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86.論功行賞

二話連続投稿の二話目になります。



 天正10年3月11日、武田勝頼は天目山の山麓で妻子と共に自刃する。滝川一益の追手に追われ、逃げられないと判断しての最期であった。従った多くの家臣がそこで勝頼と共に自刃し、武田軍は消滅する。


 3月12日、徳川軍は織田信忠軍と合流した。穴山梅雪を紹介せんと家康は信忠に面会する。そこで、勝頼の首が届けられたことを知った。梅雪が居る事からその場で首実検が行われ、梅雪は勝頼本人であることを証言する。そしてそのまま梅雪との会見になった。


「先ずは御戦勝、御目出度う御座りまする。」


 家康は戦勝祝いの言葉を述べる。信忠は満足そうに笑顔で頷いた。


「徳川殿もご苦労で御座った。父が此方に向かわれている故、それまで我らと共にお待ちあれ。」


「承知致しました。…我らも仕置きの手伝い致しまする故、如何様にもお申し付け下さりませ。」


 家康の謙った態度に小首を傾げつつも、信忠は頷いて「後で申し付ける」と答えた。そして、家康の横で頭を下げたままの僧姿の男に声を掛けた。


「よう我らに協力してくれた。貴僧がいなければ駿河の制圧には時を費やしたであろう。」


 梅雪は畏まって平伏したまま返事をする。信忠は勝者の余裕かわざと胸を逸らして梅雪を見下ろした。


「これからまだまだ首は届く。梅雪はこれを一つ一つ吟味する様申し付ける。」


 信忠の命で梅雪は更に頭を下げて返事した。




 3月13日、松平康親は駿河に戻った。目的地は田中城で、城主の依田信蕃に開城を促す為であった。16日には田中城に到着し、周囲を取り囲む徳川軍の陣幕に入った。


「福釜殿、ご苦労で御座る。甲斐は片付きましたか。」


 大久保忠佐が康親に声を掛ける。本多広孝もその場にいた。康親は直ぐに戦勝を報告した。


「我らの勝利に御座る。武田家当主は自刃された。既に甲斐では仕置きが始まっている。」


 康親の言葉に二人の顔が綻ぶ。


「其れは重畳。ならばこの城の奴らにも伝えてやらぬとな。」


「その役目を仰せつかっておる。誰か我を表門まで案内を頼みたい。…それから大久保殿、二俣城に用意して貰いたい者がある。」


 康親は忠佐に何事か小声で頼み事をした。忠佐は頷いて了承する。その後、康親は忠佐の兵に伴われて田中城の表門まで足を運んだ。


「我は徳川家家臣、松平康親である!貴殿らの主、武田勝頼殿は甲斐にて自害された!貴殿らが此処に籠る理由は既にない!速やかに開城し我と対面されたし!」


 大声で中の依田信蕃に声を掛けると、暫くして櫓から依田信蕃が出て来た。


「儂は貴様らには下らぬ!兵を連れて此処を出る故、道を開けよ!」


「何処に行かれると言うか。既に信濃も甲斐も織田家によって征服されておる。貴殿の逃げ場はない!」


「…それでも儂は織田家になんぞ下らぬ!」


「……少し話がしたい。我を中に入れてくれぬか。」


 頑固に降伏を拒む依田信蕃を説得しようと康親は城内に入る覚悟を決めた。城門が少し開き、康親は中に入る。直ぐに信蕃が刀を抜いて歩いて来た。康親は梅雪からの書状を渡す。だが信蕃は読むことなくそれを破り捨てた。


「織田に尻尾を振った者の言葉など聞く耳持たぬ。それよりも儂を逃がせ。」


「その事だが…織田家は貴殿を捜索して討取る大将にされておる。このまま此処から逃げても何れ捕まるぞ。…我らは貴殿を匿う用意がある。これが我が殿からの書状じゃ。」


 康親はもう一枚紙を取り出し信蕃に渡した。信蕃は今度はその中身に目を通した。そしてじっと康親を見た。家康の文には信蕃を武勇を称え家臣として欲している旨が書かれていた。


「我が主は、貴殿の勇猛さを評価しておる。ついては、一時我らにその身を預けて欲しい。決して悪いようには致さぬ。織田殿から打ち首免除が出れば、相応の待遇で召し抱える。」


 康親の言葉で暫く考えていた信蕃は、やがて刀を納めた。


「…信用して良いのだな?」


「この福釜の松平康親が保証致す。」


 信蕃は刀を康親に差し出した。



 田中城の表門が開く。武装解除した兵たちが次々とそとに出て来て、其れと入れ替わるように徳川兵が中へと入っていく。康親の説得で堅城田中城は無血開城となり、これで駿河大半を徳川家のものとした。

