52.今川陥落
連続投稿二話目です。
永禄11年10月2日、三河国福釜城。
伸び始めた髪が気になるのか、隋空改め松平三郎次郎康親は頭に手を当てていた。何度も同じ仕草をする夫を見て福が笑う。
「殿様、何度手を当てても直ぐには髪は伸びませぬ。」
「しかし、髷のない頭では何やら違和感が…。」
妻に注意され照れた表情で頭を掻く。その仕草に福はまた笑った。
康親の日常は福釜に来たことで大きく変わった。経と仏に日々を捧げる日常から、福とゆっくりとした日々を過ごすものになった。蟄居は解かれたもののこれといった職を与えられたわけではないため、暇を持て余した毎日を過ごしていた。
家臣は増えた。元からの福釜松平家の家臣に加え、前当主の弟である松平盛次、隋空時代に臣下に加わった江原忠盛、長坂信政、信宅親子、息子に家督を譲ってついて来た伊奈忠家、そして素破頭から正式に武士の身分を得た服部正成、その義弟正刻、伊賀千賀地家棟梁の息子千賀地則直。
兵数凡そ五百を指揮する徳川家連枝衆の一人に名を連ねた康親は本来ならば遠江を攻略する徳川軍の一手を担ってもおかしくはなかった。だが福釜の家督継承後に言い渡された命令は三河の野党討伐のみ。徳川軍の主力からは遠ざけられたものであった。
「…誰ぞ我を危ぶんでおるようだな。慎重派の榊原殿あたりかの。」
ひとり呟く康親に福が酒を注いだ。
「殿は内からも恐れられておられるようですね。」
「我の出自を気にしておるのだ。…我の出自など家中ではあまり知られていないはずなのだがな。」
「妄りに警戒すれば他の者も怪しむことになりましょう。此処は殿が気にする風を見せず黙々とお役目を務めるのが宜しいかと。」
「……福は我の良き軍師になれそうじゃな。我は此処に居っても服部衆、千賀地衆、そして堺から多くの情報がもたらされる。のんびりと福の酒でも飲んで次になすべきことを考えさせてもらうとするか。」
「……殿、のんびりとはできぬかも知れませぬ。」
二人きりの時間を楽しんでいた康親にいつの間にか庭先に服部半蔵が現れて膝をついて声を掛けた。
「どうした?」
「我が服部衆を甲斐から撤退させました。」
答える半蔵の表情は硬い。
「……何かあったか?」
「武田方の素破者の動きが慌ただしく、身の危険を感じました故、皆を呼び戻して御座います。」
頭を下げて詫びる半蔵に康親は頷いた。
「戦が近いか?」
「は、恐らく収穫を前に駿河に攻め入るものと思われまする。」
半蔵の答えに康親の表情が変わり、雰囲気の変わったことを感じた福は盃を夫から受け取って部屋の奥へと身を引いた。
「今川の動きはどうだ?」
「各々で戦支度はしているようですが、まとまった動きは届いておりませぬ。」
「徳川方は?」
「二俣城を攻めるべく酒井様が支度を整えておりまする。」
半蔵の答えに康親は満足そうに頷いた。再び福を手招きして盃を手にする。
「殿は…何もせずとも良いのですか?」
「我が動こうとも、動かずとも結果は変わらぬ。今川は滅びる。無理に我が手を出す必要もない。」
そう言うと康親は福の注いだ酒をぐいっとあおった。その姿を見た半蔵は唇を噛み締めた。怒りにも似た感情が彼を覆い思わず主君を優しく見つめる福から視線を逸らした。我が主はこの女子に骨抜きにされたのではなかろうか。そんな思いが全身を駆け巡る。
「…京の様子はどうだ?」
半蔵は主君の問いにはっとなる。半蔵の手元には京の情勢は持っていない。
「相も変わらず三好の内輪揉めが続き、公家共が辟易しておりまする。」
