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80 長距離行軍訓練 四泊五日、開始

 冬休みも明け、荷を背負っての長距離行軍訓練が始まった。

 遠征任務を想定した本格的なもので、昼間はひたすら歩き、夜はテントを張って野営する。食料や水の管理、装備点検、夜番交代も訓練項目に含まれる。


 二年の初めにも長距離行軍はあったが、野営を伴うのは今回が初めてだった。

 前回は王都から半日ほどの距離にある訓練施設を利用した。前日そこに泊まり、夜明け前に叩き起こされてから夜遅くまで休憩なしで歩かされ続けた。

 目的は持久力の測定と精神力の強化にあった。


 その訓練後、平然としていたのはクラウスとレオナルドだけだった。


 二人には、周囲から異様なものを見るような視線が注がれた。

 クラウスが何度も向けられたことのある、“化け物”を見る目だ。


 だが、クラウスがそれに気付く前にレオナルドが口を開いた。


「軍人学校の生徒ともあろう者が、この程度で膝をつくのか?」


 そう、鼻で笑うように言い放ったのだ。


 軍人学校の生徒は腕っぷしや体力に自信を持つ者ばかりだ。

 にもかかわらず言い返せないことに、悔しさを覚えて顔を歪めた。

 ここで「お前らがおかしい」などと考えれば、負けを認めたようなものである。


 レオナルドの機転により、彼らは「異様な体力の化け物」ではなく「腹が立つが言い返せない相手」として認識されるようになった。

 そのおかげで、クラウスは彼らの視線に寂しさを感じることもなく、ただ「レオナルドがまた周囲を煽ってる」とあわあわするだけで済んだ。

 なお、この翌日、レオナルドが「今日は体力回復に使う」とベッドに倒れこみ長時間睡眠をとったことを知るのは、クラウスだけである。


 今回はそのときと同じ施設から出発し、二泊三日で山を越える。

 そしてまた別のルートを通り、同じだけの期間をかけて帰還する――往復で、四泊五日の行程だ。


 長距離行軍は十二人一班で行われ、編成は教師によってランダムに決められた。

 意図的に仲の良い者同士で固められることはなく、普段の生活班とも無関係である。


 各班は施設を起点に、時間差をつけて出発する。

 開始地点に着くなり即座に歩き始める班もあれば、何の指示もなく数時間その場で待たされる班もあった。

 その間の私語は当然禁止で、立ったままの待機そのものが忍耐力を試す課題であった。


 クラウスは最初の出発班、レオナルドは最後の出発班に振り分けられた。

 この訓練の間、二人が顔を合わせることはなかった。


 ケイランもまた別の班で、出発の順番は遅すぎも早すぎもせず、彼は「運がいい」と思いながら行軍に臨んだ。


 野営なしのときと異なり、今回は各々の判断で休憩を取れる。

 しかしその分、判断力や決断力が求められた。休みすぎても、飛ばしすぎても不達成となる。

 危険度は低いとはいえ、魔獣の出る山道を通るのだから、対処も考えねばならなかった。


 二学年も折り返したばかりであるのに、なかなか難易度の高い訓練だな――ケイランはそう感じた。


 彼はこの班の副班長を任されていた。

 班長のコンラッドは能力が高く、信頼のできる人物だった。もしクラウスとレオナルドがいなければ、学年の平民をまとめる“リーダー”と呼ばれていたはずだ。



 どの学年でも、大きく三つの派閥に分かれるらしい。

 不本意で軍人学校に入れられた貴族の子息と、望んで軍人学校に入った貴族の子息と、平民。


 貴族は平民を見下す。

 不本意で軍人学校に入れられた者は特にそうだ。

 そんな彼らは、"貴族"としてのプライドが"平民"と同じラインで過ごすことを許容できない。


 望んで軍人学校に来た貴族の多くは、実家の爵位が低いこともあり、差別意識を明らかに表に出す者は多くない。

 "軍人"としてのルールで上下関係があるべきだと考えている。


 だがどこか、平民は自分たちの下だというのが見え隠れする。

 当然だ。

 彼らと平民の間には、"魔術"という越えられない壁があるのだから。


 平民は、表向きは後者と親しい。

 彼らが親しげに話しかけてきたら、そこに堂々と反発はできない。

 "差"がある以上、学校を出たら彼らより下になるのだ。堂々と反意を示す者は少ない。


 そして、それぞれにリーダー格が生まれる。


 しかし現在、この学年では貴族にも平民にもパッと見てわかる派閥はなく、"リーダー"と呼ばれるような者さえ居ない。

 これは、クラウスとレオナルドという異端児たちのせいである。特に、レオナルド。


「レオナルドの上に立てる」と考える者は、この学年には居ない。

 元々居なかったわけではない。だが、居なくなった。

 授業の、訓練の、いや、日常生活の中でさえ、レオナルドを前にして「自分の方が優れている」と言える者は、この学年からは居なくなっていた。

 唯一それを言えそうなクラウスは、そんなことを考えない。


 そのくせレオナルドはクラスや学年をまとめ上げない。

「俺は外様だからな」と言って、何かするときはクラウスを使っている。名目的に、クラウスが行ったこととしてるのだ。

 しかしそんなこと、生活を共にする級友からしたらすぐにわかる。

 だから、この学年の貴族に“リーダー”は居ない。


 また、レオナルドもクラウスも貴族平民関係なく話す。「平民だから」という理由で見下すことはない。

 誰彼構わず仲良くするわけではないが、こちらが友好的に話しかければ、彼らは友好的に言葉を返す。特にクラウスにはその傾向が強い。

 ――クラウスの素直さは、時折心配になる程だ。まぁその分、レオナルドが篩にかけているのだが。


 そのように、身分で見たときに最も上であるレオナルドが身分差別をしないのに、その他の者がそれをするのは難しい。


 もちろん全て表向きのことであり、そういった状況を快く思わない者や、レオナルドを嫌っている者も少なくない。

 だが、それを表に出す者は少なくなった。特に、この半年でそれが顕著になった。

 それが何故かは……ケイランは、あまり考えたくなかった。


 ちなみに“アイゼンハルト”がいる年は、通常“アイゼンハルト”が皆を導く立場となるらしい。

 この“皆”には貴族平民関係なく、こちらも、少なくとも表向きは、その学年全員が彼らの下につくそうだ。

 しかしクラウスは、そういうタイプではない。


 とにかく、クラウスとレオナルドの存在のせいで、この学年内にいわゆる"派閥"や"リーダー"は存在しない。

 だがもし二人の存在がなければ、コンラッドは平民のリーダーと呼ばれただろう。

 そんなコンラッドと同じ班だったこともまた、ケイランは幸運だと思った。

次回のタイトルは、「二日目の課題」です。

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