92 長距離行軍訓練 夜襲
長距離行軍訓練、最後の夜。
クラウスの班は、ここまでの三日間と同様に見張りを立てながら順次睡眠を取っていた。
今はコックスともう一人が見張りをしている。
クラウスは見張りには加わらず、皆から少し離れた木の根に背を預けて座っていた。
膝の上に腕を組み、頭を少し垂れる。
眠るというより、耳を澄ませているような姿勢だ。
何かあったら起きよう。
そう考えて、瞳を閉じる。
脅威の気配を、眠りの中でも嗅ぎ取る。
クラウスには、そういう特質がある。
そしていま、クラウスは目を覚ました。
気配の方向を確認しながら、草むらに身を隠す。
獣のように身体を低くした。
まだ気付いていない班員には、伝えなかった。
これは班員たちにとって“脅威”だが、命に関わる“危険”ではないからだ。
自身の、そして班員たちの課題を思って、クラウスはただ自身の身体を闇に溶かした。
クラウスがそのまま、気配を消していると、弓矢がコックスの頬をかすめた。
「……ッ!? 敵襲! 敵襲だ!」
一瞬状況を飲み込めなかったようだが、すぐに班員に声をかけ、臨戦体勢に入った。
「反応が遅い! マイナス五点だ!」
草むらから、二人の教官が飛び出す。
月の光の元、木剣を突き出しながら一人の教官が声を張る。
「ほら! 疲れてるのか? 普段より力が出てないぞ……っと」
コックスは教官の攻撃を受け止めるも、勢いに押し負けてしまう。
急ぎ近くの班員がコックスのフォローに入り、見張り以外の班員もまた、戦闘態勢に入っている。
「気をつけろ! 弓兵もいる! 矢の角度からして木の上だ!」
コックスの声に応じるかのように、弓矢が飛び、一人の班員に当たる。
「イッッ」
「当たったやつは戦線離脱な〜」
弓矢の鏃は潰してあった。刺さりはしない。
よほど下手なところに当たらなければ、痛みはあれど、怪我はしない。
だが実戦を想定しての訓練として、戦力から減らされるようだ。
「この課題は生け取り、または撃退だ! 実戦では時にそういった対応を求められるぞ!」
教官の台詞に、コックスは「嘘だろ?」と思った。
それは、ただの討伐よりもはるかに難しい。
教官側は人数が少ないとはいえ、一人一人の力量はあちらが上だ。
魔術を使えればひっくり返すことができるが、生け取りを目的とするなら、殺傷性の高い魔術は使えない。
ここまでで築き上げた、魔獣に対するような連携を組めないのだ。
そして、自分たちには明日の行軍もある。それも考えて配分せねばならない。
「まず弓兵を潰す! お前ら三人は発射元へ向かえ! 残りは警戒しながらこの二人を相手取る! 決して奴らの後を追わせるな!」
班長の指示に、班員は迷いなく従う。
夜襲においてまず潰すべきは弓兵。
この人数差だ。弓兵さえいなくなれば、勝機はこちらに傾く。
弓兵に背後を見せぬよう気をつけながら、ジリジリと二人の教官を八人で囲んでいく。
すると、コックスの背後からガサっという音がした。まだ一人、潜んでいたのだ。
「はい、コックス脱落。剣での攻撃なら死んでるぞ」
突如現れた教官はそう言うと、コックスの背中を思い切り蹴り飛ばす。
その勢いで、コックスは前へつんのめった。
突如現れた敵。そして、崩された陣。
それでも、パニックにはならない。
「慌てるな! 注意する相手が三人になっただけだ! 人数の利はこちらにある! 弓兵さえ潰せばいいことに変わりはない!」
「お、言うねえ」
コックスを倒した教官はそう楽しげに笑うと、残りの二人と違いそのまま攻撃を仕掛けてきた。
それに合わせて残りの二人も動く。
弓でやられた者とコックスを除くと、六対三。
教官一人相手に、二人で対応できる計算だ。
だが、弓兵からの攻撃に加え、まだ姿を現していない敵がいるかもしれないと考えると、目の前だけに集中し切ることはできなかった。
ぴんと張り詰めた空気の中、声が響いた。
「弓兵を捕まえた! 味方をやられたくなかったら剣を捨てて投降しろ!」
教官たちは、「早いな」と思いながら剣を捨てる。
