88.伊賀逃避行
定期投稿になります。
「どうする家康」?・・・・・・見てません。
ちょっと、脚本と演出が・・・作者のお口に合いませぬ(;^ω^)
それはさておき、本話と次話が、この物語を描くにあたって一番最初に思い浮かんだエピソードになります。
天正10年6月2日、昼過ぎに半蔵が茶屋四郎次郎の使いの者を伴って松平康親の前に現れた。康親は家康一行が滞在している屋敷の前の通りで半蔵の帰りを待っていた。
「来たか。」
「茶屋様からの使者に御座います。」
半蔵に伴われてきた男は商家の振る舞いの見える男で、慌てた表情で文を取り出した。
本能寺の変である。6月2日夜明け前に、明智軍一万四千が京に押し寄せ、本能寺を囲み織田信長を襲撃した。本能寺は炎に包まれ焼け落ちる。明智軍は続いて二条城にも兵を向け織田信忠も襲った。
「旦那様からの言伝です!京の町は明智様の兵でいっぱいに御座います!堺にもいつ押し寄せて来るか判りませぬ!」
男の言葉を聞きながら、康親は文を読んで頷いた。そして側に控える藤林保正に命じる。
「直ぐに伊賀を抜けて伊勢に向かえ。待機している仲間と共に道中の安全確保に努めるのだ。我等もなるべく早く此処を出立する。」
保正は「はっ」と返事して走り出した。康親は男に礼を言うと半蔵を伴って屋敷へと入って行った。男はその様子を見届けるとにやりと笑う。
「…服部の倅も、藤林の小僧も大した事ねえな。俺の正体に気付かねえとは……。まあ、あとは頭がうまくやってくれるだろうよ。俺は一足先に明智様の下に帰るか。」
そう言うと、くるりと向きを変えて屋敷から離れた。
屋敷に戻った康親は楽しそうに酒を飲む家康らの前に座った。雰囲気の違う康親に一瞬静寂が訪れる。
「どうした三郎次郎?」
家康の問いかけに家康は両手を付いて頭を下げて答えた。
「京にて異変が起こりました。詳細は道中でご説明します故、今すぐご出立の準備をお願いいたしまする。」
康親の言葉に家臣らの動きが止まった。
「異変とは?福釜殿、何がござった?」
酒井忠次が聞き返すが、康親は動かぬまま言葉を繰り返した。
「今すぐご出立の準備を!」
康親は先ほどよりも強い口調で言葉を発する。只ならぬ雰囲気に家康も家臣らと目を合わせた。やがて訳も判らぬまま荷物を纏め屋敷を出る事になった。外では服部衆が十数人待ち構えており、康親の合図で先行して走り出した。
「あの者らに付いて行って下さりませ!」
康親は家康に走るよう促した。服部衆が向かった先は町の東門へと続く道。家康は不安気に康親を見返した。
「何処へ向かうのだ?東門からでは京に戻れぬぞ。」
「京には戻りませぬ。そちらは敵兵で囲まれております。」
「敵!?誰なのだ!?」
「詳しくは後で!今は一刻も早く町を抜け出る事をお考え下さりませ!」
そう言うと康親は家康の背中を押して走り出した。
一行は服部衆の跡を追って東門に到着する。そこでは、徳川家を出奔した伊奈忠家、忠次親子が待っていた。忠家は康親の姿を見つけると手を振った。
「お前達も聞いたのか?」
康親は駆け寄って忠家に尋ねる。忠家は大きく頷いた。
「京は既に混乱を極めております。福釜殿であれば此方から堺を出ると思うて待っておりました。」
「では、共に参ろう。殿をお守りする者は一人でも多い方がありがたい。」
「どういうことだ、三郎次郎!ここまでくれば良いではないか!なにがあった!?」
家康は忠家とこそこそ話す康親に怒鳴り声を上げる。康親は再び家康の背中を押した。
「ささ、町をでましょう!此処からは伊賀を目指して走りまする!」
家康一行は走り出した。服部衆の案内するままに街道を東へと走った。そして日が落ちる頃までに何とか野中寺にまで到達した。寺の住職に話をして宿を取らせて貰う。そこでようやく康親は皆に説明をした。
「織田殿が…討たれた?」
