65.思惑
定期投稿です。
最近は、「鎌倉殿の13人」を見た後にその余韻に浸りながら予約投降するルーティーンです。
元亀2年6月1日、美濃国岐阜城。
織田信長との謁見を求め松平康親一行は岐阜城を訪れた。池田恒興の案内で屋敷に通され、控えの間で暫く待っていると前田利家が康親を訪ねてきた。康親は丁寧に頭を下げて利家に挨拶する。
「…弟の件、誠に感謝致す。」
利家は床に頭をつけて礼を述べる。
「文にある通り、彼らは旗本衆の本多忠勝の配下で頑張っておる。…先の戦でも殿隊を務め、見事に帰還されたぞ。」
利家はもう一度頭を下げた。
「重ねて礼を申す。」
利家がもう一度礼を言うとその後ろから席払いする声が聞こえた。
「前田殿、客人と私的に会われるのはお控え頂きたい。」
見ると若い男が不機嫌そうな顔で利家を見ていた。利家は嫌そうな顔をして後ろに下がり康親に一礼すると部屋を出ていく。男はその様子を見送ってから康親の前に立った。
「堀久太郎と申す。此度、主織田弾正忠に変わりて徳川三河守殿の御使者を饗応させて頂きたく…こちらに膳をお運び致します故、お座り下され。」
若いながらに中々の圧の籠った言葉だと康親は思った。四人は久太郎の勧められるままに座る。やがて女中らが入って来て、一人ひとりの前に膳を置いた。一呼吸置いて久太郎が話し出す。
「先ずは、徳川殿の御使者を足止め致したる件、お詫び申し上げる。」
久太郎は深く頭を下げた。
「あの時は三好との戦のため、岐阜への通り道を全て封鎖しておりました故…。」
久太郎は足止めの理由を端的に説明した。
「堀殿、一つ伺いたい。仮に宗哲殿が岐阜城まで伺い援軍を要請したとあらば…これにお応え頂けたであろうか?」
康親の質問に久太郎は即応した。
「勿論!某はそのつもりでおりました。」
中々食えない男だ。自分は援軍を出す気であったが、信長がどうするつもりかは口にせぬか。
「ならば、もう一度お願いしたい。武田家は近いうちに再び我が徳川領に侵攻して来よう。この時は必ず要請に応えて頂きたい。」
久太郎は笑う。
「何時来るか判らぬ武田の侵攻に備えて援軍を用意せよとは…少し図々しいではないか?」
「そうだ、図々しくお願いしている。度重なる武田の侵攻で我らは独力で奴らを抑える事叶わぬ。だが我らが遠江もしくは三河で武田の侵攻を止めねば…苦しむのは織田殿で御座ろう。それとも織田殿は尾張で武田の侵攻を止める自信がおありか?」
「…我らは畿内に敵を多く抱えておる。三河まで出張る余力などはない!」
「…我は自信があるのかと、問うておる。」
康親は声を一段低くした。わずかに久太郎の顔が歪む。その表情を見て康親はにこりと笑った。
「畿内の蜂起に合わせて武田の侵攻。明らかに敵は連携を図っており申す。そして敵の主力は武田信玄…三好や浅井は織田の兵力を分散させる餌に過ぎぬ。……今最も兵力を削ぐべき相手は堀殿もわかっておろう?」
久太郎の顔が更に歪んだ。唇もわずかに震えている。図星だったようだと康親は考えた。
「弾正忠殿にお会いしたい。」
「…殿は此処には居りませぬ。」
「織田軍の主力を率いる池田殿や前田殿、堀殿は此処に居られるのに、織田全軍を統括すべき弾正忠殿は岐阜に不在……まさか公方様の巡らした包囲網を恐れ逃げ出されたか……。」
康親の言葉を聞いた堀久太郎秀政は激高した。勢いよく立ち上がり刀に手を掛ける。
「貴様!我が殿を愚弄するか!」
「……我を斬れば…織田家と徳川家の盟は破られたと判断し、我の後ろに控える者が一刀の下に貴様を切り捨てるであろう。……徳川は織田家を敵と見なし武田信玄と共に織田領を東から侵食して行くが…構わぬか?」
康親の脅しは久太郎の動きを止めさせるのに十分であった。刀の柄を掴んだ手を震わせ、久太郎は康親を睨みつけた。その時である。
「はーはっはっはっは!……だから言ったではないか!お前では福釜殿には太刀打ちできぬと。」
廊下の奥から笑い声が聞こえた。その後どすどすと歩く音が聞こえ甲冑姿の男が部屋に入って来た。久太郎が刀から手を放し男に向かって頭を下げる。
「福釜殿、久太郎の無礼許してやってくれ。」
そう言いながらどさりと上座に腰を下ろした。甲冑姿の織田信長であった。
「これしきの事…上総介殿の御余興と思えば面白き事と存じます。」
康親は姿勢を正し信長に頭を下げた。
「改めて話を聞こう。だが中山道を確保するための抑えは必要故、全軍は動かせぬぞ。」
「五千ほどを援軍に寄越して頂ければ武田の力を削ぐことができると考えておりまする。」
「…三千だ。それ以上は出せぬ。」
信長は指を三本立てて康親に見せた。康親は苦笑する。
