表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/131

30.三河者の為に

今話で三河一向一揆の前半戦が終了です。

次話から後半戦になります。



 永禄6年2月20日。


 雪交じりの長雨がようやく上がり、岡崎城は出陣支度を始める。秋の出兵年明けの出兵とで米の備蓄は底を見せており、家康は止む無く寺社衆への兵糧供出を命じた。この時こそ先の約定を有効活用すべきだという家臣の意見を受けての命令だった。

 だがこれに本願寺派の寺社衆が反発した。上宮寺では兵糧を徴収する松平兵と僧兵との間に争いが起きこれを発端として上宮寺に門徒が集まり挙兵に至った。


 三河一向一揆の第二ラウンドが開始されたのである。


 上宮寺の挙兵は西三河周辺に連鎖反応を起こした。土井、針崎、土呂で本願寺派の信徒が蜂起し、八面の荒川義広、桜井の松平家次、大草の松平昌久らがこれに加担した。家康は兵を岡崎に集めるどころではなくなった。隋空もこれほどの広がりは予想外で状況を把握するのに苦慮をした。駿河から帰国した服部半三が麾下の服部衆を総動員して情報を収集し、二日でその全容を隋空に報告した。

 最も規模が大きいものは針崎の勝鬘寺(しょうまんじ)で、既に大久保忠俊ら大久保衆が鎮圧に向かったものの、忠俊の娘婿である蜂屋貞次が一揆方に付いており攻めあぐねている。

 次いで本宗寺の一揆衆で此処には渡辺高綱、守綱親子が本願寺派門徒の味方に付いていた。

 隋空は半三の報告をもとに絵地図に書き記して眺める。「これは…」と横で見ていた半三も思わずうなった。見事なまでに西三河全域に渡って一揆が広がっていた。短期間での連鎖反応に隋空も怪しさを感じる。誰かが意図的に連携を図らなければここまでにはならない。


「半三、今川の藤林衆が動いている形跡は?」


 隋空の質問に半三は首を振った。


「残念ながら…瀬名源五郎様と密接に繋がっているところまでしか…。」


 半三は申し訳なさそうに低く項垂れる。


「そうか…まだ三河に居る可能性は?」


「一揆を起こす事が目的なれば、既に退去しているでしょう。探すならまだ蜂起されていない地域です。」


 半三の答えに隋空はもう一度絵地図を見る。一揆が蜂起した印がないのは…知立、小垣江といった水野領と接している地域、一色、寺津といった湾岸部、後は六栗、深溝、竹谷といった東三河へ通じる幹線路…。隋空は知立と六栗、それから寺津を指した。


「ここへ服部衆を向かわせてくれ。藤林衆の痕跡さえ見つけてくれればよい。」


 半三は低い声で返事をして隋空の屋敷を出て行った。残った隋空は絵地図を眉間に皺を寄せて眺めていた。




 永禄6年2月23日。


 隋空は岡崎城に登城した。既に松平家は一揆勢に対しての活動に入っており、岡崎城も敵の来襲に備えた体勢を取っていた。築山御前は総持尼寺に籠り長坂彦五郎に守られている。大久保衆、本多衆は一揆鎮圧の兵を率いて各所に向かっていた。城内は慌ただしく、甲冑をがしゃがしゃと響かせて走る者どもと何度もすれ違い、隋空は家康のいる広間に到着した。


「隋空!皆に言うてくれ!儂だけ此処にじっとしてるは性に合わぬ!」


 隋空を見るなり助けを求める家康。聞けば出陣しようとして小姓らに止められていたらしい。隋空は笑みを浮かべて家康の前に座った。


「殿、此度の戦、敵は誰でしょうか?」


「…?決まっておろう、一向門徒じゃ!」


 家康の答えに隋空は首を振った。


「そう思われているのであれば、殿を出陣させるわけには参りませぬ。」


「何故じゃ!」


「蜂起したのは本願寺派を信仰する門徒です。ですが、此れを支援し殿の前に立ちはだかるは…殿の御家臣であり、殿の領民なのです。殿が戦場に出れば敵は信仰と忠義の狭間で苦しみ、後々にしこりを残しまする。此処は敢えて家臣たちに任せられませ。」


