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45.服部保長

これからは、週一ペースで投稿する予定です。




 永禄9年10月、三河国浅井西城。


 支度を整えた本多正信は隋空の待つ屋敷内の大部屋へと向かった。部屋では本多正重、江原忠盛、長坂信政、信宅(のぶいえ)、服部半三、半蔵、松平盛次が既に座しており、自分を迎えるのに意外なほどの面子の多さを正信は驚いた。立ちすくんでいると後ろから肩を叩かれ、正信が振り返るとそこには隋空が笑みを浮かべて立っていた。


「これはいったい?」


「皆、此処から出ていくお主に一言文句を言いたくて集まったのだ。」


 笑いながら隋空が答えると、長坂信政が豪快に笑った。


「そうそう、確かに!…貴殿のせいで某は総持寺警護役を未だ務めておるからの!」


 これに半三が相槌を打つ。


「うむ。儂も身体を壊したわい。」


 これには正重が文句を返した。


「左様な事まで兄者のせいにされるのか!」


「間違っておると言いたげだな。」


 集まった者の会話にはとげとげしさはなく和気の見える光景であった。隋空は再び笑ってから正信を座らせた。隋空が上座に座すると一同が姿勢を改め隋空に一礼した。


「弥八郎…済まぬな。」


 隋空はまず本多正信に謝った。


「某は敗者に御座る。それに殿は我が主に御座ります。主の命ならばどのような内容でもお受けするのが家臣の務め。此れが弟であろうと同じで御座る。お気遣いは無用。」


 兄の返答に弟も頷く。


「某も主の密命を帯びての出奔に御座る。後ろめたき事は御座らぬ。どうか頭をお上げ下され。」


 正信の言葉で隋空は頭を上げた。


「生きて帰って来るのだぞ。」


 隋空の言葉に正信は平伏した。


「本多殿、儂も彦五郎もそう長くはない。此れが今生の別れになろう。…一献受けてくれぬか?」


 服部半三は自身の横に用意していた酒瓶を目の前にどんと置いた。勢いで体がふらつく。慌てて半蔵が父の体を支えた。


「病を押しての御臨席…忝い。その一献受けよう。ささ、長坂殿も。」


「儂を半三と同様に扱うな。儂はもう少し先だ。」


 言いながらも長坂信政も盃に手を伸ばした。その様子をまだ若い江原忠盛と松平盛次が笑いを堪えて見ていた。




 今年に入って江原城主、江原忠盛は隋空の麾下に加わった。兵力を持たない隋空の代わりに主力を率いる立場となり、百騎ほどを従えている。副将格としては福釜松平親俊の弟である盛次が務めていた。彼は兄の許諾を得て福釜を辞して隋空に仕官していた。

 正信の弟、本多正重はこれも隋空の命を受けて本多広孝に仕える手筈になっており来月には隋空の下を去る予定。

 服部半三は病の進行が止まらず顔色は日に日に悪くなっており、長坂信政も子の信宅に家督を譲り、自身は閉職とも揶揄されている総持寺警護役を務めていた。子の信宅は隋空の与力として浅井西に常住している。

 三河一向一揆を通じて隋空の下には多くの者が集まった。だがこれは隋空の本意ではない。彼の目的は安寧な世を迎えて安全な暮らしをすること。それには前世の記憶にある史実通りに歴史を進めることである。それには名のある武将は史実通りの動きをしてもらわねばならない。全ての武将について事細かに歴史上の動きを把握しているわけではなく、また隋空の存念で自由に動かせる相手でもないのだが、少なくとも本多兄弟は史実通りに動かしたい。そういう思いで隋空は二人に密命を与え自分の手元から離すことにしたのだ。


 角屋を通じて、畿内を広く見聞せよ。

 能ある者あらば徳川家への仕官を勧めよ。

 堺にいる伊奈家に接触し帰参を説得せよ。


 正信に課した密命は3つ。特に3つ目を最重要として申し付けていた。


 東三河衆の徳川家への忠節を西三河と等しく高めよ。其の為に本多広孝からの信を得て権謀を尽くせ。


 正重への命は東三河衆の譜代化である。史実通りに歴史が進めば将来徳川家の版図は五カ国に広がる。それを西三河衆だけで治るは負担が大きい。実際に史実では東三河衆が領国運営にどのように関わっていたか把握していないのだが、隋空としては使える駒を増やしたいと考えていた。


 本多正信を送り出す細やかな宴は半刻ほど続き、長坂信政が酔いつぶれたところでお開きとなった。正信は丁寧に全員に挨拶をすると妻子宛の文を懐から取り出して隋空に差し出した。


