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57.岡崎城へ

定期投稿になります。



 永禄12年5月3日、近江国瀬田城。


 これより西は山城となる近江の西端で上洛を目指す織田軍にある男が合流した。それは三好長慶の右筆として仕えその才覚で出世して家宰にまでのし上がった松永久秀であった。

 久秀は長慶の死後、新たに当主となった義継を補佐する三好三人衆と対立したことで三好家中で孤立し勢力的に劣勢に立たされていた。だが当主である義継が三好三人衆の隙をついて堺を脱出し久秀に庇護を求めたことで、国衆を味方に付けて劣勢を挽回するも、三好三人衆側に付いた筒井氏との大和抗争で再び劣勢に立たされていた。義昭上洛を知るといち早く服属する準備を整え、義継と共に瀬田城へと駆け付けたのであった。

 信長は松永の傘下入りを大いに喜び、筒井家討伐の兵を出すことを約束する。


 5月5日になって上洛軍は兵を動かし山科へ入る。此処は嘗て本願寺が総本山として寺内町を形成していたが、細川家と対立して戦で敗れ本山を石山に移した後は廃墟となっていた。信長は此処を仮拠点として陣を敷くと三淵藤英、一色藤長、和田惟政、細川藤孝らを京に派遣して義昭入洛の準備を進めた。


 信長に従軍していた松平三郎次郎康親は松永久秀が宿泊している館を尋ねた。門番に名を言うと中へ案内され客間に通された。やがて足を引きずって歩く男が部屋に入って来た。康親は男の顔を見て笑顔になる。


「久しいの…弥八郎。」


「お久しぶりに御座います…殿。」


「足は…どうした?」


「松永様の戦に加わった際に下手を打ちまして…いえ、馬の乗り降りくらいは何とかできまする。」


「苦労させてしもうたな…だがお陰で良い結果を得られた。礼を言う。」


「勿体なきお言葉…募る話も御座りますが、松永様がお待ちです。ささ、こちらへ。」


 弥八郎は康親を奥の部屋へと案内する。そこには松永山城守久秀が座して待っていた。康親は一礼して部屋に入り下座する。そして両手をついて挨拶を行った。


「徳川三河守が家臣…松平三郎次郎康親と申しまする。」


「其方が弥八郎の主殿…に御座るか?坊主だと聞いておったが?」


「故あって松平の娘を娶って還俗致しました。」


 康親の言葉を聞いて久秀は嘗め回すように康親を見た。そして自分の顎鬚をひと撫でする。


「ふむ…“坊主ならざる者”…か。上総介殿も面白き表現をされたな。…ところで、事前に上総介殿に儂の事を話してくれたそうじゃの。おかげで茶器ひとつですんなりと服属できた。」


「いえ、上総介殿が褒めておられました。天下の名器を躊躇うことなく差し出したるは剛毅な男よ…と。」


「ふん、お主こそ…聞けば六角との戦、お主の献策によるものじゃそうだな?」


「霜台殿が六角と三好との連携を遮断下されたお陰です。」


「其れもお主が弥八郎に命じて儂を動かしたものではないか。」


「動いて頂けるかは五分でしたが。」


 久秀は笑う。不敵な笑みと言っていい笑い方であった。


「お主の知略は恐ろしいものだな。弥八郎を儂の下に寄越したのもお主の考えであろう。まさに上総介殿の上洛を支援せんが為に何年も前から仕込んでおったと考えると身震いするわ。」


「臨機に対応したまでです。」


「上総介殿はお主を欲しがるであろうな。」


「ですが、既にお断りいたしました。」


「はーっはっはっは!そうか!お主も顔に似合わず剛毅な男よ!」


 久秀は豪快に笑った。ひとしきり笑うと女中を呼び寄せる。酒が二人の前に運ばれてきて、久秀は酒瓶を康親に向けた。康親は出された盃を手に取って前に出す。酒が注がれると躊躇いもなく煽った。それを見た久秀はまたも不敵に笑った。


「…これからも仲ようして貰えると有難い。」


「霜台殿ならば…喜んで。」


 二人の酒の酌み交わしは夜更けまで続いた。




 5月7日、信長は柴田勝家、滝川一益らを京周辺にある三好家に属する城への攻撃を開始した。三好派の諸城は籠城するも然したる抵抗もせずに降伏または逃亡した。織田軍はさほど時間を掛けずに京周辺から三好方を排除することに成功する。


 5月15日、遂に織田信長は足利義昭の入洛を果たす。義昭は清水寺に居を構え、自身は東福寺に入り各隊の指示を出した。京の町は織田軍によって占拠されるも信長が治安維持に努めたため然したる混乱も無く制圧に成功した。因みに同日、徳川家康は今川氏真を降伏させ掛川城を手に入れている。


