72 魔術の勉強 構造と意思
「魔力というのは、簡単に言えば変換前のエネルギーだ」
レオナルドは新たな紙を取り出し、左端に“魔力”という文字を書き、円で囲んだ。
文字を読もうとしなくても、レオナルドの語り口だけで、クラウスはその単語が何を指すのか分かった。
「エネルギー……。その、言葉はよく聞くんだが、具体的に“エネルギー”ってなんだ?」
疑問点を質問できるのは、クラウスの美点だとレオナルドは思う。
たしかにクラウスには、素直に問える性質がある。だが軍人学校入学前の環境を思えば、その性質は失われてもおかしくなかった。
レオナルドと出会い、『訊けば答えてくれる』という信頼が生まれたからこそ、彼の中に質問するという選択肢が自然と残ったのだった。
「そうだな……。なんらかの仕事をする能力、とでも言うか。物を動かしたり、熱や光を生み出す“力”だ。結果を得るための素材や原料だと考えてもいい」
クラウスがふむふむと頷くのを確認し、レオナルドは続ける。
「魔力適性というのは、〈風〉や〈土〉など、それぞれに変換しやすい原料かどうか、という意味だ。全ての系統に適性があるお前の魔力は、どんな魔術を使うにも“素材”として向いている」
それがどれほどすごいことなのか、こいつは分かっていないだろう。
レオナルドは、そう、心中で苦笑した。
「魔術として変換する前の魔力は、〈風〉にも〈土〉にもなってない。ただの“力”としてそこに在るだけだ」
「力として在るだけ……」
この顔は、まだ咀嚼しきれていないときの顔だ。
クラウスの表情を読み取り、レオナルドはもう少し噛み砕く。
「例えるなら、灯火に使う油だ。火種を与えれば燃えるし、冷やせば固まる。けれど、こちらが“どう使うか”を示さなければ、ただそこに在るだけだ。魔力も同じさ」
なるほど、とクラウスは首を縦に振る。
「魔力というエネルギーに、指向性を与え扱うこと。これが“魔術”だと、俺は考えている」
「『俺は』?」
「いろんな学説があるんだよ。その中で、俺はこれがしっくり来てる。お前がもし分かりづらいなら、他の学説を紹介するが……どうだ?」
クラウスは首を横に振る。
「お前が説明してくれたやつが分かりやすい」
それに対しレオナルドは「そうか。なら、このまま続けよう」と口元を緩めた。
「術陣と詠唱は並べて語られるが、それぞれが異なるアプローチだ」
「どう違うんだ?」
「術陣は、設計図や指示書のようなもの。例えば、建物を建てるときや水路を引くときに設計図を書くだろう? だが必須かと言われると、そうではない」
「いや、要るだろ」
驚いた表情を浮かべて返すクラウスに、レオナルドは飄々と返す。
「要らないさ。全てを把握して正確に組み立てられるなら、無くても問題ない」
そうなのかもしれないけど、それはひどく難しいのではないか――クラウスの顔面には、くっきりとそう描かれていた。
レオナルドは、お前は基礎も知らずにそれだけ難しいことをやっているんだよ、と脳内で呟く。
「一方、設計図が優れていても、材料や施工が適切でなければ建物は崩れる。術陣も同じで、構造が正しくとも魔力の質や流れ、発動のタイミングが噛み合わなければ破綻する」
「王都にあるような煉瓦細工の家を、湿地帯で木を使って建てることはできない。できても長持ちしない、みたいなことか?」
思考を整理するように、クラウスは視線を上に向けた。その様子を見て、「やはりクラウスは地頭がいい」とレオナルドは感じた。
そして、普段のアレは勉強に対する苦手意識と“長く椅子に座っていられない”という性質が原因だな、と結論づける。
「そうだな。もっとも、中には発動の環境や魔力の条件にほとんど左右されない術陣も存在する」
「そんな術陣もあるのか?」
パチクリと瞳を瞬かせたクラウスの問いに、レオナルドは答える。
「ある。魔術具に描かれた術陣だ。魔術具には、素材や形状ごとに緻密に調整された術陣が描かれている。一定以上の魔力を通せば、その系統の魔力適性がない者でも、問題なく発動させられる――いわば、材料や条件を問わず家を完成させられる設計図だな」
クラウスは、どこでも水を出せる“水栓魔具”や、部屋を照らす“光灯魔具”を思い浮かべた。
魔力のある者なら魔力を通せばいいし、魔力のない者でも対応する魔石を入れれば使える。
たしかに、その性質はいまの説明と一致していた。
「使用者の魔力の質に関係なく確実に機能させるには、あらゆる誤差を想定し調整された構造が必要となる。そのため、ただの魔術陣よりも精密な作りが求められる」
レオナルドは目を細め、口角をわずかに上げる。その表情は、“魔術具”への静かな敬意を映していた。
「扱いを誤って壊したりしなければ、誰でも使える高度な技術の結晶だよ」
その言葉で、クラウスはドキッとした。
幼い頃、「たくさん水を出したい」と思い水栓魔具に魔力を一気に注いだ結果、壊してしまったことがあるからだ。
レオナルドはそのことを知らないし、責められるはずもないのに、クラウスは少し気まずさを味わった。
次回のタイトルは、「一番丁寧な魔術」です。




