51.還俗
今週は三話連続投稿を致します。
一気にこの章を終わらせます。
永禄11年7月3日、三河国浅井西城。
徳川家康は浜崎館を拠点として、遠江国衆の調略を進めていた。最優先に勧めていたのが、曳馬城を守る椿姫であった。
曳馬城は今川家臣の飯尾連龍の正室であり、連龍が今川氏真の謀略によって殺された後も、今川家に属する態度を取っていた。だが家臣らは武田派と徳川派に分かれて対立し始め、家康の遠江侵攻に何の対処もできずに過ごしていた。酒井忠次は何度も使者を送り椿姫に降伏を勧めていたが、椿姫は首を縦には振らなかった。家康の側室となっている姉の持姫からも文を送ったが椿姫は降伏しようとはしなかった。
そんな中、隋空は城代を務める浅井西城にてのんびりとした生活を送っている。とは言っても毎日誰かからの文が届けられ、それを読んで遠江の情勢は把握していた。酒井忠次、酒井重忠、榊原康政、伊奈忠次、小栗吉忠、長坂信宅、鳥居元忠など多くの徳川家臣が、隋空の意見を聞こうと文を送っていた。
隋空は届けられた文は読むものの返事を書こうとはせず、必要に応じて服部半蔵、平助に言伝で応対していた。おかげで主君は蟄居身分なのに家臣らは大忙しであった。
今日は松平盛次が兄の親俊を伴って隋空に会いに来た。
「福釜殿、御久しゅう御座いまする。」
隋空は連枝衆の一人でもある親俊を上座に案内したが、親俊は手を振って拒んだ。
「今日はお願いがあって参ったのじゃ。故に此処で対等に話をさせてもらうぞ。」
そう言って隋空の前に腰を下ろした。そして部屋の外に向かって手招きした。
「入って来なさい。」
親俊の声に反応して一人の少女が隋空の部屋に静かに入って来た。その美しさに隋空は一瞬目を奪われた。年は十四~五でこの日の為なのか真新しい衣服を纏い美しく着飾っている。その少女は親俊の隣に座り恭しく平伏した。
「儂の末の妹で、福という。」
「福…に御座います。」
かすかに香の匂いが隋空の鼻を刺激する。隋空は福と名乗る少女から目を離せなくなっていた。隋空の言葉を失う動作に親俊は目を細めてにこりとほほ笑んだ。
「隋空殿、儂はな…息子に先立たれ、昨年に継室を迎えたが子ができるかはわからぬ。しからば、器量良き者を婿に迎えて家を継がせるほうが徳川連枝として顔が立つ。」
親俊が言う“器量良き者”とはここでは隋空のことだ。それは隋空にも判っていた。未来のことを考えるのであれば断るべき。……だが隋空の口からは言葉が何も出てこなかった。それどころかこの少女から目が離せなかったのだ。
顔立ちは現代的。真新しい衣服も相まって大河ドラマに出て来る女優のように隋空は感じていた。
「し、しかし拙僧は、き“器量良き者”には程…遠い。今…も…こうして謹慎…する身に…御座る。」
やっと出て来た隋空の言葉は彼にしてはたどたどしい。親俊はそんな隋空を物珍し気に眺めた。
「いやいや、儂は隋空殿のことを“器量良き者”と言うては御座らんよ。」
隋空ははっとなった。明らかに動転していた。
「はっはっは!隋空殿にしては珍しいですな。……まあ元々そのつもりで福を此処に連れて来たのだ。」
親俊は咳を一つして本題に入った。
「隋空殿、還俗して我が妹を娶り、福釜松平を継いではくれぬか。…福釜家がこうして徳川家中の連枝衆として重用されるようになったのも、先の本願寺門徒との戦で隋空殿が儂らを導いてくれたおかげじゃ。だからこそ弟が隋空殿に仕えることも許し、此度、妹の願いも…。」
少女が親俊の足を抓った。そのしぐさに隋空は目を奪われる。
「この際だから言うがな…こ奴は隋空殿に一目惚れしたらしいのじゃ。あ痛!!」
今度は思い切り抓ったようだ。
