33.岡崎城の戦い
永禄6年5月4日。
男は本證寺の伽藍にて本尊の阿弥陀如来に手を合わせ瞑想する。暫く目を閉じて念仏を唱えた後、ゆっくりと目を開き大きく息を吸い込み吐き出した。
「……小笠原家の挙兵は取り付けた。だが空誓殿では安芸守殿の求めるものは出せず此方の味方として動くことはなかろう。…彼方の兵力は陽動程度にしか使えぬのは残念だ。だがこれで殿の兵力が一時的にも南へ向かってくれれば……我らに勝機はある。」
自分に言い聞かせるような声でひとり呟く男の後ろに袈裟を纏った僧侶が近づき、低い声で話しかけた。
「小嶋の信徒に貴重な鉄砲まで貸し出して挙兵を促しに参ると聞きました。…また砦を壊され居場所を失った信徒を受け入れねばならぬことになりませぬよね?」
僧侶の言葉は丁寧だが、男に対しては冷たい響きであった。
「大丈夫に御座います。小嶋の伊奈殿が兵を率いて松平軍を引きつけて頂ければ…岡崎城に攻め入る隙を作ることができまする。さすれば…勝鬘寺に籠る軍勢を岡崎城に攻め入らせ、勝つことができるでしょう。」
「…戦の事は拙僧にはわかりませぬ。ですがこれ以上寺の備蓄を減らすような真似はせんで下され。」
僧侶は男の行動を歓迎していない様子であった。言葉にも温かみはなく、厄介者を見る目をしていた。言いたいことを言って去っていく僧侶の背中を見つつ男はため息をついた。
「…鷲塚の信徒を動かした時もそうであった。空誓殿には浄土への道よりも銭と荘園と米が大事と見える。…某は何の為に此処に寄ったのであろうか。」
男は伽藍の天井を見上げた。描かれた幾何学模様を見つつ嘆息する。
「…もう、後には戻れぬのだ。」
男の名は、本多弥八郎正信と言う。
永禄6年5月7日の深夜。
暗闇の中を松平信一は兵を進めていた。先頭を行く本多忠真の隊はあざい山の東を進んでおり、夜明け頃には岡崎城に到着できる手筈になっていた。まだ北の空には赤く揺らめくものは見えず、鬨の声や法螺の音も聞こえない。静けさの中に鎧の擦れる音だけが響いていた。
状況は一変する。信一の隊があざい山に差し掛かった時に突如悲鳴が聞こえた。続いて矢の跳ぶ音が聞こえ静寂を破る。信一は敵襲を受けたことを瞬時に判断し辺りを見回すが暗くて何も見えない。だが弓矢の第二波が信一の兵に襲い掛かった。
「敵襲!皆板盾を左手側に構えよ!」
咄嗟に叫び声をあげるが、敵影は全く見えない。混乱が混乱を呼び信一隊は隊列を大いに乱した。次々と断末魔のような悲鳴が聞こえ、馬がいななき、倒れ伏す音が続く。恐怖が兵たちの周囲を取り囲み、足軽たちは右手側の畑へと逃げだした。信一も此処に居ては危険と手綱を引いて畑へと飛び込んだ。その瞬間に馬の脚が地面にめり込んで失速し信一は馬の背から放り出された。地面にたたきつけられる信一。身体が半分近く地面にめり込んだ。咄嗟に顔を上げ地面に付いた手を見る。
「…泥?」
畑一面は泥に覆われていた。今は田植え前、畑に水を引くには早すぎる。昼間此処を南下するときには水はなかったはず……。信一は罠であることを悟った。
「畑は危険だ!泥水に覆われているぞ!」
咄嗟に叫ぶが、弓矢を撃ち込まれ逃げ惑う足軽たちの悲鳴にかき消されその声は兵たちには届かなかった。
同じ頃、最後尾を進む高力清長隊の背後で突如轟音が鳴り響いた。音の正体は鉄砲であった。清長は直ぐに馬を反転させた。暗闇を凝らして見るが何も見えない。それでも敵が背後にいると判断し、部隊を展開させた。だが同時に先行する部隊のほうからも悲鳴が聞こえ始めた。清長は直ぐに挟まれたことを悟った。
「我らは後背の敵に備える!前方の悲鳴に耳を貸すな!」
鉄砲の音のする方向にだけ集中する決断をし、足軽たちに指示を出す。だが高力隊は足を止めたことで孤立する結果となった。前を行く榊原忠政隊は前方への救援に向かい高力隊と榊原隊との間に大きな空間が出来上がった。
