63.二連木城の戦い(前編)
定期投稿ですが、話が長く前後編に分かれましたので、もう一話投稿します。
浜松に戻って来た松平康親は榊原康政に呼ばれ登城の前に康政の屋敷を尋ねた。そこで四人の男と面会する。例の尾張からの出奔者であった。武田軍が侵攻して来る最中「陣借りしたい」と尋ねて来たところを康政が屋敷に迎え入れていたのだ。既に状況については康政から聞かされており、四人は緊張した面持ちで康親の前に座っていた。
「その方らを旗本衆本多平八郎殿の麾下として加わって頂く。榊原殿からも聞いておろうがその方らの立場は余り良くない。……しからば戦で手柄を立てて殿の信用を得ることで家中の居場所を作られよ。」
四人は一斉に頭を下げる。その中、康親は一人の男をじっと見つめた。康親の目に映るのは前田利家の弟、佐脇良之であった。
「佐脇殿、其方の兄が心配しておったぞ。我から前田殿に文を書いておく。…武功を立てし時は自慢でもなさるが良い。」
「…お気遣い、感謝致す。」
複雑な表情で答える良之に康親は苦笑した。いずれにしても康親の内心は複雑であった。彼らの運命は知っている。できれば尾張に送り返したい。だがそれをすることによって未来が変わることを恐れ、後は本多忠勝に任せることにしたのだった。
翌日、榊原康政は四人を連れて浜松城に登城する。家康に経緯を説明して本多忠勝配下に組み込むことの承認を頂き、四人を忠勝に引き渡した。その後、高天神城の戦いについての報告となる。康親から報告を受けた家康は興奮していた。
「二万の大軍か…さぞ圧巻であったろう…。儂も左様な戦をしたいのぉ。三郎次郎、次は儂も出るからな。文句は言わせぬぞ。」
康親は心の中で頭を抱えた。多少は当主としての心構えをもうちょっと持って欲しい。これでは若い頃からほとんど変わっておらぬ。…やはり家康が変わるのは三方ヶ原での敗戦の後なのだろうか。そんな思いを頭に浮かべつつ話題を次に移した。
「我らは敵の兵糧を焼き払いました。信玄も暫くは大規模な戦はできぬでしょう。今のうちに遠江国衆の結束を高める様働きかけを。」
家康は頷き奉行衆に指示を出す。だがその顔は何処か不満げであった。
元亀2年4月12日、三河国福釜城。
康親は千賀地則直から畿内の様子について報告を受けていた。
畿内における織田勢と反織田勢との争いは激しさを増していた。松永久秀と筒井順慶が大和の支配権をめぐって対立し、石山本願寺が織田領内の門徒に激を飛ばし、三好三人衆が阿波から再度畿内への上洛を果たしている。前世の記憶の通りに進んでいることを確認した康親は引き続き京の情勢を探るよう指示を出して則直に金子を渡した。
「有難く頂いてはおく。……だがこの程度の報告、既に頂いている銭の範疇内に御座る。」
金子の重さを確認して懐に入れた則直はぶっきらぼうに言う。康親は笑った。
「ならば、堺の商家、京の公家で有力な者に渡りをつけてくれ。将来のために使える駒を増やしておきたい。」
則直は表情を変えず「承知仕った」と答えて頭を下げると部屋を出ていく。傍に控えていた半蔵は訝し気に則直が見えなくなるまで見つめていた。
「……報告は確かなようですが、信用に足る人物には見えませぬ。」
「構わぬよ……。銭を出しているうちは信用して問題はない。それに何時か伊賀も大国に呑まれる日が来る。その時に庇護して恩を売っておけば役にも立とう。」
康親の言葉に半蔵は驚く。千賀地は服部の本家筋にあたる。昔から独自のネットワークで京の有力者と繋がりを持ち、仕えるではなく雇われる形式で活動してきた。だが半蔵率いる服部は三河で育った三河人であり康親を主君と仰いで活動していたことから、千賀地の忍とは考え方も違っている。康親はそれを理解して千賀地と服部の扱い方は異なっていた。先のことを見越して使い方を考え、それを同族である自分に話してくれることで半三は自分への信頼の高さを改めて認識した。
「殿、武田の方は如何致しましょう?」
満足した表情で半蔵は話を進める。
「ん?彦五郎のほうはどうだ?」
