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兄と妹は仲が悪い  作者: ナツメ
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第五十九話: 妹と兄の嘘話

一度も後悔したことがなければ、少しくらいは後悔もしてみたくもなる。

誰にだって秘密はある。誰にだって過失はある。

誰にだって懺悔はある。誰にだって後悔はある。

ただ少しだけ。俺の中学の時に抱えたものが他の人より特別だっただけ。

いわば、それだけの話だ。

ファミレスを出た俺達は、それぞれの帰路の方向が異なるということもあり、ファミレスから少し歩いた場所で解散という流れになった。

元々待ち合わせしていたわけでもなく、たまたま鉢合わせただけなのだから、一緒に店を出る必然性もなかったのだが、何となくあの場に居続けるのも落ち着かなかったのだろう。俺と七神が席を立つと同時に、妹達も席を立った。

一人だけ、別の友達と一緒にいた笹倉桜ささくら さくらだけは、

「ありがと。兄君のこと、少し知れた気がする」

「俺のこと、嫌いになった?」

「ううん。むしろ兄君の方が、私のことを嫌いになるかもしんないね」

それはどういう意味なのだろうかと思ったけれど、すぐに手を振って友達の席に戻った彼女を呼び止める気にはならなかった。

そして、俺が中学時代の話をするきっかけになった例の爆弾ガール、久々野空子といえば……。

「ねえねえ、キティ先輩! 季節限定のデザート、美味しかったですね!」

「うんっ。また今度、一緒に食べに来ようね!」

愛すべき先輩である加賀美・カトリーヌ・カグヤとイチャイチャしながらデザートの感想を言い合っていた。

まるで俺の過去話など、店内のBGMのように聞き流していたかのような無感想ぶりだ。

「あ、兄先輩。今日はどうも、兄先輩の中学時代の武勇伝を聞かせてもらい、ありがとうございました」

「え、ああ。つーか、武勇伝じゃないんだけど」

どちらかというと、暗黒話?

「いやいや、兄先輩はほんとーにお優しいですね。もし私が当時、兄先輩と同じ状況にいたら。このか先輩をイジメてたって男子、五臓六腑がまともだったかどうか怪しいもんですよ、全く!」

フンスフンスと鼻息荒く語る彼女の口調に、まるで冗談の匂いは感じない。

「私の愛すべき人を傷つけるなんて、それこそ病院送り程度じゃ済ませませんよ。生きてきたことを後悔するような……いえ、人間で生まれて泣きわめくようなレベルの断罪をくれてやりますよ! 兵藤会長も泣いて逃げるレベルですよ!」

