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96 長距離行軍訓練 理解不能の軌跡

 クラウスは班員と共に行動しながら、ふいに、嫌な感じがした。

 ここじゃない。山の麓だ。

「何が」とまでは分からないが、今行かなければ後悔すると思った。


 ふと、アイザックの顔が、脳裏に浮かぶ。

 あのときクラウスは、街を守るため前線に立てなかった。

 そして、アイザックを失った。


 あのときと、似た感じ。

 もう、誰も失いたくない。


 これは、ただの勘だ。誰にも説明はできない。

 だが、この勘を無視することはできなかった。


「悪い、先に降りる」


 それだけ言うと、クラウスは一人駆け出した。


 背後から聞こえる「おい、クラウス!?」という声を無視し、そのまま進んだ。


 獣とも、人ともつかない走り方。

 誰にも、何にも真似できない動き。


 ただ“速く”。

 その点において、最効率の動きだった。


 クラウスはすでに気配は消してなかったが、魔獣と出会うことはなかった。

 いや、仮に魔獣が居たとしても、クラウスを捕捉できなかっただろう。

 それだけの速さだった。


 赤い信標弾が視界の隅に入る。

 だがクラウスはそちらには向かわない。

 自分の感覚が示す方向に、ただ真っ直ぐに突き進む。


 速く、もっと速く。

 クラウスは加速した。


 ――皆が戦っている音が聞こえた。

 瞬間、クラウスは空高く跳ねた。

 レオナルドが本気を出すときを真似て、〈障壁〉を張った足の裏に〈風槍〉を撃ち込んで跳んだのだ。

 そして反転しながら剣を振りかぶる。


『トラグバインの足元には、誰も居ない』


 クラウスは、それが分かれば十分だった。


 皆を守るため、トラグバインの周りに障壁を張った。

 レオナルドに付き合ってもらい魔術の訓練はしていたが、こんなに遠くに、あんなにも大きく作ったのは、初めてだった。


 トラグバインの上に作った小さな〈障壁〉を踏み込み勢いをつける。

 身体の重さに加え、その膂力により速さを得たクラウスは、トラグバインのガラ空きの首筋に切りかかる。

 いや、剣で殴りかかる。


 ただの剣ならここで折れただろう。

 しかしクラウスは、剣に〈障壁〉を纏わせていた。


 何よりも頑丈な棒を首筋に叩き込まれ、トラグバインの頸骨が軋む。

 大きく仰け反ったその首の下から、〈風刃〉が走る。

 上から叩き伏せる衝撃と、下から切り上げる〈風刃〉が交差し、首を挟み潰すように断ち切った。



 ――クラウスは、こんな戦い方をしたことはなかった。

 こんなふうに走ったことも、跳んだこともなかった。

 剣に〈障壁〉を纏ったことがなければ、垂直に〈風刃〉を放ったこともなかった。

 こんなことができると、考えたことはなかった。


 考えるのではなく、自然と身体が動いた。

 物を落としそうになったときに空中で拾い上げるのと同じ。

 理性ではなく本能で。

 思考する間もなく行われた動作だった。


 ある種ダリオと一緒だ。無我夢中だった。

 ダリオと違うのは、こんな訓練をしていなかったこと。

 にも関わらず、再現性があること。

 何より、他の誰にも真似できないこと。


「な……」

 言葉を失った者たちが見たのは、トラグバインの頭と共に落ちてきたクラウスの姿だった。


 地面を踏む音もなく、姿だけがそこにあった。

 手にした剣から、そしてケイランたちの前から〈障壁〉が静かに消えていく。


 ――皆、忘れていたのだ。

 普段の様子から、クラウスが“理解不能な”化け物であることを忘れていた。

 初めての実技授業で感じた、あの畏れを忘れていた。


 校内をふらふら散歩し、レポートに頭を抱え、レオナルドにしばかれる姿に見慣れて、自然とクラウスを“理解可能な”化け物にしていた。

 “天才”という言葉で足りずとも、誰よりも才を持てど、他の学生と一緒に――人間の範疇に括っていた。


 ひゅっと息を呑んだのは、誰だっただろうか。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

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次回のタイトルは、「力の行方」です。

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