79.思い違い
二話連続投稿の二話目です。
いよいよ、信康の周囲が怪しくなってきました。
果たして物語は史実通りに進むのでしょうか。それとも…?
天正6年5月15日、松平康親は福釜城に身を置いた。遠江の東端に赴任してから約一年ぶりの帰城である。福と紅凪の出迎えを受け、息子を抱き上げてひとしきり温かみを感じてから降ろす。
「……二人はどうしておる?」
福は奥の部屋に視線を移した。
「おとなしく部屋に籠っております。」
康親は福の見た奥の部屋を見て頷く。
「体調はどうだ?」
「落ち着いた模様にて…。」
康親と福は小声で会話を続ける。
「宜しかったのですか?」
福の問いは本多重次にも内緒で二人を匿っている事に対してであった。
「……偲び無かったのだ。戦乱の世とは言え、宿った命を奪うのは…な。」
「しかし、このまま此処に留め置くのは…。」
福は気まずい表情で夫を見上げる。康親は福の髪をそっと撫でた。
「…分かっている。子が無事生まれたら、どこかの寺に預け、静かな余生を暮らして頂く。」
「承知いたしました。」
ようやく福はにっこりと微笑んで「お帰りなさいませ」と夫の帰りを労った。
5月16日、京へ向かう宗誾が岡崎城に立ち寄った。信康は広間に家老らを集め、宗誾一行を歓待した。信康は嬉しそうな表情で宗誾を迎えていたが、居並ぶ家老らは複雑な表情であった。
「叔父御は京行きを喜んでいると聞き及びました。…恐れ入るが京の魅力とやらをお聞かせ願いたい。」
僅かばかりの血脈の流れをくむ叔父に信忠は膳の余興にと何気ない会話を持ち掛ける。嘗ての東海の大名を「叔父御」と呼ぶ信康は胆が座っている。家老らはハラハラとした表情でふたりの会話に耳を傾けた。
「拙僧は駿河に居た頃より、公家らと親しくしておりまして。その華やかなる生活を聞きたるに、深い興味を持ちました故。」
信康の堂々とした振る舞いに宗誾は感嘆しつつ、京への思いを語った。
「はて?京によく行かれる織田の御義父殿からは左様な華やかな話は聞き及びませぬが?」
「織田様には公家共の相手は窮屈で御座ったのでしょう。ほれ、せっかく頂いた官職も返上なされたでは御座いませぬか。そう言うお方は京はお似合いなさらぬ。だから…居城を安土に御作りなされたのでしょう。」
この時、信長の象徴とも言うべき安土城は完成間近であり、仮住まいの屋敷に居を移していた。家康も一度招かれて本丸の絢爛豪華な作りに度肝を抜かれ、信長への敬意を更に増していた。だがその眼で安土城を見ていない信康には今一つ安土への興味は無かった。
「ふむ…ですが、私は京に行ってみたい。」
喜々として目を輝かせる信康を見て宗誾は笑みを浮かべた。
「では、拙僧が京から起こった出来事を書いて若殿にお送りしましょう。…京に来られるのはそれからでも遅くは御座いますまい。」
「楽しみにしております、叔父御。」
「…小僧のような純粋な若造には、魑魅魍魎の跋扈する場所だがな。」
誰にも聞き取れない小声で宗誾は呟く。
「はい?何かおっしゃられましたか?」
「あ、いや…では拙僧はそろそろ出立致しまする。」
作り笑いで宗誾が頭を下げる。
「うむ、宗哲殿もしっかり学ばれるよう。」
「有難きお言葉…浜松の殿、若殿の御役に立てる様見て参りまする。……純粋すぎる若殿には理解できぬやも知れませぬが。」
宗誾の最後の言葉は誰の耳にも届かなかった。
宗誾と宗哲は信康の下を辞し、岡崎城を出て行った。松平康親は一連の会見を皆からは見えないところから様子を伺っていた。観察するのは、主には家老衆の表情である。その中で、注意すべき人物を見繕っていた。
天正6年5月16日、酒井忠次は、自身が率いる東三河衆の一人、西郷清員の養女を家康の側室に差し出した。これは忠次が以前から密かに進めていた事であり、目的は西三河衆から側室が出た事から、東西の均衡を保つ為のものであった。そしてその話は岡崎城の康親の耳にも密かに入った。
康親は他言無用と前置きして、家康が新しく側室を招き入れた事を述べた。これを聞いた信康は、驚きつつもその意図を康親に尋ねた。
「殿は西三河から側室を取られました。この事で東三河の連中から不満が出ぬ様になされたのです。…ただ、我が居らぬ時を見計らって輿入れさせたのは頂けぬと思うておりますが…。」
康親の返答に信康は笑った。その笑顔に妙なぎこちなさがあることに康親は気づく。先の一件以来、信康は父に対して消極的であった。やはり孕ませたことを黙っている事が辛いのであろうと思われる。だが、こればかりは康親も公にするわけには行かなかった。
