38.本證寺の戦(前編)
三河一向一揆での最後の砦となる戦いです。前編後編に分かれます。
妙源寺に陣を敷いた石川家成は上宮寺との戦においてかなり苦戦していた。理由は石川家の惣領たる甥の数正が精彩を欠いていたことによる。数正は父が一揆方に付き戦う羽目になったことに消沈しており、配下の兵らにも気落ちが伝播していて全体の士気も上がらず、更に岡崎からの命令は「防戦に徹すべし」となり黙っていても防戦しかできない状況であった。次々と各地の戦果が報告される中、家成は功を焦る気持ちを持ち始めていた。
「いっそのこと討って出て一揆勢を本證寺へ追いやってやろうか。」
そう考えつつも実行に移すこともできず、日々を悶々と過ごしていた。
永禄6年6月13日。
荷駄隊が妙源寺に到着する。これには榊原康政が同行しており、石川家成は数正を連れて康政を出迎えた。
「石川殿、あまり御気色がすぐれぬご様子で…。」
康政は二人の顔を見て素直な気持ちを伝える。家成は頭を掻いた。
「面目御座らぬ。士気が上がらず防戦するのがやっとの状況で御座る。殿は何と申されておる?」
「今暫く守りに徹せよとの事に御座る。某も石川殿の麾下に入り守りを務めまする。」
「忝い。」
家成は頭を下げた。本人にとっては不本意であり、主君への申し訳なさが込み上げてくる。だがこれ以上殿の不振を買うわけにはいかぬと気持ちを切り替えた。ここから石川衆の反撃が始まる。
6月14日には兵を整えて妙源寺から出陣し、高木広正率いる部隊に攻め入った。高木広正は直ぐに砦へと兵を引き応戦する。石川隊は無謀ともいえる砦攻めを敢行し、門をこじ開けて砦内に雪崩れ込んだ。広正は砦を捨てて逃亡し、本證寺を守る砦の一角を崩すことに成功した。佐々木の戦況は松平方に傾きつつあった。
永禄6年6月14日。
六栗を包囲する榊原忠政の陣に思いもよらぬ客が来訪した。幡豆の領主、小笠原広重が兵を率いてやって来たのだ。
「これはこれは小笠原殿!我らに加勢下さると聞きましたぞ。」
忠政は物腰を低くして言うと広重は上機嫌で応えた。
「榊原殿、この儂が郎党に言うて兵を集めさせ連れて来た!二百ばかりおる!如何様にも使われよ。」
忠政は頬を引くつかせた。配下の兵ではなく一族郎党の兵を率いての参陣…しかもその言いっぷりは自分は帰ると言わんばかり。図々しいというかあきれ返るというか…。そして後ろに控える男を見て忠政は驚いていた。
江原忠盛。広重の娘婿で当初は一揆方として土井で本多隊と戦をしていた男であった。忠政は隋空に耳打ちする。
「…この者らを信用して良いので御座るか?」
「問題ござらぬ。彼奴らは松平方に付くほうが良いと見定めて兵を揃えて来たのだ。我らが一揆方に隙を見せねば寝返ることはない。…まあ、当てにはできぬがな。」
隋空は笑った。そして忠政の微妙な表情を見て苦笑に変わる。隋空は小笠原隊に酒を振舞うように指示して忠政をつれて隋空用に敷いた陣幕に連れ出した。そこには本多兄弟が控えていた。忠政は二人が投降して隋空が預かっていることは聞いていたが、会ってみると縄で縛られているどころか帯刀もしており、ぎょっとした。
「大丈夫に御座る。二人は何もせぬ。我が保証する。」
隋空が忠政の仕草を見て言うと、本多兄弟が忠政に向かって頭を下げた。
「弥八郎、三弥左衛門、小笠原殿の加勢…どう見る?」
「…松平方が優勢となったのを見て、手柄を欲しくなったので御座りましょう。」
表情を変えずに兄の正信が答える。
「そうだな。広重は娘婿の江原殿を置いて帰るようだ。どのように扱えば良い?」
「囲いの一角として任せて良いかと。論功は江原殿に出されるが良い。受けた功をどうするかは江原殿の自由で御座る。」
「江原殿に松平方に付くか小笠原方に付くか測りに掛けるのじゃな?…榊原殿、今の意見、如何で御座ろう?」
話を振られた忠政は呆然としていた。投降してきた者に我が陣営の情報を知らせ策を練らせている……通常ではあり得ない処遇に開いた口が塞がらなかった。だが冷静になって考えてみると今の話は悪くない。隋空は人の扱い方が上手いのやも知れぬと考え始めていた。
松平方の兵が増える一方で六栗では兵が減り始めていた。足軽共が夜な夜な城を抜け出して松平方に投降していた。原因は兵糧不足による士気の低下にあった。加えて百姓らは田植えの時期にまで戦に駆り出されたことを不満に感じており、一揆方を抜けて畑に帰ったりしていた。一揆勢を指揮する夏目吉信はこれ以上の籠城に意味はないと考えており密かに縁者である深溝の松平伊忠に使者を送った。