突然背後から声がして半蔵は驚いて振り向いた。そこには千賀地則直が立っていた。
「年が明ければ遠江も落ち着くであろう。…次は公方様を奉じて上洛だ。それまでに弥八郎に戻るよう伝えてくれ。」
康親の言葉に一礼して則直が去っていく。半蔵は再び唇を噛み締めた。背後を取られたこともそうだが、主君の目は既に先を見据えていたことに気付かず福に怒りの感情を持ってしまったことに恥じていた。
主君は常に先の先を見ておられる。手柄などに興味はなく、武名よりも物見の知らせを尊び、武具よりも諸国からの文を好む。他の武士とは異なるこのお方を守るよう父から遺言として受けているにもかかわらず、疑いの目を向けてしまった自身に悔しさも含めた憤りを感じていた。
「半蔵、織田上総介殿から「上洛戦には同行せよ」と申し付けられておる。……お前には我の傍らに居て貰う故、胆に銘じておけ。」
康親の言葉に半蔵は息を呑んだ。慌てて手を付いて返事する。
「は!喜んで!」
康親は半蔵を最も信頼していた。それは半蔵にも肌に感じていた。半蔵にとっては十分なことであった。
永禄11年10月29日、駿河国清見寺。
武田軍侵攻の知らせを受けた今川氏真は直ちに諸将にこれを迎え撃つよう命じた。関口氏幸の立てた策では富士川沿いに南下する武田軍を白鳥山と長貫山に伏兵を置いて挟撃する手はずであったが、迎撃に向かった関口兄弟からの連絡はなく、武田軍が白鳥山から更に南の萩に出没した報を受けて関口兄弟の寝返りを確信する。
質としていた氏幸、道秀兄弟の妻子を処刑すると、館に集まる全軍に号令を掛け自らも輿に乗って出陣した。その総勢三万で、本陣は清見寺に置かれた。
敵は二万もの大軍で進んでいたが、薩埵峠で迎え撃てば勝てると算段し、庵原忠胤に一万五千を預ける。そして駿東の葛山氏元に後背を突くように命じた。
だがここで氏真の算段が狂い始める。葛山氏元は動く気配を見せず、迎撃に出た忠胤の軍も離反者が続出し、武田軍を迎え撃つのもままならなくなったのだ。
「申し上げます!伊丹大隅守殿が戦場を離脱!朝比奈駿河守殿が武田方に寝返って御座り申す!」
伝令の声が今川氏真の構える本陣に響き渡り、氏真含め諸将の顔が引きつった。あまりにも予想していない状況に、周囲の視線は自然と今川家当主に集中する。
「…何故だ?…何故誰も某の策に従わず…?」
氏真の唇は震えていた。漏れる言葉には既に「何故?」が付きまとい諸将が自分を見ていることなど気づかない様子であった。
このまま此処に留まっていても危険と判断した岡部元信は氏真に撤退を進言した。
「御屋形様、わが軍の主力は既に武田を迎え撃つ力はないと心得まする。このまま此処に留まっていても武田の攻撃を防ぐことはできませぬ。此処は全軍に撤退を命じ、今川館にて態勢を立て直すべきかと!」
元信の進言に長谷川正長が同調する。
「館には瀬名殿や安倍殿が守りを固めておりまする!駿府にて決戦を計り、武田勢を追い返しましょうぞ!」
重臣らの言葉に氏真は頷くしかなかった。彼の思考は既に許容を越えており周囲に言われるがまま輿に乗って本陣を後にした。薩埵峠で武田軍と対峙した今川軍は軍の様相を呈しておらず、多くの将兵が武田方に下っていた。既に武田軍と決戦できる兵力は氏真の手元にないことをこの時は誰も気づいていなかった。
永禄11年11月1日、駿河国今川館。
氏真の居城である今川館には瀬名氏詮の兵を主力とする五千が周囲の支城で籠っているはずであった。だが館に戻って来た氏真に届いた報告は瀬名氏詮が行方不明であるということであった。蒼白な表情で報告する安倍元真に諸将から罵倒に近い詰問が飛び交った。
