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73 魔術の勉強 一番丁寧な魔術

 クラウスの気まずそうな顔を見たからか、レオナルドは「……まぁ、この話はいいか」と、“詠唱”についての話に移った。


「これに対して、詠唱は『こんなことをしたい』と伝える工程だ。意志を世界に接続する媒体とも言える。最初に教わる“完全詠唱”は、“世界”に対して丁寧に願いを届けられる言葉だ」


「家を作る、とかの話からは変わるのか?」


 キョトン。

 レオナルドは、クラウスの顔からそんな音が落ちてきた気がした。


「言っただろ。アプローチが違うんだ。術陣は、『こんな家を作ろう』と描く設計図。発現させるときは、それを使って自分で構築する。詠唱は、『こんな家が欲しい』と伝える言葉。発現させるときは、それを元に組み立ててもらう」


「おう……?」


 たった二音に込められた『何を言っているのか分からない』に、レオナルドが応じた。


「『命じる』とか『指示する』の方が分かりやすいか? 自分で素材を組み立てるんじゃなく、素材を渡して作ってもらうんだ」


「……誰に?」


「“世界”に」


「“世界”……?」


 クラウスの声からは、疑問符がまったく取れない。


 しかしレオナルドは、それを厭わずに説明を続けた。


「ここも、学説はいろいろあるんだ。王国では“世界”というのは、魔力を形にする自然の法則を指すことが多い。魔力というエネルギーを、自然法則の働きで望む形に変えるんだ。だが信仰が違う国や地域では、“世界”を“神”と同一視することもある。その場合は、“神に乞う”と定義している。そういう場所では、魔術が使える者は、王国の貴族制よりも立場が強い」


「政治の話まで関わってくるのか……?」


 もしコイツがそんな国で生まれていたら――物心つく頃には祭り上げられていただろう。

 そして、その素直さをいいように利用されたに違いない。


 ありもしない「もしも」を想像し、レオナルドはひとつため息をついた。


「ま、今は政治の話は置いておこう。どの学説でも共通するのは、詠唱が『思いを世界に伝えること』だということだ。命ずる、指示する、乞う……ラブレターに例えた者もいるな」


「ラブレターはまた……だいぶ違わないか?」


「同じだろ。意思を伝えて、望むように動かすんだ」


「……お前にとってのラブレターと、俺が考えるラブレターは、違うのかもしれない」


 そうなのか? と返すレオナルドに、コイツは“恋”とか興味ないんだろうなぁ、とクラウスは感じた。

 なお、クラウスも初恋はまだである。


「つまりお前が普段やってる無詠唱魔術は、設計図も描かず指示も出さず、資材だけで欲しい家を手に入れてるってことだ」


「『お前が』って、お前もじゃねえか」


「……逆に両方を使えば、『こんなものを建てたい』と設計図を作ったうえで、意志を伝えて作り上げることになる。これは脳内だけで考え込むよりも、集中力や魔力の消費を抑えられる」


『俺の無詠唱は、お前のそれとは違う。基礎の上に築かれたものだ』


 レオナルドはその言葉を飲み込み、代わりに説明を続けた。

 クラウスの“才能”を突き放すような一言は、今は必要なかった。


 クラウスは『なぜか流された』と感じたが、理由を問わなかった。

 続けられた『集中力や魔力面で楽になる』という説明から、「だからレオナルドは手合わせのとき、たまに詠唱や術陣を使うのか」という納得へと、思考が移っていったからだ。


「つまり、詠唱や術陣を使えると、楽に魔術を展開できたり、複雑な魔術を使えるようになったりするってことだよな」


「そうだな。……これまでの話で、何か引っかかったり、気になったりしたことはあるか?」


 レオナルドはクラウスの“感覚”に重きを置いていた。

 そして、自分の“常識”が、クラウスの成長の邪魔になるかもしれないとも考えている。

 だから、クラウスの望む方針を補佐すること以外で、手出しするつもりはなかった。


「ん〜……障壁を張りっぱなしにするの、みんなやってないってことは、難しいことなんだと思う。だから、一番丁寧にやった方がいいんじゃねえかなって思った。そうすると、術陣と詠唱の両方を使うってことだよな」


「どうだろうな」


「どうだろうなってお前」


「俺にとっては、術陣と詠唱の両方を使うのが一番丁寧な方法だ。おそらく一般的にもな。ただ、お前にとってそうか分からない」


 レオナルドの指が、トンと先ほど「魔力」と書いた紙を叩く。

 それ以外は何も書かれていない。まるで、その先を描くのはクラウス自身だとでも言うように。


「術陣も詠唱も、あくまで“手段”にすぎない。『お前にとっての一番丁寧な魔術』に、必ずしもそれらが要るとは限らない」


 その言葉に、クラウスは『ぷすぷす……』と音が出そうなくらい考え込んだ。


 難しい術陣や詠唱の知識を山ほど詰め込んで、それを扱うのは“丁寧”と言えるのか。

 上手く書けない文字を使って作る術陣は、本当に魔術を“丁寧”に仕上げているのか。


 自分にとって“丁寧”に作り上げる方法は、何か。


 クラウスは、自分と向き合う必要性を感じた。


「……ちょっと考えてみる」


「あぁ。また何かあったらいつでも訊いてくれ」


 レオナルドは、部屋を出ていくクラウスを見て、訓練場に向かうのだと察する。

 身体を動かしながら頭を使うのだろう。

 あいつは本当に、座っている時間の方が短い――そう思いながら口元を緩めた。


 そしてレオナルドは、自分ならどうするかを考えた。


 〈障壁〉は展開している間、魔力を消費し続ける。

 クラウスは、自分を外側に置いた半球型の〈障壁〉を張り、そのまま遠くへ行きたい。

 それも、視界に収まる範囲ではなく、設置した〈障壁〉を残したまま、はるか離れた場所へ。


 だが、そんな距離から魔力を注ぎ続けることは現実的ではない。

 ならば、その場で魔力を調達させるしかない。たとえば、魔石。


 精密な魔術陣を描き、その内部に魔力を大量に貯蔵した大型の魔石をいくつも配置する。

 大規模な魔術具を組み上げるイメージだ。

 だが、書き込む内容や使用する魔石を考えれば、必然的に巨大な陣となる。

 そこに発動の際、編み上げた詠唱を重ねる。


「……まるで儀式だ。現実的じゃない」


 それだけやっても、一定以上の衝撃が加われば〈障壁〉は崩壊する。

 術陣が歪んだり、欠けたりしても同じだ。

 内部で〈障壁〉を託される者が、それを正しく理解していなければならないし、仮に破損すれば、再起動はほぼ不可能だ。

 それができる者を場に残せないからこそ、今回の命題が生まれたのだ。


「俺には無理だ。それでも――」


 クラウスなら、やってのけるのかもしれない。

 レオナルドは瞳を細める。

 まるで、眩しい陽光を正面から受けたときのように。


 一時間後。


「まだ小さいけど、遠く離れても壊れない〈障壁〉ができた!」と駆け戻ってきたクラウスに、レオナルドは思わず目を瞬いた。


「……どうやって?」


「張りたい場所を円で囲って分かりやすくして、『ここに〈障壁〉を固定したいからお願いします!』って声に出して伝えた!」


 返ってきた答えに、レオナルドは心の中で呟いた。


 ――想像の越え方が、想像を越えている。


 レオナルドからは、自然と苦笑が漏れていた。

次回のタイトルは、「レオナルド十六歳の誕生日」です。

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