 投降した兵の内、足軽は全員解放し、依田信蕃を始め信長が出している処刑リストに載っている将は、大久保忠佐に預け、二俣城で匿う事となった。

 諸事を忠佐に頼むと康親は急いで甲斐に戻った。




 3月18日、甲府で仕置きを行っていた織田信忠軍は、徳川家康と穴山梅雪を連れて諏訪へと向かう。中山道を北上する織田信長を出迎える為であった。3月21日に一行は諏訪湖手前の上原城近くで信長軍と合流し、マントをはためかせてやって来た織田信長を出迎えた。


「勘九郎、ご苦労であった。まさかお前ひとりで武田を滅ぼしてしまうとはな。」


「思った以上に武田方の統制が取れなくなっていただけに御座います。まだまだ戦については父上から学ばなければなりませぬ。」


「謙遜など不要じゃ。これで織田家の当主はお前であることを内外にも知らしめた。」


 信長はかなり機嫌が良かった。親子の会話も和やかに進み、ひと段落したところで家康に視線を向ける。家康は信長の姿をじっと見つめていた。


「…何じゃ?また儂の甲冑を見ておられるか?まあ良い。徳川殿もご苦労で御座った。」


「は、ははーっ!」


 家康は低く頭を下げた。まるで信長の家臣かのような振る舞いに、信長は鼻で笑う。家康の態度の違いに信長も気付いたのだ。家康は今後の事を想定して自分に謙った態度を見せている。信長はもう一度鼻を鳴らした。


「北條もなんだかんだと使者を送って来ておる。上杉も弱体化した。奥羽の諸大名を服属させるのもさほど掛からぬな。」


 独り呟くとマントをはためかせ先の事に目を向け始めた。




 3月23日、上原城にて論功行賞が行われた。

 関東方面への最前線となる上野は宿老の滝川一益に与えられ、真田昌幸を与力に付けた。その昌幸には小県と岩櫃を安堵とした。甲斐は河尻秀隆を割り当て、仕置きの継続を命じる。木曾義昌は本領の安堵に加え安曇郡を与えられる。森長可には北信濃を任され、その補佐に毛利長秀とし、南信濃を与えた。

 穴山梅雪には本領の河内と江尻を安堵され、武田家の名跡を継ぐことを許される。

 そして、徳川家康には駿河が与えられた。駿河は徳川家が自分で切り取った領地。織田家から与えられる土地ではない。だが家康は駿河を一旦信長に献上し、他の家臣らと同様に信長から与えられる形式を取った。論功行賞に出席した織田家臣らはこの光景に驚く。そしてその真意に気付き、戦慄する。


 徳川家康が同盟者ではなく、織田家臣となる。


 家臣となれば、今の誰よりも領地と兵力と財を持ち、筆頭家老の地位の付くやも知れぬ。その思いが頭をよぎったであろう。此処へ来て徳川家は利用価値のある同盟者から、どの家臣よりも優位に立つナンバー2になろうとしていた。


「織田殿、恐れながらこの徳川家康が織田殿に東海をご案内仕りまする。…是非とも供の者共含め、駿河遠江を経由して安土に帰られませ。」


 家康は大胆な提案をした。主として家康の領土を通るよう進言したのだ。勿論、これらは全て康親が事前に家康に申し伝えていた事。これをすることで、家康は信長に「自分は安全である」と証明し、信長は家康に「家臣として家康を信用する」と約するものである。信長がこの話に乗れば、信長は家康を欲していることとなり、断ればその地位は北條家や宇喜多家のように外様の大名に成り下がるのである。


「…良かろう。十兵衛、一万を残し残りは貴様が率いて中山道で帰れ。」


「お、大殿!流石にそれは!」


「構わぬ。勘九郎は此処に残りて引き続き仕置きを進めよ。」


 信長は家康に対する信頼として率いる兵を一万だけとした。だが予防線は張っている。信忠を甲斐に留まらせ、何かあれば甲斐から進軍できるようにした。そのうえで家康の案に乗り、相手を凄む。


「左京大夫よ…儂に東海道が誇る絶景を見せてくれよ。」


 家康は再び平伏する。


「この家康にお任せ下され!」



 こうして織田信長は、家康の案内で解から駿河を抜け、遠江三河と通って安土へ帰る事となった。家康は手元に兵二千だけを置いて、松平信一に引き渡し先に帰らせる。康親は家康には同行せず信一に同行して駿河に入る。そして率いている兵を動員して街道整備を行った。それだけでなく要所には宿泊する為の建物を建築する様、国衆らに命じていく。信長と家康が通る道を整備し、宿泊施設を用意して安全な旅路にする。まるで信長を安土に送り届ける接待旅行のように、康親は徳川家の総力を使って信長御一行様の行軍を支援していった。


