1節6項 魔石狩り その4
「はぁ……はぁ……っ!」
彼女が、もし自分から姿を消したのだとしたら、心当たりはあった。
それ以外の原因だとすれば、このタイミングで仕掛けてくる理由が分からない。後で考えることにする。
「はぁ……はぁ……っ!」
曇り空に星は映らない。明かりも持たずに飛び出したから、完全な闇になる前に帰らなければいけない。
「はぁ、はぁ……っ!」
急かす気持ちのままに足を動かし続けたせいで、心臓が張り裂けそうだ。息が苦しい。視界がぼやけ、思うように足が動かず、焦る気持ちだけが募っていく。
間に合うかどうかは彼女次第で。あの時のように、今もただ眺めているだけだったなら、もしくはまだ躊躇って踏み出せずにいるなら、彼女はあの場所に立っているはずだ。
人を引き寄せ焦がす、蠱惑的な光の上に。
ごつごつとした岩の斜面を、時々転びそうになりながらひたすらに登っていく。
頂上が見えた。その頂上に、小さな人影が見えた。
「しず……く……っ!」
声を出してから、声に気づいた彼女の背を、逆に押してしまうんじゃないかと気づいた。それでも抑えられずに彼女の名前を呼んでしまう。
「しずく……っ!!」
なけなしの息を絞り、声を張り上げる。
はたして彼女は、火口の縁に立っていた。頂上に立つ彼女の背後には一面の空が広がり、彼女はまるで、空に浮かぶように立っていた。
凪の空に、彼女の声が静かに響く。
「止まって」
振り返って、そして目が合った。彼女は僅かに口元を緩める。
「酷い顔」
「うるさい……」
それから、俺が息を整えて顔を上げるまで、俺も彼女も黙っていた。
ここは、竜脈深層に繋がる深淵への縁。一度足を踏み外せば、二度と人の形で帰ることは叶わない。
「なんで、ここに来た」
彼女が穴を覗く。その目には、蠱惑的な紫の光が映る。
「綺麗だったから、見に来たのかも」
「危ないからこっちにこい」
「やだ」
彼女の目は、ただ穴の底を見つめる。
「落ちるつもりなら、止めておけ」
「思ってない」
目を逸らすことは無い。
「……誰が助けに行くと思ってる。お前が落ちたなら、俺も道連れだぞ」
「眺めてるだけだって」
彼女は何を考えている?竜脈の光に惹かれ、ここに来たんじゃないのか。
このまま、直接聞き続けてもはぐらかされるだけ。
“気持ちを伝えるなら、出来るときに、出来るだけ素直に”。
師匠から、何度も言われた言葉だ。
俺の心中を吐き出す。
「俺は……。俺は、ただお前を守りたかった。お前を、安全な場所に置いておきたかった。危険な目に巻き込みたくなかった」
彼女の目がこちらを向いた。瞳が揺れる。
「私は、そんなのは嫌だったよ」
「どうして」
彼女は口を噤む。一旦は口を開き、けれど言葉は出てこなかった。
それでも待っていると、やっと言葉が出る。その表情は、とても悔しそうであった。
「私は、フウ君の力になりたかったんだ。そのために付いて来たんだから」
「力になら、十分になってた」
道中、一人で来なくて良かったと、何度も思ったものだ。
「俺の不調にいち早く気づいて、空気が暗くならないようにって、しずくはずっと明るく振る舞って——」
「そんなんじゃないんだ」
彼女は俺の言葉を遮り、続ける。
「そんなんじゃない。私は……」
再び口を噤んだ彼女の先を促す。
「じゃあ、何を」
「……私はね。私だって、フウ君が、危険な目に合うのが嫌だった。それが避けられないなら、せめて私も一緒に居たかった。一緒に居て、同じ危険に飛び込んで、分け合って……フウ君を助けたかった」
しずくが、俺の身を案じていた……?
「でも、今の私じゃ、足手まといにしか……!」
足手まとい……魔物との戦闘で、ただ見ていればいいと言った事か?