「先の戦で穴山信君の信用を得ているようです。ですが彦五郎にも次の戦の話は渡って来ておりませぬ。…探りを入れさせまするか?」
「いや、今のままで行こう。穴山殿への接触は将来における武田攻略を目指しての布石だ。今のままで良い。…他は?」
「ありませぬ。藤林衆の動きも見えませぬ。」
康親は半蔵の返答に目を細めて見返すと腕を組んで考え込んだ。
「…見えない…か。…何か来るかも知れぬな。」
康親は半蔵に岡崎城周辺を警戒するよう命じた。半蔵は短く返事すると直ぐに部屋を出て行った。
元亀2年5月9日、三河国岡崎城。
松平康親は信康を徳姫の待つ西の丸へと連れていく。信康を見た徳姫は嬉しそうな声で訪問の礼を述べる挨拶をした。信康も嬉しそうに頷く。二人の初々しさは康親の心を和ませた。暫く二人の穏やかな会話が続く。だが、平穏の時は片足を引きずった男によって壊された。
「ご無礼仕る。たった今吉田城の酒井殿より使者が到着いたしました。……武田軍が三河に侵攻したとの知らせで御座る。」
淡々とした冷静な口調に一瞬誰もが男の言った言葉が直ぐに理解できなかった。だが直ぐに女中共が騒ぎ出し、信康の近習らが焦ったように立ち上がる。康親も動きを見せるのに数瞬の間があった。
「……悪い知らせは時と場所を選ばぬか。弥八郎、詳しい知らせを申せ。」
「敵は豊川を南下して野田城に迫り申す。その数、奥三河の先導衆も含めて凡そ二万…信玄が直接率いている模様に御座る。知らせを届けたるは我が弟、三弥左衛門に御座る。」
足を引きずった男、本多正信は情報の正確さを示すために吉田城からの使者の名を語った。康親の表情がわずかに歪む。彼の中では武田との次の戦は三方ヶ原だと思っていたからだ。しかし正重を使者として岡崎に遣わしたのは、酒井忠次が康親に助けを求めているという意味。急ぐ必要はあったが、平静を装って若と姫に向き直った。
「楽しいひと時は終わりに御座います。若は直ちに本丸に戻りて家臣を招集なされませ。」
頭を垂れて進言する康親に信康は頷く。康親はこれからの対応をどうするか軍議に参加しようと考えていた。
「相わかった。さすれば先生には手勢を引き連れ直ぐに吉田城に向かって欲しい。」
信康からの思わぬ指示に康親は頭を上げた。
「岡崎城には平岩も石川もいるのだ。委細は二人に相談する。先生は一刻も早く東へ向かい、その知略でもって吉田城で功をあげて来るのだ。」
康親は平伏した。正直驚きを隠せなかった。誰に言われるでもなく、自分の考えで指示を出された。それも皆が動揺する中でだ。しかも信康の命で吉田城に向かえば、そのことだけで兵の士気も上げられる。
「は!直ちに向かいまする!」
そう言うと康親は弥八郎を伴って若と姫の前から出て行った。
元亀2年5月10日、三河国吉田城。
松平康親は三百の兵を引き連れ吉田城に到着した。直ぐに酒井忠次に呼ばれて大広間に入る。
「岡崎の殿より命を受け参った!若殿は我らの働きに期待されている!必ずや武田を追い返そうぞ!」
集まる諸将を前に康親は声を張り上げた。予想通り皆の顔色が変わった。喜びに満ち暗い表情から活気に溢れる顔になる。
「福釜殿も軍議に参加を!……野田城は今から行っても間に合わぬ。ならば守りの固いこの吉田城で敵の進軍を阻むのが得策と考える。」
酒井忠次の言葉に本多広孝が応じる。
「既に尾張にも救援の使者を送った。さすれば籠城で時を稼ぐべし!」
今度は康親が発言する。
「味方は如何ほど?」
「吉田に六千、二連木城に二千!周辺に号令すればもう少し増やせる!」
広孝が答える。康親は後ろに控える本多正信に発言を促した。
「……織田殿の援軍を当てにするならば、二連木城を捨ててこの吉田城に兵を集中するが良いでしょう。援軍を当てにできぬとあらば、敵に落とさせる砦をできるだけ増やし、守備の兵を分散させて、兵糧消費を抑えるべきと心得まする。」
正信の進言に酒井忠次は黙り込んだ。前者は判りやすい。織田軍が来るまで防戦に徹すればいい。だが正直援軍がどれほど来るか判らない。来ないかも知れない。そうなると選択肢は後者になる。だがそれは即ち自軍の兵力をワザと消耗して代わりに兵糧を温存し且つ敵の兵糧を消耗させるという辛辣な策になる。流石にそんな戦術は直ぐには実行できない。
