66.信用と信頼
定期投稿になります。
今話は少し登場人物が多いですが、それぞれが重要な会話をしています。
元亀2年11月19日、相模国小田原城。
北條家先代当主、氏康の四十九日法要を終えて、今川氏真は自身の去就をどうするか考えていた。
相模国早川の地に屋敷を与えられ、正室の春と不自由のない暮らしができ、息子の龍王丸もすくすくと育っていた。既に彼の心の中では今川家再興の火はいつしか消え失せ、和歌や舞に興じる日々であり、此処でその生涯を閉じると思っていた。
その状況は突如として変わる。
武田家と敵対し、駿河に残る今川残党を支援していた北條家は武田家との和睦に舵をきった。猶子としていた国王丸(後の北條氏直)との縁組も解消され、北條家中での氏真の存在意義は完全になくなったのだ。このまま此処に居ても息子の元服も含めて北條家に面倒見て貰えるかも怪しくなったのだ。
「春…儂はどうすれば良いかの?」
氏真は弱々しく正室の春に尋ねる。春はくすりと笑った。
「殿は駿府に戻られたいのでしょう?ならば駿府を治める者のところへ向かわれてはいかがです?…残念ながら北條家にいても駿河の地すら踏めぬでしょう。思い切って此処を出て行かれるのも良いかと思います。」
氏真は天井を見上げた。ふうと大きく息を吐く。此処は此処で良い。だが自分がいるべきは駿府という思いが再び沸き上がる。
「…駿府か。だがあすこには儂の知る今川館はもうないのだ…。それでも龍王丸の面倒を見てくれる者であらば…それがよいのだがな。」
氏真は駿河の現支配者である武田家を思い浮かべながら応える。だが春の口から出た言葉は意外であった。
「ならば徳川殿は如何ですか?」
「徳川!?」
氏真は思わず聞き返した。春はまたくすりと笑う。
「北條は今川の血を不要と見なし、武田は既に瀬名家がおられまする。」
「…徳川には東海を治める名分がない…か。儂が行けばそれを得ることになるか。」
「殿と、私と、龍王丸で行けば、喜んで迎え入れてくれることでしょう。信用に足ると思いまする。」
氏真は春が同行することに驚く。だが春が今までもずっと氏真のことを支え続けてくれていたことを思い出し、手を伸ばして春の手を優しく握りしめた。
「…春には苦労をかけるな。」
「龍王丸の為でもあります。母にとっては如何なる苦労も気に致しませぬ。」
春の心強い言葉を胸に、氏真は春に頭を下げた。そして決心をした。家康の世話になる。息子の為ならば、どんな恥辱も悔恨も悲憤にも耐えて見せると誓った。
元亀3年1月2日、甲斐国躑躅ヶ崎館。
家臣らから年賀の挨拶を受け終わった武田信玄は今年こそ徳川を打ち破って領土を西に広げんと誓い合って宴を締めくくった。皆がひれ伏す中ゆっくりと立ち上がって大広間を去る信玄。これに実弟逍遙軒と謀将真田幸綱がついて行った。
私室に戻った信玄は小姓の手を借りてゆっくりと座ると疲れ切った体を投げ出すようにそのまま床に寝転んだ。逍遙軒と幸綱が心配そうな顔で信玄の前に座る。信玄は不安そうな二人を安心させる為に汗ばむ顔で笑みを浮かべた。
「フフ……流石に皆の前では倒れる訳にはいかぬからのぅ。」
信玄の笑みは明らかに辛そうな作り笑いで、二人は不安そうな表情を拭えずにいた。
「兄上…どんなに隠そうとされても皆は判っておりまする。あの場に間諜が居らぬとも限りませぬ。だから気付かぬ振りをしておるのです。…どうかご自愛下さりませ。」
逍遙軒は兄の体を気遣う。信玄は苦しそうに舌打ちした。
「長く共に戦った者らは騙せぬか……。だが何処に敵の目があるか判らぬ。皆には暫く気付かぬ振りをしてもらうか。」
「春になれば多少は苦しみも和らぐでしょう。暫くはこの逍遙軒にお任せ下され。」
