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76.信康の過ち

定期投稿で二話連続投稿になります。

この二話の主人公は信康になります。



 天正5年10月、徳川信康の正室、五徳は女児を出産する。登久姫に続いての次女…知らせを受けた信康は一瞬落胆した。しかし我が子であることには変わらず、子はまだ産めると気持ちを切り替え、侍女には「国が富む子」となるよう“国姫”と名付けた。

 一方、女子であった事を告げられた築山御前も落胆していた。男子であれば、我が子も夫から認められると考えていただけに、その落胆ぶりは信康以上であった。鳳健院も亡くなり、今川時代からの女中も亀姫の嫁ぎ先である奥平家に向かわせ、城内の家臣らからもあまり近寄られない築山御前にとっては寂しさを増幅させる結果であった。そしてそれは、ある考えに行きついてしまう。


 男子が生まれないのは五徳姫のせいだ。

 五徳姫が駄目なら他の女子に男子を産ませよう。


 もし、築山御前の穿った思想を止める者が居たならば、これほどまでの事件には発展しなかったであろう。だが築山御前を諫める者は無く、我が子に宛がう娘選びをし始める。そしてそれが徳川家中で築山御前を危険視する引き金となってしまった。



 一方、二女誕生の知らせを受けた浜松でも徳川家康が落胆の色を見せる。しかし信康同様に直ぐに気持ちを切り替え、まだ若い信康に「さらに子作りに励むよう」と激励の書状を送った。家臣らからは「側室を持たせてはどうか」と進言されるが、織田家に対して失礼であるとして、却下した。家康の考えは側室は徳姫が男子を出産してから、と言うものであった。




 天正6年正月、岐阜への年賀の挨拶を済ませた家康と信康は岡崎城に戻る。信康は岡崎城に泊っていくように申し出たが、浜松で予定の詰まっていた家康はこれを断りわずかな休憩で岡崎城を発ってしまった。これを聞いた築山御前は益々夫に対する不信感を募らせた。正しくは家康と信康は岐阜往復の道中で親子の会話を交わしており、二人の間に不穏な(わだかま)りは無い。だが二人の周囲にはそれはあった。


 信康の付家老や小姓衆は二つの派閥に分かれている。信康の家老として早くから仕えている松平重吉や石川春重の代わりに傅役となった伊奈忠家、忠次親子、小姓衆筆頭の安藤定次などは、信康派として家康が帰った後も信康を盛り立てているが、家老の松平康忠や本多忠次、近年家康の命で小姓となった永井長勝ら多くの者が家康がさっさと浜松に帰られた事に対して不満を募らせていた。そしてそれは信康が嫡男として相応しくないからだと決めて掛かった目で見ていた。




 天正6年3月、家康は又も小山城に兵を送り出した。信康も当然のように西三河衆を率いて出兵し、城こそ落とせなかったものの、敵将二人を討取る活躍を見せた。戦は雨が降ったことで双方が兵を引いて終わるも、岡崎に戻って来た信康を待ち受けていたのは、暫く気を病んで奥から姿を見せていなかった築山御前であった。


 築山御前は天正5年の11月から頭痛と眩暈に襲われ、療養を取っていた。築山御前は病に苦しむ自身の事を文に書いて瀬名信輝に助けを求めた。信輝は甲斐で名のある薬師を呼び寄せ、三河へと送った。薬師は築山御前を見舞い、薬を調合するなど三月ほど足繁く奥の間に通った。

 こうして築山御前の頭痛は癒え、戦から帰って来た息子を出迎えた。…二人の側女を用意して。




 築山御前が妖艶な笑みを浮かべて、艶やかな小袖を纏った二人の女性(にょしょう)を紹介する。


「此方の者は、浅原昌時殿の娘で「咲」と申します。歳は17になりまする。…此方は、日向時昌殿の娘で「於時」と申します。歳は…19で御座います。母が伝手を頼って三郎殿の為に選んだ女子です。…是非とも側女として置かせられませ。」


