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77.岡崎謀反未遂事件

二話連続投稿の二話目になります。



  天正6年4月18日、三河国岡崎城二の丸。


 松平康親は姉である築山御前に会いに行った。御前側からすれば久しぶりの来客、しかも遠江にいるはずの弟だったことから、直ぐに支度して康親の待つ広間に足を運んだ。だが待っていた弟の表情は硬く、只ならぬ雰囲気を見せていた。

 康親は呑気に自分の迎え入れた姉に舌打ちしそうになった。


 康親は築山御前が上座に座るのを待ってゆっくりと顔を上げる。そして人払いを求めた。御前は余り危機感無く、兄弟の会話でもするのか程度で侍女らを下がらせた。


「姉上…やってくれましたね。」


 高ぶる感情を抑えつつ康親は言葉を掛ける。


「…?何の事です?」


 築山御前はようやく弟がいつもと違う雰囲気であることに気付く。


「側女の事ですよ。知らぬ振りは無駄に御座います。既に二人の身柄は抑えてあります。二人の実家は直接姉上と関係は御座いませぬ。何処からあの二人の事を知ったのです?」


 娘を差し出した浅原昌時も日向時昌も岡崎城に出仕する武士ではあるが、築山御前とは関りが無い。彼らに年頃の娘がいることを知るには伝手が必要だった。それを明らかにせねば家康に説明できない。


「さて…誰だったかしら?」


 築山御前は何かを思い出そうとする素振りをするも、康親は冷ややかな視線で眺めている。


「詰まらぬ隠し事は御身を滅ぼしまする。事は徳川家を危うくされておるのです。」


 何時に無く気迫の籠った康親の顔と声に御前はたじろいだ。既に逃げる場所は無く、詰め寄る康親を見て観念したように説明した。


「瀬名源五郎殿を覚えておいでか?私はその者と文のやり取りをしておりました。」


 それだけを聞いて康親は全てを悟った。康親は二人の文のやり取りを完全に抑えていると思っていた。しかしながら、所々前後の手紙と内容が噛み合わないところもあり、不審には思っていた。今の御前の言葉で理解した。平助が受け取っていない手紙があったのだ。そしてその中に嘗て武田家に仕えていた浅原、日向の娘について御前に知らせ、娘を差し出させたのだと。

 実際に、瀬名信輝は加津野信昌の助言を得て築山御前に書状を渡す手段を二つ用意していた。年月をかけて御用達として信頼を得た商家から、定期に買い付けに来る侍女を使うルートと、直接台所の下男に届けるルート。信輝は大事な書状を侍女経由で渡し、それ以外を下男の平助に渡すことで、信輝の動向を監視していた服部衆の目を掻い潜っていた。この為、肝心な部分が康親に伝わらず、築山御前洗脳作戦においては、康親は完全に騙されていた。


「…瀬名信輝は今川家を差し出して武田家に下った男です。何故そのような男を信用なさったのですか?」


「……。」


 御前は答えなかった。答えられなかった言うのが正しいであろう。年月を掛けて知らず知らずの内に信用してしまっていたのだ。御前には何故なのかはわからない。康親は築山御前の苦しそうに押し黙る表情を見てこれ以上の追及を取りやめた。


「今後、二の丸に勤める者は誰であろうと外出を禁じまする。用があれば家老の平岩殿に申し伝え下さりませ。」


 だが御前は納得していなかった。


「私は間違っておらぬ。三郎殿が嫡子として徳川家を継ぐには男子が必要なのじゃ!夜次郎殿も判っておろうおろう!」


 築山御前は叫んだ。感情が高ぶり言葉の最後はかすれるほどであった。だが康親は平然と叫び声を受け止め静かに首を振る。


「正しいか否かは姉上が決める事ではありませぬ。浜松の殿が決める事です。それに若殿が徳川家を継ぐのに必要なのも男子の誕生ではありませぬ。」


 御前は康親を睨みつける。しかし康親は臆する事無くじっと見つめ返した。それは姉を心配する弟の目ではない。


「……できる限り穏便に済ませまする。それまでは此処でおとなしくお待ち下さりませ、御前様。」


 それだけ言うと康親は立ち上がった。尚も睨み続ける御前に一瞥して部屋を出て行く。


 築山御前は、彼女に従う侍女らと共にひっそりと軟禁された。この事は岡崎城に出仕する他の者には知らされていない。岡崎城二の丸は信康の名で平岩親吉によって兵が置かれることとなった。