「…足りない分は水野殿にお頼み致しまする。援軍の件、お約束下さいませ。」
康親は頭を下げたが信長は嫌そうな顔をした。康親は直ぐにその理由に思い当たった。この先水野家は滅ぼされる。具体的な時期は長篠の後だったか…信長の表情を見るにもうこの頃から水野家を煩わしく考えている様子だった。
「……上総介殿の三千のみで何とか致しまする。」
康親はそう言って頭を下げ直した。ここで信長の機嫌を損ねる行動は慎むべき。康親はそう判断して水野家への援軍要請は即座に諦めた。
「頼むぞ。……それはそうと、儂の下を去った小姓らを拾ったそうだな。」
信長は満足そうに頷くと話題を変えた。康親の鼓動が早くなった。
「儂の下を去った者をどうこう言うつもりはない。事実を知りたいだけじゃ。」
「…旗本衆として本多忠勝の麾下に加えておりまする。先の戦でも殿を務め帰還も致しました。」
康親は言葉を選びながら応える信長は笑った。
「そうか。それならよい。」
信長は咎める訳でもなくほっとした表情で話を終えた。康親はほっとした。榊原康政が受け取った書状は偽物だったのだ。あの小姓らを追い落とすために信長の名を語って書かれたものだと理解した。問題は誰が何の目的で信長の名を語ったのか。それを今ここで信長に聞くのはややこしく成りそうなので康親は口には出さずに話を次に進めた。
「武田は上杉家と和睦致しました。そして北條家とも同盟をすすめているようです。次に武田が攻めて来る時は…」
「…北條と盟を結んだ後…か。どうせお主の方で北條に探りを入れておろう。北條と武田が手を結んだことを聞いたならば、儂に知らせよ。」
「承知いたしました。上総介殿も東美濃にはお気を付け下さりませ。」
その後いくつかの会話を進め、信長は康親を仇のように睨みつける堀久太郎を引っ張って部屋を出て行った。足音が消え去るのを待って康親は大きく息を吐き出した。
「…何とか纏まった……。だがゆっくりはしていられぬ。岡崎に戻って策を練らねば。」
「石川殿を浜松から岡崎に呼び戻されては如何でしょう?」
正信が小声で進言する。康親は首を振った。
「最終的に武田への対応策は殿の居られるところで決めねばならぬ。素案を固めた後、我らは浜松に出向くのが良い。」
「岡崎を離れるのであれば、例の件は如何致しまするか?」
今度は半蔵が声を出す。
「平助の報告内容でどうするか決める。内容によっては監視も諦めねばならぬ。」
会話は次々と進められていく。宗哲は三人のやり取りをあっけにとられた顔で見ているだけであった。
元亀2年6月3日夜、三河国福釜城。
一行は岐阜城から2日掛けて康親の居城に戻って来た。明日の朝に岡崎城に登城し、徳川家康に報告をする予定として仲間内で夕餉の席を設けて酒を酌み交わした。そこには宗哲も参加している。
「福釜殿、宜しければ暫くの間拙僧も同行させてはもらえませぬか?」
宗哲の唐突な申し出に康親は不審さを感じて少し引いた眼で宗哲を見返した。
「岐阜城での織田家とのやり取り…真に感服致しました。拙僧もあのように堂々たる振る舞いで交渉できるよう学びたいのです。勿論、酒井殿に許しを得た上で…構いませぬか?」
康親は宗哲から視線をずらし考え込んだ。これ以上目立つようなことはしたくなかったからだ。ただでさえ信康の先生役として岡崎では名が知れ渡っているところに坊主まで弟子にしたとなれば益々目立つことになる。康親はどんどんと自分の理想の未来から遠ざかっているような気がしていたたまれなかったのだ。考え込む康親に半蔵が近づく。
「…彼の者は、深溝殿の家臣、板倉定重殿の兄に当たられます。父君がおけはざまでの戦で討死し、御嫡子も今川との戦にて命を落としております。宗哲殿が早々に仏門に入られていたことから御三男の定重殿が家督を継がれました。」
康親は半蔵の仕事の速さに驚いた。指示もしていないのにいつの間に調べたのか康親が知りたいことを端的に報告した。
「…そうか、板倉殿の……。」
康親は宗哲を見やった。後の徳川家重臣になる者…目立つことにはなるが、恩を売っておいても損にはならぬと同行を許可することにした。
席には半蔵、正信、宗哲の他に、松平盛次、江原忠盛、そして老齢の長坂信政が座っていた。信政は岡崎城二の丸の警護を担当しており、中で働く芳や静からの文を康親に渡す役割を担っている。
「福釜殿、平助殿から例の報告がありますが?」
酒を注ぎつつ信政は康親に話しかける。康親は「続けよ」と言って促す。信政は宗哲をちらりと見つつ報告を始めた。
「平助殿が台所下男に扮して、出入りの商人の取次を行っておりまする。武田の使者からの文をも預かるようになり、勿論、中身を確認しておるそうです。」