「他に手はないのか!」
焦って大声を上げる忠次に正信はそっけなく答えた。
「二万もの大軍を受け止められる城は此処以外に在りませぬ。」
正信の言葉に康親も唇を噛み締めた。そもそもの戦略的防衛拠点は野田城だったのだ。それが救援間に合わずとなればこの吉田城で耐えるしかない。此処でできるだけ敵の兵力と兵糧を消耗させ、西三河の兵力で防ぐしかなかった。どうするか皆が考え込んでいたところへとんでもない情報が飛び込んできた。
「申し上げます!浜松より伝令!殿自ら御出陣なされ五千の兵を持って進軍中とのこと!」
伝令兵の報告に康親が眉間に皺を寄せて目を閉じる。正信が露骨に顔を顰めて舌打ちした。
「浜松の殿は何を考えておられる!たかが五千の兵で何ができるというのじゃ!」
広孝が声を荒げて言ったが、皆は黙り込んだままであった。
「伝令!直ぐに戻って我が殿に伝えよ!援軍無用!浜松に戻って籠城の支度を整えられよ!」
康親の怒号に近い指示に伝令兵は慌てて出ていく。それを見送ることもなく康親は作戦案を提示した。
「武田軍が殿の率いる五千にぶつかられてはお終いだ。此処は二連木城の兵を極力減らし敵の目をそこに向けさせる。殿には二連木城の後詰を行って頂き、二連木城落城を合図に撤退して頂く。」
つまり二連木城を犠牲にして家康軍の撤退タイミングを作る作戦であった。忠次は康親の案を了とした。直ぐに伝令が走り体勢が整えられていく。そうしているうちにも野田城落城の報がもたらされる。明日になれば二万の武田軍がこちらに来る。諸将の顔は強張った。
元亀2年5月11日、遂に武田軍が吉田城からの視界に見える。敵は横に広がりながら吉田城を包囲せんと前進しており、その軍容に櫓で見守る足軽たちは怯え始めていた。
「先ずはこの城の守りの固さを見せつける!」
酒井忠次の合図で鉄砲兵と弓兵が居並ぶ。武田兵に向かって一斉に射撃をするとまばらに人が倒れるのが見えた。武田軍の進軍は止まり陣が横に展開していく。その様子を見ながら本多正信は康親に話しかけた。
「敵の大将はやはり信玄に御座います。此度は後方にかなりの数の兵を割いて荷駄を警護している様子…。」
「先の戦が布石となったか。だが敵は時が掛かる戦は嫌うはずだ。」
「…浜松からの援軍とうまく連携できますでしょうか?」
「…できなければ武田家に負ける。そうなれば、我は殿を見捨てて岡崎に戻り、若君を新たな主君と仰いで行かねばならぬ。」
「遠江も奪われましょう。」
「榊原殿はそれを判っている。何とかして殿を引かせんと機会を伺っておるはずだ。我はその機会を作ってやればよい。」
「敵に気付かれぬ様お気をつけ下され。」
正信の忠告に康親は苦い表情を見せる。康親は正信の妙な感に一抹の不安を感じたのだった。
元亀2年5月11日、吉田城を南東から囲んで陣を敷いた武田軍は喜見寺を本陣として諸将を集めた。武田信玄は真田幸隆に戦況と策を尋ねる。
「遠江から徳川家康が出陣したと報告が入っております。守りを固めるかと思うておりましたが…意外と血の気が多いようで。」
幸隆の言葉で信玄は不敵な笑みを浮かべた。
「吉田城の兵を封じ込めつつ、東からの家康の兵を叩こう。」
信玄の策に幸隆は同意する。だが直ぐに少し考え込んだ。
「……御屋形様、家康への攻撃は大きく迂回してできませぬか?」
「迂回?……何故だ?」
「叩いて遠江へ逃げられても状況は変わりませぬ。迂回して東から攻め立て二連木、若しくは吉田に撤退させられれば戦況は我らに大きく有利になりまする。」
幸隆の献策に信玄は膝を叩いた。
「馬場、山県の兵を引き連れ家康の軍を襲え。うまく尻を叩いて吉田城へ逃亡させるのだ。」
信玄の命令に幸隆は頭を下げた。
「お任せ下さりませ。……馬場殿、山県殿、参りましょう。」
幸隆が兜を脇に抱え陣幕を出る。これに馬場信房と山県政景が続く。信玄はその様子を頼もしそうに見ていた。
この時、信玄の顔色は悪く、口数も普段より少なくなっていた。