 築山御前との会見を終えて、広間に戻って来た康親は、松平重吉、平岩親吉、榊原清政、伊奈忠家、忠次親子、安藤定次を迎えて協議に入った。議題は、この件について「何処までどのように主君に知らせるか」である。

 起こったことを包み隠さず全てを言ってしまえば、御前は処刑、浅原、日向も処刑、信康は廃嫡、側女二人も処刑であろう。だがそれでは織田家に申し開きする事ができない。被害を最小限に抑え、落し所を付けて織田家との関係が拗れない様にするのが最優先であった。その為には信康の廃嫡は避けねばならない。康親が集めたのは信康寄りの者たちであった。


「…この件、無かった事にするのが妥当であると思うが…如何か?」


 最初の発言は康親で、周囲は緊張した面持ちで頷く。方針は直ぐに決まった。側女云々は無かった事にして御前と信康の責任を回避する。だが問題は其処に辿り着くようにするストーリーである。内外から怪しまれぬ為の経緯と、関係者の処分、そして知っている者の口封じが必要だった。

 康親らは関係者の洗い出しと、下すべき処分について話し合った。娘を差し出した浅原家、日向家は禍根を残さぬよう郎党含めて処刑が妥当。武田家に内通したとして斬首し、所領は没収する。二人の側女もこれに準じて処刑。文を届けていた平助は要らぬ嫌疑を掛けられぬよう牧野城に異動。侍女の方は密かに殺して急な病で亡くなった事にする、とした。


「若様の女中らはどうされる?急に怪しい二人が居なくなったのだ。余計に怪しむぞ。」


 安藤定次が新たな関係者を持ち出して問題を提起する。これに対し伊奈忠次が発言する。


「……実家が内通しこれに準じて処刑されたと知れば、それ以上の問題にはにはならぬと存じます。」


 忠次の意見で皆が納得する。次は松平重吉が発言した。


「では武田と通じている商家はどうする?」


 商家には慎重な対処が必要だった。城下町に居を構える輩の処分は大きな話題にもなり、話に尾ひれも付いて他国へ広がる可能性もある。強引な手法での処罰は返って失敗する。


「商家に手を出しては城下に要らぬ噂が立つ恐れがある。…買い付けに来る者が急に男に変わるのだ。危険を察知して岡崎から出て行くであろう。それまでは服部衆を見張りに付かせる。」


 康親は服部衆を使ってあからさまな監視を行うことで自発的に町を去るよう仕向ける案を出した。皆が放っておくリスクと捕らえて処分することで発生する二次問題を検討し、康親の案で行くことにした。