そこにどっと割って入る集団。「南無阿弥陀仏」の旗を掲げた門徒たちの兵だった。暗闇の中見えることのない旗…だがそこに書かれた文字を胸に刻み一向門徒の兵たちは槍を持って突入し榊原隊を攻撃した。
本多忠真は立ち尽くしていた。一瞬の出来事に何がどうなっているのか考えることができず呆然と後背からの悲鳴と轟音を見つめていた。指揮官の指示のない部隊は烏合の衆である。兵たちも恐怖心を募らせ手にした槍を握り締め騒ぎ出した。
「本多殿!何をしておられる!」
ふいに声を掛けられ忠真は我に返った。服部保長が慌てた様子で忠真を見る。
「後ろの隊が襲われておる!じっとしていれば敵の攻撃を受けまするぞ!」
「服部殿!済まぬ!動転しておった!」
そう言って馬を反転させ走りだそうとした。保長は慌てて忠真の腕を掴んだ。
「何をする!」
忠真は保長の腕を振り払おうとしたが保長はもの凄い形相で忠真を睨みつけた。
「其れは某の台詞で御座る!貴殿の取るべきは一刻も早く岡崎に兵を戻すことだ!隋空殿が言っていたであろう!岡崎城が襲われる可能性を!」
保長の言葉は忠真の頭を強く打ち付けた。岡崎へ向かえば後背の見方を見捨てることになる。救援に向かえば岡崎が危険にさらされる。
「御味方と殿の御命どちらが大事か誰でもわかろう!早う此処から北へ逃げるのです!」
忠真は保長に叱咤され馬を北に向けた。
「皆走れ!岡崎へ向かうぞ!」
掛け声とともに本多隊は北へ逃げ出した。保長はそれを見送った後、隋空に知らせるために南へ走り出した。
岡崎へ戻る松平信一率いる九百は小嶋城主伊奈忠基率いる一揆勢に襲われた。本證寺から借りた鉄砲五丁を背後から忍ばせて打ち、空いた隙間に槍衾隊を突撃させ、弓矢を射かけて仕掛けておいた泥田に追い込み敵兵を大混乱に陥らせた。だが松平側も直ぐに立て直し生き延びた兵を集めて陣形を整え始めた。
「…うまくいったな、本多殿。」
兵を指揮する伊奈忠基は隣に立つ本多正信に話しかけた。
「本多忠真殿の隊が北へと向かいました。完璧だったとは言えませぬが。」
正信のものの言い方に忠基はむっとした。
「これだけやれば岡崎城への攻撃も楽になるであろう?十分ではないか?儂とて同じ三河の者だ。殺したくて戦をしているのではない。後は桜井の松平殿に備えて城を守る!」
忠基は不機嫌そうに正信に言い放つ。正信は心の中でため息をついた。殿に背いて空誓殿にお味方するということは、同族とも戦をすると云うことなのだ。「殺しとうない」とは覚悟が足りなさすぎる。
思いつつも正信は表面上は忠基に一礼して陣を抜けた。勝鬘寺に向かう為だった。既に東条からの合図で岡崎城に向かっているはず。正信は馬に跨り戦場から走り去った。
永禄6年5月8日。
隋空は馬を飛ばして酒井正親の居る西尾城に到着した。酒井正親は荒川城攻略を担当していたが、友軍の水野忠重が鷲塚平定の為に軍を離脱したため城攻めを中断して西尾城に戻っていた。先に到着した服部保長から事情を聴いていた正親は、直ぐに彼らを迎え入れ主だった者を集め軍議を開き、どうするのか隋空に尋ねた。
「…半三の知らせでは勘四郎殿の軍を襲った相手も規模も判らぬ。だが初手で大混乱に陥れているあたり、今から行っても…間に合わぬ。此処は一刻も早く岡崎城に向かうのが最もだと拙僧は考えておる。」
正親は唇を噛み締めていた。悔しさを滲みだしている。その気持ちは隋空とて同じであった。だが感傷に浸っている場合ではなかった。
「松井殿、西尾の城は貴公にお任せ致す。兵はいくら必要だ?」
正親は部屋にいる髭を蓄えた男に声を掛けた。この男は松井忠次といい、東条城の城代として、東条松平亀千代の名代として松平家に仕えている。吉良義昭に城を奪われ放り出されたところを正親によって助けられていた。忠次はすっと頭を下げて力強く答える。
「百で結構に御座る。危ない時はさっさと逃げまする。…故に亀千代様を同行頂きたい。」
隋空は忠次という男に感心した。この状況では西尾城を死守することに戦略的意味はない。よって逃げる前提での必要兵力の算出、主の無事を考慮した提案を即断する能力は大したものであった。
