、そのうちの一騎が家康一行に向かって近づいて来た。騎馬兵は家康の前まで進んで下馬し一礼した。
「徳川三河守とお見受け致す。中で我が主がお待ちで御座る。随伴の方のみ、下馬して入られたし。」
そう言うと門の前に立って中に入るように促して来た。家康と家臣四人は下馬して馬を後ろに控える兵らに預け、羽柴兵の横をすり抜けて境内へと入って行った。正面の屋敷に羽柴兵が二名立っており、家康一行を確認すると一礼して入り口の戸を開けた。家康が先頭に立って、甲冑を鳴らしつつ屋敷に上がる。そこには直垂姿の若衆が立っており一礼して名乗りを上げた。
「羽柴家家臣、石田佐吉と申します。主の下にご案内致しまする。…どうぞ此方へ……。」
そう言って静々と歩き始めた。家康らは後を付いて行く。数度角を曲がって広間へと案内されて中に入る。そこには既に甲冑姿の数名の男が床几に座って待っていた。…中央に陣羽織姿で座るは、羽柴秀吉である。
互いの立場的には同等であるが、身分的には秀吉の方が上。にも拘わらず先に席に着いていた事に家康は驚く。直ぐに表情を元に戻し、用意されていた床几に腰を下ろした。忠次らは後ろに置かれた床几に座る。
両者は暫く無言で互いを見つめ合っていた。やがて秀吉の方から口を開いた。
「浅井、朝倉の軍と戦うた時以来で御座るな。」
「…そんなに前に為りまするか。ですがあの頃と余り変わられぬご様子で。」
家康は相手の方が身分が上である為、謙った言葉を使った。
「某に会いたいと申されるは、昔話をされる為でしょうや。」
家康と秀吉は姉川の戦いで共闘しているが、今此処に居る家康はその戦には参加していない。昔話をされては困るので機先を制した。秀吉はかっかっかと笑う。
「せっかちになさらずとも良い。せっかく連れて来られた家臣を紹介頂いても良かろう?」
秀吉の屈託のない笑顔に家康はちらりと視線を後ろの家臣に移した。四人はじっと秀吉の足元辺りに視線を向けている。
「酒井左衛門尉忠次、本多平八郎忠勝、井伊虎松直政、長坂彦五郎信宅で御座る。」
家康の紹介に合わせて四人は頭を下げた。秀吉は興味深気に四人を見つめた。
「中々良い面構えじゃの。…小牧山で仁王立ちして我らの兵を封じておったのは…。はははっ。」
秀吉は膝を叩いて笑うと、後ろを顧みた。そこには秀吉の次に立派な甲冑を身に着けている男が座っていた。
「此れなるは我が弟…小一郎じゃ。その後ろにおるでかいのが福島市松。左右の二人は知っておろう。蒲生忠三郎に石田佐吉じゃ。」
四人が挨拶をする。秀吉も中々の家臣を引き連れていた。戦場での会談はある意味見栄の張り合いである。家康も見栄えの良い赤と黒の騎馬隊を引き連れたのはそう言う意味を含んでいる。
「羽柴殿も良い家臣をお持ちのようで…お陰で苦労致しました。」
「なんの…伊勢方面は大きく所領を増やしたが、尾張方面は貴殿のお陰で殆ど得られずじゃ。」
「木曾を寝返らせましたでしょうに。」
「あれは勝手に寄って来ただけじゃ。」
「あれは信の置けぬ者故、お気を付けなされませ。」
「ははは…徳川殿は木曾に裏切られても痛くも痒くもないようじゃな。…本題に入ろうぞ。木曾は羽柴の領地とする。」
「…では我が家臣が落とした明知城は徳川の領土と致してよう御座るな。」
「その他尾張の城は中納言様にお返し致す。」
「中納言様の処遇はどうなされるのです?」
「…来月には我が家臣として上洛して頂く。」
「ほう…では、大納言にでもなられるのですな?」
家康の言葉で秀吉の体の動きが一瞬止まった。そして笑い始めた。
「徳川殿は何でも知っておられるのぅ。…大納言になれば、日の本のどの武家よりも官位が高くなる。これで儂に跪かせる大義ができたわ。……徳川殿も我が家臣となられよ。高い官位もお与えしよう。」
家康は一度背筋を伸ばしてから頭を下げた。