 その後も一同は何度も経緯の見直しを行い、他の関係者がいないか確認した。


 そして議題は次に映る。家康への対応をどうするかであった。既に陽は落ち、暗闇の中、灯し油を付けて会議を続ける。


「…殿には何処までお話しすべきか?」


 親吉が提起した最初の問題は皆の顔を青ざめさせる。下手な報告は処罰対象ともなり得る。康親は家康を巻き込む案を主張した。


「全てをお話しする。殿に隠し事をしていては後で大事になる。その上で我らの用意した経緯に基づいて沙汰を頂く。我と平岩殿で説き伏せる。」


「わ、儂も!?」


 思わず親吉が声を上げる。


「当然で御座ろう。お主は傅役の筆頭なのだ。」


「うう…腹が痛くなる…。」


 親吉は両手で自分のお腹をさすった。


「だが殿に全てを知って頂いた上で事を進めれば、御前様、若殿様は無関係として事を治められる。」


「だが、殿は全てをご存知なのであろう?」


「御前様と若殿さまに対する思いは変化してしまうであろう。だが廃嫡も含めた処分は免れるはずだ。……ただ……」


 康親は身体を前よりにして皆に顔を近づけた。


「……身籠った事だけは、口が裂けても言えぬ。それだけは各々方には噤んで頂きたい。」


 康親の吐き出した一際小さな声に、一同は覚悟して頷いた。



 4月19日、松平重吉、榊原清政、伊奈忠家らは手勢を率いて、浅原、日向の屋敷を包囲した。門前で罪状を読み上げ投降を呼び掛ける。浅原、日向の両家は抵抗せずにおとなしく捕まった。捕縛者は一族郎党、家内の者も含めて全員とし、岡崎城外の臨時に牢屋を設け、家康の沙汰を受けるまで監禁となる。


 4月20日、松平康親と平岩親吉が浜松へ出立し、安藤定次と伊奈忠次で信康のいる本丸に詰める事になった。


「…次右衛門、済まぬな。私が判断を誤ったばかりに…。」


 信康の力無い言葉に安藤定次は首を振った。


「若殿様、斯様な時こそ我らがお支えをすべく此処にあるのです。まだお若い若殿様は失敗のひとつやふたつあっても良もので御座ります。」


 相変わらず熱い語り口調だと心の中で毒づきつつ忠次も言葉を掛けた。


「若殿様、福釜殿は誰よりも早くこの危機を察知し、誰よりも早く駆け付け、今も浜松に向かっておりまする。この厚い忠義に応えられるよう、何事にも真摯に取り組み、一層励むことをなされませ。それで我等は報われまする。」


「うむ。胆に銘じておこう。」


「それから、次右衛門殿も派閥などに振り回されず、若殿を御支える事に専念されるよう心掛け下され。」


「な!?儂にまで小言を!?」


「小言とは何事に御座るか。余計な事を考えずに殿をお守りすることに専念されよ。特に作左衛門殿に知られてはならぬので御座る。」


「…誰に知られると拙いのか?」


 そう言って信康の部屋に入って来たのは本多作左衛門重次であった。奉行職では果断な忠次も顔色を変える。しかし重次は気が重そうな表情で信康の前に座り平伏する。


「…此度は某も、公正さよりもお家の大事を重んじ、三郎様に御味方致しまする。」


 信康は両手を付いて頭を下げる重次を物悲し気な表情で見つつ呟くように言葉を吐き出した。


「どうすれば良かったのか…後で先生に教えを請わねばならぬな。家臣に辛い思いをさせるのは御免だ。」


 その表情に伊奈忠次は胸が詰まる思いがした。



 4月30日、浜松からの使者が岡崎城に到着する。使者は、側近鳥居彦右衛門元忠であった。

 本丸大広間に家老衆が集められ、中座に居並び、元忠が家康の書状を大事そうに掲げて広間に足を踏み入れると一斉に平伏した。元忠は上座から家康の書いた書状を読み上げる。


「徳川家に謀反を画策したる浅原昌時、及び日向時昌を斬首に処す。一族郎党はこれに準じ皆斬首、これらに仕えし者は岡崎追放とする。」


 家来衆の処分は岡崎からの追放とし、徳川家中の岡崎以外の城主への再就職の道を残した。書状を折りたたみ、側に控える安藤定次に渡す。定次は(うやうや)しく書状を信康の前に置くと信康が一礼した。