 5月19日、織田軍が京全域の治安維持態勢を確立させたことから、従軍していた浅井長政、神戸具盛、松平信一の帰国が開始された。各々は信長と義昭に挨拶をして京から撤兵していく。この時、浅井家の家臣らは戦での浅井家の扱いについてかなりの不満を持つこととなる。


 5月26日、織田軍による畿内平定があらかた完了する。信長は三好家が軍事拠点として使用していた城をそのまま流用して、和田惟政や細川藤孝を配し、足利義昭の本陣を本國寺に移動させた。既に畿内の多くの国衆や寺社衆が領地安堵を求めて義昭に拝謁を求めており、その義昭を奉ずる織田信長の知名度も一気に上がる。


 5月28日、菊亭晴季を始めとする公家衆が本國寺を訪問する。義昭の将軍宣下を受けるための段取りを進める為であった。


 6月2日、足利義昭が朝廷からの将軍宣下を受け第十五代将軍に就任する。同時にいくつかの官位も受けた。信長にも官位を授けようとしていたが、そのほとんどを固辞し、弾正忠の叙任のみであった。




 永禄12年5月21日、三河国岡崎城。


 上洛戦から帰国した松平信一らは、岡崎城主の徳川信康に戦勝報告をする。報告は儀礼的に行われるが信康は報告内容よりも康親の土産が気になっていた。儀式が終わり康親が前に進み出る。同時に服部半蔵が木の籠に入った美しい色をした小鳥を持ってきた。信康の顔いろが変わる。喜色の笑みを浮かべ視線は小鳥に釘付けであった。


「京の街で見つけました。渡来物の小鳥に御座いまする。…できれば(つがい)で持ち帰りたかったのですが、滞在中には手に入らず…引き続き探し求めております故まずは一羽のみでご容赦…。」


「良い良い!康親、礼を言う!」


「築山殿には鮮やかな反物をいくつか買い揃えました。後程奥に届けさせまする。」


「そうか!母に代わって礼を言う!」


 少年のような目で康親から渡された鳥かごを見つめる信康。康親はため息交じりに信康を見ていた。後で平岩親吉から今回の戦の詳細を説明して兵法の講義を行うことになっている。だがこの幼い領主は戦にも政にも興味を示さないであろう。康親の思い描く信康とは若くして勇猛で戦を好む武人のように考えていたのだが、後世の勝手なイメージであったのだろうかと苦笑していた。


 5月23日、一行は浜松城に到着する。今度は家康に戦勝報告するためである。信一らは報告の前に祝勝の言を述べる。そして自軍の兵を失うことなく上洛戦を終えたことを報告し、信長からの文を差し出した。


「…京に屋敷を用意したからいつでも来られよ…と書いておるわ。」


 嫌そうな顔で文を小姓に渡す。


「…某が上総介殿に褒美の代わりに所望致しました。殿もこれからは二カ国の太守として京の文化に触れられては如何と思い。」


 康親の言葉に家康は面倒くさそうに頷く。


「わかった。そのうち行くとしよう。だが今は遠江国衆の掌握が大事だ。三郎次郎は儂の下に残り国衆の懐柔に回って貰う。」


 ははっと返事して頭を下げる。が気になることを思い出した。


「そう言えば…武田殿とは今川当主の首を約しておりましたが…何か申して来ましたでしょうか?」


 康親の質問に家康は眉間に皺を寄せた。


「…ご立腹だそうだ。戦勝報告に酒井左衛門尉を行かせたのだが会う事すらできなんだ。」


 康親は苦笑する。


「武田殿は駿河全土を手中にできなかったから我らを羨んでおるのでしょう。海は手に入れましたが、国衆の反抗を受け、北條に駿東を乗っ取られました。我らにその怒りをぶつけておるのでしょう。」


 康親は信玄の心の内を推測した。それを聞いた家康は目を細める。


「…怒りの矛先が儂等に向くと?」


「元々打算で盟約しただけです。打算で破棄してくることは間違い御座いません。問題は、何時、どのようにして…それさえ察知できれば問題御座いません。」


 康親の返答は周囲の諸将を唸らせる。家康も流石は観音寺山を落とす策を献じただけはある、と褒めたたえた。


「処で三郎次郎、岡崎の三郎には珍しい土産を送ったと聞くが……儂には?」


 傍で控えていた信一の表情が変わる。信一は完全に忘れていた。だが康親はにこりとほほ笑んで懐から棒を取り出し、家康に差し出した。


「これは……笛?」


 手に取った家康はまじまじと見つめて正体を問う。康親は大きく頷いた。


「京で有名な雅楽師より買い取りました。あちらでは寂しさや憤り、悔しさなどが増すと笛や鼓の音を聞いて心を落ち着かせるそうに御座ります。殿も心穏やかざる時にはその笛にて心を落ち“バキッ!!”…あ……」


