第三十七話:文化祭とコスプレパーリー
適当に歩いてきた人生、たまに思い切り走りたくなる時もあるさ。
実の所、俺は七神直人という親友を一度たりとも侮ったことも舐め腐ったこともない。
下でもなければ上でもない。
ふと気が付けば長いこと隣にいて、自分のことを知ったつもりでいる。
言うならば、右を向けば右の関係。左を向けば左の関係。
ただ、それだけ。
果たしてそれを《親友》と呼ぶのかどうかは、いまだに俺には分からないけれども。
――きっと、それでいいのだと思う。
「――それでは、お好きなカードを1枚選んでください」
赤いテーブルクロスの上に綺麗な扇状にトランプを並べが七神が、1年生の女子生徒に言った。
いかにも大人しそうな雰囲気の彼女は、迷いながらも裏向きのトランプを1枚手に取った。
「では、それを俺に見られないように観客の皆様にも見せてあげてください」
念のためか、七神はくるりと後ろを向く。
その間に彼女は選んだトランプを、教室の半分を埋め尽くす観客に見えるように掲げた。
その絵柄は、《ハートのクイーン》。
「もう、よろしいですか? では、好きな場所にカードを戻して下さい」
振り返った七神がそう言い、彼女は少しだけ悩んで中心辺りに戻した。
その所作を満足げに微笑んで見届けた七神は、カードをまとめてシャッフルを始めた。
数回ほどヒンズーシャッフルとリフルシャッフルを交互に行うと、静かに息を吐いて観客である俺達を見渡す。
「それでは彼女が選んだカードをこれから当てましょう。え? どうやって当てるかって?」
誰も聞いていない猿芝居を打つ七神は、ジッと後輩である女子生徒を見つめる。
「すでに彼女のピュアハートは俺のもの。彼女の分身であるカードも、きっと俺に抱き着きたくて疼いていることでしょう」
その途端、小さな悲鳴が上がった。きっとネガティブな意味の方だろう。
だって気持ち悪いもん。ほら、後輩の彼女も胸やけしたみたいに口元を押さえているし。
だが、アホな七神はそれをポジティブに解釈し、「ふふんっ」と上機嫌にカードの束を右手で掲げる。
「それでは、ピュアハートな恋人ちゃん! 俺の元においで!」
今どきホストも言わないダサいセリフを吐いた七神は、トランプの束を上空に撒き散らした。
紙吹雪のように舞うトランプに視線を奪われる中、七神の手には1枚のカードが握られていた。
「あなたが選んだのは、このカードですよね?」
果たしてそのカードの絵柄は――《ハートのクイーン》だった。
それを認めた観客から歓声が湧いた。きっとこれはポジティブな方だろう。
拍手を一身に浴びた七神は、そのトランプにマジックを添えて女子生徒に手渡す。
「もしよければ、このカードに君の連絡先を書いてくれないか?」
「え、いやです」
フラれた。何してんだよ、あいつ……。
「……すごいな、彼」
壁際で背を付けて立ち見をしていた俺の隣で、腕を組んだ菅谷姿が呟いた。
「確かに、すごいマジックでしたね……。全然タネが分からなかった……」
七神直人のクラスの出し物である、《七神直人のマジックショー》を冷かしの気持ちで訪れた俺達は、まさかの人気っぷりに舌を巻いた。
まさかあの七神にこんなマジックの才能があったとは思わなかった。
女のケツを追いかけて、モテるからという理由でサッカー部を選んだ純正なアホという印象を、全面塗り替える必要がありそうだ。
そう感嘆の意を示した俺に、「何を言っているんだ君は?」と首を傾げる。
「あれはマジックとしては三流以下だ。泥水でカップラーメンを作る以下のゴミと言っても過言ではないだろう」
「は? いや、でも姿さんが今すごいって……」
「私がすごいと言ったのは、あれが《何のタネも仕掛けもない》ことだよ」
……? 理解が、追いつかない。
「えっと、どういう意味ですか? マジックなんだから、タネがあるのは当然でしょう?」
「そうだ。マジックには必ずタネがある。だけれど、今の彼の御業にはそれがない」
そう言った姿さんは、ポケットから五百円玉を取り出し、それを右手から左手に投げて握った。
「さて、どっちの手にコインはある?」
「……はい? えっと、左手ですよね?」
「正解だ」
左手を開いた姿さんの手のひらには、当たり前のように五百円玉があった。
「つまりはこういうことさ」と清々しいとは言えない表情を浮かべる姿さん。
ん? っていうことは……。
「まさか。あいつ、《選んだカードが移動した位置を、全て目で追っていた》ってことですか!?」
「そのまさかだよ。全く、清々しいほどにアホだな、彼は」
いや、アホの一言で片づけて良い所業じゃないんだけど。
というか、それを見破ったってことは、姿さんもカードの位置を目で追っていたってことか?
