90 長距離行軍訓練 肩を並べて
「コンラッド、休憩を入れてくれ。今日は魔力消費が大きい」
ダリオの一声で、ケイランたちは足を止めた。
四日目の午後、陽が頂点を過ぎ始めた頃だった。
「――分かった。少し休憩にしよう」
コンラッドが答え、班員は荷物を下ろす。
ケイランも班員の疲れに気付いていた。
特に一部の貴族の足取りが重くなり始めている。
そろそろ一言かけて休憩に入るべきだと考えていたのだ。
だが、なぜ歩調が落ちているのかは分からなかった。
純粋な体力の問題ではないはずだ。
普段の訓練ではケイランと同じように動いている者たちまで遅れを見せ始めていたのだから。
「魔力の消費……」
ケイランは小さく呟いた。
魔術使用後の疲労や“魔力欠乏”の概念は知っているが、魔術を使えない自分には実感を伴わない感覚である。
ケイランが視線を上げると、ダリオと目が合った。
「魔力は身体を駆け巡る血液のようなものだ。剣を振ったときの筋肉疲労とは違って、使いすぎると貧血のような症状が出る。それを超すと寒気や頭痛。最悪は衰弱して死に至る」
「死って……!」
『魔術の使い過ぎで死ぬ』という言葉を初めて聞いたケイランは息を呑んだ。
そんなケイランに、ダリオは鼻で「フン」と返す。
「魔力のコントロールが利かない子供でもなければ、そこまで使い果たすことはない。というか、自然とストッパーがかかって、できない。とはいえ、今日は〈風〉や〈水〉の魔術を多用する戦闘が続いた。下手をすれば、次の戦闘で体力を使い果たす」
ダリオ自身の適性は〈火〉であり、今日はまだ魔術を使っていない。
山道では、川辺、岩場でもなければ〈火〉の攻撃魔術は撃ちにくい。よほどの緊急時でなければ、使うことはない。
しかし、他の貴族の様子を見て、コンラッドに声をかけた。
ここまで魔術を使ってきた当人たちは何故、疲労を申告しなかったのか。
そこには、平民である班長に弱みを見せたくないというプライドがあった。
彼らから不満げな視線がダリオに向けられるが、彼は再び「フン」と一蹴した。
「どうすればいい?」
コンラッドがダリオに尋ねる。
疲れている者たちよりも、元気であり、そして状況を把握している者に意見を求めた方が良いと考えたからだ。
「言っただろう。血液のようなものだと。何か食べさせて、五分でも十分でも目を閉じていれば多少は楽になる」
「分かった。まだ糧食はあるな。口に含んでくれ。残りの者で護衛と狩り、偵察を行う。――ここまで無理をさせてすまなかった」
コンラッドは疲れている者たちに向けて、頭を下げた。
班長が頭を下げるのを見て、彼らは戸惑った。
「……魔術を使う分、俺たちは後衛だった。前で戦っているお前らに弱音を見せたくなかっただけだ。お前が頭を下げる必要はない」
代表して一人がそう答える。
それに対しコンラッドは、「ありがとう」と返した。
コンラッドの指示で、ダリオとケイランは護衛の任に残った。
休憩を命じられた者たちは目を閉じている。
眠りに落ちた者もいれば、眠れずにいる者もいる。
『助かった』
ケイランはダリオに礼を言いたかったが、休む者たちの邪魔になりたくはない。
そのため、黙って周囲を警戒する。
葉がさわさわと擦れる音。
昨日の雨が残した泥の匂いが、風に乗って流れていく。
鼻から肺にかけて流れる空気が心地よい。
気候だけでなく、ダリオとの間に流れる空気も、心地よさの理由にある気がした。
コンラッドたちが戻ってきて、その静けさは終わりを迎えた。
どうやら大物は狩れなかったらしい。
「果物をいくつかと、蛇を狩ってきた。蛇は捌くから先に果物を食べてくれ。幼虫は……食べないんだよな?」
コンラッドが、疲れて休んでいる貴族たちに向けて尋ねる。
案の定、彼らは顔を歪めた。
山の中の食料は限られている。
多くの動植物が生息しているが、食用になるもの、手早く採れるものは少ない。
食料を求めて魔獣と遭遇し、討伐したはいいもののその魔獣は食せる場所がないということもある。
幼虫は住む樹木や土さえあれば比較的容易に採れ、栄養価が高い。
だが貴族――いや、多くの王国民には虫を食べる文化がなく、口にするのを嫌う者が多い。
出身地や育ちによっては日常的に食べていた者もいるがごく一部だ。
正直に言えばケイランも得意ではない。
できれば別のものを食べたい。
コンラッドは捕まえた幼虫を寂しげに見つめる。
大きな葉に包まれたそれは、想像より多かった。
貴族たちはやはり、「そっちをくれ」と果物に手を伸ばす。
ケイランはそれを見て「まあそうだろう」と思いながら、誰が幼虫を食べるのかと遠い目をした。
いくら栄養価が高いとはいえ、休ませるべき者の精神に負担をかけるべきではない。
そして、自分は副班長として模範を示す必要もある。
「俺は虫で――」
「それを寄越せ」
ケイランが手を伸ばすと、ダリオがケイランの言葉を遮り、先に手を伸ばした。
ケイランは驚いてダリオを見返す。周囲も同じような反応だ。
貴族のダリオが、他に選択肢があるにもかかわらず幼虫を選ぶとは誰も思わなかった。
そんな注目を浴び、ダリオは言った。
「レオナルドなら食べるだろう」
その一言が、場に静かな納得と気まずさを生んだ。
レオナルドなら、どんなものでも表情一つ変えず口に運ぶ。
栄養があるのなら、泥であろうと飲み込むだろう。
そしてその行為で彼の高貴さが損なわれることはない。
むしろ、食べられるものの方が高級食材に見えるほどだ。
ここで幼虫を食べるのは合理的だ。
だからレオナルドならきっと食べる。全員がそう思った。
そして――
「レオナルドが食べるものを、食べないっていうのはちょっと違うよなぁ……」
軍人学校で誰よりも身分が高いレオナルドが食すものに、文句はつけられまい。
ケイランは独りごちて、ダリオに続き虫を掴んだ。
「……あぁ、不味い。次はもっと蛇を狩ってくれ」
ケイランが言うと、コンラッドが笑った。
「狩れるならそうする。それと、俺は虫や蛇より肉が食いたい」
この程度の食事で腹は満たされない。
しかし空気は和み、休息は得られた。
口直しにベリーを頬張ったケイランは、ダリオにもそれを差し出す。
先ほど言えなかった、一言を添えて。
「助かった」
「思ったことを言ったまでだ」
いつもと変わらない口調。
しかしベリーを口に入れると、眉間の皺が少し緩んだ。
――やっぱりコイツも不味いと思ってたんじゃないか。
そう思い、ケイランは小さく笑った。
次回のタイトルは、「歩調を合わせて」です。




