80.世は密談だらけ
「どうする家康」が始まりました。初回をそれなりに楽しんで観ておりましたが、本物語で作者が描く家康像とは大きく違う事で、旨くのめり込めない気が・・・
さて、今週は三話連続投稿です。これで信康事件が終わりとなります。
読者の皆様、鬱な内容では御座いますがお付き合いくださいませ。
天正6年10月某日、信濃国真田屋敷。
真田喜兵衛昌幸は久しぶりに自城である真田館に帰って来た。息子の源三郎信幸の挨拶を受け、屋敷の奥まで行くと弟の加津野信昌と出会った。
「おお兄上…戻られましたか。ちょうど良かった、兄上の意見も聞きとう存じます。」
信昌は昌幸の袖を掴み、別の部屋へと案内する。そこには見覚えのある者が座って頭を下げていた。
「……瀬名…殿に御座るか?」
そこに居たのは瀬名氏俊であった。既に頭を丸め仏門に帰依しており、昌幸も直ぐには判らなかった。
「今は鳳観と名乗って大輪寺で修業をしておりまする。」
手を合わせ頭を下げる氏俊を見て、昌幸はある事を思い出した。
「まさか。父の遺命を……?」
昌幸は振り返って信昌を見る。信昌は返答せずに兄を座らせた。そして床に広げたおびただしい数の書状を指した。
「織田家家臣、惟任日向守殿との書状に御座る。」
昌幸は言葉に詰まった顔で書状を見下ろし、やがてその一つを手に取る。
「父の申されていた様に、日向守殿は織田信長が天下を治めんとしていることに危機感を感じており申す。」
昌幸は弟の言葉には反応せず、無心に書状を読んでいく。
「三年かけて惟任…明智殿の真意を聞き出し、こうして親しく文を交わすようにもなりました。…明智殿の話では我等武田家への対応は徳川家に任せ、毛利と対峙すべく重臣らを西に集めております。」
昌幸の手が次の書状に伸びる。読み終えると次を取る。それを繰り返した。
「……父の大胆な発想に、話半分で聞いておったが…まさか、此処まで進んでおるとは…市右衛門、この事は誰が知っておる?」
「瀬名殿と某、後は取次役の穴山小助のみに御座る。」
昌幸は部屋の隅に居座る若武者を見る。それから視線を瀬名氏俊にやった。
「鳳観…殿、如何にしてこれを?」
「最初は、織田の内情を探るのが目的で近づいたのですが、ふとした事で日向守殿の苦労話を受けたところから…方針を変更いたしました。」
昌幸は書状に目をやる。確かに愚痴とも思える内容の文があった。これを元に明智光秀に謀反を考えさせるにまで話を進めるとはと感嘆する。
「兄上、明智殿は織田殿が朝廷を京から追い出してしまうのではと危惧しており申す。我等としては如何なる助言をすべきか、ご意見をお聞かせ下され。」
昌幸は弟を見返した。いきなり言われても困る。そんな顔をしつつ、これをどう利用すべきか真剣に考え始めていた。
天正6年12月26日、三河国岡崎城。
徳川家康が雪の降る中、岡崎城に到着した。目的は織田家の年賀の儀に出席する為である。家康は安土にて織田信長に拝謁する為、五百の兵を連れて到着し、岡崎城で一泊した後、信康と共に安土へ向かう予定だった。
信康の歓待を受け、宴席が設けられる。家康は注意深く信康とその家臣らを見ていた。
至って普通の会話で時折笑い声も聞こえる。とてもしこりがあるようには見えない。酒井忠次も石川数正も同様の考えだった。
宴では武勇の話になる。本多忠勝が一騎打ちで相手に背を見せたことが無い話から、信康の戦での活躍の話になった。信康が父に自らの武勇を語った際は、家老らは嬉しそうにそれを聞き入っていた。
宴が終わり、信康は父に本丸御殿を寝所として譲り、自らは家老らを引き連れ五徳の居る二の丸へ帰って行った。家康は家臣らを集め意見を求めた。
「見た目には対立している様には見えませぬ。」
酒井忠次の意見であった。鳥居元忠も同調する。
「家老衆は礼儀を尽くしており、若殿も家老衆と穏やかに話されておりました。…噂されていた様な不仲…には見えませぬ。」
榊原康政も同じ意見だ。
「…儂等を謀っている様子はないか?」
家康の問いに忠次らは顔を見合わせて首を傾げた。一度の宴で判断出来る訳ではない。人の機微に疎い本多忠勝は唸っているだけであった。
「殿が自ら家老衆を呼び寄せ詰問されては?」
「与七郎…それは浜松で何度も話し合ったのだ。殿が直接問えばあの者らは直臣に戻る事を言わしめてしまう…と。左様な事を言い出せば、殿のお立場としては罰するしかない。」
忠次は石川数正の案を否定する。家康も同じ考えのようで忠次に向かって頷いていた。
「三郎次郎は何と言うておった?」