夏目吉信からの文を受け取った伊忠はすぐさま総大将である榊原忠政に報告する。忠政は文を持って隋空の陣幕を訪れた。
文の内容を呼んだ隋空は顎に手を当てた。内容について深く吟味している様子であった。
「深溝殿…貴殿はこの文を読んでどう思われたか?」
隋空の質問はまず伊忠に向けられた。伊忠はなぜ自分に質問されたか理由は判らなかったが素直に答えた。
「文の通り降伏を受け入れるべきと考えるが…?」
「文の通りとは、此処に書いてある通り、同胞の罪を問わずに。となるが?」
伊忠は頷く。伊忠の気持ちとしては同胞との殺し合いにはうんざりしていた。戦が終わるなら武勲も手柄も要らぬ…そう考えていた。恐らく大抵の三河武士がそう考えているのだろうと隋空は考え、本多兄弟に意見を求めた。
「戦に勝ったら主君は褒美を家臣に与えねばなりませぬ。しかしながら此度の戦で得た領地は矢面と大草くらい…。褒美を与えるにはちと少ないかと。」
本多正重は自分たちの事をわきまえずに堂々と具申した。これに伊忠が噛みついた。
「ならばお主らが自らの領地を殿に差し出せばよいだろうが!」
「……既に差し出しておりまする。故に行く当てもなくこうして隋空殿を頼っておりまする。」
抑揚もなく淡々と答える正信。是には伊忠も咄嗟に言い返せなかった。本多兄弟は父、俊正から譲り受けた所領を返上することを申し出ており、それは松平方に付いた俊正により家康にまで届いていた。この兄弟は弁えることをしないが、棚に上げることもしない。やることをやって此処に居るのだ。
「隋空殿、弟の申す通り、全てを許すは都合が悪いと考えまする。褒美として与える領地を手に入れることを考えて追い出す輩と許す輩を御作りなされ。」
そして隋空は表情を変えずに驚いていた。本多正信はこの頃から軍略だけでなく、謀略にも長けている。前世の知識から知ってはいたが改めてそれを目の当たりにして…この二人が欲しくなった。
「榊原殿、殿も家臣同士で血を見る争いを求めておりませぬ。此処は来る者は拒まず、去る者は追わず…で如何であろう?」
忠政は隋空の案を是とした。夏目吉信とは許しを請う者の命は取らぬという条件で停戦となった。岡崎へ使者が走り、六栗城へは停戦後の処遇を決めるべく隋空が乗り込んだ。処遇、とは家康に再び仕える者がどれだけいるかを確認することである。
城内は騒然としていた。これは城に籠った者らの間で停戦派と抗戦派で対立していた為であった。隋空は抗戦派の者らを集め、三日分の食料を与えて追い出した。二百ほどが悪態をつきつつ六栗を去って行った。それから改めて城主である夏目吉信と対面する。
「ご足労、痛み入る。これで某も役目を果たした。全ては隋空殿にお預け致す。」
「では、前にも増して殿への忠節を励み、松平家を盛り上げて下され。殿はそれでお許しになられる。」
こうして六栗の一揆衆は停戦から降伏となり、戦が終わった。中には敵味方に分かれて戦っていた者もおり、抱き合って喜ぶ姿を見せる者もいた。
残る本願寺派の拠点は上宮寺と本證寺の二つ。しかし決着をつけるにはまだ早く、もう少し敵方を拠点に集めてから叩くほうがいい。そう判断した隋空は榊原忠政に岡崎に戻ることを提案し、忠政は本多忠勝に二百を預けて桜井に向かわせると岡崎へ戻った。
永禄6年6月17日。
岡崎城で軍議が開かれる。議題は残りの一揆勢をどう叩くかとなっていた。軍議の中心は隋空の発言であった。
「物語は最終の局面を迎えております。しかし、敵を叩けば終わり…とはいかぬのが此度の戦。本願寺には三河から出て行って貰う。それが我らの目指す“勝ち”で御座る。」
家康は大きく頷いた。だが居並ぶ諸将は微妙な表情だった。寺社衆と対立し戦となってもどこかで落としどころをつけて和睦する。古来よりそれが繰り返されており当たり前のやり方であった。隋空はこれを踏襲せず、三河から追い出すと言う。それが果たして三河にとって良いのか判断しかねているのであった。
「本願寺の坊主共はしこたま銭と米を抱えております。その実態を民百姓に見せれば本願寺の悪行が広まるでしょう。そうなれば奴らは三河には居れませぬ。奴らの拠点に本願寺を支持する者どもを集め、我らが一気に叩き、貯め込んだ物を奪う必要が御座います。」
「うまくいくのか?」
集まったもの中では年長になる大久保忠員が聞き返す。まだ傷が癒えておらず左腕を首からぶら下げている。