「し、しかし…。」
「岡崎の殿には儂と榊原殿と鳥居殿で説得致す。許しを得る。承諾をしてくれぬか?」
親俊は頭を下げた。徳川家の連枝衆に連なる相手に頭を下げられては何も返せない。隋空は大きなため息を吐いた。彼は隋空の出自を知らない。此処で自分が今川に連なる人物で自分を重用することで災いの種にならんとも考えるであろう。
「福釜殿、二人きりで話をさせてくれ。」
親俊はがばっと顔を上げてにっこりした。
「そうか!そうか!では儂と平右衛門は席を外す故、幾らでも福と話をしてくれ!」
「あ、いや、ちが…。」
隋空が訂正しようとしたが、その隙など与えず親俊は無理矢理弟の盛次を立たせていそいそと部屋を出て行った。隋空は親俊に手を伸ばそうとしたが、既に親俊は弟の手を引っ張って振り返りもせずに部屋を出た後であった。部屋には剃髪した僧侶と美しい衣を纏う少女というなんとも形容しがたい光景となる。
隋空は伸ばしかけた手を宙に浮かせたまま何事か小声で言った後、大きく舌打ちして手を下ろして膝を叩いた。
そのしぐさを見て向かいに座る福が顔に手を当ててくすりと笑った。
「…不躾な兄様をお許し下さりませ。」
透き通るような美しい声で謝罪する少女に隋空は再び視線を移して直ぐに俯いた。
「い、いや、其方のせいでは御座らぬ。福釜殿が早とちりをしたせいで…。」
「あれは、判ってやっておりまする。兄様も継室殿とはうまくいっておらぬご様子で何としても隋空殿をお迎えしたいと逸っておりまする。」
隋空は少女の言葉に気持ちを切り替えもう一度少女の顔を見た。現代的な顔立ちに知性を感じさせる言葉使い。悪意の感情も見られず正直かなり好感が持てる。
「其方は…良いのか?」
思わず問いかける。自分が婿になることに覚悟を持っているのだろうか。そんな疑問が湧きあがってしまったのだ。聞かれた少女は一瞬きょとんとした表情を見せ、次に戸惑う表情を見せた。
「あ、私は…隋空殿とむ、結ばれたいと…思うて…おりまする。」
尻すぼみに回答する少女。頬を赤らめ俯き加減になる様子を見て隋空は心臓に矢を撃たれたような衝撃を受けた。思わず少女に手を伸ばそうとして理性でその衝動を抑える。
「我は坊主に御座る。」
辛うじて出した隋空の言葉に少女は首を振った。
「……隋空殿を初めてお見かけした時…そのお姿に違和感を感じました。…その御眼はまだ見ぬ先を見据え、その御顔は兄様を含め多くの者々を惹きつけ、その御姿は上に立つ者の気迫を感じておりました。」
隋空は口をあけて呆気に取られる。この少女には自分がそのように映っていたのか。或いは自分の未来の姿が映っていたのか…。いずれにしてもこの少女には他とは違う何かを感じて益々惹きつけられた。そして何度も自分の将来、目的、今やるべきこと、やってはならぬこと、様々な事を思い浮かべて天井を仰ぎ見た。その様子を福はだまってじっと見つめていた。やがて福の視線に気付き、隋空は観念したかのようなため息をついた。
「…其方や福釜殿は我の出自をご存知か?」
少女は小さく首を振った。少し怯えた表情を見せる。
「駿河の臨済寺で修業されたとしか…。」
少女の言葉を受けて隋空は少しだけ福に近づいた。小声で自分の生まれ家康との繋がり、そして僧となって三河に居る理由を淡々と説明した。話を聞くにつれ少女の目は大きくなっていく。そして説明を聞き終えると何度も瞬きした。それから考え込むように上を見上げてやがて小さく頷きにこりとほほ笑む。
「私が思うた通りのお方で良かったです。」
「……我が居ることで家中を二分する争いが起きるやも知れぬぞ?」
「そうなれば私は迷わず貴方様に付いてゆきます。」