家康はこの場に居ない松平康親の名を出す。康親は諸般を整える為、本多重次と共に一足先に安土入りしていた。
「服部衆の調べで常日頃から若殿と側近らの関係は悪くなく…との事。やはり浜松まで聞こえていた不仲…と言うのは武田の謀と思われまする。」
浜松…と言うより遠江に岡崎の不和、家康と信康の不和の噂が流れていた。問題なのは根も葉もないうわさではなく、家康も家康の側近らも信康の器量を推し量っている所であり、その噂を鵜呑みにも無視もできない事であった。
「兎に角、明日岡崎を出立した後は、儂は三郎と馬を合わせて進む。そこで三郎の様子を見て参る。」
結局は噂の真意について明日以降に持ち越しになった。
年明けて天正7年1月2日、織田信長は安土城仮御殿にて徳川家康を招いて年賀の宴を開く。織田家側は丹波攻め中の明智光秀、播磨在中の羽柴秀吉を除いて重臣らが出席し、徳川家側は二俣城守備の大久保忠世、掛川城守備の石川家成を除き、信康と五徳を連れての出席となった。
先月、木津川口の戦で毛利水軍を壊滅させ、本願寺との戦いを優勢に仕向けた事で、信長は終始御機嫌であった。約束していた家康の朱色の南蛮胴鎧を見せ家康を喜ばせる。上機嫌の信長に家康は明国から取り寄せた酒を献上した。近年は浜松に唐船を呼び寄せ、貿易を行う様になり、徳川家の懐も随分と潤う様になっていた。既に織田家からの借財は返済の目途も立っており、家康も茶器や刀、渡来品を収集する余裕も出てきたのだ。信長は酒壺に描かれた色鮮やかな模様を気に入り、その場で刀をひと振り、家康に下賜し、家康は有難く受け取った。眉を顰める忠次らを他所に家康と信長は終始機嫌良く宴を楽しんだ。
夜になり、眠りこけた家康の下を離れ、重臣らは松平康親の部屋を訪れた。理由は、宴での信長と家康の態度であった。あの様子では主君と家臣のように見える。同盟者同士であり、同格であるはずだ、と康親に詰め寄ったのであった。
「…同格?勘違いしてはならぬ。既に織田家と徳川家は同じ序列にはおらぬ。織田家は畿内を制し天下に号令をも掛けられる立場に対し、徳川家は二か国の太守でしかない。」
一人で薬作りの時を邪魔され、やや不機嫌顔の康親は喧嘩腰の物言いで言い返した。康親の返答は正論であり、織田家と徳川家の力の差の現状を示すものである。それでも昼間の態度は康政や忠勝には納得できないものであった。
「我が織田家との同盟を持ち掛けた際に言ったはず。東海を手に入れた後…どうするかを。」
詰め寄る家臣らは動きを止める。
「織田殿は徳川家を家臣にしたい。我が殿は織田家の家臣となる用意がある。そのことをお示しになられただけ。我らがどうこう言う事では御座らぬ。」
「では殿が若殿に官位を求むるは?」
「織田家の他の御家臣の子息に官位を授けておらぬ。徳川家だけ特別扱いは出来ぬであろう?」
「織田殿がそう申されたのか?」
康政が思わず声を荒げる。康親は思わず慌てて自分の口に指をあてた。
「声が大きい。…左様な事、聞ける訳が無かろう。織田殿の御機嫌を損ねれば如何する?…それに今は親子の仲に問題無き事をお見せするのが大事。遠江で聞こえる噂が織田殿に聞こえている可能性もあるのだ。」
康政は唇を噛み締めた。康政の考えでは信康への任官が叶えば、親子関係に大きな改善を得られるとしていた。此度の信長との会見の中でその言質を取れないかと密かに康親と重次に依頼していた。
逆に酒井忠次は此方から話を持ち掛けるは愚策と考えており、康親が信長に話を持ち出していないことで胸を撫でおろしていた。
「兎に角、今は織田殿も我らが殿も御機嫌が良いのだ。要らぬ風波は今後の事に関わる。お主らも明日に備えて戻られよ。」
康親は忠次らを追い返した。明日は京から呼び寄せた舞の御覧会があり、康親は重次と共に取り仕切りを任されているので早く寝たかったのだ。康政は不承不承な表情で帰っていく。その様子を見つつ忠次、忠勝、元忠も肩を落として康親の部屋を離れて行った。
翌日、舞の御覧会が始まる。信長と信忠、家康と信康が上席に座り、家臣らは後方に控えて、酒を飲みつつ舞を楽しんだ。
やがて康親が信長に酒を注ごうとして言葉を掛けられた。
「…徳川殿はどう考えておる。…儂はそろそろじゃと思うておるが……あの時の約束だが?」
康親にだけ聞こえる声で信長は問い掛ける。何の事を言われているのか康親は直ぐに察知した。同盟を結ぶ際に交わした約束である。
「……某は武田が滅ぶか織田殿に降伏するかで、駿河を拝領頂ければ殿を説得致す所存に御座います。」
信長は舞に視線を向けたまま話を続ける。