どっちも化け物じゃねえか……。
「おっと、ごめんごめん。……よお、見に来てくれたんだな! どうだった、俺のマジックは!?」
どうやら俺が観客に紛れ込んでいたのに気付いた七神が、壁際の方までやってきた。
白いタキシード服にサムライヘアーというのがなんともミスマッチで、違和感がトップギアを突き抜けているが、それも学園祭という異色に混じってしまえば案外不思議でも何でもない。
ハロウィンにセーラー服を着たマッチョが歩いていても違和感がないように、祭りというのはそういう違和感を払拭させる魔法があるのかもしれない。
「何がマジックだ。ただ動体視力でカードの位置を追ってただけらしいじゃねえか」
いや、それも十分すごいんだけどさ。
「あれ? バレちゃった? なっはっは! いやぁ、マジックの道具をいろいろ買って練習してみたんだけど、どうもタネを覚えることが出来なくてよ。もう力業で乗り切るしかなかったんだよ。国木田の策だな」
誰だ国木田。苦肉の間違いだろう。
「……ん? なあ、そっちの人は? 3年の先輩だよな? 知り合い?」
怪訝そうに俺の隣に立つ姿さんを見やる七神。
「いや、どこかで見た覚えがあるような? んー?」
不味い。確かこいつ、一度か二度俺のバイト先にやってきて、姿さんを見ているんだった。
バレる前に逃げようとした俺だが、残念ながら菅谷姿に首根っこを掴まれて阻まれた。
「まあ、待て逃げるな少年。君の考えることは全て清々しくお見通しの姿さんだけれど、ライオンの群れに囲まれたシマウマの如く落ち着こうじゃないか」
それ、絶対に落ち着けない状況ですから! むしろそれで落ち着けるシマウマがいたら、きっとそいつはシマウマの皮を被った悪魔だ。
「君のことは少年から少なからず聞いている。七神直人君だろう? アホに生きてアホに死ぬ。鳴かぬなら、笑ってみせよ、アホウドリで有名な少年の友達の」
「え、あ、そう、ですね。はい、俺、アホです。アホで、いいです……」
しどろもどろに返答する七神は、慌てたように俺の耳元に口を近づける。
「おい。誰だよ、この美人!?」
「ああ、この人は――」
適当な嘘を吐こうとすると、再び姿さんに首根っこを引っ張られて阻まれた。
「自己紹介なら自分でしよう。私の名前は、菅谷姿だ」
「菅谷……先輩?」
「そうだ、菅谷先輩だ。実のところ、私は探偵をしていてね。ある事件の解決をするために、普段は学校に来ていないのだよ」
「え、そうなんですか!? どこかの高校生探偵みたいですね!」
なんだその適当な嘘は。そして信じるお前もアホか。
「うむ。だが、私を追っている組織の奴らは私が死んだと思っている。君も決して私と出会ったということを誰にも口外しないようにな」
「はいっ! 分かりました!」
分かっちまったのかよ。
きっとフェルマーの最終定理以上に理解が難しい嘘を、そのまま飲み込んだ七神は、まるで宇宙刑事を見るような目で姿さんに敬礼する。
それを「うむうむ。姿さん、素直な子は清々しく好きだよ」と言って、俺の首根っこを掴んだまま教室を出て行った。
「……いいんですか、あんな嘘吐いちゃって」
廊下でぼそりと尋ねた俺を、姿さんは鼻で笑う。
「少年は見かけによらず神経質だな。大丈夫、彼はアホだ」
「いや、まあ、アホですけど」
「アホに嘘がバレたところで、何のデメリットもない。真実と嘘の違いが分からないのがアホだからな」
「……真実と嘘、ねえ」
本音と嘘を見抜く力はあるんだけどな。
「さて、次はどこに行こうか? 何か面白い場所でもあるかい?」
「むしろもう帰って欲しいんですけど、まだ満足しないんですか?」
「満足できない。姿さん、もう少し少年とデートしたいから」
「……はあ」
出来ればそのセリフは別のシチュエーションで聞きたかった。
「と、悪い少年。マカデミアナッツを少年が幼い頃に鼻から時速何キロで発射していたかの話をしていたら、トイレに行きたくなった。トイレはどこだい?」
