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84 長距離行軍訓練 自制の価値

 訓練開始三日目。

 レオナルドは、ケイランの想像通り苛立っていた。


 しかし、表情にも態度にも出さない。

 班員から視線を向けられると、穏やかに笑顔を返した。

 それがまた、班員たちにとっては不安の種となった。


 レオナルドの班の班長は、良く言えば他人の意見に耳を傾ける、悪く言えば優柔不断な男だ。

 そして班員もまた、求められれば意見を出すが、それを貫き通そうとする者は少なかった。

 幾人かは「自らの意見こそが」とはっきり物を言う者も居たが、それは他の誰からしても納得できる内容ではなかった。


 そのため、彼らはレオナルドの顔色を窺うのだ。


『この選択で間違いはないだろうか』


 そのような、意図を込めて。

 レオナルドはそれに是も否も返さず、常に同じ笑顔だけを返した。


 レオナルドは、もしこの訓練を乗り越えるだけならば、一班員の立場としての意見を出し、それとなく誘導しても良かった。

 だが彼は、目の前の訓練のみに焦点を当てていない。


 将来の“軍”を考えたとき、学友たちには成長してもらわねば困る。

 決断に時間がかかる――言い換えれば思慮深い彼らは、いずれ軍を支える人材となるだろう。

 同僚は、優秀な方がいい。


 その能力を育てる一端である訓練を、厳しくこそすれど、易しくするつもりなど欠片も無かった。


 この班が今回の訓練を乗り切れなくてもいい。

 自分への課題を考えるとそれで評価が落ちることはないだろうし、仮に落ちたとしても構わなかった。

 “軍人学校での評価”よりも大切なものがある。

 それに、レオナルドにとってその程度の減点は、すぐに取り戻せる範囲だ。


 だが、それはそれとして、遅々として進まないこの状況に、苛立ちを覚えずにはいられなかったのである。

 ただでさえ他の班より出発が遅いのだ。それを踏まえて行動できないものか。


 ――俺への課題は、“班をまとめ上げないこと”以外に“忍耐”もあるのだろうな。

 それなりに問題を起こしている自覚のある身からするとやむを得ない。

 そう考え、レオナルドは小さくため息をついた。


 三日目にもなると、その遅れは明確な焦りとなった。

 四泊五日の行軍だ。体力を鑑みると、三日目の今日は早い時間に折り返し地点にたどり着いていたかった。遅れれば帰路の行程にも響く。


 だが現実には、昼を過ぎてもレオナルドたちの班は折り返し地点に着いていなかった。

 その遅れは、休息を削るか、足を速めるか、どちらかを選ばせることになる。


 班員たちは、疲労や苛立ち、不安を覚えている。

 その中でレオナルドは一人、涼しい顔で彼らを観察していた。


 ――そろそろ誰か心の内を溢すだろう。そこからどう建て直すだろうか。


 班長や副班長、その他の班員がどう成長するのか。興味深く見守っていた。


 もっとも、ただ観察ばかりしていたわけではない。

 レオナルドは、班員の休憩中にふと消えては、狩りや採取をして帰ってきていた。


 自分が彼らの狩りに混ざらないのに、その成果を分けてもらうわけにはいかない。

 だから自分の食事は、自分で賄った。


 クラウスも同様に考え、薄い気配のままふらりと消えては、ふらりと皆のもとに戻っていた。


 二人とも、それぞれ自分の班員が狩ったものと、同じ種類や量を狩り、食べた。

 魚なら魚を、ホーンラビットならホーンラビットを。

 班員が狩ったのが大きい魔獣の場合は、同じ量を一人で食べ切るのが難しいため、果物やその他の植物で腹を満たした。

 自らも班員ならば、彼らに合わせた食事を摂るのは当然だと考えたからだ。


 戦闘力に欠けるクラウスの班も、慎重すぎるレオナルドの班も、身体の大きなクラウスや、体格に比して食事量が多いレオナルドからすると、食事量は足りなかった。

 特にレオナルドにとって、この制約は苦痛だった。


 レオナルドは普段、軍人としての身体づくり――クラウスと並ぶための身体づくりとして、意識的に人より多い量を食べ、人より多く消費する。体術なり魔術なりの訓練や、他人より深く行う思考で、そのエネルギーを使う。

 そうやって、身体を鍛えていた。


 それが、この訓練の間はできない。

 彼にとって空腹を我慢するのは容易い。

 だが「身体を作る」という長期的な計画がこの四泊五日の間で乱されることは、もどかしかった。


 レオナルドは一人でも、この山で十分な食料を得ることができる。

 しかし本来、実戦では十一人と一人に切り分けられない。

 班員たちと共に過ごさねばならない。


 無論実戦の場合、レオナルドは今のように我慢はせず、班の誘導を行なっただろう。

 けれどレオナルドが居たとて、環境によっては班員全員に我慢を強いられる。

 その訓練だと思うと、身体の成長には非効率に思えようと、自分一人食事を増やすことはできなかった。


 彼は心中で、何度目かのため息を吐いた。


 そのとき――ぽつり。


 レオナルドの手の甲を、小さな雫が濡らした。

 先ほどまで在った陽光は薄まり、彼に影を落としている。

 頂点を過ぎて西に傾き始めていた太陽は、完全に雲に隠れてしまった。


 始めはぽつりぽつりと濡らしていた雨粒が、今ではざぁざぁと彼らの身体を打つ。

 雲の様子を見るに、明日の明け方にかけて雨が続くだろう。


 時間に追われる彼らは、雨の中、足を止めずに進んだ。

 チェックポイントに辿り着いたのは、雨が降り始めてから一時間ほど経った頃だった。


 そのとき、班員たちの視線は自然とレオナルドに向いていた。

 焦りが、不安が、そうさせた。


 それに対しレオナルドは、常と同じ笑顔を返した。

次回のタイトルは、「偵察が築いた夜」です。

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