「娘婿はどうだ?最近は武勇比類無きと聞こえておるが、徳川家の跡取りとして申し分無き様か?……先生?」
信長は康親が信康の指導を務めている事を知っている様で、少し茶化す口調で尋ねる。
「…武を尊ぶ将としては申し分無く成長しております。しかし為政を司る太守としては…まだまだ周囲の助力が必要かと存じます。」
「ふむ…儂は早々に家督を勘九郎に譲ったが、徳川殿はまだ譲る気無し…か……。」
信長は注がれた酒を一気に煽った。
「…近々、大坂が片付く。そうなれば武田に兵を向ける。あの時の約束、心構えしておく様、申し付けておけ。」
「…承りました。」
「その時はお主も儂の直臣と致す。」
「…はは。」
康親は返事せざるを得なかった。だが、康親の頭の中には“織田の世”はない。あるのは織田家が衰退した先にある“徳川の世”であった。
天正7年1月7日、近江国坂本城。
明智光秀は、堺から津田宗及を招き、茶会を開いた。会には山城、摂津の有力国衆や公家らが宗及の茶を呑もうと集まり、賑わいを見せた。
その集まった中に鳳観も姿を見せていた。光秀が直々に呼びたてたらしく、相応の接待を光秀から受けていた。
「鳳観殿、貴僧には何かとご助言頂き誠に感謝致す。今日はごゆるりと茶を楽しまれて行かれよ。」
「日向守様からその様な…勿体なきお言葉。坂本の景色も堪能させて頂きまする。」
「ははは…淡海を望む景色は格別に御座る。…信濃には斯様な場所は御座いますまい。」
盛大に盛り上がりを見せる茶会に満面の笑みの光秀に鳳観はやや引いた様子で同調した。
「真に。」
「…で、首尾は如何ほどに御座るか?」
光秀は低い声色に切り替え、小声でそっと鳳観に話しかける。
「武田大膳大夫様は、信濃の仕置きを終え、上杉家との同盟を締結なされました。そして上野に勢力を伸ばさんと諸将を集めております。」
鳳観の返答に光秀は考える素振りを見せる。
「…やはり東に目を向けたか。で信濃諸将への調略は進んでおるか?」
「先ほど申しました通り、大膳大夫様の仕置きで甲斐衆が行き来しておりました故、動くことができず……されど、今から南信濃を中心に仕掛ける所存に御座います。」
光秀は眉を顰めたものの、納得して頷く。
「大坂の本願寺との戦が終われば武田への侵攻が始まるじゃろう。織田家の版図は益々広がる。そうなれば儂が動く隙が益々できる。…後は儂に付く者をどれだけ揃えらるるか…儂はまだ畿内や丹波の事で動けぬ故、鳳観殿が信濃、甲斐、そして遠江、駿河の国衆をよく見ておいて下され。…儂に同調しうるか否かを。」
「…ははっ。拙僧に同調して下さった真田様の御為にも、日向守様の御味方を見繕って参りましょう。」
「ふむ。織田家のやり方について来れぬ者は数多い。それらを纏めておくは後々の為となる。真田殿にも宜しく申しておいてくれ。」
鳳観は一礼し、光秀は笑いながら茶をすすった。明智日向守光秀…この男は既に鳳観の誘いに乗って何かを企んでいる様子であった。
天正7年5月2日、浜松城で西郷局が男子を産んだ。浜松城内外で喜びに沸き上がり、その知らせは5月3日には岡崎城にも届けられた。家臣一同は本丸御殿の広間に集まり、信康に向かって「御目出度う御座りまする」と平伏する。しかし、広間に居る者共の顔は祝った方も祝われた方も、複雑な表情を見せていた。
「源五郎、岡崎の様子はどうじゃ?」
「は、我らが用意した間者を家康の密使と思わせ近づくことは出来ました。…ですが思うた以上に…。」
「福釜の康親の守りが固いか。」
「ははっ。」
「…ならば、奴に会談を申し込んではどうじゃ?」
「……成程。奴をおびき寄せその間に…」
「伊賀者を使うは銭が掛かり過ぎるのだ。疾く進めよ。」
「承知いたしました、逍遙軒様。」
真田喜兵衛昌幸
武田家家臣。設楽原の敗戦後、真田姓に復し真田領を相続する。普段は勝頼の側近として甲斐に在住している。後に勝頼からの命を受け西上野に侵攻を開始する。
加津野市右衛門信昌
武田家家臣。昌幸の留守居として真田領を守る。父の遺命として織田家の調略を密かに行っていた。
瀬名氏俊(鳳観)
武田家家臣。真田一徳斎に呼び寄せられ、僧に扮して明智光秀と接触している。
大輪寺
真田家ゆかりの寺。雫石城の近くにあったが戦で焼失する。その後昌幸の正室である寒松院が上田城近くに再建したと伝わる。
穴山小助安治
真田家と同族である穴山家に連なる者で忍として信昌に仕えている。
惟任(明智)日向守光秀
織田家家臣。織田家の急激な膨張に危惧している所を鳳観に付け込まれ、織田家崩壊後のまとめ役を考えるようになっている。この時点ではまだ謀反は企んではいない。