家康は事態を直ぐに飲み込めなかった。当たり前だが誰も理解できていなかった。康親は詳しく説明する。
「恐らくですが、明智殿は以前より織田殿に対して謀反を計画していたものと思われまする。ですが織田殿も普段は多くの護衛を従えておられる故、なかなか機会がなかったのだと。ですが此度、少数で京にお入り為された。そして護衛の兵が少ない時を狙って事に及んだものと。」
「だが何のために!?」
榊原が声を荒げる。康親は首を振った。
「それは判らぬ。だが、我が明智光秀ならば…東国を混乱せしめる為に殿の命を狙う。それだけははっきりとわかる。だから、急ぎ堺から脱出したかったのだ。」
信長が討たれたことで、畿内全土と近江は混乱に陥る。これに加えて徳川家康も打たれれば、三河遠江駿河までもが混乱に陥り、これを好機と見た北條を含む関東勢が大挙して押し寄せるのは明らかであった。
その驚愕の事実を知らされ家臣らはうまく言葉が出せないでいた。その中で榊原康政が何とか言葉を絞り出す。
「…これからどうするつもりだ?」
「明日の朝から高野街道を北上する。その後は奈良街道を東へ進み、途中から伊賀街道を通って海に出る。そこからは舟で三河に入る予定だ。」
「舟?我らは銭など持っておらぬぞ。」
本多忠勝が懐を叩く仕草をして主張する。だが康親は腰に巻いた風呂敷から銭をちらりと見せた。
「銭なら茶屋四郎次郎から借りて来ている。それに伊賀街道に入れば、伊勢方面に待たせている藤林衆と合流してより安全に移動できるはずだ。」
康親の言葉に誰もが用意周到だと感じた。まるで事変が起きるのを知っていたかのように先手を打って行動している。気味が悪いとも感じるのだが、今はそれを問い詰める事は無意味で、康親に頼るしかなかった。
「で、三河に戻ってからは?」
康政が肝心な部分に触れて来た。康親は小さく頷いて家康に方に身体を向けた。
「三河に戻り次第、明智光秀を討つ兵をお挙げ下さりませ。織田家の同盟者としての義理を果たしつつ、周辺諸国に警戒せねばなりませぬ。」
「やはり、東国は荒れるか。」
酒井忠次が呟き、それに康親が頷く。
「上野、甲斐、信濃は織田家の支配下に入ってまだ浅い。必ずや国衆らが反旗を翻す。それに乗じて北條も動くであろう。」
「殿、此処は一刻も早く三河に戻られるのが得策です。」
康政が家康に改めて進言すると家康も頷いた。
「三郎次郎、お主の案内を頼る。」
「ははっ!」
こうして家康一行は伊賀行きを決めた。その中で穴山梅雪は口惜しそうに家康を見つめていた。梅雪としては命の狙われていると思われる家康一行とは別行動を取りたかったのだが、自分の家臣の少なさに不安を感じ、同行するしかなかった。
6月3日、早朝より一行は寺を出て歩き出す。服部衆が先行して街道を北上し、昼過ぎには奈良街道に入った。少しばかりの休息の後、生駒山脈を越え郡山を越える。此処からは明智光秀の縁戚となる筒井順慶の領内の為、早々に抜けるよう夜通し進む選択をする。そして夕刻には大和街道に入ることができた。此処からはひとの往来が少なくなり、襲われる可能性が高い。一行は細心の注意を払いつつ伊賀を目指した。
一行は昼過ぎに木津川に合流する笠置に到着する。村の空き家を借りて休息を取っていると、外が騒がしくなり始めた。服部半蔵が様子を確認しに外へ出たが直ぐに戻って来る。
「数十の賊が得物を持って武者を追いかけておりまする!」
一行は戦慄する。やはり京で混乱が起き、残党狩りは行われているのだと実感する。半蔵は戸をぴしゃりと閉め外に聞き耳を立てる姿勢を取った。一同は顔を見合わせる。
「…どうなさいますか?」
榊原康政が家康に囁く。家康は腕を組み目を閉じて考え込んだ。そこへ穴山梅雪が物申した。
「徳川殿、此処は追われている武者を助け、何か情報聞き出せませぬか。」