「若殿、今は武芸を磨き学問に励み、立派な御嫡男として認められるよう努められませ。」
「分かっている……。」
信康の返事は、まだ力弱いものであった。
5月21日、松平康親は家老職の松平康忠と天野繁昌を呼び出した。二人は信康の鷹狩りに参加せず留守居を申し出ており、それを質す為であった。二人とも元々旗本衆として家康に仕えており、命じられて信忠の家老に就いたものの、信康と距離を置く仕草が見られていた。
結果的には二人は白を切り通した。康親としても明確な証拠があってではなく、鷹狩の一件を質す以上の事はできず、二人はそのまま帰した。
翌日以降、岡崎城内は平穏な日々が続く。康親も普段通りに家老衆らと接し、いつもと変わらぬ信康への師事を行う日々が続いた。だが僅かに違和感を感じた康親は、服部衆を呼び寄せ岡崎城内外の収容な場所に彼らを配置して様子を窺った。
……とある夜。
信康の小姓、永井直勝が小声で主に声を掛ける。
「若殿…例の者が参っております。」
「……通せ。」
襖の向こうから返答の声が聞こえ、直勝は庭で待つ男に合図を送る。男は直勝に頭を下げると音もなく縁側に上り、無駄のない動きで襖に張り付き小声を掛ける。
「失礼致す。」
男は襖を開け、滑るように中に身体を入れて襖を閉めた。直勝はいつもの様に少し離れた場所で片膝を立てて腰の刀に手を掛けて待つ。耳を凝らしても声は聞こえない。紙の擦れる音だけが聞こえる。直勝はこの間が不安だった。自分が夜番の時に現れ、信康と密かに会って書状を渡し、帰る時には信康が「父に宜しく頼む」と言葉を掛けて、音もなく闇夜に紛れて消えていく。家康からの密使と思われ、家康に忠義を捧げている直勝としては、男の言う通りに誰にもこの事を漏らさず、信康との会話に興味を示さずに二人の密会を見守っていた。下手な事をすれば、不忠を問われ直臣に返り咲く道も閉ざされてしまう。そうも考え直勝はひたすらに男が出て行くのを待って、夜番を続ける。
6月9日、松平康親は状況を報告する為に浜松を訪れた。事前に早馬で先触れを走らせており、康親が浜松城に到着した時には重臣らは揃っていた。直ぐに井伊直政に案内されて御殿の奥の間へと案内された。康親が部屋に入ると直政が入り口の戸を閉めた。奥の間はすっと暗くなり薄暗い雰囲気になる。康親は一礼して下座の位置に腰を下ろした。
中座には石川数正、酒井忠次、榊原康政、本多忠勝らが、その向かいには、高力清長、天野康景、小栗吉忠が座っている。
やがて徳川家康が鳥居元忠に伴われて入って来た。家臣らが頭下げる横を通り過ぎて上座へと向かい、ゆっくりと腰を下ろした。最後に入り口近くに井伊直政が片膝を立てて腰を下ろす。
「三郎次郎、様子はどうであったか?」
家康の声に反応して康親がゆっくりと頭を持ち上げる。
「…三郎様は、先の件を猛省しており、ひたむきに武芸に励んでおられまする。」
康親の報告第一声に榊原康政が小首を傾げて下座の康親を見た。
「…武芸?…福釜殿は武芸をも指南されておるのか?」
「いえ、次右衛門殿や孫十郎殿から師事を受けられております。」
康政の表情が少し険しくなった。
「兄が?……福釜殿は何をしておられた?」
「我は若殿から遠ざけられて居り申した。」
周囲がざわつく。家康の命で信康師事を行うべき康親が遠ざけられている…をれは主君の命に背いているも同義なのだ。
「若殿御自ら…我を遠ざけておられるようで。」
「三郎が?それは何故じゃ?」
家康が疑問をぶつける。信康は康親を「先生」と呼んで慕っていたはず。それが如何に気が変わったのか…誰でも気になる。
「恐らくは、自らの戒めと、殿への反発心かと。」
「儂への?」
家康は僅かに怒りを滲ませて康親を睨みつけた。
「はい。直接話をお聞きした訳では御座いませぬが…やはり己で問題を解決されたいとお思いなのやも知れませぬ。」
「余計な事を考えおって…三郎次郎を信用しておらぬと言うか。」
家康は声を荒げ始めた。怒っているのは間違いない。重臣らも家康を伺いつつ、信康の行動に表情を曇らせていた。
「ですが、近頃は長沢殿と鷹狩りで語らい合うたり、大草殿の師事を受けたりと、積極的に殿が送り込んだ者らと交流し、その者らの態度も和らいでいるように見受けられまする。」
「其は真に御座るか?」
驚いたように榊原康政が尋ねる。康親はゆっくりと頷いた。
「我だけの証言では皆納得されないと思い、孫十郎殿と七之助殿に書状を認めて頂いた。」