 信輝は母の言っている意味が解らなかった。いや思考が理解するのを拒んだと言うべきであろうか。信康は狼狽えるような顔で母に近寄り問い返した。


「は、母上…何を言っておられるのです。この女子らは?」


「三郎殿は徳川家繁栄の為、たくさんの御子を御作りになる必要があるのです。先ずはこの二人に夜伽を命じなさると良いでしょう。必要ならば母がまだ探して参ります。」


「は、母上…私は側室など欲しておらぬ。五徳がおる…」


「徳川家には男子が必要です。それは五徳姫が生まずとも問題ありますまい……寧ろ五徳姫でない方が、都合が良い。」


 築山御前の目が怪しく光る。


「……まさか三郎殿は、母の選んだ女子を断られる御つもりですか?」


「あ、あ…いや…。」


「では二人を宜しくお願い致しまする。これは三郎殿の為…徳川家の為と思うて…。」


 築山御前は一度頭を下げてから立ち上がり、ゆっくりと部屋を出て行った。残った信康は身動き一つせず畏まったままの二人を前に、気拙い顔をしたまま母の向かった方を見つめていた。


 信康は母の事は嫌いではない。これまで過度に干渉して来ることも無かった為、母の言う事を拒絶することもなかった。だからこんな時にどう対応していいか判らず、結局は二人の女子を押し付けられる形となる。

 信康は武勇、軍略以外の事については経験が浅く、二人の事、差し出した家臣の事、五徳姫の事、織田家と徳川家の事を総合的に見て、最善が何か判らなかった。随分と考えた末、信康は二人を自分の側に置くことにした。結局はこの二人が不憫と思ったからであった。だが手を付けるつもりは無く、機を見て五徳姫に相談をするつもりであった。




 天正6年4月11日、遠江国牧野城。


 宗誾は松平康親から新しい相伴者(おもちゃ)を与えられていた。徳川家の御役に立てるよう、外交僧として学ぶべく康親を頼っていた、板倉宗哲である。公家言葉や遊び、慣例など京の事を何も知らぬ宗哲は宗誾には良き指南相手であった。毎日のように宗哲を呼び出しては、和歌、蹴鞠、双六などをやらせては、細かい所ばかりを(つつ)いては指摘して慌てふためく宗哲の姿を楽しんでいた。


「今日も、宗哲殿を弄られておるのですか?」


「おお三郎次郎!この坊主…中々良いぞ。見どころがあるぞ。字も達者になった。」


「余り無理はさせぬ様…ほどほどに。」


「はは、分かっておるがの、宗哲が中々頑張りおるで…ついつい……おお!これは良い、よい歌じゃ。字を見ているとその情景が目に浮かぶ!…よし、これは儂が貰おう。」


「あ…」


 宗誾は宗哲が詠み書いた和歌を丸めて懐に仕舞いこんだ。そして控えたままの康親を見る。


「何か用か?」


「…暫く城を離れまする。」


「ん?何じゃ、浜松から呼ばれたか?」


「……岡崎で…問題が起こりました。」


 康親の言葉で宗誾の動きが止まった。


「岡崎?……若殿に何かあったのか?それとも城内の臣が争い始めたか?」


「若殿が、殿に相談もなく側女を置かれました。」


 宗誾の顔が仰天した表情になる。筆をおき、康親の方に身体を向け問い直した。


「祖は真か!?」


「築山御前様が見繕られた由に御座ります。」


男子(おのこ)ができぬ事を憂いてか?…拙いのではないか?織田家に喧嘩を売ったようなものぞ。」


 宗誾の声は一際大きくなったが、顔はにやけ始めた。その表情が康親には癇に障るようで思わず視線を逸らした。


「で、岡崎へ行くのだな。構わぬぞ。儂には宗哲がおる。何かあれば藤八郎もおるし…構わぬぞ。」


「いや、拙僧は……あ痛!」


「…若殿が側女にお手を付けておらねば、まだ何とかなりまするが…。」


「傅かれて側で良い香を嗅がされれば、我慢できぬ男なぞ居らぬ。儂は手を付けておると断じる。」


 康親はキッと宗誾を睨みつけた。宗誾は怯えた素振りをする。だがそこで、あっと何かに気付いた。


「宗哲殿、公家が何か言って来たら、こうしてやりなさい。」


 宗誾は立ち上がって康親の前に進んだ。そして腰をかがめて康親を睨みつける。


「…大抵の公家は睨まれれば怖れ何も言い返せなくなる。…よう覚えておけ。」


「は…ははぁ。」


「我は公家では御座らぬ故、宗誾殿に凄まれてもやり返しまする。」


「そんな暇があるのなら、早う行け。今、徳川が不興を買えば終わりなのじゃろ?」


 康親は言葉を詰まらせ唇を噛み締めた。確かにこんな奴と言い争っている場合ではない。康親は無言で頭を下げると大股で部屋を出て行った。その姿を目で追ってため息をつくと、宗哲に向き直りほほ笑んだ。