戦支度は直ぐに整えられた。正親麾下の精鋭二百が集められ武装する。行軍路は矢作川を渡って福釜へ向かい、そこから安城を横切って再び矢作川を渡河して岡崎城にむかう、と言う者だった。川を二回も渡り見晴らしの良い田園を突っ切るという極めて危険なルートであった。だが最短ルートには既に一揆勢が陣を敷いて待っている可能性がある。一揆勢が居ない地域を選ぶしかなかった。
酒井正親隊は巳の刻には西尾城を出立した。渡河に必要な船に付いては半三が先行して手筈を整えていた。正親は隋空と総三郎を従え最小の物資だけを背子で担ぎ、弓と板盾という装備で整えた精兵で北進した。
永禄6年5月8日。
勝鬘寺を出陣した本願寺衆千二百は夜の間に出撃すると騎馬のみ百騎で大久保忠員が守る陣所を襲撃した。攻め手の中には、渡辺守綱や蜂屋貞次、内藤清長といった松平家に仕えていた者が多く混じっていた。彼らは騎馬を駆って敵陣内に駆け込み、蹴散らしかき回し混乱させた後に弓隊、槍衾隊で追いかけ蹴散らした。
忠員は槍の穂先で兜の上から頭を叩かれ気絶し、家臣に担がれて戦場を離脱する。大久保隊は多くの兵を弓や槍で負傷し応戦すらできずに逃げ出した。一揆勢は逃げる大久保隊を追いかけはせずにそのまま北上して乙川を渡り、岡崎城の北側に回り込んだ。
岡崎城は東西と南を水堀に囲われた城で、攻め手は北側にある追手門から中に入るしかなかった。その北側への回り込みに成功した一揆勢は陣形を整え、両翼を広げた鶴翼の陣で岡崎城に迫った。
岡崎城でも逃げてきた大久保隊の知らせを受けて櫓に弓兵を配置して迎撃態勢を整えた。やがて一揆勢が押し寄せると弓頭の合図で一斉に矢を放つ。矢は「南無阿弥陀仏」の旗がはためく人の群れの中に吸い込まれていき至る所で悲鳴をあげるが、敵の勢いは止まらず追手門に到達した。
「張り付かれた!石つぶてを!」
守りを指揮する武将の合図で石が落とされる。門に群がる一揆勢から鈍い音が聞こえバタバタと人が倒れた。
一揆勢が攻め込んできたと知らせを受けた家康は刀を手に取り寝室から躍り出た。慌てて鳥居元忠が主君の腰にしがみついて動きを止めた。
「放せ彦右衛門!敵が攻めてきたのだぞ!」
「殿!お気持ちはわかりますが、具足も付けずにどうされるおつもりか!」
寝間着のまま外へ出ようとする家康は鼻息も荒く顔を紅潮させており、興奮していた。鳥居元忠は「戦時の殿は直ぐ興奮し我を忘れられる」という隋空の言葉を思い出した。元忠は暴れる家康を抱え上げ寝室へと引き戻した。
「お、お降ろせ彦右衛門!」
「今下男共が殿の具足を持って参ります。お召しになられてからです。」
元忠はがっしりと家康を肩に担いで放さなかった。寝室からは家康の遠吠えのような喚きが暫く続いた。
一揆側の攻撃の第一波が止み、夜が明けた。追手門の前には一揆側の死体が転がり門をこじ開ける為の大槌が置かれていた。破壊はどうやら失敗に終わったようで、守備側の指揮を取っていた青山忠門はほっと胸を撫でおろした。
櫓の兵に警戒を怠るなと命じて主の居る館へと向かう。広間では甲冑姿の松平家康と、榊原康政、鳥居元忠、鳥居忠吉に大給松平親乗が座っていた。
「藤八郎!如何であったか?」
家康が忠門に城外の様子を聞く。忠門は床に腰を下ろしてから一礼して答えた。
「敵は大槌で追手門を壊そうとしておりましたが、撃退いたしました。…ですが敵の兵力が不明のため、打って出ることはせず、門を閉じたまま警戒に当たらせておりまする!」
この時点で松平側は城を囲んだ敵の兵力を把握していなかった。夜中に襲われた上に、大久保隊や松平信一隊など外からの帰還がなく、情報が不足していた。加えて家康は失態を犯していた。前日に煩く言い纏う松平重吉に二百の兵を預けて妙源寺の救援に行かせていた。その時は「いい厄介払いだ」と思っていたのだが、今となっては自ら兵力を分散する愚策を取ったことに後悔もしていた。