一切どころか合切でもマカデミアナッツの話はしていないし、そもsも俺は子供の頃にそんな遊びはしていないし、仮にしていたとしてもそれは姿さんの尿意には蜘蛛の糸一本も繋がらないだろという、三連コンボのツッコミを喉の奥に押し込み、
「……廊下の突き当りです」
と指さして言った。
「悪い。ちょっと用を足す……いや、この場合用は減らすの方が正しいのか? ……まあいい。少し便器に跨ってくるから、私が戻るまでの間、少年はここで日課の《タップダンスを踊りながら早口言葉の練習》でもしていてくれたまえ」
「いやいや、俺そんな奇々怪々すぎる日課なんてしてませんから!」
「はっはっは」
軽快に笑いながら廊下の先に歩いていく姿さんを見送り、俺は辟易とした溜め息を廊下に零した。
「――その溜め息は、私とのデートが近いからかな?」
その言葉は背後から不意に訪れた。
「やっほ、兄君。お疲れ様ぁ」
俺は背後の声の主の姿を想像してから、「笹く――」と彼女の名前を呼びながら振り返るが、
そこにいたのは、大きな手足を生やしたサッカーボールだった。
「……」
「……? どうしたの、兄君?」
「……」
「……おーい? どうしたの? 私だよ?」
長い手がフリフリと俺の目の前で動く。
ハッと意識を取り戻して、数歩だけ後ろに下がり、謎のサッカーボールと距離を取る。
「え? なに? どうしたの?」
「……笹倉さん?」
声だけは俺の知る笹倉桜17歳の声だ。
「うん、笹倉だよ。あ、でも兄君と結婚したら苗字は違くなるけどね」
「大丈夫。結婚しないし、その心配はいらないから。笹倉さん」
「あ、そっか。婿養子の可能性もあるもんね。桜ちゃんドジっ子」
カーリングのような会話だ。投げてはぶつかり、ぶつかっては投げられる。
「……笹倉さん、その恰好は何?」
「ああ、これ? サッカー部の出し物のお手伝い。ゆるきゃらの《サックジャップ君》。可愛いでしょう?」
「可愛いかどうかは個人の美的センスに寄るから何とも言えないけども。少なくとも、その名前だけは可愛くないな」
というか、その名前はまずいだろう。色々と。
「うーん? 可愛いと思うんだけどなあ。ほら、男子ってボール好きでしょ? だから人気出ると思ったんだけどなあ」
「それは偏見だよ、笹倉さん。男子全員がボールが好きとは限らない」
「そうなの? でも、女子は全員ボール好きだよ? だって球だし。ボールだし」
「……聞かなかったことにする」
「うん、聞かなかったことにして」
会話がひどすぎた。学園祭だからか、いつもの笹倉さんのテンションが数段高い気がする。
ハチャがメチャをしていた。
いや、むしろメチャがクチャをしていたと言うべきか。
どっちでもいいけど。
「ところで、まだ私とのデートにまだ時間あるよね? 私、これを部室に返したら終わりだから、どこかで待ち合わせしようよ」
「……あー。そう、だな……」
まずい。まだ姿さんがこの学園にいるのに、俺があの人から目を離すのは非常にまずい。
何をしでかすか分かったもんじゃない。
菅谷姿といえば、この学校の窓ガラスを素手でたたき割りながら、火災報知器のスイッチを全部押して回ってもおかしくない人間だ。
それこそこの学園祭そのものが有耶無耶になりかねない爆弾である。
「あのさ、デートなんだけど……」と俺が日時の変更をお願いしようとすると、背後から悪魔の足音が聞こえて来た。
「おーい、少年。お待たせ。さあ、デートの続きをしよう――ん?」
姿さんは足を止めて不思議そうな声を出す。
「……なんだ、このサッカーボール?」
笹倉さんはサッカーボールの着ぐるみをしたまま、表情を見せずに訝し気な声を出す。
「……デートの続き?」
女子高生の制服を着た22歳成人女性と、手足の生えた巨大サッカーボールを被った現役JKの――。
世にも奇妙な邂逅だった。
妹がいない。タイトル詐欺。
妹がいない。タイトル不正。
妹を出したい。ただの願望。
※GW中に番外編の連続更新してやる。




