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98 長距離行軍訓練 並ぶ場所

「――来た」

 クラウスが小さく呟いた。


「来た?」

 クラウスの視線を追った統括教官が訊く。

 彼らの視線は、ケイランの背後に向けられた。


「オスヴァン教官とレオナルドが来ます」


 最もその場に近いというのに、ケイランには分からなかった。

 誰が来るかどころか、人が来るということまでも。


 しかし数十秒もすると、たしかに葉が擦れ合う音が聞こえた。

 そして彼らが現れた。クラウスが言った通りの面々が。


「……これは、すごいな」


 オスヴァン教官は息を呑み、そう言った。


「オスヴァン教官、一足――どころか二足遅かったな。もう魔獣は居ないぞ」


 イヴァール教官の軽口に、オスヴァン教官は「青い信標弾が見えたからここに来たんだ。三足くらいは遅いだろう」と苦笑する。


 和やかな空間を裂いたのは、統括教官だった。


「レオナルド。他の者はどうした」


 その問に、レオナルドは明朗に答える。


「はっ! 赤の信標弾を確認後、班長命令でサントスと共に現場へ向かっていました。移動中に青の信標弾を確認し、目的地を変更。その途中でオスヴァン教官と合流しました」


 一度区切り、オスヴァン教官を見る。

 オスヴァン教官は、そのまま続けるようにと、レオナルドに頷く。


「オスヴァン教官から、トラグバインが出たことを伺いました。また、訓練は終了とする、と」


「私はコンラッド班三名から事の次第を。彼らとサントスには、そのままテオドール班と合流するように伝えました」


 オスヴァン教官がレオナルドの言葉に付け足す。

 コンラッド班の面々の疲弊ぶりを鑑みてそのような指示を出したのだと、統括教官は理解した。


「分かった。二人とも、ご苦労だった。オスヴァンは一度下山して、そちらに居る教官と生徒にこちらに向かうよう指示を出してくれ。合流ができたら解体作業に入る。レオナルドはこのまま待機だ」


「はっ!」


 オスヴァン教官は山の麓に向かい、レオナルドは場に残る。


 レオナルドの目には、トラグバインの死骸が映った。

 そして、「やはりクラウスは、自分と()るときは制御が働いているのだな」と思った。


 これまでの喧嘩も手合わせも、いつだって互いに本気でやっていた。

 だが、人間というのはどこかリミッターが働くものだ。


 レオナルドは、クラウスと戦うときや対魔獣戦で、必要ならば意識的にそれを外している。

 しかしクラウスはその圧倒的な強さ故、人一倍抑制されている。


 無自覚に、無意識に。

 その強大な力を、振るいすぎないために。


 ――レオナルドは、敢えてそこで思考を止めた。

 在っただろう事象から目を逸らす。


 迷子みたいな顔をした親友が、自分から何かを嗅ぎ取ってしまわないように。

 驚嘆も羨望も畏敬も、感じる前に蓋をした。


 代わりに、目の前に在る事柄に意識を向ける。


「首を落としたんだな」


 クラウスに近付きながら、話しかける。

 場の空気から、多少の雑談は黙認されると考えたからだ。


「……あぁ」


 クラウスの手が、知らず知らずにぎゅっと拳を握った。


「これなら素材を活用しやすいな。解体するにしても、傷だらけだと使えない部分が出る」


 瞳を揺らしながら、クラウスはレオナルドを見た。

 クラウスにとって、予想外の反応だった。


 クラウスが退治したことなど、どうでもいいかのような。

 簡単に首を落としたことなど、気にならないかのような。

 この光景を、当然に思うかのような。


「ふっ」


 レオナルドが、小さく笑う。

 クラウスはそれに、音にならない疑問符を返した。


「いや、あまりにも情けないツラしてるから。――ダッサイ顔してるぜ? 俺なら何があろうとそんな表情しないね」


 愉快そうに目を細めるレオナルドからは、畏れも励ましも感じない。


「何が分からないんだ?」


 レオナルドがクラウスに訊く。

 いつもと、同じように。


「分からないことがあるときの顔をしている。いつもより酷いな。雨に濡れた迷い犬だってここまでじゃないだろうに」


 一歩一歩近付く。

 クラウスの方が、後ずさりしてしまいそうだ。


「何が分からないのか知らないが、後で一緒に考えてやるよ。それよりほら、力が一番強いんだから、解体張り切ってやれよ?」


 クラウスのすぐそばにまで来たレオナルドは、クラウスの肩を叩いた。


 そして、並んだ。

 クラウスの隣に、当然のように。

次回のタイトルは、「並んだ先に」です。

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