あくまで“戦闘課題”であるため、学生たちがある程度できていたら、適当に撤退してやるつもりだったのだ。
三人の教官を、六人の生徒が捕まえた。
そのとき、上方で葉の擦れる音がした。
「あっはっはっはっは!」
大きな笑い声が聞こえた。
弓兵の教官が、笑いながら木の上から降りてきたのだ。
「面白いはったりだ」
木陰から降り立った教官は、月光の縁に立ち、楽しそうに手を叩いた。
「追いかけられたから逃げたけど、まだ捕まってはなかったよ。いやぁ、矢を射れない状況を作って捕まえたことにして、他の者を先に捕まえるのは面白い手だ」
この台詞に三人の教官は笑い、その場にいた八人の生徒はギョッとした。
本当は捕まえていなかったのか――成功したからよかったものの、危うい賭けではないか。
「くっくっく……よし、もう離していいぞ。全体的にいい動きだった。手も面白い。加点十点」
生徒たちは内心では歓声を上げたが、教官の前ではそれを表に出さない。
いつも通り、「はっ!」と敬礼をする。
「ちなみに、クラウスはどこにいる?」
教官が、周囲を見回して問う。
すると、ガサっという音とともに、クラウスが立ち上がった。
「ここです」
自分たちが戦っていたすぐそばの草陰から巨体が現れ、教官は目を丸くした。
気配の無さから、もっと離れた場所に居ると考えていたのだ。
「…….クラウスも加点十点。ちなみに、いつから狙われていたか分かる者はいるか?」
班員の視線が、見張りを任されていたコックスたちに向かった。
しかしコックスたちは、矢を射られるまで教官たちの存在に気付かなかった。
そんな中、クラウスが手を挙げる。
「クラウス。いつからだ?」
「今日通った最終チェックポイントを過ぎてから、気配が増えました。それぞれが襲撃場所に着いたのは、矢が射られる直前――五分前くらいです」
班員たちは皆、顔を見合わせる。そんな前から教官たちがついてきていたとは、気付きもしなかった。
「――正解だ。加点十点」
クラウスの答えに、教官は苦笑いする。
胸の内に、「これで座学で点が取れていたら、学年主席も狙えるのに」という考えがよぎった。
“アイゼンハルト”の名を持ち、その兄弟のうちで最も実技に優れているクラウスが燻っていることを、この教官はもったいなく考えていた。
――まぁこの学年には、座学が満点、記述式だと満点以上の回答をするレオナルドが居るからなぁ。
ひとつ息を吐き、教官は思考を切り替える。
「あと……」
クラウスが、「これも言った方がいいのかな?」という顔をしながら言葉を続けた。
「あと、どうした?」
「イヴァール教官が途中で離脱しました。たぶん、チェックポイントに戻ったんだと思います」
「――クラウス、加点十点」
場がざわついても、おかしくなかった。
この場にいる者は、それだけの衝撃を受けていた。
確かにイヴァールは途中で離脱した。この班の野営位置を確認し、他の班の襲撃の際に遭遇してしまわないよう、チェックポイントの教官に告げに行ったのだ。
人数が変わったことだけでなく、“誰が”“どこへ”まで言い当てられたことに、教官は苦笑を深めた。
――まったく、これだからコイツは。
クラウスについては、筆記テストの得点から、クラス分けのときに多少揉めた。
しかしやはり、これだけの逸材ならば上位クラスに振り分けたのは正解だった。
教官は心中一人頷く。
「では我々はここから撤退するが、この後も見張りを怠るなよ。また魔獣や敵襲が来ないとも限らん」
「はっ!」
班員全員で軍人式の礼をとる。
「よくやった」
そう言って、手を振りながら教官が去ると、班員たちはざわざわと「襲われるとは思わなかった」だとか、「最終日の夜中にこれは卑怯だろ」だとか話し始める。
クラウスはそんな彼らを見て、音もなく茂みへと戻っていった。
班長の「ほら、明日もあるんだぞ! 見張り以外は全員休め!」という声を聞きながら、クラウスはもそもそと、また眠りについた。
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次回のタイトルは、「終点の空」です。