「お断り申し上げる。……負けてもおらぬ相手に服属などできませぬ。」
家康の答えに秀吉の表情が一瞬強張った。しかし直ぐににこやかな顔に戻す。
「儂等に何もさせずに三河に戻られるおつもりか?それでは我が羽柴家の面子が立たぬ。」
「…それで我が子を差し出せ…と?」
秀吉は満面の笑みで家康を暫く見つめる。そして何かを思い出したかのような顔をした。
「そうじゃ!貴殿の御子を儂の養子に出さぬか?儂はこの通り親族が少なく子もまだおらぬ。養子に出して頂ければ相応の待遇でお育てしようぞ。」
秀吉の提案は家康には予測がついていた。が、いざ言われると背筋が凍る。此方には断りきる材料が無かったからだ。
「我が子はいずれも元服も済ませておらぬ。養子として貰うと言うなれば、元服も初陣も面倒見て頂けると言う事…ですな?」
「勿論じゃ!羽柴家らしく派手にしてやろうぞ!」
はっきり言って徳川家にはこれ以上戦をする余力はない。本国においても限界まで物資をこの戦につぎ込んだ為、此処で羽柴軍が主力を率いて三河に雪崩れ込まれては耐え切れないと考えていた。
「…宜しいでしょう。三河に戻り次第、某の次男若しくは三男をお送り致そう。」
「おお!これで我らの面目も立つ!徳川殿!この秀吉精いっぱいの御礼を申し上げる!」
秀吉はめいいっぱい頭を下げて礼を述べた。早速石田佐吉と申す若者が机の上に書状を置いて家康の前に差し出す。用意周到なことだと思いながらも家康は筆を取り名を書いた。続いて秀吉の前に移動され、秀吉も名を書く。
「これで、お互いに無駄に兵を失わずに引くことができる。」
秀吉は上機嫌で立ち上がった。
「…またこうして徳川殿と会話したいのぅ。」
そう言って笑うと福島正則を引き連れ広間を去って行った。それを見届けた秀長が温和な口調で家康に話しかけた。
「和議は成立致しました。我等は直ぐにでも撤退を開始致しまする故、徳川殿も安心して三河にお戻りくだされ。」
秀長は蒲生氏郷と石田三成に軽く合図を送って立ち上がると部屋から出て行く。三成は最後に家康を睨みつけるような表情を見せてから秀長の後を付いて出て行った。
家康ははああと大きく息を吐き出した。
「…これ以上に落し所はなかったか…。」
「榊原殿あたりが何と言うであろうか。」
忠次は家康にちくりと言い放つ。家康は頭を掻いた。
「本国は兵糧不足なのじゃ。秀吉に攻め込まれては耐えられぬ。」
「分かっておりまする。それでも殿に文句は言ってくるでしょう。…で、誰を差し出されるおつもりか?」
「三河に戻ってから、皆と話して決める。…できるだけ器量の良い方を預ける。」
何か言葉を続けようとした忠次を家康は制して立ち上がった。
「我らも兵を退くぞ。」
天正12年11月14日、徳川軍は全軍を清須城にまで移動させ、整然と隊を組んで三河へと引き上げた。
11月19日、家康の次男、於義丸が羽柴秀吉の養子となる為に浜松を出発する。21日に岡崎城にて家康と対面すると刀と采配を授けられ、大坂へと向かった。石川康輝が取次役となり、小栗重国、石川康勝、本多成重ら傅役衆を従えての旅立ちであった。
羽柴秀長
羽柴家家臣。秀吉の実弟で羽柴家を支える文武に長けた名将との呼び声が高い。小牧、長久手の戦いにおいても中伊勢の攻略、北尾張の攻略と活躍を見せている。
蒲生氏郷
羽柴家家臣。織田信長の娘を正室に持つ。織田家一門に列する人物。早くから秀吉に従って各地を転戦している。小牧、長久手の戦い後、南伊勢を拝領する。
福島正則
羽柴家家臣。秀吉の小姓衆の一人で、静ヶ岳の戦で名を挙げる。
石田三成
羽柴家家臣。羽柴家の内政を支える奉行衆の一人。若いながらも正確に仕事をこなし秀吉に気に入られている。
小栗重国
徳川家家臣。遠江奉行衆の小栗吉忠の族弟。
石川康勝
徳川家家臣。西三河衆旗頭の石川康輝の次男。
本多成重
徳川家家臣。三河奉行衆の本多重次の子。