「さあて、次は雪解けと夜這いをお題に詠んで貰おうか。」


「よ…夜這い…?」


 宗哲の頬を汗が流れる。幼少より仏門に入っていた宗哲には何も思いつかず、ここから逃げ出したいとしか浮かんで来なかった。



 天正6年4月17日、岡崎城に到着した松平康親は状況を確認するために、平岩親吉に声を掛けた。


「福釜殿ではありませぬか。どうして此方へ?」


 康親は最初の一言を聞いて「起こりし事知らず」判断すると適当に話を切り上げ、真っ直ぐに本丸に向かった。途中で伊奈忠次を見つけ信康への面会を取り付ける様頼む。ただ事ではないと察知した忠次は直ぐに康親を案内した。

 信康は私室で女中に昼餉を用意させて食しているところであった。襖が開けられ信康が入って来た男の顔を見て、苦い表情をした。康親は平伏して出て行こうとする女中を呼び止める。信康の身体がぴくっと動いた。


「……その女に御座りまするか?」


「は?」


 事情の分からない忠次が間の抜けた声を出す。信康の表情は笑っていなかった。


「……何故先生が知っているのです?」


「え?え?」


 忠次が二人を順に見返す。そして女の方に視線を投げて何事かを察した。後ろを向いて廊下を確認し、すっと襖を閉める。そして二人の成り行きを見守らんと膝を付いた。忠次のよどみのない仕草を見届けて康親は話を進める。


「…もう一人は?」


「は?もうひ…!!」


 思わず声が出て忠次が口に手を当てる。せっかく格好よく膝を付いて待機したのが台無しだ。そして信康も動揺する。


「いあ、いや……体調が優れぬと昨日から休んでいると於時…あ、この女から」


「はあぁ!?」


 忠次が流石に大声を上げてしまい、康親に凄まれまて口に手を当てる。康親は信康に向き直って腹にたまった何かを吐き出すようなため息をついた。


「…事の重大さを判っておられまするか?」


「わ、分かっている。だからこうして普段は女中に扮して貰い…」


 康親は拳で床を強くドンと叩いた。女中に扮した於時と呼ばれた女が驚いて肩をすぼめる。


「判っておりませぬ!事を成す前に浜松に相談されるのが筋です!」


「いあ、は、母上の方から申し上げると…申されて…。」


 信康の言い訳を聞いた伊奈忠次は眉をピクリと動かした。何かを言いかけたがぐっと飲み込む。


「……女中に扮したとて、他の女中から怪しまれ妙な噂が立ちまする。…もう一人の名は?」


「……咲…」


「半左衛門、その様子から察しておろう。探し出して連れて来るのだ。…丁重に扱えよ。」


「は、はは!」


 忠次は表情を引き締めて静かに部屋を出て行った。康親は信康の正面に座り直して平伏する。


「若殿、やはり判っておられませぬ。」


「わ、悪かった…。だが、誰に話をして良いのか…」


「違いまする。」


「は?」


「もう一人の女は、若殿の子を身籠っている可能性があります。…それがどれほど影響を与える事になるか…それを判って(・・・)おいでですか?」


 信康は箸を落とした。その衝撃は余りに強く、顔は向けどもその視線は康親には合っていなかった。


「これより、築山殿に事の経緯をお伺いし、明らかに致しまする。それまでは、勝手な真似は御慎み下さりませ。」


 康親の凄味の掛かった言葉に信康は素直に返事をするしかなかった。


「…分かった。先生にお任せする。」



登久姫

 信康と五徳の長女。西郡局に養育され、後に信濃小笠原家に嫁ぐ。


国姫

 信康と五徳の侍女。姉と共に育てられ、本多忠政に嫁ぐ。


築山御前

 徳川家康の正室。本名は鶴姫だが、家康が三河時代に住んでいた場所から“築山殿”と呼ばれる。信康に男子ができない事で悩み、側女を信康に近づける。


浅原昌時

 徳川家家臣。元武田家家臣とだけ判っているがそれ以外が資料無し。


 浅原昌時の娘。名も年齢も本物語の創作


日向時昌

 徳川家家臣。昌時と同様に資料無し。


於時

 日向時昌の娘。同様に創作設定


板倉宗哲

 徳川家家臣。外交僧として力を付ける為に康親に従っている。宗誾にいいように扱われている。



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