「そんなの、当たり前だろ」
しずくは今まで普通に生きてきた。未知の世界を旅するってだけで、彼女は相当に無理を強いられているんだ。準備があった俺とは違う。
「俺とお前じゃ、出来ることが違うなんて当たり前だろ。俺は戦えるんだから戦って、そしてお前は、戦わなくたって色んなことを俺に——」
「それじゃイヤなの……!」
彼女は呟く。
もっと近くで支えたかった。私は、フウ君の隣に居たかったんだ。
その言葉が初めてだったと思う。彼女が、俺への想いを言ってくれたのは。
思い返せば、彼女から俺に近づいてきたことだって、この旅が初めてのことだった。
彼女に近づくのはずっと俺からで。
だから俺から近づくのを止めるまで、分かっていなかった。俺は、この関係が、俺が彼女に一方的に近づくだけのものだと思っていた。
彼女もまた、俺の側は居心地が良かったのだと、思っていたのだ。
しずくがなぜ旅に付いて来ているのだと聞いたとき、彼女は師匠からの指示だったとはぐらかした。
だから、“折角旅に付いて来たのだから俺の力にならなければ意味が無い”のだと、彼女はそういう風に考えているのだと思っていた。
けれど違った。彼女の本意は、俺からの自律や、俺への助力にあったわけじゃない。
彼女は、ただ胸を張って俺と一緒に居たかった。俺の荷物ではなく、俺の後ろを付いてくるのではなく、肩を並べる仲間として在りたかった。
彼女は、俺と対等であることを望んでいたのだ。だからこそ、一方的な保護ではなく、互いに助け合う関係で在りたがった。
そして、そんな彼女を、俺は黙って置いて行こうとした。彼女を失うのだけは嫌だったから。
だから、旅に付いてきてからも、ただ彼女だけを危険から、そしてそこに居る俺からも遠ざけようとして。
俺の心配の何もかもが、彼女の意に反していたのだった。
「……なんで、フウ君が泣くの」
「泣いてない」
湿った風は、雨まで運んできたのか、頬を水滴が伝う。
「しずく」
「なに?」
俺は、彼女の事を全然分かっていなかった。長く一緒に居て、理解しているつもりだった。自分の理想だけを押し付けて、彼女の思いが見えていなかった。そして踏みにじっていた。
「俺が悪かった。さっきは、俺を助けるために動いてくれたのに、怒鳴ってごめん」
「……うん」
彼女は頷く。
「それから」
言うべきかどうか、まだ迷っている。彼女を危険に近づけたくない。思いは変わっていない。でも、彼女の思いを大事にするなら。
「お前の望みは分かった。しずく、俺の力になってくれ」
それを聞いた彼女は、驚いて、笑みを浮かべようとして。
けれどそれは一瞬で崩れ、
「今の私じゃ……!私だって!出来るなら!フウ君の、力に……っ!」
悔しさに顔を歪ませる。
彼女の背後には、深奥へと続く力の渦がある。
あんなものに頼らせるわけにはいかない。
「お前には本がある」
「本って……」
彼女が渡されたというあの本。
「“天の書”。数多もの犠牲が在って生み出された賢者の神器。そこに記された奇跡は、どれも飛び切り強力だ。あれを使えるようになればいい。今の俺と比べたら、軽くおつりが出るくらいに強くなれる」
かつては師匠の手にあったものだ。使っている所を見た。あれは、この世の外の理の力。
「使えないよ。使えなかった……。何度試しても、ぴくりとも反応しなかったんだ……」
彼女は淡々と告げる
あの本はかなり使い手を選ぶ。呪文を発動させられる人間すらほとんど居ないし、優れた使い手ともなれば、なおさら。
そして、使えないやつはどうあがいたって使えないのだ。
「バカ、そんな大事な神器が、ただのバカの手に渡るわけ無いだろ」
「……誰がただのバカだし」
「お前は必ず使えるようになる」
「……本当に?」
彼女は驚きに目を見開く。
「いつかな。知らんけど」
次に言葉が返ってくるまでには、えらく時間が掛かった。
「……無責任だなぁ」
彼女は、投げやりに笑った。
最近になって彼女が使いだした笑みは、俺は好きではなかった。彼女が無理に浮かべる笑みを、俺は好きだったわけじゃない。
けれど、今の彼女の笑顔は、やさぐれているようでいて、けれど本心からの笑顔だった。見間違えるはずもない。
俺の言葉は、彼女の心に届いただろうか。彼女はただ、俺をじっと見つめ返していた。
やがて、彼女は目を逸らし、少しの間、あの竜脈を見ていた。そして次に見えたその瞳には、紫色の光は、もう映ってはいなかった。
ふぅと、彼女は肩の力を抜く。
仕方ないなぁと、いつもの、調子のいい、のんびりとした声が聞こえてくる。
「そこまで言うなら、私がフウ君を、助けてあげようじゃないか」
彼女は頂上から離れ、歩き出し、近づいてくる。そのまま、彼女は俺の隣に立った。
「ちゃんと、ここでね」
ぎゅっと、手を掴まれた。その手は風で冷えていたものの、芯はじんわり暖かい。徐々に熱を帯びていく。
「無茶はするなよ」
「それはお互い様」
言葉もない。
気づくと雲は流れ、星の煌めきが顔を出している。気持ちいい風に吹かれて、火照った体も心も、すぐにいつもの温度に戻るだろう。
彼女の手が離れる。もう無理に繋ぐ必要もない。無理に繋がなくたって、彼女の望む居場所がどこか分かるから。
「じゃ、帰ろっか」
茶化すような声で付け加える。
「泣き虫さん」
なっ、
「……泣いてない。……お前こそ、一人でこんな所まで来やがって」
「はー?私は景色を眺めに来ただけだがー?」
そんなわけあるか。
「俺のだって汗だ。急いで頂上まで探しに来て、超疲れてたし」
「雨じゃ無かったの?」
「雨も降った」
「そっかー。えへへ」
無理に繋ぐ必要はないけれど、けれど今しばらくは、その温かさに触れていたくて。
「しずく」
「なに?」
「暗くて危ない。手を貸せ」
それを聞いた彼女は、ふっと砕けるように笑った。いつもの笑顔だ。仕方ないなぁと、彼女は手を差し出す。差し出された手を、しっかりと握り。
「じゃあ、帰るぞ。一緒に」
「うん」
手のひらに確かなぬくもりを感じながら、星空の下を——。
「おっとと」
しずくが、丸い石でも踏んだのか態勢を崩す。
「しずく?」
「あわわ」
「おいしずく?今危ないって言ったよな?」
「あばばばば」
「おいしずく!しずくーー!!」
確かに、近くに居た方がこの手で守れて安心かもしれないなぁと、そう思うのであった。