「どういう事に御座るか!瀬名殿は何処に行かれた?」
「そ、某にもわからぬ…気が付いたら、兵糧までもが無くなっておったのだ。」
兵糧がない。それは大軍を運用するうえで即敗北を意味している。安倍元真の報告に諸将は声を失った。そして各々が次の算段を始める。それは自身の去就である。既に今川家の敗北は見えていた。後は自家の存続を掛けてどう動くかの算段である。既に武田方への離反が始まっていた今川軍はここで一気に瓦解することとなった。
11月3日、薩埵峠で今川軍を指揮する庵原忠胤が武田方に降伏したという報を受ける。これで今川氏真に武田軍に抗する兵力は失われた。駿東の国衆は既に大半が武田方に下っており、水軍も氏真の指示を無視している。そして遠江の国衆は徳川に備えると称して動かなかった。最早、氏真が指揮できる兵力は此処に集まる五千ほどの駿河の兵だけであった。
「御屋形様、この兵力で今川館を守るは至難に御座いまする。口惜しいかとは存じまするが、此処は我が居城、掛川までお越しくださいませ。」
朝比奈泰朝が床に手を付き頭を垂れて氏真に進言した。すると安倍元真が泰朝の隣に座って手を付いた。
「某が此処に残り、武田軍を足止め致しまする!御屋形様は朝比奈殿に従い掛川にて再起の兵を御集め下され!」
氏真は二人の進言に従った。既に自身で考える力を失っていた氏真には家臣の言に頷くことしかできなくなっていた。
11月4日、今川氏真は朝比奈泰朝率いる二千の兵に守られて掛川へと向かった。途中まで長谷川正長が同行し、正長は徳一色城に入った。今川館に残ったのは安倍元真、岡部元信、天野景康、三浦真明などで三千程であった。各々が自領から徴兵を掛け五千までにはなるであろうが、それでも勝てる見込みなどはなかった。既に諸将は如何にして敵に下るかを考えていた。
永禄11年11月4日、駿河国武田軍本陣。
縄に縛られた関口氏幸、道秀兄弟の下に瀬名氏詮が訪れた。氏幸は氏詮が自分たちを見下ろしている理由が判らなかった。呆然とする二人に氏詮は悲し気な視線を送る。
「…惣五郎殿、善次郎殿、ご苦労であった。これで駿河を武田殿に一旦お渡しできる。」
「お渡し…?何を言っている?」
「某は貴公らが武田殿に接触するよりも前にわが父を甲斐に送りこの日の為に動いていたのだ。」
「儂よりも…?一体、何故?」
「…寿桂尼様の訓えよ。」
「じ、寿…?」
「そうだ。寿桂尼様は現当主氏真では今川家は滅亡するとお考えであった。故にそうなる前に新たなる当主を迎え立て直すべしと。」
「新たな…当主?」
「…儂だ。傍流ではあるが今川の血を引いておる。」
「な、何を言っておる!」
「間違ってはおらぬであろう?寿桂尼様も儂を推して下された。だからこそ、岡部殿や葛山殿も儂が新しき今川を率いる事に賛同したのだ。」
「な、何?」
「さらには武田殿も儂の考えに賛同頂き、今川存続の為の力も貸して下さった。貴公は利用されたが、儂は協力してくれたのよ。」
「馬鹿な!」
氏幸は縄を振りほどこうと体をゆすった。
「慌てなさるな。既に貴公らの妻子は処刑された。武田殿も直ぐに貴公らを処断なされるであろう。あの世で妻子にでも詫びるが良い。」
氏詮は吐き捨てるように言うと二人から去って行った。兄弟の罵る声が響き渡るがそれに反応することはなく警備する武田兵に会釈して姿を消した。