「ほう…中にはなんと?」
「差出人は瀬名信輝殿で、駿府に居た頃の日々を綴っておるそうです。」
「…思い出話?」
「左様……。恐らくは、鳳健院殿、築山殿に望郷の念を抱かせ、自然と瀬名信輝に協力させるように仕向けているのではないかと、平助殿は言っております。」
長政の報告に康親は盃を置いてまた考え込んだ。最初に鶴姫に武田の間者が接触してから既に半年が経過している。にもかかわらず、手紙のやり取りは世間話程度…恐らくこれは時間をかけて相手を洗脳するやり方ではないか。前世の知識を持つ康親には「洗脳」という考えを浮かべたことで恐ろし気に感じて身震いした。
「……引き続き監視するよう平助に伝えよ。宗哲殿、この話、他言無用ぞ。」
宗哲は康親の気迫の籠った声に震えながらもゆっくりと頷いた。
元亀2年8月15日、信濃国高遠城。
武田逍遙軒の配下で藤林衆を使った諜報活動を行っていた瀬名信輝の下に書状が届いた。差出人を見た信輝は上司である逍遙軒に書状を持って面会した。
「……松平康親からの文?」
逍遙軒は首を傾げる。
「はい。武田の内情について教えて欲しい…と書かれております。」
「…まさか我らの謀に気付かれたか?」
「まだ判りませぬ。…ここは徳川方が我らの動きに気付いているか調べる為にも接触しようと思うのですが…。」
信輝の進言に逍遙軒は考え込んだ。病に侵され後先短い兄が倒れた場合を想定した岡崎乗っ取り計画は今敵に気付かれるのは非常に拙い。そう考えた逍遙軒は信輝に草を行うよう命じた。所謂、二重スパイである。だが直接接触せず、同じ駿河先方衆の朝比奈信置にさせるよう付け加えた。
8月19日、逍遙軒に呼び出された朝比奈信置は信輝の持っていた書状と同じ文面の文を差し出す。信置の報告では幾人かの駿河先方衆に送られていることが判った。駿河を統括する穴山信君に先方衆への調査を頼む文を書いた逍遙軒は、信輝と策を練ることにした。
「相手は御屋形様が一目置く福釜の康親だ。二重三重を罠を張って対峙し、我らが進めている作戦を悟られぬようにせねばならぬ。」
「朝比奈殿には某と逍遙軒様で進めている策を敢えてお教え致さぬ。故に知っている限りの駿河の内情をもったいぶって福釜に接近して下され。」
「承った。」
信置は神妙な面持ちで頷く。信輝は本音を言えば福釜の康親に会いたかった。今川の頃からその鬼謀で自分を苦しませ、武田に下ってからもまた苦しめられている。それは瀬名家に居たある人物を思い起こさせるものであったのだ。そしてあの時見た、駿府に届いたその人物の首は偽物…ある疑惑が彼の中でずっと渦巻いているのであった。“瀬名夜次郎”は“隋空”に姿を変え、“松平康親”として自分の前に立ちはだかっているではないかと。
一方、その康親は、またしても家康と大喧嘩を繰り広げていた。
「次こそは、武田を野戦にて打ち破る!敵は我らが籠城すると思っているのだ!虚を突くことができるのだぞ!」
「できませぬ!武田の兵は左様な事に惑わされるような将で兵を率いておりませぬ!山県、馬場、内藤、秋山、小山田、穴山、真田…歴戦の勇将知将が率いる万の兵を侮ることはできませぬ!」
「我等にも平八郎や小平太、七郎右衛門に治右衛門がおるではないか!」
「殿、某もおりまする!」
「ええい!彦右衛門殿は口を挟むな!ややこしくなるではないか!」
いつものように城を出て決戦を挑もうと主張する家康を、無謀だと反対する康親をみて榊原康政と本多忠勝は目を合わせて苦笑する。最終的に側近らが家康を宥めてその場を収めるのが常であった。
そして舞台は三方ヶ原の戦へと向かっていく。その時期はあと一年後と迫っていた。
堀秀政
織田家家臣。若くして織田信長の小姓に取り立てられ数々の戦功を挙げた側近。この頃は取次役として畿内の豪族や伊勢豪族と対等に渡り合うなどの活躍をする。
服部平助正刻
服部半蔵の義弟。今は岡崎城の台所取次の下男に扮して築山御前の監視をしている。
長坂信政
織田家家臣。息子の信宅に家督を譲り隠居していたが、松平康親の要請を受けて岡崎城二の丸の警護役を引き受けている。
武田逍遙軒信廉
武田家家臣。武田信玄の弟。武田勝頼が父を補佐するために躑躅ヶ崎館に移動後、諏訪城に入って東信濃に睨みを利かせている。兄が亡くなった後を想定して岡崎を信康ごと徳川家康から引き剥がそうと画策している。
瀬名信輝
武田家家臣。勝頼によって駿河から甲斐へ連れていかれた後、逍遙軒の策を支援するために信濃で活動している。
朝比奈信置
武田家家臣。今川家滅亡後に武田家に服属する。信輝が抜けた後の駿河先方衆のまとめ役を担っている。