「斯様な人の目がある所では危険です。」
直ぐに康親が反対する。梅雪は不機嫌な表情を見せた。家康は康親を見る。
「我らは情報が欲しい。追いかけている輩も捕らえて聞き出した方が良いのではないか?」
確かに情報は欲しい。藤林衆は伊勢に行かせているし、服部衆も殆どが此処に居る。明智光秀がどう動いているのかは気になる所だ。だが康親としては動きたくなかった。
「その輩を密かに追い、村を出た後で襲っては如何か?」
梅雪が更に提案する。思わず本多忠勝が頷いた。
「徳川殿の重臣一同がこれだけ揃っておられるのです。数十の賊紛いなど大したことは御座らぬでしょう。」
梅雪は執拗に賊を襲う案を押して来る。康親は危険であることを主張したが、こそこそした移動に付かれていた家臣らは賊を襲う方に大きく傾いた。
「よし!行くぞ!」
家康の掛け声を合図に一同は「おう!」と返事をする。完全に梅雪に乗せられた感じであった。康親は止むを得ずと判断し、半蔵に目で合図を送る。半蔵は音もたてずに小屋の外へと消えて行った。こうなれば服部衆を展開して取りこぼしが無いようにするしかない。康親は覚悟を決めて息巻く家康に従った。
本多忠勝、本多信俊を先頭に一行は小屋を出ると無言で武者を追いかける賊集団を追いかけた。賊らは前を走る武士に集中しており、後ろの様子に気付いていない。徳川家臣らは武者らが村を駆け抜けて川辺へと逃げ込むのを確認すると刀を抜いて全速力で走り出した。家康もその中に混じる。康親も皆を追いかけるが、後ろを振り向くと梅雪とその家臣が少し力を抜いて追いかけているのが見えた。康親は舌打ちをしつつ、家康を追いかけた。
逃げてきた武者は最早これまでと足を止め振り向き賊らを迎え撃つ姿勢を見せた。賊が追いつき、一旦立ち止まってから横に展開した。そしてしばらくして何気に後ろを振り向いた一人が追いすがる徳川家臣らに気付いた。「あ!」と声を上げた時には忠勝が目の前まで迫っており、一閃の下首を刎ね飛ばした。これに信俊が追いつき二人目を切り捨てる。更に井伊直政、内藤安成、永井直勝ら若手が追いつき次々と切り放った。賊集団も態勢を変えこちらに向いて刃を構え襲い掛かる。だが、剛勇を誇る忠勝と信俊を前に二合と続かず斬られた。そこからは徳川方の乱撃である。家康も加わって砂埃の舞う乱戦模様が繰り広げられた。
盛大な刃音が鳴り響き、賊共の悲鳴があがり、血飛沫が飛び散る。永井直勝は若い小姓らの前に立ちはだかり賊らをけん制し、その間に井伊直政が切りつける。大久保忠佐が甥の忠隣に斬りかかろうとした賊を殴りつけ、怯んだところを切り払う。乱戦は直ぐに家康方優位に進み、家康も一人切り伏せた。やがて賊の半数を切り捨てた所で敵の動きが変わった。
残りの賊が恐れを為して逃げ始め、その動きを見た忠勝が賊の一人の腕を掴んで引きずり倒した。続いて信俊が走り込み、一人の背中を切りつける。更に直政が組み倒して首を抑えつけた。
「半蔵!」
康親の声で武者の後ろに回り込んだ服部衆が逃げて来た残りを斬り倒した。一行は二人を生け捕りにして賊集団を討ち果たした。
各々が刀の血を払い鞘に納める。見ると構えていた武者も刀を納めて一行に近づき始めていた。
「忝い。…助かった。」
礼を口にしながら二人の武者が一向に近づく。
その足は一行の中でひときわ立派な衣服を纏う家康に向かっていた。
この時、康親は得体の知れない悪寒を走らせ、咄嗟に走り出した。…だが家康からは距離があった。
「何方かは存ぜぬが、命拾い致した。」
そう言いながら家康に近づき、不意に速度が速まり家康にもたれ掛かるように何かを胸に突き立てた。
康親の目に家康の苦悶に歪む顔が見える。
「とのぉおおお!!」
康親の叫び声で皆が一斉に家康に顔を向けた。
その瞬間、徳川家康は…膝から崩れ落ちた。