「……千穂の事を御頼み致す。」


「任せておけ。」


 正信は意を決したように立ち上がると部屋を出て行った。半三はその姿を焼き付けるかのようにじっと見ていた。





 永禄9年11月、三河国浅井西城。


「あの二人の碁を打つ音がないだけで、かようにも寂しいものとは思いませなんだ。」


 部屋で書を読む隋空の横で長坂信政が誰も使わなくなった碁石を拾い上げて眺めて呟いた。


「総持寺警護役殿が左様な事を云う為に拙僧の部屋に来たのではあるまい。…報告せよ。」


 促されて信政は面白くなさそうな表情で隋空に向き直った。


「織田家の使者が岡崎を訪れ、若君宛に多くの品物が届けられました。」


 信政の言葉を聞いて隋空は読んでいた書を机に置いた。驚いた表情で信政を見やる。


「…輿入れが近いか!」


「恐らく。そのうち岡崎から呼び出しを受けるものと存ずる。」


 史実では9歳で信長の娘、徳姫を正室に迎えている。竹千代は8歳。来年には結婚イベントが起きる予定であることを隋空は思い出した。直ぐに結婚イベントまでに何が起きるのか自分の脳内データベースを探り出す。

 正室を迎えるには自身が元服する必要がある。元服時には信長から「信」の字が与えられる為、元服イベントには織田家が何らかの関与をしてくるはず。遅くとも年明けには元服の儀を取り行うであろう。ならばこれから織田家と徳川家の使者が行き交う日々が続くやも知れぬ。

 そこまで考えて隋空は嫌そうな顔をした。…はっきり言ってこのイベントには関わりたくない。信康は後々自刃するからだ。安寧を目指す隋空としてはそんな輩には近づきたくないと言うのが信条であった。


「隋空殿は余り歓迎しておらぬご様子ですな。一応、甥に当たられるお子なのだから、お喜びになられると思うていたのですがな。」


 隋空の意外な反応に信政は残念そうな表情を見せた。言われて隋空も思い出す。自分の腹違いの姉の子…。いや、他人であろう…と思いを改める。そもそも築山御前すら兄弟という意識が低く、関わりたくない人物としてインプットして警護を信政に任せるくらいであった。


「…織田殿は徳川家との縁戚関係を強めたいのが狙い。だが徳川家では築山殿もそのお子も立場は微妙だ。腫れ物扱い…は言い過ぎか。とにかく拙僧には家臣同士で悶着があると見ておるが?」


 隋空の返答に信政は笑った。


「成程…ではその悶着の解決に隋空殿は呼ばれるでしょうな。では某も警護に戻り、隋空殿の為に情報集めと致しますかな。」


 軽口を叩く信政はもう一度笑うと役目に戻ろうと腰を上げた。そこへ大慌てで隋空の部屋に服部平助が走り込んできた。


「殿!……御義父上(おんちちうえ)様が!」


 平助の言葉を聞いて隋空は飛び上がって走り出した。思いもよらぬ行動に驚きつつも信政と平助が後を追った。

 城内の服部屋敷で半三保長は腹の病にかかり療養していた。一向に回復する様子は見られず、最近は食事の量も減り、頬のこけた顔つきになっていた。その半三の寝所に隋空が大慌てで入って来た。普段には見られない慌てた隋空の姿に半三は驚きつつも主を迎えるために起き上がろうとした。