信玄は覗き込むように逍遙軒の顔を見た。そして苦しそうに笑う。
「儂が兵を率いて出陣できるのは後一回だ。それでけりをつけて、四郎に託す。」
信玄の言葉に逍遙軒は目を潤ませた。今度は幸隆が前に進み出る。
「ならば、徳川家康に致命的な一撃を与える策を某が考えまする。」
信玄は手を伸ばして幸隆の頬を弱々しく叩いた。
「…お主の知略は儂がよう知っている…。だが敵の要はあの“隋空”だ。騙し合いになるぞ。」
「心得ておりまする。」
「儂は暫く療養する。後は二人に任せた。…信頼しておるぞ。」
信玄の言葉に二人は平伏した。
1月5日、真田幸隆は出家して号を「一徳斎」とした。家督も嫡男の信綱に譲る。表向きには隠居になるが、実際は松平康親からの目を逃れ、主君の最後の戦に向けた支度を整えることに没頭するためであった。
元亀3年7月8日、近江国虎御前山砦。
織田信長は浅井家の居城、小谷城近くの尾根に築いた砦に嫡男の奇妙丸を連れて着陣していた。これは息子の初陣を兼ねた戦況確認であり、木下秀吉を呼んで状況を聞いていた。
砦を任されていた秀吉は、浅井配下の北近江の国衆の調略が徐々に進んでおり、散発的な敵の攻撃も自身の活躍で問題なく押し返せていると報告する。信長はやや笑みを浮かべて頷いた。
「儂は近々公方様に詰問状を叩きつけ、これまでの行いを問い質そうと思う。公方様は儂に激怒して諸国に檄文を送ることになろう。そうなれば浅井も何らかの動きを見せるはずだ。心しておけよ。」
秀吉は首を傾げる。
「何故公方様を怒らせる様なことを?」
「…公方様の権威を失墜させるためだ。自らが号令を掛けたにも関わらず、儂に負けたのなれば…公方様に従う意味がなくなるであろう。そうすることでようやく足利家が持つ“武力”を削ぎ落す事になる。」
信長は言葉を区切り咳ばらいをしてから低い声で言い放つ。
「……故に此処からは我らは負けることは許されぬ。浅井とも、三好とも、本願寺の坊主どもとも、武田とも…な。」
「武田……では徳川殿にも何か命じられているのですか?」
「うむ…前年にあの“坊主らしからず”と話をした。あ奴め…儂に援軍を求めてきおったでな。武田はあ奴が何とかするであろう。」
秀吉は“坊主らしからず”を聞いて身震いさせた。
「…あの福釜という男、恐ろしいほどの軍略を持っておりまする。今でも観音寺城の事を思い出すと……」
「震えるか?」
「奮えて来まする。」
「ははは!確かにあれは見事な策であった。…だがな、あ奴ほど危険な男はない。使い方を誤れば奴に「野心」を持たせてしまう。小領持ち程度に抑え込んでおき、都合のいいように使うよう心掛けねばならぬ。…明智十兵衛のようにな。」
信長は不気味な笑いを見せた。秀吉は背筋の凍る感情を覚えてやや仰け反る。
「明智…殿の…ように…。」
「そうだ。藤吉郎、お前は何の為に儂に仕えておる?」
「そりゃあ、殿の為に」
「そうだ、お前や権六、五郎左は儂の為に織田家家臣を務めておる。それは見て取れる。…だが十兵衛やあの福釜は何の為だ?」
「……天下安寧…。」
「うむ…そういう奴らは儂が天下を治るに能わずと判断すれば、天下の為に儂を裏切るだろう。」
「信用はすれども…信頼に能わず…ですか。」
「覚えておけ、お前も家臣を抱える身となっておるのだ。信頼できる者を見極めよ。」
秀吉は畏まって平伏する。信長はその姿を見る訳でもなく、次の手をどうするか考えに耽っていた。
元亀3年9月1日、三河国岡崎城。
松平康親は呼び出しを受けた。呼び出したのは鳳健院であった。普段から会話する相手ではない為、珍しいと思いつつ呼び出される理由を考える。…が思い当たらない。
しかし行かないわけにはいかず、いつものように紅凪を抱きしめてぬくもりを感じてから福釜城を発った。