 康親が説明している最中に家康は笛をへし折った。こめかみを引くつかせて鼻を大きく膨らませている。


「……三郎次郎、近々、京に向かう用があったよな?」


「い、いえ特に用…「あったよな!?」…ははっ。」


「儂も珍しき物が見てみたい。お主が何か見繕うてくれ…くれぐれも間違えるなよ。」


 脅しにも似た家康からの依頼に康親は渋々頭を下げた。何も折ることはないだろう…と愚痴を溢しそうになる。殿に京の雰囲気を感じて頂ける物を茶屋四郎次郎に頼んで手に入れた竹製の笛は家康の手でへし折られたのだ。だんだんと足音を鳴らして広間から出ていく家康を尻目に康親は散らばった笛の破片を拾い集める。傍に榊原康政が寄って小声で話しかけた。


「此処は堪えて下され。武田からの扱われように怒っておられましたので。」


「…お気遣い感謝する。後で殿に謝りに向かう。」


「では殿にもお伝えいたす…御免。」


 康政は康親に頭を下げ家康の後を追った。その姿を康親は眺めた。最近になって康政は康親との距離を縮めている。昔ほど壁を置いたような話はしなくなった。康親としては家康の近くには自分を警戒する人物を用意しておきたいと考えており康政が適任と思っていたが他を探す必要があると感じていた。



 5月26日、岡崎から平岩親吉がやって来て家康に面会を求めた。話を聞いた家康は、榊原康政、本多忠勝、鳥居元忠、小栗吉忠らと協議して親吉の願いを承認した。

 家康の承認を得た親吉は鳥居元忠を連れて執務部屋へと向かう。そこでは高力清長と松平康親が書類の整理をしていた。鳥居元忠が康親に声を掛けて訪ねて来た理由を説明する。


「我が兵法の指南を?」


 平岩親吉が家康に願い出た内容とは、嫡男信康への兵法指南として岡崎城への出仕であった。突然の異動命令に康親は驚く。


「今の遠江での仕事は?」


「浅井六之助と小栗仁右衛門で分担することとします故。」


 康親の問いに鳥居元忠が答える。だが康親は命令とはいえ岡崎行きを反対した。


「岡崎には公無き事ながら実姉がおる。良からぬ事を考える者あらば、これを好機と見て良からぬ噂を流すぞ。我が岡崎に出仕するのは危険だ。考え直して欲しい。」


 此処に居る三人は康親の出自を知っている者らである。康親の危惧には一理あり、元忠も首を捻った。だが高力清長がここで発言をする。


「案外良いかも知れませぬぞ。あらかじめ殿には福釜殿の危惧される内容をご説明したうえで福釜殿を向かわせ、その動きを平岩殿など傅役衆で抑えられるよう体制を組み、三河で徳川家に敵対する者らをあぶりだすこともできますぞ。」


「三河内で我らと敵対…?だ、誰で御座るか?」


 親吉は敵対する勢力が咄嗟に思い浮かばず問い返す。


「…武田…でしょうな。」


 今度は康親が小声で答えた。有り得る話だった。今から10年後、信康は武田家への内通の疑いで切腹を命じられる。そして多くの信康直臣が出奔、逃亡、斬首となっている。今の時期から注意するのはありだとは思うが…康親の考えは違っていた。

 康親には自分が信康に接近することを是とできない理由は2つあった。1つは築山こと鶴姫が家康への思いが薄れていくことに自分が関与することで和らぐのではないかという危惧。もう1つは、信康に対して情が生まれてしまう事への危惧。

 康親の考えは「信康謀反疑惑」は起こして然るべきもの。この中で築山と信康には退場して貰う。この考えがあるからこそ、これまで鶴姫とも仲良くせず距離を置いていたのだ。


 だが、親吉は康親を求めており、家康はこれを承認、清長もノリノリとなっては、康親は受けざるを得なくなった。


「判りました。しかし、我一人では不安で御座る。もう一人ほど連枝の方をお連れしたい。」


 康親の要求に元忠が応える。


「福釜殿と懇意になれる者を見繕いましょう。」


 康親は三人に頭を下げた。平岩親吉はそれよりさらに深く頭を下げた。


 5月28日、福釜松平三郎次郎康親は浜松城での奉行職から徳川信康付きへの異動を命じられ平岩親吉と共に岡崎城へと向かった。





平岩親吉

 徳川家家臣。家康の人質時代から付き従う譜代家臣。嫡男信康の傅役に抜擢され、岡崎の一切を取り仕切っている。


浅井道忠

 徳川家家臣。通称六之助。桶狭間の戦い以降に徳川家の家臣となる。主に土木関係に精通していたと言われ遠江内の川に多くの橋を架橋している。


小栗吉忠

 徳川家家臣。通称仁右衛門。遠江の奉行として寺社領の管理、街道整備などを行う。浅井道忠と共に橋の架橋も数多く仕切っている。



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