「半三!寝たままで良い!如何した!?」


 隋空が傍に駆け寄り半三に縋りつくように言葉を掛けた。追いついた信政は見たこともない隋空の慌てぶりに思わず声を荒げた。


「隋空殿!落ち着かれませ!それでは半三殿が余計に苦しゅう御座るぞ!」


 言われて隋空もハッとなって手を引っ込めた。半三は苦しそうに笑った。


「殿の慌てよう…平助に何と言われたので御座いますか?」


 隋空は黙り込んでた。正直、頭の中はぐちゃぐちゃになって何も考えられない状態であった。


「この通り、某はまだ、生きておりまする。…ですが、いつお迎えが来ても…おかしくない故、ご挨拶だけでもと思い…平助を…迎えに行かせたのですが…。」


 隋空は平助を睨みつけた。その形相に平助は思わず信政の影に隠れた。


「はっはっは!それにしてもまだお元気でよかった。これでは、儂が先に三途を渡るかも知れぬのぁ!」


 信政は場を和ませるために豪快に笑った。隋空は深いため息をついて半三に身体を向けて座り直した。


「我も存外に慌ててしもうた。お前にはどうしても頼みたいことがあったでな。ちょうど良い。我の願いを聞いてはくれぬか。」


 半三は布団に入ったまま主君の顔をじっと見つめた。隋空もじっと半三を見返していた。


「今の某にできる事でありましょうや。」


「お前にしかやって欲しくない。」


 半三は息を飲んだ。隋空の表情は真剣そのものであった。自分を元気づける為…ではない。命を賭してやって欲しいことなのだと理解した。


「何なりと仰せ下さりませ。」


「…将来、我らは駿河までその領土を広げるであろう。…さすれば、昔にお主と暮らしていた屋敷にも戻ることができる。」


「先の話ですな。それまで生きておれと申しますか?」


 半三の弱い声での問いかけに隋空は首を振った。


「昔暮らしておったと言っても…持舟のほうなのじゃがな……あすこには我の母上が眠っておる。」


 半三は主が何を言いたいのかが直ぐにわかった。その瞬間自然の涙がこぼれた。


「誰も手入れはしておらぬであろうから、まず綺麗にせねばならぬが…母上の隣にお前の墓を建てたい。…そして我の代わりに母上を見守ってはくれぬか?」


 隋空の母は身分も低く、父である関口親永も死んで母の墓を気にする者など一人もいない。隋空は母のことをよく知り、母も彼を信頼していたことから半三に母のことを頼みたかったのだ。服部家の菩提は伊賀の千賀地にあるが、所謂、分骨をして持舟にも半三を埋葬したいと言って来たのであった。半三は涙ながらに返事する。


「そのお役目……是非とも某にお申し付け下さりませ。浄土にて千年に渡り……お守り申し上げまする。」


 隋空はうんうんと頷いた。安心した表情で笑みを浮かべ優しく半三の手を握った。




 永禄9年12月4日、服部半三保長、永眠す。


 隋空にとって最初の家臣であったことから、隋空自らが葬儀を取り仕切り、小さいながらも厳かに葬儀は行われ、隋空とその家臣一同によって静かに見送られた。



 永禄10年1月、三河国岡崎城。


 新たな年を迎え、岡崎城には三河中から徳川家に臣従する国人らが年始の挨拶に伺っていた。家康は挨拶に登城してきた国人らと謁見して会話を交わし前年の労をねぎらうという雑務に追われ忙しい日々を送っていた。取次は家康の側近である榊原康政、本多忠勝、鳥居元忠らによって取り仕切られ、朝から晩まで次々と家康と謁見を取り進めていた。


 ようやく今日の分の謁見が全て終わり最後の諸侯が謁見の間を出ていくと、家康はその場に寝転んだ。


「…疲れた。今日はもう湯漬けで良い。」


「畏まりました。直ぐに持ってこさせます。」


 康政が返事をすると小姓の一人がすっと走って出ていく。その様子を家康は黙って眺めていた。


「……隋空の顔をまだ見ておらぬが…あ奴はどうしておる?」


「隋空は参りませぬ。」


「は?」


 康政のそっけない返事に家康が怒りを含めた声を発した。


「昨年…服部殿が亡くなられ、喪に服する為に、出仕を差し控える…と、申し出ておりまする。お忘れですか?」


「覚えておる!喪に服すとあるが、家臣の一人のことであろう!左様な事で服しておっては、年中喪に服さねばならぬではないか!」


 家康は声を荒げた。が、表情を変えて黙り込んだ。家康は服部衆に対しては良い感情は抱いていない。戦には堂々と参加せず、常に身を隠して、或いは身分を違えて敵地をこそこそとし、放火や流言などを行う野蛮な素破者という見方であった。だが、服部保長については多少違う。幼少より隋空に仕える忠義の従者として見えており、隋空との絆もその年数分だけ深いことも知っていた。隋空にとって服部保長は特別な存在だったということは理解していた。


「……隋空に伝えておけ。お主が半三とやらを見るように儂も隋空の事を見ておる…とな。」


「…は、直ぐにでも使者を送りまする。」


 榊原康政は俯いて返事をした。彼の脳裏には家康には気付かぬ思いが秘められていた。



本多正信

 徳川家家臣。史実では三河一向一揆後に徳川家を出奔し本願寺派の者を頼って加賀や石山に赴いている。本願寺派の勢力が弱まった頃に徳川家に帰参している。


本多正重

 徳川家家臣。史実では三河一向一揆後に帰参して東三河衆に加わっている。天正3年に出奔して織田家に属し、朝鮮出兵直前に再び帰参している。


千穂

 本多正信の息子。後の本多正純。


長坂信政

 徳川家家臣。清康の代から徳川家に仕えており、戦働きで功名を上げ「血鑓九郎」という異名を与えられ、代々受け継がれている。


長坂信宅

 徳川家家臣。家康の直臣として数々の戦に参加。甲州征伐において穴山梅雪を調略して寝返らせる功を挙げる。


服部半三保長

 徳川家家臣。史実では家康時代の活躍の記録は少なく、没年も不明。伊賀の地賀地氏の出身であるが、一族を連れて京へ赴き足利義晴に仕える。幕府の衰退に伴い新たな仕官先を求めて三河へと流れ松平清康に仕えるも、森山崩れの後に再び浪人。広忠に再仕官するものの雑用事ばかりを押し付けられ挙句には駿河で竹千代の様子伺いを任じられる。そこで関口夜紅と出会い、彼の従者となる。最初は任務を遂行するためだけの関係であったが次第に夜紅に対して忠誠心が芽生え始め、三河に夜紅が元服後もそのまま家臣として仕え各地を転戦する。主君が出家した後も情報収集担当として息子含め一族郎党で隋空に仕えその生涯を閉じる。


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