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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
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第六十一話:彼女とクリスマス前夜

何も言えない。何も言わない。

「クリスマスイブは私とデートしよう!」

それはある意味、当然の一言だったのかもしれない。

――12月23日。

クリスマスイブを翌日に控えたその日。

学校帰りに駅前のカフェで一息吐いていた俺の目の前に座る同級生であり、俺の恋人でもある笹倉桜ささくら さくらはやや赤面しながら言った。

少しだけ声が大きかったのか、店内の他の客の視線が一瞬こちらに向いたが、それもすぐになくなり再び彼女を見やるのは俺の両目だけになった。

笹倉桜。サッカー部のマネージャー。ポニーテールの似合う可愛らしい外見。

十人に八人は整っていると認めるだろう容姿に、少しだけ天然の入った性格。

どう考えても俺には不釣り合い過ぎるほどによくできたカノジョである。

「……えっと」

改めて目の前の少女を認識したのは、きっと当たり前すぎたことを当たり前ではないことに思考を切り替えるためなのだろう。

失ってから気付くのでは遅い。風邪をひいてから手洗いをしても意味はない。

「俺はてっきり、明日の予定を話すためにカフェに寄ったのかと思ってたんだけど、違うの?」

「……え?」

クリスマスイブと言えば、どうやら日本では恋人と過ごす日らしい。

恋人はいなかったとしても、気になる人を誘うきっかけの日にはなる。

昨年の俺もその風習に流されるように、ある人とデートをした。

果たしてあれをデートと名称していいのかは分からないが、気になる人と出かけることをデートだと定義するのならばデートだろう。

そこに楽しいか、楽しくないかの感情は不要だと言うのならば、だけど。

「あ、そうだったの? なんだー、てっきり私はイブには予定があるから、イブの前の日のイブイブにデートをしようとしてくれた優しさだと思ってたよー」

クリスマスの前日のクリスマスイブですら意味が分からないのに、そのよく分からないものの前にもよく分からないものを作らないで欲しい。

サンタさんもいつプレゼントを渡せばいいのか困るじゃないか。

「そっかそっか。じゃあ安心だね。兄君なら、明日は予定あると思ってたから」

「仕事があるかもしれない社会人ならともかく、何もしがらみのない高校生がカノジョとのデートより優先する予定を入れると思うか?」

「カノジョより優先するかもしれない人がいるから、心配なんだよ」

「どこにいるんだよ、そんな変人」

「変人って意識はあるんだね」

「……さあね」

俺はホットコーヒーを一口飲んで、仕切りなおす。

「……心配しなくても予定は空白だよ。朝から晩まで、一秒たりとも決まった行動は入れてない」

「そっかそっか! じゃあね、私ね、行きたいところがあるんだ!」

椅子に座りながら跳ねるようにはしゃぐ笹倉さんを微笑ましく眺める。

まるで誕生日に遊園地に連れてってもらえると知った子供のような喜び方だ。

ただの12月24日にカレシとどこかに遊びに行くというのがそれだけ特別なのだろうか。

いや、特別なのかもしれない。一般的には、世間的には。

普通にとっての特別を知らない俺には何一つ分からないけれど――。

視線を少しだけ逸らした俺に気付くことなく、笹倉さんはニコニコと笑みを浮かべて「あのねあのね――」と明日のデートのリクエストを言った。


「私ね。ラブホテルに行きたい!}


……。………。…………。

流石に、鈍感な俺でも分かる。おそらく、店内中の客の視線がこちらに集まっている。

先ほどとは違い、視線が一瞬だけ向くのではなく、じーっと。

声のボリュームが気になって向いたのではない、発言の意味についての好奇心の視線が突き刺さり続ける。

「高校生でも行けるホテルってあるのかな? あ、でも予約とか必要かもしれないね。ねえ、兄君はどこか知ってるラブホテルってある――」

「ストップ。それ以上はやめた方がいい」

「……?」

小首を傾げた笹倉さんは、自分がどれだけの痴態を晒しているのか理解できていないようだ。

「どうしたの? 兄君」

「公共の場で、そういうことをあまり大きな声で言わない方がいい。TPOってあるだろ?」

「……『ときめく』『パンツで』『往復ビンタ』?」

「なにそのビンタ、一回受けてみたいんだけど」

って違う。

「『Time』『Place』『Occation』。つまり、時と場所と場合を理解しようってこと」

「へえ。兄君、物知りだね」

「……あのアホと一緒の部活のせいか、感化されてない?」