岡崎城に登城した康親は広間に通された。下座して待っているとやがて鳳健院と築山御前、そして徳川信康が現れる。そして、老僧、尼のように髪を下ろした女、元服前であろう男子が連れて来られた。
康親は老僧の顔を見て呼び出された理由が何となくわかった。
三人が着座すると信康が鳳健院に合図を送った。
「…福釜殿、此処に控えるは、井伊谷の井伊次郎殿、南渓瑞聞殿、そして井伊家次期当主…虎松殿です。福釜殿も御存じでしょう。」
「左様ですな。瑞聞殿とは面識が御座いまする。まさかこのような形で次郎法師殿にお会いするとは思いませなんだが。」
笑みを浮かべて康親は答えた。井伊次郎はやや体を傾けて会釈する。
「福釜殿は以前“何かあれば隋空を頼るように”と申されたとか…真ですか?」
「真に御座いまする。我らがまだ遠江を支配下に治る前の事…井伊家を味方に付けんと画策していた頃に瑞聞殿にお話し致しました。」
康親の答えに鳳健院は納得するように頷く。
「…その井伊家が福釜殿の言葉を信じて此処に来られました。近年、武田からの圧力が強く、また戦も行われていることから、このままでは武田に大事な次期当主を質に取られると思い、いっそのことと考え頼ってきました。…福釜殿の意見を聞きたいのです。」
康親は間を開けずに応える。
「井伊家は鳳健院様のご実家。それを蔑ろにはできませぬ。また頼ってきた者を無下に扱うような我では御座いませぬ。…城下に屋敷を用意いたしまする故、好きなだけお過ごし頂ければ宜しいかと。」
康親の答えに今度は信康が質問した。
「虎松を我が配下に迎えたいと思うのじゃが…存念を聞きたい。」
康親は少し考えてから回答した。
「此れにつきましては浜松の殿に相談致しまするが、井伊家の面目の為にも、一度浜松で殿の直臣とした方が良いかと。」
康親の目的は別にあるが、信康を納得させる理由を述べて説明する。信康も満足そうに頷いていた。
「先生はよく考えておられる。ならば虎松が元服の時は父に推挙願いたい。」
「承知致しました。」
二人のやり取りを見た瑞聞は感心した。
「岡崎の若殿様は隋空…失礼、福釜殿を信頼されておるようですな。」
「先生は本当に先の先まで見えているのだ。それが見ていて面白い。」
信康は笑った。瑞聞は信康の態度を見て安心する。
「我らが徳川殿を頼って正解であった。家中では武田に付くか二分されていたのですがな…。いやぁ良かった。福釜殿、宜しくお頼み申す。」
瑞聞が頭を下げると、隣の次郎直虎、虎松も頭を下げた。その様子を見て鳳健院は少し不機嫌そうに言葉を発した。
「瑞聞殿、後のことは福釜殿に任せ、井伊谷での話をお聞かせくだされ、ささ、次郎殿も虎松殿も」
そう言ってさっと立ち上がり、築山御前を連れて奥へと歩いて行った。瑞聞らも信康に会釈すると後を付いて行く。残ったのは信康と福釜だけとなった。きょとんとして二人は目を合わせる。お互いにくすくすと笑ってしまった。
「皆、席をはずせ。」
信康が声を掛け、周囲にいた小姓らが引いていく。本当に二人きりになったところで信康は上座から降りて康親の前に座った。
「婆様は先生のことを宜しく思ってないご様子…。何かされましたか?」
「鳳健院様から見れば我は名も知れぬどこぞの坊主上がり。左様な者が若殿様を師事するのが気に入らないので御座いましょう。」
康親はもっともらしく答える。すると信康は急に真顔になって姿勢を正した。
「どこぞの坊主では御座らぬ…叔父上」
信康の言葉に康親は目を見開いた。呆然と信康を見つめ、やがて周囲を見返す。
「母から聞きました。貴方は母の腹違いの弟であると。」
康親は頭を掻いた。舌打ちしそうになった。
「若殿…我の出自を知る者は多くはありませぬ。知らぬ振りをして頂きたく。」
