81 長距離行軍訓練 二日目の課題
二日目の午前。陽が樹々の隙間から差し込む頃、ケイランは課題に直面していた。
差しかかった山道には、思いがけない冬の名残が残っていた。
山頂へと続く道では、雪解け水でぬかるんだ箇所が増え、足元が奪われる。
さらに、この一帯では冬眠明けで腹を空かせた魔獣が多く、活動を活発化させていた。
知識としては学んでいたが、実際に目の当たりにすると、なるほど――これは確かに"活発"だ。
一日目の行程は悪くなかった。少なくとも、ケイランはそう思っていた。
魔獣の多い区域を避け、力を抜けるところでは抜き、大きな問題もなく夜を越せた。
しかし今。踏みしめて進まねばならない足元。活発化した魔獣。
じわじわと体力が削られていく感覚に、ケイランは一日目との違いを痛感していた。
また、そこに居るのは平野ではあまり見かけない魔獣ばかりで、それも彼らの緊張を高めていた。
戦った回数が少ないものもいれば、一度も経験のないものもいる。戦闘にはいつも以上に注意が必要だった。
そうした魔獣たちがあちこちに姿を見せる中、彼らは山頂に設けられたチェックポイントを目指さねばならない。
山頂そのものは風が強く匂いが流れ、音も反響する。狩りがしづらい場所のため、魔獣の数が少ない。
そのため、歴代の訓練でも必ずチェックポイントとされてきたらしい。
ケイランは班員の様子を見て、コンラッドに声を投げた。
「チェックポイントは安全なんだよな」
意を汲んだように頷き、コンラッドは答えた。
「魔獣が少ないらしいからな。逆に言うと、肉が食いたきゃこの辺で狩ってかなきゃいけない」
コンラッドの返答に、ケイランは意図が伝わったことを感じる。そのままスムーズに核心に移った。
「チェックポイントの後のルートも考えると、昼飯を調達して一度休息した方がいいか」
ケイランの確認に、コンラッドが「そうだな」と返す。
これはすべて、班員に聞かせるためのやり取りだった。
班の中には、明らかに疲れが見える者が何人かいた。
しかし全員ではない。
「疲れが見えるから」といって休ませれば、一部の者から不満が出るだろう──その点を考慮したうえでの判断だった。
「よし。班を三つのチームに分ける」
コンラッドは指を一本ずつ立てていく。
「狩猟、偵察、待機だ」
合計で三本立つと、コンラッドは班員全員をゆっくりと見渡す。
「狩猟チームは六名、獲物と水の確保を行う。携行の糧食は残しておきたい。多めに取ってきてくれ。偵察チームは三名、チェックポイントまでのルートを詰めてくれ。足元の状況、魔獣の気配、周囲の環境を細かく報告すること。待機チームは荷物と拠点準備を任せる。メンバーは――」
コンラッドの指示が終わる直前、貴族の班員が鼻で笑った。
ダリオ・トリヴェリ。トリヴェリ子爵家の次男だ。
「この程度の魔獣ごときに怯えて、いちいち様子を探る必要があるのか?」
ケイランはその言葉に、疲労の苛立ちと、平民への侮蔑を感じ取った。
それは、嫌味だった。
魔術を思う存分扱えたなら、彼の言葉は正しかっただろう。
魔獣を撃退しながら、難なくチェックポイントまでたどり着けたはずだ。
だけど現実には、この班は魔術を温存しながら進まねばならない。
理由は単純。
メンバーの半数以上が平民だからだ。
貴族はほんの一握り。
そしてそのほんの一握りしかいない貴族では、「班員全員を守るために、満足に魔術を使用できる」とは言えない。
彼らがクラウスやレオナルドほど魔術が使えたら、前に進んだだろう。
しかし現実には、彼ら全員を合わせても、クラウスやレオナルドほど魔術を連発できない。
打つ回数だけでない。精度も、速さも、威力も――その全てが、二人の足元にも遠く及ばない。
一年半を共に過ごしたからこそ、ケイランは理解している。二人は貴族の中でも例外なのだ、と。
だけど「お前たちがもっと魔術を扱えたら、こんな偵察など必要ないのに」と糾弾することはできない。
――平民はそもそも、その域に立てていないから。
魔術が使えないため、貴族と同じ条件で戦い、班を守りながら進むことはできないのだ。
そのことを、ダリオだって分かっている。
だから彼の言葉は『様子を見る必要などない』という意味ではない。
『班員が貴族だけならば魔獣に怯える必要はないのに、平民という足手まといがいるせいで偵察を強いられている』
――そういった嫌味なのだ。
クラウスもレオナルドもいない今、普段は曖昧にされていた“身分の差”が、こうしてはっきりと表に出てしまった。
「あぁ、くそ」
ケイランは小さく呟いた。
おそらくこれが、自分に与えられた課題なのだろう。
身分の上の者を相手にしながら、班をどうまとめるか。
この遠征では、それが試されているのだ。
次回のタイトルは、「果たすべきこと」です。