「しかと…承った。」


 信康は悔しさと悲しさを押し殺して返事をする。使者への面会は以上で終わり、鳥居元忠が広間を去り、信康が上座に座り直す。


(くだん)の者らは明日、城下に置いて処刑と致す。安藤次右衛門は本日中に支度を整えよ。皆、ご苦労であった。」


 感情が伴っていない響きで指示すると、信康は早々に広間を出て行った。


「石川殿に続いて浅原、日向殿もか。此れでは若殿様も気苦労が多かろう。こうなれば、石川伯耆守殿にお戻り頂き岡崎を任されるのが宜しいのでは無かろうか。」


「やはり三郎様では若すぎるので御座ろう。武勇ばかりに頼られるようでは…。」


 ひそひそと家康派の者らが陰口を叩き始める。平岩親吉はむっとした表情を見せ、松平重吉はキレて立ち上がった。

 そこへ、この中では一番の若年である伊奈忠次がわざとらしく咳ばらいをした。


「先ほどから耳障りな発言が聞こえて来るが…そもそも、謀反を事前に察知し、事態を未然に防ぎしは誰に御座る。その時、貴公らは何をされていた?経緯を明らかにし、浜松の殿にご報告申し上げる間、何かされたのか?…若殿の若さ故の不首尾を誹るのも徳川家を支える家臣として忠義の欠片にも劣り、己の非力なるも気付かず若殿だけのせいになさるのは…家臣のあるべき姿とは思えませんな。」


 家康派の家老衆が一斉に忠次を見る。その瞬間に奉行衆の筆頭である本多重次が広間に入って来た。重次は鋭い眼光で家康派の者らを睨みつけた。


「若殿に直接申し上げることもできぬ臆病者共よ…此度の謀反、未遂には終われど、家老衆の不首尾をえらくご立腹であったぞ。…お主らもしっかりと勤めを果たさねば、今度は……貴殿らの不敬を報告申し上げる事になるやもな。」


 流石の家老衆も家康直臣の重次に厳しく注意されると伐の悪そうな表情で広間を出て行った。重次は彼らを廊下の角から見えなくなるまで睨みつけると今度は残った信康派を顧みた。


「…奴らも暫くは大人しくなるであろう。全く……同じ徳川家の臣として力を合わせねばならぬものを。」


「…浜松の殿の下を追われたと勘違いし、その思考から切り替えられないのですよ。」


 忠次が少し前の自分と重ね合わせるように答える。重次が珍しくかっかっかっと笑った。


「此度は福釜殿のお陰で若殿には直接的な罰がなかったのだ。あの者らをおとなしくさせる手立ては別で考えればよい。それよりも、若殿がお呼びである。早う行かれよ。」




 一先ず、危機は回避された。…だが、家康からの信頼は大きく下がったと言えよう。特に築山御前に対しては著しく低下した。普段から家康の側には寵愛の厚い西郡局が世話をしており、正室である築山御前に寄る事が少ない。此度の一件で家康は御前に近づくことは無くなるであろう。同時に信康も家康に側女の事を相談しなかったとして評価を下げている。そしてより一層、派閥の溝を深める結果となった。




 信康をお支えしようとする少数派と、跡継ぎとして未だその証を得られぬ信康に冷ややかな家康派。その対立は最悪の事態をもたらす。



■信康派

松平重吉

 能見松平家の当主で、早くから信康付きの家老として仕えていた。老齢で隠居間近ながら、信康派の筆頭。


平岩親吉

 康親とは駿府時代から親交があり、康親の出自を知る人物でもある。中間派ではあるが此度の件でかなり信康に肩入れしている。


榊原清政

 康政の兄で早くから信康の傅役を務める。重吉と共に信康派に与する。


伊奈忠家

 石川春重誅殺以降に家康の命で信康付きとなる。康親とは三河一向一揆以来、親交を深めている。康親に請われて信康派に属して服部衆を統括する。


伊奈忠次

 康親の推挙により浜松の奉行職を務めるも、父の請われて渋々岡崎に異動する。派閥には興味がなかったがかなり信康派に近づく。


安藤定次

 徳川家家臣。三河一向一揆で門徒側に加わっていたが、乱終結後に家康に再び仕える。家康が浜松に居を移した時に信康の小姓となる。小姓衆の中で数少ない信康派。


■家康派

松平康安

 大草松平家当主。一門衆としての矜持が強く西三河衆筆頭の石川数正から疎まれ、信康家老職に移される。


松平康忠

 長澤松平家当主。今川家を嫌っており、その血を引く信康と距離を置いている。


天野貞久

 三河天野家に名を連ねる。他の天野家は家康の直臣として活躍するも、自身だけが信康家臣になったことが納得できていない。


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