永禄11年11月6日、関口惣五郎氏幸と善次郎道秀は武田軍に内通するも身柄を拘束され、命乞いも空しく処刑さるる。これにより関口家直系は断絶した。
武田軍は馬場信春を賤機山城に、穴山信君を瀬名城に配して今川館を包囲し、籠城する今川兵に圧力をかける。年が明けた永禄12年1月には武田軍に投降した瀬名氏詮の説得により今川館は開城し、武田家に降伏した。城を接収した馬場信春は館に火を放ち、今川家代々の家宝を含めた駿府遠江の支配に重要な書類なども炎に焼かれる。これにより今川家の栄光は全て消え去ることとなった。
永禄11年11月7日、三河国福釜城。
瀬名氏俊の使者が福釜に到着した。康親への面会を求められ、長坂信宅と服部半蔵の案内で城内に通されると松平康親と対面した。使者は封された書状を差し出し「返答を頂くよう申し使っている」とその場に留まった。康親は不思議に思いつつも了承して封を開けて書状を読む。最後まで目を通すと、おもむろに半蔵に視線を送った。
一瞬だけ間があって、半蔵は動く。脇差を抜いて使者の懐に飛び込むと腹に脇差を突き刺した。使者はうめき声を挙げるが半蔵を掴みその背中に小刀を突き刺そうとした。次の瞬間使者の首が血しぶきを上げて床に転がった。長坂彦五郎信宅が刀一閃で使者の首を切り落としたのだった。半蔵は自身にもたれ掛かる首無き使者を押し倒してその衣服をまさぐる。懐から印籠を見つけ、中身を確認すると小さくため息をついた。
「…入っていた丸薬を見るに伊賀の者と思われまする。藤林衆の手の者でしょうか…。殿はよくお分かりになりましたね。」
康親は再び書状に目を通しながら一瞬だけ使者の様子に目を移した。
「いいや…。ただ、この書状に「使者を斬れ」と書かれておっただけだ。」
康親の意外な答えに信宅と半蔵が驚く。康親はなおも平静に話を続ける。
「義父殿は源五郎には内密で我に書状を送ってきたようだ。その使者を殺せば誰にも知られることがないのであろう?」
戦慄した様子を見せる半蔵をよそに康親は死体を片付けるよう指示を出す。直ぐに小姓らが出てきて片付けが始まった。
「やはり源五郎は武田家に内通しておった。義父殿と輝を人質に差し出し、連絡役として活動させ武田軍を駿河に引き入れたようだ。」
「…何故今川を裏切ったので御座りましょう?」
信宅が素朴な質問をぶつける。
「瀬名氏詮をもって今川家を継ごうと画策しているようだ。」
二人は再び驚いた。瀬名氏詮は傍流とはいえ今川の血を引く家柄。氏真がいなくなれば家督を継ぐことも不可能ではない。重臣らの支持をえられれば…ではあるが。だが武田の手を借りて成し遂げようとしている。
「氏真の方はどうなっておる?」
「…今川館を捨て朝比奈備中守に守られて掛川へと向かったと聞いておりまする。」
「ふむ……半蔵、酒井殿に書状を書く故届けてくれぬか?源五郎の野望を食い止めるには今川氏真にはまだ生きておいてもらわねばならぬ。」
康親は書状から外に視線を向けた。その眼は遥か彼方の駿河の行く末を見つめているようであった。
服部正成
徳川家家臣。この頃から松平康親麾下の武将として活躍を始める。服部衆は諜報活動する素破から康親の身辺警護をする集団へと変わっていく。
千賀地則直
徳川家家臣。伊賀と康親との繋ぎ役から京の情勢を探る諜報部隊に変わる。則直が私情的に康親に仕えつつあった。だが本人はいたって冷静に任務をこなしている。
庵原忠胤
今川家家臣。系譜上は太原雪斎の甥にあたる。今川家の重臣として駿河の国衆を束ねる寄親の一人。