「焼き土下座以上の拷問かよ……」

敵とみなせば、容赦という容赦がない久々野空子らしい発言に、俺は少しだけ笑う。

「なんだよ久々野ちゃん。いっちょ前に励ましてくれてんの?」

「励ます? いいえ、ただの事実であり、真実ですよ?」

……もしも。

もしも彼女が当時、妹と同じクラスにいたら。

どんな血の雨が降っていただろう。

ある意味、俺程度の事件で済んで良かったのかもしれない。

「……とまあ。建前はこんなもんで。兄先輩」

「ん?」


「いつか、事実じゃない――ほんとうの真実ってやつを、教えてくださいね」


そう俺の耳に囁いた彼女は、加賀美ちゃんの手を握って走り出した。

「それでは今日はこれで失礼します! また明日、このか先輩! 兄先輩! あと、アホの人!」

「うん、またね」

「おう、気をつけてなー」

妹と七神直人が手を振って、二人の後ろ姿を見送る。

「……アホの人って、まったく誰に向かって手を振ってたんだろうな、あいつ」

自分のことだと露にも思っていない七神は首を傾げつつ、乗ってきた自転車に跨がる。

「にしても、お前から中学時代の話をするなんてな。珍しい日もあるもんだ」

「別に。隠してるわけでもないし。聞かれたら普通に答えるけど」

「それでも、だよ。他の奴になら、須王スミビのことなんて絶対に言わないだろ?」

「……」

確かに。彼女の存在は、俺に確かな影響を与えたといって過言ではないけれど、ただの古い話をするだけなら彼女の名前を出す必要性はない。

それでも、彼女の名前を口にしたのは、きっと忘れないためなんだろう。

そして、願わくば。

俺は彼女に会って、聞きたいことがある。

ある意味、俺以上に俺を知っている菅谷姿すがや すがたとは正反対の存在。

俺以上に俺を知らない、俺を知ろうとしない彼女だからこそ、知っていることを。

須王スミビ。きっと彼女は今でも俺を否定するのだろう。

「……じゃあな。また明日、テスト勉強に付き合ってくれよ?」

「ああ。またな」

何かを言いたげな七神だったが、冬の風に当てられてすぐにでも帰宅したかったのか、長話もそこそこに自転車をこいで暗闇に姿を消してしまった。

ファミレスの光に照らされながら、残される兄妹。

「……帰るか」

「……うん」

いつものように、何の感情の色も見えない俺の声に、同じように妹の玉虫色の声が返ってくる。




***



12月の切り裂くような冷たい風に押されながら、ゆっくりと帰路に就く。

俺は自転車を押しながら。妹はそんな俺の一歩後ろを歩きながら。

ポツリと妹は呟いた。

「あのさ」

「ん?」

「なんで嘘吐いたの?」

……。

「嘘?」

「うん。さっきの中学の時の話」

「なんか間違ってたか?」

「間違ってないよ。大体、合ってると思う。でも……きっと、空子が知りたかったのはあの話じゃないと思う」

「……」

中学時代に何があったか。

ただ、久々野ちゃんに聞かれたのはそれだけだ。

だから、俺はあの話をした。

誰に聞かれても差し支えない、誰にでもある暗い失敗談。

だけど――。

「空子が知りたかったのは……あの後、私と兄ちゃんに何があったのか。多分、そのことだと思う」

「……それこそ」

本当の失敗ってやつだ。

あるいは、本当のきっかけというやつだ。

俺と妹が、本当の意味で仲が悪くなった、きっかけ。

「……誰にも言う気はないけどな」

くいっと。着ているコートの裾を掴まれる感覚に、俺は歩みを止めて後ろを振り返る。

「……寒い」

「そっか」

「今日の夕飯、なに?」

「寒いし、コンビニでおでんでも買って帰るか」

「うん、いいね。私、はんぺんと牛すじがいい」

「大根は?」

「マストでしょ」

他愛ない兄妹の会話に流されながら、俺は足を進める。

きっと、久々野ちゃんは気付いている。

けど、俺と妹はおそらく語ろうとはしないだろう。

その一歩を踏み出せるのは、あの子ではないから。

もしも、話せるとしたら。一歩を踏み抜いて近づける人がいるとすれば。

――おそらく、彼女だけだろう。



***



真っ暗な部屋で、すすり泣く音が聞こえる。

傷つけたくなくて、それでも傷つけてしまった彼女に。

俺は何をしてあげられるのだろうか。

「……兄ちゃん」

布団を被った幼い妹は、ゆっくりと部屋の入り口に立つ俺を見た。

そして、震える唇を動かして何百回目かの言葉を口にする。

「……ごめんね。兄ちゃん。ごめんなさい……」

後悔があるのだろう。

もしも、先生に伝えていたら。

もしも、親に相談していたら。

もしも、友達に助けを求めていたら。

もしも、自分で抗っていたら。

結末は変わっていたかも知れない。

俺を巻き込むことなく、結末は明るく正しくなっていたのかもしれない。

全てが終わった今も、こうして妹は謝り続ける。

「……ごめん。ごめんね。わたし、何もできなくて。ごめんね……」

俺が悪いのに。自分のせいだと責め続ける妹をどうすれば救ってやれるのか。

「……このかは悪くないよ。全部、俺が悪いんだ」

そう。俺が悪いことにすればいい。

全部、全部、全部。

だから、これ以上。このかが傷つく必要はない。

「……でも。兄ちゃん。わたしのせいで……」

「……っ」

泣きはらしたこのかの瞳は、何も見えてなかった。

俺を見ているようで、見ていない。

まるで自分の作り出した幻に謝っているかのような、そんな虚ろな瞳。

まずい。これ以上、彼女を放っておけば取り返しのつかないことになる。

俺は、ゆっくりとこのかの座るベッドに近付く。

言葉では伝えられない。言葉ではこのかは何も信じられない。

ならば、言葉ではないもので伝えるしかない。

あれからずっと泣き続けただろうこのかの瞳は赤く、そしてそんな彼女の瞳はとても綺麗だと思った。

「兄ちゃん……? んっ……!?」

このかの唇に押しつけるようにして、自分の唇を重ねた。

初めてではない。幼い頃、おままごとで遊びのキスなんていくらでもした。

だけど、違うのはそこに感情があるかないかだ。

「……んっ。んん……」

驚いた表情のこのかは、一瞬だけで。すぐに目を閉じて俺に身体を預けてきた。

どれだけ長い間そうしていただろう。

ゆっくりと顔を離した俺は、このかの目を見て言う。

「俺はこのかが好きだからしたんだ。だから、これは俺が勝手にしたことで、お前が悪いわけじゃない。全部俺が悪いんだよ」

――だから、俺を責めろ。

そう呟いた俺に、このかはじっと俺の顔を見て、小さく言った。


「……兄ちゃんなんか、だいきらい」


それから、このかは。

俺と仲良くすることをやめた。

久しぶりの更新ですが、生きてます。

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