87 長距離行軍訓練 灯された誓い
――パチリ。
炎のはぜる音で、ダリオは現在に意識を引き戻した。
すでにケイランはこの場から去っている。
火の世話をダリオに託し、他の班員の手伝いに行ったのだ。
真っ直ぐな礼だった。
嫌味を言われたにもかかわらず、あの男は素直に感謝を口にした。
ケイランの方を一瞥し、ダリオは再び炎に視線を落とす。
小さな火種が、今では薪を赤々と燃やしている。
ダリオは平民を差別している。
身分そのものではなく、「貴族より劣っていても仕方ない」とする姿勢を、彼は嫌悪した。
魔術という力も、身分という力も持たないのなら、他で補え。
剣術でも学問でもいい。自らの力でその差を埋めろ。
何か一つでいい。がむしゃらに、自身の価値を示せ。――そう思っていた。
自らの舞台に上がり、戦えと。
しかし、平民はそれをしない。
だから彼は平民を差別した。
けれど、コンラッドとケイランは違った。
班長のコンラッドは状況を的確に判断し、班を導いた。
魔獣の多い区域を避け、体力配分を考え、休息のタイミングを見極める。
副班長のケイランはコンラッドを支え、班員の疲労に目を配り、場をまとめていた。
二人とも、確かに自分の力を発揮していた。
指揮と統率という形で。
昨日、ダリオは「偵察など必要ない」と嫌味を言った。
平民全体への苛立ちを、この二人にぶつけた。
彼らの価値を認める前に、否定していた。
理由は単純だ。
ずっと彼らを否定したかったからだ。
ダリオは常日頃から、平民の在り方を否定したかった。
平民の思考を否定したかった。
彼らは、“貴族”と“平民”という単純な線で分ける。
貴族の中には明確な上下があり、一括りにできるものではないと知らない。
知っていたとしても、実感が伴っていない。
身分も、能力も。
平民のように、それらが“無い”わけではない。
だけど、“同じ”でもない。
持つものも、背負うものも違う。
――自分なんかを、レオナルドと同じ“貴族”として括るな。
彼は貴族の中でも特別で、突出した存在なのだ。
あの完璧な男を、自分のような存在と並べるな。
そんな思考が、訓練の疲労と苛立ちで溢れ出た。
とにかく彼らを否定したくなった。
それに――
「また、嫉妬していたのかもしれないな」
誰にも聞こえないように、ダリオは呟いた。
「羨ましかった」
レオナルドと親しいケイランが。
認められているケイランが、羨ましかった。
ダリオは、ぐっと拳を握った。
ケイランたちに向ける感情には、かつてレオナルドに抱いたような重さも、暗さも、熱もない。
ただ、胸の奥がざらついた。
彼らの存在が、不快で仕方なかった。
「なのに、礼を言うんだな」
馬鹿にした自分に、礼を言った。
真っ直ぐに見つめて、本心から感謝を伝えた。
「……私が、馬鹿みたいじゃないか」
悔しいと思う。
その度量が、振る舞いが、レオナルドの目に適ったと分かってしまった。
ダリオは俯き、下唇を噛んだ。
そしてすぐに顔を上げる。
「結果を出す。私にできることで班に貢献し、私の力を示す」
炎が静かに揺れた。
ダリオは立ち上がり、薪を手に取る。手のひらで木の感触を確かめ、それを炎に投じた。
火は勢いを増し、周囲をより明るく照らし出す。
小さな誓いを胸に、ダリオは残りの訓練に臨む決意を固めた。
三日目の夜は、静かに更けていった。
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次回のタイトルは、「沈黙の終わり」です。




