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68 語る未来 震える予感

 クラウスは、レオナルドに「話がある」と言われたとき、「レオナルドは休みの間も忙しかったんだなぁ。すごく疲れてるみたいだ」と彼の表情を見てのんびり思いながら、ベッドに腰を下ろした。


 “のんびり”など、すべきではなかった。

 今なら、それが分かる。


 あのとき、レオナルドの瞳をきちんと覗いていれば――そこに宿る苛立ちにも、気付けたはずなのに。



 当然のことながら、レオナルドの学生生活は多忙だ。


 軍人学校では、日常生活の全てが訓練だ。

 朝から晩まで頭も身体も使いっぱなし。授業以外にも、すべきことや学ぶことが山ほどある。

 軍人学校の生徒の多くは、ここでの生活だけで手一杯になる。


 クラウスは体力がある方なので、レポート課題で苦しむだけで済んでいる。けれど一般的な学生は、その訓練の厳しさに泣かされる。

 この頃になれば身体もある程度は慣れてくる。けど、それでも『余裕がある』と断言できる生徒は少ない。


 なのにレオナルドは、軍人学校の寄宿舎で生活しながら、その隙間を縫って、貴族としての義務を果たしている。

 単に貴族学院の単位を取るだけではなく、社交の場にも出向いてるし、さらには資産運用までしている。


 前になんか書類を見ていたので「今は何してるんだ?」って訊いたら、「資産運用のことでちょっとな」って返ってきて、思わずもう一回「何してるんだ?」って訊いてしまった。

 他の貴族の令息も、“資産運用”をしてるのだろうか……。


 もちろん、軍人学校に入学する際、侯爵家から一言二言添えたらしい。

 でもそれは、貴族学院との往復についてだ。

 評価に手を抜けとは伝えてないだろうし、軍人学校はそういう場ではない。


 要するに、軍人学校での生活に、忖度はない。特別扱いは受けてなくて、他の学生と同じだけを課されている。

 けれどレオナルドは、他にもいろんなことをしている。


 だからレオナルドは、軍人学校に通う誰よりも忙しいのだ。


 例えば、学業について。


 高位貴族の多くは、貴族学院で学ぶ多くのことを、入学前に家で教わっている。

 だから、単位の取得はそう難しいものではない。……ちなみに、クラウスには難しい。


 レオナルドなんて、入学前に全てを習得してる。

 単位を取るのに授業へ出席する必要はなく、テストやレポートで高評価を得ればいい。


 そしてレオナルドの場合、テストで満点をとるのに苦労はしない。

 レポートは、学院入学前に書いた草案を手直ししたり、軍人学校に来てから新たに学んだ内容をそのまま流用したりしてると言っていた。一から書くよりずっと早く終わるらしい。


 なお、これらのレポートの完成度は高く、少なくともクラウスでは一生かかってもそのうちの一つも完成させられない。


 あまりに出来がいいものだから、教員たちから「軍人学校をやめて貴族学院に専念しないか」という言葉をかけられることや、果ては「卒業後は共に研究を」と誘われることさえあるそうだ。