 4月7日、甲斐の有力国衆の処刑を見届けた信長は、家康の案内で東海道を目指した。康親が用意した宿に泊まり饗応を受け、富士を眺め、湊の賑わいを確認し、駿河を越えて遠江に入ると、16日に浜松へ到着した。家康はその後も信長を三河の知立まで案内する。信長は家康のもてなしに大層御機嫌で別れる間際にこう言った。


「此度は良き働きを見せてくれた。この礼をしたい故、近いうちに安土に来るが良い。江尻の梅雪と共にこの儂がもてなしてやろう。」


 家康は深々と頭を下げて礼を述べる。信長は機嫌よく兵を率いて去って行った。




 天正10年4月20日、浜松城に帰還した徳川家康は松平康親を呼び出した。康親が来ると小姓の井伊直政に人払いを命じる。周囲の家臣らが出て行き、康親ふたりだけになると、家康は上座を降りて康親の前に座った。


「今度、織田様に安土に呼ばれた。…夜次郎……お前が言っていた時が来たと思うておる。」


 家康は康親を昔の名で呼び、ぐっと顔を近づけた。


「……儂は織田信長様の家臣になる。…良いのだな?」


 康親はゆっくりと頷く。


「織田家が毛利を下せば、日の本に敵はおらぬ。後になってから織田家に臣従すれば我らは外様のひとり…。だが、今臣従しておけば、徳川家康は重臣として列席する。後は織田家に従い兵馬を動かせば良い。」


 二人は昔の間柄に戻っていた。ふと家康が天井を見上げる。


「最初に織田様に会うた時はこのようになるとは思いもしなかった。祖父の代から苦しめられた相手じゃからな。」


「だが、我の助言を聞き入れ、織田家と同盟し徳川家は飛躍できた。」


「そうじゃ。お前のお陰で今川をも追い出し、そして念願の駿河を手に入れた。」


「…天下は目指さぬのか?」


「…わかっておろう?儂にはこの三国で手一杯じゃ。嫡男すらまともに育てられぬのじゃぞ?そんな男は天下を目指さぬ。」


「織田家の重臣になろうとするお方が、消極的な言葉だな。お主の子は二人もおる。どちらかに後を継がせれば良いのだ。」


「その時はまた、お主に指南を頼むことにする。」


 家康は笑って言った。だが康親は笑わなかった。じっと家康を見つめ彼の本心を探ろうとした。


「この先、織田家に何かあれば、お主はどうする?」


「ん?……何を言っておる?」


「もし、織田家が分裂したらば…お主はどうする?」


「分裂?左様な事、ある訳が無かろう。あったとしても儂は織田家の重臣として皆を纏める様動くだけじゃ。」


 家康は気づいていなかった。康親の言っていることが何を意味するのかを。




「長門…お前は儂によ尽くしてくれた。」


「…は。」


「だが、それももう良い。武田家が滅んだ事で儂の夢は潰えた。お前らが儂に仕える必要はもうない。」


「……。」


「これは儂の名を記した書状じゃ。これを持って福釜殿の所へ行け。」


「は?何を言われまするか?」


「あ奴ならばお前らを無下には扱わぬ。あ奴に仕えて一族の生き残りを図れ。」


「し、しかし……それに福釜殿は…。」


「夜次郎…なのであろう?……薄々気付いてはおった。あのような者は二人もおらぬ。それに生きておったのかと安心もした。あ奴なら藤林衆を守ってくれると思ったのじゃ。」


「宜しいのですか?貴方様は隙を見てこの甲斐で起こす御積りでしょう?我らがお手伝い致しまする。」


「…無用じゃ。後は一族の安泰を願うのだ。…そうじゃな。儂の息子の事を頼む。」


「……瀬名様……。」



武田勝頼

 武田家当主。甲州征伐で新府城を捨てた後、天目山へ逃げ込み、嫡男に家督を譲る儀式を行い自害する。


穴山梅雪

 旧武田家家臣。家康家臣の長坂信宅の調略に応じて織田家に寝返り、本領を安堵される。


依田信蕃

 旧武田家家臣。田中城を開城後は大久保忠佐に従い二俣城で身を隠す。


滝川一益

 織田家家臣。上野国を与えられ、関東の諸大名を監視する役目を担う。


真田昌幸

 旧武田家家臣。沼田は取り上げられたものの本領と岩櫃は安堵される。一益の与力として織田家に従属する。


河尻秀隆

 織田家家臣。甲斐国を与えられる。信忠に代わって甲州の仕置きを命じられ、旧武田家臣の捜索を行う。


木曾義昌

 旧武田家家臣。本領を安堵され、織田家に従属する。


森長可

 織田家家臣。北信濃を与えられ海津城に入り上杉の動きを見張る役目を担う。


毛利長秀

 織田家家臣。南信濃を与えられ、長可の補佐を命じられる。



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[良い点] 本能寺まであと半年………しかし、史実通りにちゃんと起きるのかな本能寺
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