「うまくいかせるには…我らに内通する者を作る必要がある。」
隋空は即答した。
「誰かおるのか?」
「それを考えて貰いたい。我は三河の出身では御座らぬ。当てがない。」
隋空は一揆方に付いた者らとは直接的な面識はない。此処に居る諸将のほうが内通相手を作る当ては大いにあるのだ。そして話し合いは長時間に渡る。一揆方に付いた者を一人ひとり吟味し寝返らせる算段をつけて行った。
柴田孫七郎重政。
重臣らと協議して選びだされた一揆方の将で、門徒衆の家系である。既に父と兄が此度の戦で討死しており、家督相続を認める代わりに内情を知らせるよう命じれば従うだろうと目している。既に調略の使者も選出され、同じ額田郡出身の板倉定重となった。
調略は思ったよりも簡単に進む。家督は一族内で揉めていたようで、家康の認可があれば一族を納得させらるると踏んだ重政は板倉定重の勧めに従い、内情を松平方に流すことを了承した。これにより本證寺内部が明らかとなった。
本證寺は内堀と外堀の二段構えの備えとなっており、本堂のある内堀側には六百の僧兵、門徒衆が、外堀側には百姓七百、本願寺に味方した国衆三百が詰めていた。兵糧は今のところ本堂から山門を出たところで外堀側に居る者らにも配られているが、その量は少なく不満を漏らしている者もいることが分かった。重政の話では裏門の北側に内堀側からも外堀側からも土塁に囲まれて見えない場所があり、そこは門徒衆すら立ち入りを禁じられていることから、何かあるのではとのことだった。その話を聞いた隋空は早速服部正成に調べさせた。
永禄6年6月22日。
隋空は自分の屋敷で本多正信を相手に碁を打っていた。その腕前は家康よりも強く、隋空は終始防戦となっていた。半蔵帰還の知らせを受けて、碁を打ちながら「通せ」と返す。暫くして半蔵が現れるが、膝を付いて頭を下げたまま報告を躊躇っていた。
「…どうした?悪い知らせか?」
「い、いえ…お人払いを…。」
「ん?……そうか、よい、本多兄弟にも聞かせる。このまま話せ。」
隋空は本多正信、正重を居させたまま半蔵に報告をさせた。
「北の土塁は複雑に組んでおり見張りも多く、隠し蔵を作っておりました。」
「ほう…あの場所に蔵を構えておったか。」
半蔵の報告に正信が呟く。
「お主は見たことがあるのか?」
「は…一度だけ。嫌に歪に木々が生えておりました故気になっており申した。」
「なるほど…其処を抑える手立てはあるか?」
「西側の外堀を崩せば、水が側溝を伝って中を浸すことができますが?」
「いや、それでは足元が泥だらけで動きが悪くなり、蔵の中の物も駄目になってしまう。」
またしても正信が口を挟んだ。半蔵はむっとした表情を見せた。隋空は苦笑して正信に尋ねた。
「弥八郎、何か良い案はあるか?」
正信は黙って盤の上の碁石を全て落として黒石を並べ始めた。その形は半蔵には直ぐに本證寺の構造を黒石で作っているのだと気づいた。
「半蔵殿が仰る備えの厳重な土塁は此処に御座います。西側の外堀とはおそらく此処…。」
正信はちらりと半蔵を見る。半蔵は無言で頷くと話を続ける。
「反対側に裏門があり、山門はこの位置にあります。外堀の出入りは此処と此処…」
正信は白石を置いていく。隋空は興味津々に聞き入った。
永禄6年6月23日。
松平家康は自らを大将として岡崎城を出陣する。榊原康政、本多忠勝、鳥居元忠ら小姓衆で構成した本体二百に加え、本多広孝隊、大久保忠員隊、青山忠門隊、内藤正成隊、高木清秀隊、松平信一隊などの主だった将を従え、二千の軍勢を整えて本證寺へと進軍した。
目的は勿論、寺に籠る門徒共を蹴散らして本證寺を打ち壊す事。そして寺の奥に隠された本願寺の財を暴く事である。
高木広正
松平家家臣。松平広忠の代からの家臣で桶狭間の戦いにも家康に付いて戦っている。三河一向一揆では一揆方として戦うも、一揆終結後は家康に仕える。
江原忠盛
松平家家臣。小笠原広重の娘を娶るが三河一向一揆では荒川義広に呼応して一揆方に付く。しかし土井での戦いに敗れ小笠原広重を頼って落ち延びると松平方として兵を率いることになる。
柴田孫七郎重政
松平家家臣。桶狭間の戦い以降に家康に仕えるが、三河一向一揆では他の門徒衆と共に一揆方に付く。だが途中で松平方に寝返り、その功で家康から“康”の字を与えられ康忠と名乗り、旗本衆の一人となる。
板倉定重
松平家家臣。初め深溝松平家に仕えていたが、父の討死を機に元康の直臣となる。