 隋空は信仰と忠義は別であると訴え、今は堪える時と説いた。家康はゆっくりと腰を床几に降ろした。主君が落ち着いたところで隋空は絵地図を広げた。


「此れなるは服部衆が西三河諸地域を回って得た情報を書き記した地図に御座います。」


 家康は地図を覗き込むように見た。列席の重臣らも地図に注目する。


「岡崎城を中心に囲うように信徒共が蜂起したように見えます。実情は本願寺派の信徒を多く抱える地域、寺院を拠点とした個別の蜂起です。」


 隋空の説明に石川家成が質問をぶつけた。


「何故個別と言えるので御座る?」


「蜂起して数日……これらの一揆勢は糾合する気配が御座らぬ。それどころか、目の前に立ちはだかる本多勢や大久保勢と構えるのみで動きが御座らぬ。」


 家成は唸った。隋空の言う通りだった。蜂起した信徒は何処かを攻撃することはなく、城や寺を拠点にして武器を構えるだけであった。


「では奴らの目的は何だ?」


 家康は皆が思っている問いを口にする。


「至極簡単です。“不入の権”の完全行使です。此度我らは約定に従い寺社衆に兵糧の供出を迫りました。奴ら側からみれば此れを“不入の権”の侵害と捉えたのでしょう。よって完全なる“不入の権”を結べば門徒共は武装を解きまする。」


 家康は床を踏み鳴らした。


「何故我らが坊主共にそこまで譲歩せねばならぬ!」


「…古来より寺社共は度々政に介入してきた歴史が御座います。時には帝を脅し、時には武力を用い。そうやって己の利と権威を高め、保有する荘園を増やして来ました。彼らの多くは信仰ではなく欲を求めて信徒を増やしているのです。」


 隋空の言葉は辛辣だった。そして寺社衆の卑しき実態を正確に説明していた。


「…国を治るには厄介な存在じゃな。左様な輩は三河には要らぬ。」


「勿論、全ての寺院がそうでは在りませぬ。しかしながら殿の仰る通り三河に巣食う本願寺派の者どもは無用に御座います。」


「此れを機に一向坊主共を追い出せばよいのだ!」


 家康はこぶしを握り締めて思い切り床を叩く。家臣たちも同調して大きく頷いた。


「殿、最初に申し上げました通り、坊主共を追い出すのに立ちはだかるは…殿の忠実なる家臣です。此処に居並ぶ皆々方とも縁戚を持つ三河の者たちです。互いに刃を交えるのも憚るでしょう。」


「だから儂が直々に戦い奴らを斬る!それが儂の想う情けじゃ!」


「それでは、此度の一揆を平らげし折には殿の兵は半分に減ってしまいまする。」


「どうすればよいのじゃ!」


「門徒共が籠る拠点を悉く破壊せしむるべし!」


 隋空の言葉に一同が静まり返る。


「城に籠る敵兵を打ち倒すのではく、城そのものを打ち壊すのです。火を放っても良し、大槌で壊すも良し…とにかく奴らの籠る場所を無くすのです。」


「そんなことをすれば奴らは自然と糾合するのではないか?」


 家成が慌てたように言う。隋空は頷いた。


「はい。そこからが正念場で御座る。籠る場所を失った門徒共は野戦を強いられるでしょう。そしてそれは殿の家臣同士の戦となります。此れをワザと長引かせ敵方の御家臣を心身共にすり減らさせたところで…」


 隋空は一旦言葉を切って家康のほうに向き直って平伏した。


「…和議を持ち掛けまする。」


 家康はもとより、他の重臣達も隋空の考えた案に直ぐには同意はできなかった。同志討ちの覚悟が必要なのである。だが隋空はこの戦での目的を明らかにせしめ、戦後の在り方まで示した作戦に「やるしかない」と思い始めていた。


「殿、御決断を。……この戦、大きな痛手を被りまする。互いに傷つけ合い、苦しみ合い、嘆くことになるでしょう。ですがそれを乗り越えた先には、殿をお支えする精強なる“三河者”が生まれることでしょう。」


 皆の頬が紅潮した。覚悟ができたということであろうか。隋空は義兄の顔を見た。三河の主になろうとしている若き義兄は拳を握り締め奮起に鼻息を荒くしていた。


「隋空の策…皆の同意を得たと感ずる。此れより我らは“三河者”と成りて欲深き門徒共をこの地より叩き出す!」


「おう!」


 荒々しい声で家臣らが返事する。隋空はほっと息を吐いた。ようやく一揆に対抗する準備が整ったと安堵した。


「よし!そうと決まれば早速出陣じゃ!」


 家康は立ち上がって広間を出て行こうとした。


「いけませぬ。」


 隋空は家康の後ろから首根っこを掴んで強引に床几に座らせた。


「何故!?」


「殿は此処でどんと構えておられれば良いのです。」


「儂も戦に出る!」


「駄目です!」


「嫌じゃ!」


「餓鬼のように喚いても無駄です!」


 どうやら家康は未だに戦いたいらしい。




 永禄6年2月24日。


 駿河国瀬名郷の屋敷で瀬名氏詮は蝋燭の灯りに照らしながら書状を呼んでいた。庭のほうでがさりと音がして「主殿」と小声がした。氏詮が「入れ」と返事するとすっと襖が開いて白髪交じりの男が中に入って来た。