「判っている。叔父上が身分を隠している理由も納得できる。だからこそ…私の存在、母の存在は徳川家にとって危ういものなのだと改めて実感した。」
信康は本当に聡い。この年齢にして家中の内情を理解し、正室ながらも母の立場について事実を受けてめているとは、と感じ入る。
「ならば我が余り若殿の傍で過ごさないのもお判りでしょう。我は家中では勢力を誇るべきでは御座いませぬ。…ですが鳳健院様はそれがご不満なのでしょう。」
信康は笑った。
「婆様には私が良く言って聞かせます。私が先生に聞きたいのは…徳川家の今後についてです。…私は五徳との間にささっと子を設け、三河譜代の家臣をつけて家督を継承させたほうが良いと思っている。」
康親は素直に感服した。まだ子作りの意味も知らぬ子どもが家の将来を案じて自身を中継ぎとする…そんな境地に達することなど普通では到底あり得ない。それだけ、普段から傅役や小姓らから余り良く思われていない視線を感じているのやも知れない。それを受けて尚、徳川家の跡継ぎたらんと考えを巡らせ、自分なりに答えを導き出していることに驚く。そして正直に家康より良い主君になると感じた。それだけに胸が痛くなった。史実通りを求めるならば家中を一つにまとめるために目の前にいる賢き子供を死なせねばならないからだ。
「よくお考えなされたご様子で感服仕りまする。ですが今答えを出すのは早計に御座いまする。若殿は初陣も済まされておりませぬ。…いずれ若殿様を跡継ぎとして文句の言いようのない武者に成長致しまする。」
「叔父上…信頼しております。私を徳川家の跡継ぎとして導いて下され。」
康親は頭を下げた。だがその胸中は複雑すぎた。信康の進む道と、自分が進む道は違う。いずれ手に掛けねばならない。それが天下安寧の為であり、徳川家繁栄の道なのだと考えている。だから正面から信康の顔を見ることができず、頭を下げるしかなかった。
今川氏真
北條家客将。駿河復帰を前提に氏政の嫡男、氏直を猶子として、家督を氏直に譲る約儀をしていたが、武田家が駿河支配を確立し、府お嬢怪我武田家と和睦したことで、氏真が北條家に居る必要がなくなる。後に氏真は妻子を連れて小田原を去り、徳川家康の庇護を求める。
春
北條氏康の娘。夫氏真と早川郷で過ごしている間に龍王丸(後の今川範以を産む。その後は夫に付き従い浜松へと移住する。
武田信玄
甲斐武田家当主。この頃には病はかなり進行しており、普段の執務は弟や勝頼、重臣らに任せていた。だが徳川領侵攻(所謂、武田西上作戦)は自身の手で行いたかったらしく、それが死期を早めている。
武田逍遙軒信廉
武田家家臣。兄の病気に伴い、信濃と甲斐を往復する日々を過ごしている。信玄が最も信頼を寄せていた人物。
真田一徳斎
武田家家臣。史実では永禄年間に家督を信綱に渡し出家して隠棲生活に入っている。
織田信長
織田家当主。反信長包囲網により周囲を敵に囲まれ延暦寺や浅井朝倉、一向宗らとの戦で多くの家臣を失っている。また家中でも離反を招きだした時期でもあり、最も苦しい状況であった。
木下秀吉
織田家家臣。この頃から次第に重用され始める。浅井家滅亡後は長浜に所領を得る。
鳳健院
築山御前の生母。孫の信康と距離を置こうとする康親を良く思っていないらしい。
南渓瑞聞
臨済宗龍潭寺の住職で井伊家出身。井伊家存続の為に活動し徳川家(福釜康親)を頼る。
井伊次郎直虎
井伊家当主。井伊直盛の娘ではあるが、井伊家を継ぐ男子が不在の為、臨時で当主となる。直政元服後は再び出家して井伊谷に隠棲する。
井伊虎松
井伊家次期当主。後の徳川四天王の一人、井伊直政。史実では徳川家家臣、松下何某の養子になるも、家康より井伊谷を与えられ井伊家当主に復帰する。