「左様な事を言うているのではなく…。」
「ふふふ…。」
隋空の困惑した顔を見て福は口元に手を当てて笑った。
「左様な事にはなりませぬ。兄様が連枝衆として取り持ってくれるでしょう。私は心配しておりませぬ。」
自信に満ちた表情で答える福をみて隋空は更に困惑した。自分はいったい何を願っているのか。会うたばかりの少女に秘密を話し、その少女の言葉に安堵する自分がいる。それが何を意味しているのか自分では理解できずに困惑するばかりであった。
永禄11年7月12日、遠江国浜崎館。
遠江侵攻の指揮を取る徳川家康の下を松平親俊が訪れた。思わぬ人物の来訪に何事かと家康だけでなく多くの家臣が広間に集まった。親俊が広間に入ると堂々とした態度で中央まで歩き下座にゆっくりと座って平伏した。
「福釜殿、如何致した?其方が来たと聞いて皆が集まったぞ。」
家康は心配そうな顔で話しかけた。親俊は大きな声でひとしきり笑うと姿勢を正して登城の理由を説明し始めた。
「某…先年に妻にも息子にも先立たれ、継室を迎え申したが…恥ずかしくも仲は宜しからず。……しかしながら、殿の信に厚く報いる為にも福釜松平を相続せしむ術を模索しけり。」
淡々と、朗々と話す親俊を榊原康政、本多忠勝、鳥居元忠、本多忠真、大久保忠世、忠佐、松平信一、石川家成らが見守る。
「某の末妹が妙齢を迎えまして…器量良き婿を迎え家を継がせようと思いましてな。」
そこまで聞いて榊原康政がはっとなる。向かいに座る石川家成と目が合い、家成も何かを察して緊張の面持ちで康政を見返していた。家康は特に気付く様子もなく親俊の話に聞き入っていた。
「…某、殿の信任厚くまた彼の者を連枝に迎え入れることで有益と考える…隋空殿を婿に迎え入れたく…殿のお許しを賜らんと罷り越して御座います。」
親俊は言い終えると静かに平伏する。聞き終えた家康は大きく口を開けそのままの状態で固まった。他の家臣らも驚きの表情を見せている。
「お…ず…いや…げん…うぬ…」
家康が何かを言おうとして言葉にならず理解不能な声を吐き出している。親俊はなんだかおかしくなった。二カ国を治めんとする男が一人の男のことでこれほどまでに動揺しているのが滑稽に見えて来たのだ。笑いを堪え静かに頭を下げたままの姿勢で待つ。
家康の方は福釜家からの思わぬ申し出に思考が停止しており、助けを求めようと榊原康政の方を見た。視線を向けられた康政は何と答えようか迷った。自身としては隋空を還俗させ徳川軍の一手を任せる有力家臣に仕上げることを目論んでいた。…だがそれはもっと影響力の小さい松平家を継がせ、新たに連枝に加えて他の松平全体をけん制させるのが最善と考えていた。それが有力な連枝、しかも勢いをつけつつある福釜家と…それで家中の均衡を保つことができるのかと。それを主君の問いかけに答えて今すぐ此処で答えが出せるはずなどなかった。
「…良き話に御座ります。殿、福釜の申し出…お許しなされませ。」
言葉を発したのは意外な人物だった。
本多平八郎忠勝。
この男は本多惣領家の当主ながら、若さ故に叔父の忠真を代理として自身は家康の傍に控えて戦に没入してきた。家中の事にはあまり口を出さず主君をお守りすることを主命としてきた男がここにきて発言したのだ。
「彼の者は今や織田家にも武田家にも名を知られその権謀に一目置かれておりまする。そんな男に松平姓を与え殿の手元に置くは有益に御座ります。」
忠勝の言葉に康政は目を閉じた。有益なのはわかっている。問題は殿の直属ではなく、福釜家という有力家に入ると言うことなのだ。だから…
「もし…隋空殿が殿に仇を成す事になろうものなら…我ら本多一族が成敗致す!」