「三河の件、酒井忠尚と吉良義昭を焚き付け、本願寺派を動かすまではうまくいきました。」


 小声ながら耳に通る声で男は報告する。


「…で?」


「その後は服部衆が嗅ぎつけました故、これ以上は危険と判断し引き返して御座いまする。」


「ご苦労であった長門守よ」


 氏詮は貫文の束を“長門守”と呼んだ男に渡す。恭しく受け取った男は銭を懐に仕舞うと「次は如何致しましょう」と聞いた。氏詮は読んでいた書状を丁寧に折り男に手渡した。


「此れを甲斐の武田大膳大夫殿に渡してくれ。」


 長門守は表情を変えずに書状を受け取り懐に仕舞った。暫く黙っていたが意を決したかのように男が言葉を吐き出した。


「我らはどうなりましょうや?」


 氏詮は男の顔を見据えた。質問の意図を探ろうとじっと見つめる。


「…今川は今代でその身を追われるであろう。」


 あまりの言葉に男ははっとして見上げた。


「驚かなくても良い。お主も考えておったことであろう?だが儂は氏真と共にするのは御免だ。故に頼れる者を用意しようと思う。」


 男は懐に手を当てた。


「それが、武田殿…ですか?」


「そうだ。今川家再興を果たすべく庇護を求められるように手を打っておく。」


「では、主殿が…。」


「うむ、この先、主家が滅びようとも泥水を啜ってでも生き延びてやる。そして儂が新たなる今川家を興して再びこの地に戻ってくる」


 力強く宣言する氏詮。それを聞いて男は頭を床に付くまで押し下げた。


「この藤林長門守、主殿の御為にすべてを尽くす所存に御座りまする。」


「頼りにしておるぞ。長門守よ。」


「はは!」


 夜の密談は静かに行われていく。この二人の会話を聞く者はいない。




 永禄6年2月24日。


 松平家は本格的に一揆鎮圧に動き出した。まず上野の酒井忠尚へは酒井忠次を行かせ、上宮寺へは本多忠真、針崎へは大久保兄弟、土呂へは高力清長を、大草へは榊原忠政と青山忠門、そして八面には酒井忠親を当たらせた。各隊への兵糧米は家康に恭順の意を示した寺社衆から供出させ三月は持つであろう量を岡崎に運び込んだ。

 家康は岡崎城に籠り石川衆と家康直轄の小姓衆四百で敵襲に備えた。隋空も家康と共に岡崎で行く末を見守ることとなった。

 判明している松平家からの離反者は、石川康正、内藤清長、渡辺高綱、守綱、本多正信、正重、松平家次、松平昌久、荒川義広、蜂屋貞次……



 これより、徳川家康の三大危機のひとつ「三河一向一揆」との戦いが始まる。





荒川義広

 松平家家臣。東条吉良持清の次男。長男の持広が吉良家を継いだ為、荒川家を興し三河八面の荒川城の城主となる。家康の吉良義昭攻めで軍功をあげ、家康の異母妹を娶るも、義昭の挙兵に呼応する。


松平家次

 松平家家臣。桜井松平家の当主。上宮寺の挙兵に呼応して家康に反旗を翻す。


松平昌久

 松平家家臣。大草松平家の当主で土呂の本宗寺の蜂起に与して挙兵する。


勝鬘寺

 浄土真宗本願寺派の寺。三河三ヶ寺と呼称された本願寺派の重要拠点の一つ。松平家を離反した蜂屋貞次を受け入れて蜂起する。


蜂屋半之丞貞次

 松平家家臣。譜代の家臣で桶狭間の戦いで家康に従軍する。大久保忠俊の娘を正室に迎えており三河一向一揆では義父と敵味方に分かれて戦っている。後に徳川十六神将のひとりに数えられる。


渡辺源五左衛門高綱

 松平家家臣。松平譜代の家柄で広忠に仕えて武功を挙げる。

 

渡辺半蔵守綱

 松平家家臣。高綱の子。槍の名手で“槍半蔵”の異名を持つ。後に徳川十六神将のひとりに数えられる。

藤林長門守正保

 今川家家臣。元々は伊賀の上忍家の1つで今川氏親に雇われ駿河に移り住む。氏真の代になるとほぼ家臣化していたが陪臣扱いであり直接の上司は瀬名氏詮となっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