「七神君のアレが? まっさかー。大丈夫、冗談だよ。知ってる知ってる、GTOでしょ?」

「それはグレートな先生の方」

やっぱりアホが伝染うつってるんじゃないだろうか。

「――それで、どうかな? 明日の予定」

ぎゅっと手を握られた俺は、ハッとして正面の笹倉さんの顔を見る。

特に赤面せずに、至って真面目だ。

「……なんで笹倉さんは、そんなにホテルに行きたいの?」

ラブホテルを遊園地か何かと勘違いしているんじゃないだろうか、この子は。

「え? だって恋人同士だし。結局はホテルでするんじゃないの?」

……間違ってない。世間の恋人同士が行きつく先は結局のところ、そこだ。

「いや、それもそうだろうけど。普通は、もっと定番なところに行きたいんじゃないの?」

「定番なところ? 例えば?」

「……おしゃれな水族館とか」

「行きたい!」

「……夢のある遊園地とか」

「遊びたい!」

「……綺麗なイルミネーションとか」

「見たい!」

「……美味しいイタリアンとか」

「食べたい!」

「……河原でゴミ掃除とか」

「拾いたい!」

「どこでもいいのかよ!」

最後はもはやデートスポットですらない。

辟易する俺を眺めながら、笹倉さんは俺の手のひらに指を添わせて言う。

「あのね。好きな人となら、どこでもいいんだよ。そういうのが楽しいんだから。一番嫌なのは、好きな人と一緒じゃいられないこと。好きだけど一緒にいられないのは、きっとすごく辛いことなんだと思うんだ」

「……」

「だから。本当は兄君の家にずっといるべきなんんだけど……」

「なんでウチ?」

「……。さて、ね」

くいっと指で手のひらを少しだけ押す笹倉さん。

釘を差した、という意味なのだろうか。

「でも、せっかくのクリスマスイブだし。独り占めさせてもらおうかなって」

「……そっか」

独り占め、ね。

そういえば、元カノのあいつはそんなことは一度だって言ったことはなかったな。

欲しいものは全て欲しがる彼女だからこそ、俺を――俺だけを欲しがろうとはしなかった。

俺と俺の大切なものを含めた全てを欲しがった。

そして、それは叶わなかったからこそ、あいつは俺から離れた。

「で、どこのラブホテルにする?」

「結局そこに行きつくのかよ!」


***


カフェからの帰り際、笹倉さんと別れる間際で、彼女は「あ」と思い出したように言った。

「私、帰りに薬局寄っていくね。んーと、24個入りがあれば十分だよね?」

何が24個あれば十分なのかよくわからないけど、特に俺は何も言わずに彼女を見送った。

駅の人混みに彼女の姿が消えるのを待ってから、冬の空を見上げて息を吐いた。

白く細い息が空に消えていくのをジッと見ていると、後ろから軽く小突かれた。

「なーに、たそがれてんの?」

「……よお。奇遇だな」

振り返ると、白いダッフルコートに身を包んだ妹が立っていた。

「お前も帰りか?」

「うん。部活の忘年会してた」

「引退したのに?」

「引退はしてもまだ学校は卒業はしてないから。呼ばれるの」

「気使うな」

「どっちもね」

クスっと笑った妹は、俺の隣に立って駅の人の波を眺める。

俺も特にすることがなかったので、倣うように妹と同じ視線を追った。

「……兄ちゃんは、明日デートだよね」

「まあな」

「ふうん」

「……お前は?」

「私も。デート」

「へえ」

「うん」

淡泊な会話。ただ言葉を交わすだけの、意味のないコミュニケーション。

「……誰と?」

不意に、そんな意味のない会話が気持ち悪くて、一歩を踏み出してみた。

「……。……へーえ? 気になるの?」

しまった。

「別に。全然」

「気になるんだ。妹のクリスマスイブのデートの相手が。気になるんだ?」

「いや、だから」

「昨年は気にならなかったのに、今年は気になるんだ。ふーん?」

「あのな」

「大丈夫」

「何が」


「……大丈夫だよ」


きゅっと。隣に立つこのかが、俺の手を握った。

手袋越しの小さな手に、俺は少しだけ考えて握り返した。


「――大丈夫だよ。24個も使わないって。兄ちゃん、体力ないし」

「そっちの心配かよ! っていうか、いつから聞いてたんだよ」

「さてね。寒いし、帰ろっか」

ぐいっと、このかに引っ張られる形で俺は足を進める。


……クリスマスは大事な人と過ごす日。

そしてクリスマスイブは、大事な人になる前の恋人と過ごす日。

それならば。その前日の今日は。

「……なに、兄ちゃん?」

「いや、何も」


クリスマスイブのイブは、恋人になる前の人と過ごす日なんじゃないだろうか。

――なんて、な。

まさかの時系列が追いついてしまった。

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