自信をもって胸を叩く忠勝に大久保忠世が噴き出した。つられて弟の忠佐も笑う。場の雰囲気が一気に変わった。
「我らは隋空殿に感化されて…できもしないのに深く考えすぎではないか?……我らの強みは本多、大久保、榊原、酒井、そして松平による強い結束力。…もし、もしも隋空殿を担ぎ上げ殿に害成す輩が現れようものなら…我らが団結して此れに立ち向かわん!……それにあの隋空殿は、そう易々と誰かの傀儡になどなり申さん。ならば我らの力となるよう…迎え入れるべき!」
大久保忠世が力強く言うと、周りの者も同調する。喜びの笑みを浮かべる諸将を尻目に榊原康政はじっと目を閉じて考えに耽る。果たして某の考えすぎであろうか。安易に隋空殿を信用して、いつの間にか家中の者が隋空殿を支持する立場に変わることはないか…じっと考えていた。
だが康政の考えとは裏腹に、家臣らが隋空を迎え入れる雰囲気に変わるのを見た家康は安堵の表情を見せた。隋空を幼き頃からの友としてずっと信頼し続けていた家康にとっては嬉しい状況であった。
「殿、某の妹への婿入り…御認め頂けるのであらば、蟄居の命をお解き下さりませ。」
親俊はもう一度頭を下げる。家康は嬉しそうに何度も頷いた。
「良かろう。直ぐに隋空を呼べ。儂の命で蟄居を解き福釜を継ぐよう申し付ける!」
にこやかな家康に平伏する親俊。周囲の重臣らも納得するように頷いていたが、一人榊原康政だけが不安な表情を浮かべていた。
永禄11年7月15日、隋空は蟄居を解かれ還俗して福釜松平家に婿入りする様命じられた。城代として預かっていた浅井西城は元の城主である伊奈忠次に与えられ、隋空は家臣を引き連れ福釜城へ移動した。
福釜松平家当主の親俊は家督を隋空に譲って隠居し、隋空も還俗して名を“松平三郎次郎康親”と改めた。
永禄11年10月22日、駿河国今川館。
当主氏真の下に諸将が集められた。
浅井政敏、朝比奈信置、安倍元真、伊丹康直、岡部元信、葛山氏元、長谷川正長と言った駿河の有力国衆だけでなく、朝比奈泰朝、天野景泰、小笠原春義、竹田高正、匂坂吉政、孕石元泰、松井宗恒などの遠江の有力国衆までもが集められていた。
大広間に登場した氏真は頗る機嫌の良い表情を皆に見せていた。氏真が座ると既に甲冑に身を包んだ関口氏幸が前に進み出て下座するといくつかの書状を取り出した。
「武田が駿河に侵攻致しまする。某が得た情報に寄りますれば、二万の軍勢で富士川を南下する模様。」
関口氏幸は自身の間者が書き記した書状を恭しく差し出す。氏真の側近である三浦真明が受け取り、氏真に渡すと、氏真は中身に目を通した。そして大きく頷く。
「よう知らせてくれた。我らがこれを撃退すれば北からの脅威を封じ込めることができ、安心して西に目を向けることができよう。…関口兄弟に二千の兵を与える故、直ぐに出立して白鳥山に向かえ。周辺の国衆を従えて此れを迎え撃つべし!」
氏真の強い口調での命令に氏幸は勢いよく返事した。すぐさま立ち上がって大広間を出ていく。氏真は氏幸が見えなくなるまでじっとその姿を見つめていた。氏幸が館を出て行ったことを確認すると改めて諸将をぐるりと見渡してにやりと笑った。
「さて…本当の軍議を始めるぞ。」
関口兄弟が武田と通じているということは既に密かに諸将に知らされていた。そうとも知らず氏幸は武田軍来襲の報を氏真に伝え揚々と出陣していった。誰もがこのまま寝返るだろうと考えており、氏真の指示で次の作戦の支度を進めていたのであった。それも瀬名氏詮による計略。
「…ようやく武田信玄めが我らの誘いに乗り申しまして御座います。既に富士川沿いの国衆らには蒲原に集結するよう通達しておりまする。我らは東海道沿いに北上し、南下する武田軍を前後より挟撃すれば、打ち倒せるものと考えておりまする。」