康親は懐から二通の書状を差し出した。さっと直政が進み出て書状を受け取ると家康の前に差し出す。家康は差出人の名前だけを見て首を康政の方に振った。直政はそのまま康政に書状を渡した。康政は一通を忠次に渡して中身を確認する。二人の重臣が書状を読んで唸り声を上げた。
「…にわかには信じられぬ。若殿様は何を考えておいでか……。」
「若殿の様子を見るに、長沢殿や大草殿に認めて貰わんと努めていると我は考えております。」
康親の言葉に重臣らは顔を見合わせる。家康も舌打ちしながら考え込んだ。
「また誰かに唆されて勝手な真似などしておらぬであろうな?」
家康は康親に尋ねた。否定的な言葉を使っている辺り、家康の心は穏やかではない。岡崎城内には服部衆を配置して監視体制を整えていたし、康親としては信康の気持ちを尊重したかった。
「殿、暫く様子見をされては如何か。福釜殿もおられる事ですし、大事には至りますまい。」
酒井忠次が康親の心情を汲み取ってか進言する。康親は忠次に礼を込めて頭を下げる。家康は床几に両肘をついて考え込んだ。皆が家康に注目した。
「三郎次郎、危ういと思うたら直ぐに助けられるか?」
「勿論に御座います。」
「成果無しと判断したる時は、嫡子として朝廷への任官を上奏は差し止める。…儂も三郎を皆が納得する形で跡継ぎとして定めたい。何故あ奴を“徳川”と名乗らせているかを能々考える様申し伝えよ。」
「ははっ!」
信康は経過観察と決まった。皆が一斉に平伏する。だが、結論から示せば、松平康親と徳川信康の思いは交錯していなかった。その結果、松平康忠らの浜松への訴えを起こされる事に繋がり、家康の処罰を受ける事になる。
8月17日、松平康親が別用で吉田城を訪問中に、浜松からの早馬が到着した。酒井忠次と本多重次、松平康親の三人で談笑の最中に知らせを受ける。宛先は酒井忠次で早馬からは「直接申し次ぐるべく疾く参上せよ」とだけ伝えられ、忠次は不審そうに二人を見た。康親は思い当たる節があり微笑する。
「西郷の方の事と存じます。ややでもできたのではなかろうか?」
忠次は驚いて目を見張った。家康の側室については別段、公にはしていない。なのに福釜の康親がそれを知っていたことについてである。
「福釜殿は西郷殿のことを何処で知られた?」
「二月ほど前に東三河衆の面々が大騒ぎしておってな。その話が岡崎にも流れてきた。一番騒いでおったのが西郷孫九郎殿であったそうでな。…あてずっぽうで言ったつもりだったが、大当たりのようだな。」
康親の不敵な笑みに忠次は戦慄した。やはり気の置けない人物である。周囲の変化に機微に反応し、わずかな情報から真実を突き止める才に、忠次は何時にも増して警戒した。やがて酒井忠次は独自に岡崎を調査するようになる。
家康の呼び出しはやはり側室、西郷局の懐妊の事であった。但し生まれるまでは他言無用とされ、忠次にも厳命が敷かれた。
やがて、徳川信康の寝室に怪しげな男が出入りしている事が知られる。
それは、男がわざと誰かに見られるように仕向けられ、岡崎城内を揺るがす騒動へと発展し、家康の耳にも届く事になる。
……最悪の形で。
福
松平康親の正室。夫の命で信康の二人の側女を預かっている。嫡男、紅凪の子育て奮闘中。
宗誾
徳川家家臣…ではある。念願の京へ宗哲を連れて移住。信康に「叔父御」と呼ばれて少々浮かれている。
松平康忠
徳川家家臣。長沢松平家当主。信康の家老職を務めているが、家康の直臣に戻りたがっている。
天野繁昌
徳川家家臣。三河三奉行の一人天野康景の一族で家康の馬廻から信康の家老に抜擢される。が、家康直臣に戻りたいと思っている。
西郷清員
徳川家家臣。菅沼定盈と並ぶ東三河衆の中核人物で姪を養女として家康に差し出す。娘は「西郷局」と呼ばれ、秀忠、忠吉を産む。
酒井忠次
徳川家家臣。東三河衆を束ねる徳川家重臣。西三河衆に対抗する為、西郷清員の娘を主君の側室にねじ込んだ。福釜康親の事を認める一方で危険視している。
永井伝八郎直勝
徳川家家臣。家康小姓から、昨年に信康小姓を命じられて異動。小姓衆の中では新参で居心地が悪く、直臣への返り咲きを願っている。
井伊虎松直政
徳川家家臣。遠江井伊家の当主で康親の推挙で家康の小姓を務める。家康の最近のお気に入りで寝食を共にしている…とか。
高力清長
天野康景
小栗吉忠
徳川家家臣。遠江の奉行衆で家康の公私の管理も行っている。内々の打合せには必ずこの三人が出席している。