 本人は、「あしらうのが面倒くさい」と言っていたが、きっと穏やかな微笑みを携えてやんわりと断っているに違いない。


 つまりレオナルドは、一つの事柄を一つだけで終わらせず、うまくやりくりすることで、課題をこなしている。


 クラウスはいつも思う。

 レオナルドは、一つ学ぶと十くらいに応用するんだよなぁ、と。

 それはきっと、それぞれの知識にきちんと向き合ってるからこそ、できることなんだろう。

 クラウスは純粋に、それをすごいと感じる。


 そういうふうに工夫しながら、レオナルドは、軍人学校で過ごしながらも貴族学院の単位を取っている。


 しかしそれでも、『何もしなくていい』わけではない。

 軍人学校で学ぶ内容は初めて触れるものも多いし、貴族学院に出すレポートだって修正する。

 どうしたって、それらには時間がかかる。


 そのうえで、レオナルドは社交もしている。


「授業に出ていない」ということは、同世代の貴族と触れ合う機会が少ないということだ。

 それはつまり、レオナルドの優秀さを示す機会が限られるということでもある。


 いくら「軍人学校に行ったのは家から厄介払いされたからではない」と言っていても、人は疑うものだ。


 その疑念を払拭するため、レオナルドは学院に顔を出したとき、よく友人に勉強を教えるらしい。

 そして、その姿をさりげなく周囲に印象付けることで、自分の能力を見せつけるそうだ。

 さらに、常に紳士的に振る舞い、時には冗句を交え、親しみやすさの演出もする。

 そうやって、“レオナルド・シュヴァリエ”という貴族令息の“価値”を示すのだ。

 だから授業に出る必要はなくても、顔を出せるときには学院に行かなきゃいけない。


 ちなみにこれは、「貴族学院ってレポートで単位を取ってるんだろ? それ以外で何をしに行ってるんだ?」って質問したときに教えてくれた。

 学院に行った後は疲れてる感じがするから、用事がないなら行かなくていいんじゃないかと思ったけど、そういうわけにもいかないようだ。


 また、社交というのはその場だけで完結するものではないらしい。


 人間関係のあれこれもあるけど、その中でも大変そうだなと思ったのは、装いを整えることだ。

 常に流行を把握して、自分の“格”に相応しいものを選ばなきゃならないとかなんとか。


 どうせ何着ても似合うんだから、そんなの気にしなくていいのにって言ったら、極寒の瞳を向けられた。

 そして、貴族として大切なことなんだとか、お前も本当は気にしなきゃいけないとかコンコンと叱られた。――余計なこと言わなきゃよかった。


 服や装飾品は、選ぶだけじゃなくて、それを手に入れられなきゃいけない。

 だからそのための人脈を確保する必要がある。

 先日俺の服を選んだとき、母上から伝手を紹介されてあいつは喜んでいた。

 そういう理由もあって、買い物に一緒に行くことにしたんだろうなぁ。


 しかも、ただ着るんじゃなくて、効果的なタイミングで身につけるのも重要らしい。

「この前買った服を着ないのか?」って聞いたら、「あれを初めて着るのは今日じゃない」とか言ってた。


 服ひとつとっても手がかかるし、その準備にも時間を取ってる。


 軍人学校の生活に、学問に、社交に、その他諸々。

 本当に、たくさんのことをこなしている。


 伯爵家当主で軍のトップであるクラウディウスを知るクラウスからしても、レオナルドは忙しすぎる。

 クラウスや同級生に構っている時間以外は、常に何かしらやっている。

 クラウスのようにぼーっとしたり、目的なく散策したりしていない。


 そんな忙しい日々を乗りこなせている理由はいくつかある。

 まず挙げられるのは、能力の高さ。誰がどう見ても、レオナルドは優秀だ。

 けれどクラウスは、それ以上に、自己管理の完璧さと類い稀なる勤勉さこそが、今の生活を可能にしていると考えている。


 ……さて、何故クラウスがここまでレオナルドの多忙さに意識を向けていたかというと。

 目の前の男が、どうしようもなく恐ろしかったからだ。

 クラウスは現実から、少々目を逸らしたかった。


 レオナルドから向けられたのは、ものすごく美しい笑顔。これは完全に、キレている時の顔だった。


 ……こわい。


 そこから続いた“変革宣言”と、それを語る口調。

 その声は、クラウスに“傾聴”と“思考”、そして“同意”を求めてきた。

 深い感情が込められていて、心の底から訴えかけてくるようだった。

 普段なら、そんなふうに話さない。だから絶対に、なんらかの意図がある。


 ……こわい。


 耐えかねて視線を逸らすと、目に入るのは汚れた手袋。

 キレた理由に、察しがついた。

 そしてもう、レオナルドは止まらない――止まる気がないことを、クラウスは受け入れた。


 レオナルドの「軍人学校を変えよう」という言葉は、クラウスにはまだピンと来ていなかった。

 何をするのかも、いまいち分かっていない。


 けれど――その瞳の輝きを見て、思った。

 これは、自分も付き合わされるんだな、と。


 そして、未来が見えた。

 レオナルドという“最恐”に支配され、屍となる学生たち。

 その“最恐”の隣に立つ自分。


 背筋が冷え、クラウスは思わずブルリと震えた。

次回のタイトルは、「始まりの日」です。

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