瀬名氏詮が簡潔に説明する。氏真が頷いた。
「皆の者、戦支度じゃ!今こそ、今川の飛躍の時と考える!関口の誘いに乗って疑いもなく攻め下りたる武田を撃ち滅ぼし、そのまま甲斐へと攻め上りて彼の地を奪わん!…兵糧の心配は無用。駿河遠江の重要拠点に十分に蓄えておる。」
氏真は揚々と諸将らに出兵を命じた。居並ぶ諸将は返事と共に頭を下げた。
だが、この内の誰かは瀬名氏詮を通じて武田への内応を約しており、誰かは高力清長の誘いに乗って徳川に味方することを約していた。それを知らぬは当主氏真と此度の策を弄している関口兄弟だけであった。
今川家滅亡の日は迫っていた。
椿姫
今川家家臣、飯尾連龍の正室。お田鶴の方とも呼ばれる。父は鵜殿長持であり、西郡局の妹にあたる。史実では徳川軍の城攻めに対して果敢に応戦し、侍女らと共に討死したとされる。
飯尾連龍
今川家家臣。遠江曳馬城主。徳川家への隊痛の疑いを掛けられ、今川氏真の攻撃を受けるもこれを撃退。後に氏真と和解して駿府に赴いたところを暗殺される。
松平親俊
徳川家家臣。三河一向一揆における活躍で連枝衆に名を連ね、家中での発言力を高めている。弟が隋空の家臣に加わっており、隋空との関わりも深い。
松平盛次
徳川家家臣。隋空に惚れこんでその家臣となり主に兵を率いる役目を負っている。
福
親俊の妹。三河一向一揆で隋空が福釜を訪れた際に彼を見初め、以後密かに思い続けていた。隋空の出自を知っても尚その思いに揺るぎがない。
松平三郎次郎康親
隋空が還俗した際に名乗る。家康の「康」と親俊の「親」を貰っている。史実でも実在する人物で、関東移封後に大番頭となって徳川家に貢献する。
今川の重臣たち
これらは武田信玄の駿河侵攻に際して、武田に内応、徳川に臣従、氏真の庇護と三様の動きを見せることになる。
浅井政敏
今川家家臣。氏親の娘を正室とする義元の重臣。氏真の代では中枢から離れていた。
朝比奈信置
今川家家臣。親徳の子で今川家重臣として駿河守を名乗る。
安倍元真
今川家家臣。あんべと読む。義元から偏諱を受け今川館の守備を任される。
伊丹康直
今川家家臣。摂津国出身で細川家の内乱に巻き込まれて没落し駿河に逃れて来る。その後義元に仕え、氏真からは海賊奉行を任じられ、今川水軍を統率する。
岡部元信
今川家家臣。桶狭間の戦いで織田家から義元の首を取り返して今川家重臣の列席に並ぶ。
葛山氏元
今川家家臣。元は北條家臣であったが今川家に内応して東駿河の大半を治める有力国人となる。
長谷川正長
今川家家臣。堅城として名高い田中城の守将。
朝比奈泰朝
今川家家臣。義元の側近であったが、氏真に代替わり後は遠江掛川城で遠江を守護する。
天野景泰
今川家家臣。天野氏庶流の出身であるが、義元の信を得て力をつけ後に惣領となる。氏真の代になってからは領国内の内乱に追われ弱体化していた。
小笠原春義
今川家家臣。福島正成の後を受けて高天神城主となる。遠江の有力国人。
竹田高正
今川家家臣。元々は朝廷に仕えていたが内紛を避けて諸国を遍歴する。やがて氏真に蹴鞠の師として招かれ遠江に領地を授かる。
匂坂吉政
今川家家臣。匂坂城主。堀越一族の乱を討伐した功により遠江の有力国人として今川家を支えていた。既に徳川家への内応を約している。
孕石元泰
今川家家臣。遠江の有力国人で義元の代から仕えている。氏真の後見役を任じられていたが、氏真からは遠ざけられていた。
松井宗恒
今川家家臣。氏真の信を得て遠江二俣城主となり、遠江の国人衆の動向を監視する役目を担う。




