78 レオナルドの帰省 友が語る輪郭
クラウスは、たしかに「伯爵家の落ちこぼれ」ではあるが、それは主に勉学ができないことや言葉を知らないこと、感情がすぐ表に出ることに対してであり、礼儀作法は習得していた。
それは、見て覚えるものだからだ。
そのため、挨拶の動作も食事の所作も綺麗だった。野生的な顔立ちに似合わぬほど、洗練されていた。
高位貴族のシュヴァリエ侯爵家でも、眉を顰められることはなかった。
だが口を開くと貴族らしくない。
敬語は使う。可能な限り使う。言葉を知らないが、それでも分かる範囲で使う。
しかし迂遠な物言いはできないし、しない。
レオナルドの家族と食事をした時も、直接的に、楽しそうに、レオナルドとの学生生活を語った。
クラウスの表情や話し方は裏など感じさせず、とにかくレオナルドを好意的に想い、親しくしていることがわかった。
彼の言葉からは、レオナルドの素顔が零れ落ちていた。
「どこそこで何を食べました」
「レオナルドも気に入っていました」
「おいしかったよな」
クラウスの語るレオナルドには、侯爵家次男としての顔など関係なかった。
さすがに殴り合いの喧嘩などは伏せたものの、それ以外は当たり前のように、日常の“レオナルド”を語った。
「レオナルドは頭がいい」
「たぶん軍人学校で一番頭がいい」
「いつも勉強を教えてもらってる」
「テスト前にノートも作ってくれる」
レオナルドの家族は、前半の二つは「そうか」と頷いたが、後半の二つは「レオナルドはそんなに面倒見が良かったのか」と驚いた。
クラウスとはそれほどまでに親しいのだな、と好意的に受け取った。
「レオナルドの魔術はすごい」
「体術も優れている」
「自分と一緒に訓練できるのはレオナルドだけ」
「レオナルドはものすごく強い」
これも、先の二つはレオナルドの努力や能力を知っている家族は「そうか」と頷いた。
しかし後の二つは友としての気遣いだと感じ、クラウスはいい子だなと受け取った。
まさかレオナルドが常軌を逸した鍛え方をした末に、学内最強のクラウスと拳で語り合っているとは思いもしなかった。
レオナルドは、クラウスが家族と話す間は基本的に「侯爵家次男」であった。
だがときに眉を寄せ、小さく素の笑顔を見せた。
その一瞬の「ただのレオナルド」の表情に、アレクシスもマーサも驚き、そして嬉しく思った。
この訪問時、シュヴァリエ侯爵家の食事などはクラウスに合わせたものだった。
レオナルドが事前にクラウスの情報を送ったからだ。
そして、久しぶりに帰って来るレオナルドの好みを、誰も知らなかったからだ。
……「好み」を知らなかったというより、「好き嫌いがあること自体」を知らなかった、の方が正しいのかもしれない。
レオナルド自身でさえ、自分に好き嫌いがあることを知らなかった。
対外的に親しみやすさを産むため、多少の設定はあった。
侯爵領の名産や相手の家の名産、褒めるべき食材と調理法、他領が力を入れている産業に対し好意的に口を開いた。
だがそれは彼自身の嗜好ではなく、家のために整えられたものだった。
故にレオナルドの家族は、シュヴァリエ侯爵家の使用人は、「レオナルド」を知らない。
けれどクラウスは、侯爵家で何かを食べたとき、何かを見たとき、「レオナルドが好きなやつだ」と躊躇いなく口に出した。
レオナルドの趣味と異なるものを食べたり見たりすると、キョトンとすることもあった。
趣味と異なると言っても、レオナルドがそれを苦手としているというわけではない。
そもそも、彼に“苦手”なものはない。
なんでも食べられる必要があり、どんなときも笑顔を浮かべるためには、苦手な食べ物は必要がない。
暗所や高所、虫や蛇など、一般的に苦手とする者が多い物事についても、怯えることはない。いつどこにおいても冷静に物事を判断するためには、そんな“苦手”は必要なかった。
だけど、好きな物はあった。……いや、自分にそれがあることを、クラウスと過ごし知った。
そのように心が動いていたのだと知った。
食べ物に、その質や調理手法に対する評価ではなく、「おいしい」と感じていたことを知った。
小物や装飾品に、流行りや格式だけでなく「気に入った」と感じていたことを知った。
クラウスは一緒に生活する中で時たま、「へぇ、レオナルドはそれが好きなんだな」と言った。
特に何も考えずに言った。
それによりレオナルドは、「自分はおいしいと感じていたのか」「これを好ましく思っているのか」と自らの心の揺れに気付いた。
レオナルドはクラウスの言葉で、「ただのレオナルド」の形を見つけていった。
それは、侯爵家次男としては負担になるのかもしれない。
心を揺らすというのは、負荷がかかるということでもある。
知らない方が、逐一心を動かすことなく、迷いなく最適な言動ができた。
だけどレオナルドは、クラウスに出会い、自分の輪郭を知り、形を見つけていってしまった。
次回のタイトルは、「次の約束」です。