「まだ誰も戻って来ぬのか?」
不安そうに尋ねる家康。忠門は言葉が見つからず黙り込んだ。見かねた榊原康政が小姓の立場ながら発言する。
「いずれにしても我らは城から撃って出ることはせず、大久保殿や藤井の勘十郎殿、酒井殿の援軍を待つべきと存じまする。」
鳥居忠吉がじろりと康政を睨みつけたが反論の余地はないため黙っていた。家康は落ち着きなく扇子をいじっていた。実際に朝になっても上野の酒井忠次、妙源寺の石川家成は岡崎城が襲われたことを知らず、戸崎の大久保隊は四散、松平信一は小嶋の伊奈忠基に襲われ壊滅していた。
一方、一揆方でも内部で諍いが起きていた。夜が明けて小嶋から本多正信が合流したものの、弟の本多正重と蜂屋貞次、戸田忠次と揉めていた。正重は兄の立てた作戦に従い岡崎城を攻めたが、予想以上の死者を出したことに同じ一揆勢を率いる蜂屋貞次と戸田忠次に撤退するよう迫られていた。
「儂等は仏様の為に戦っているのに、何故死なねばならぬ!?」
戸田忠次の周りには鎌を持った百姓が集まっており、忠次は百姓らの不満を代弁していた。戦を起こすのに人が死ぬることは当たり前…それを何を今更と正重は思う。やって来た正信も同意見であった。
「戦であれば人は死ぬ。死なずに戦ができるのであらば皆やっておるわ!」
正重は声を荒げる。これに蜂屋貞次も食いついた。
「幾ら何でも無謀な突撃だ!これでは三河はつぶれてしまう!」
正重は貞次を睨みつけた。
「これが勇猛を謳われる蜂屋半之丞殿か!敵を前に怖気づいたか!」
蜂屋貞次は正重に掴みかかった。
「殿は敵に非ず!我らは百姓の為にその武を掲げたまで!殿に向ける刃など持たぬ!」
「主らが攻めぬ故百姓が多く殺され、しかも追手門すら打ち壊せなんだであろう!」
正重の言葉に本多正信は目を見張った。作戦では最初の突撃で追手門を打ち壊すはずだった。その後和議を持ち掛け自分たちの有利な条件で講和を結ぶ予定であった。門が壊せていないとなると、我らが勝ち戦を行ったとは言えぬ。正信は二人の間に割って入った。
「二人とも止めよ!ここで争っていても仕方なし!それよりも殿と和議を結ぶにはこのままではいかぬ。それは半之丞殿も理解されておろう!」
正信の正論は貞次を黙らせた。だが忠次は更に声を張り上げた。
「儂はお主の立てた作戦が気に入らぬ!こんなにも策を弄して、百姓を死なせて門一つ壊すのが目的じゃと!?…百姓らの命をなんだと思っておる!」
さんざん喚き散らし戸田忠次は従僕が引き連れた馬に乗りあがった。「いくぞ!」の掛け声と共に百名ほどの百姓衆を引き連れ一揆勢の陣を出て行ってしまった。軍令違反である。だが正信、正重にはそれを取り締まる権限はない。唇を噛み締めながら見送るしかなかった。
松平家と浄土真宗本願寺派の戦いは此度の戦で泥沼化していった。松平家は正信の計略に嵌り多くの兵が失われ、一揆方は内部分裂を起こしかけていた。どちらも心身共に疲弊しており、此処で今川や武田に攻められればひとたまりもない状況にあった。
だが、武田は上杉家との抗争に注力しており、今川は遠江の国人衆の相反に苦慮していた。
本多弥八郎正信
松平家家臣。三河一向一揆では酒井忠尚を焚き付けて挙兵させ、岡崎城から吉良義昭を逃がし、小笠原広重を調略した。広重の調略は失敗したが小嶋の伊奈忠基を動かして松平家康を翻弄する。
本多三弥左衛門正重
松平家家臣。正信の弟で勝鬘寺の一揆勢を指揮した。
松井忠次
松平家家臣。元々吉良家の家臣であったが、吉良氏が今川家に服属してから松平忠茂の与力となる。忠茂の戦死後に嫡男亀千代の後見人となり、東条城城代として家康に従った。
伊奈忠基
松平家家臣。播豆郡小嶋城主で広忠の代から仕える三河の国人。伊奈家は一族郎党を率いて一揆方に加わる。孫には伊奈忠次がいる。
戸田三郎右衛門忠次
松平家家臣。三河一向一揆では土呂、針崎の一向衆徒衆に属して家康と戦う。




