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65 親友の家、第二の学び舎

「親父殿と、何をそんなに話すことがあるんだ?」


 レオナルドに連れられてアイゼンハルト邸に帰るのも、すっかり定例行事となっていた頃のこと。

 寮室で寝る前の勉強を終えたレオナルドに、クラウスは尋ねた。


「社交とか、縁? っていうのなら、もう済んでるんじゃないのか?」


 その声には、嫉妬が混じっているわけでも、嫌いな父と話してほしくないという気持ちが滲んでいるわけでもなかった。

 ただ、素直な疑問だけがあった。


 レオナルドは、「こいつの兄君たちは閣下を“父上”と呼んでいたはずだ。いったい何がどうなって、“親父殿”呼びにしたのか」と考えながら、答えた。


「閣下との会話では学びが多い。貴族としても、軍人としても、な。それと――純粋に、楽しくもある」


 レオナルドが、人との関わりを「有益か無益か」だけでなく、「楽しさ」でも捉えるようになったのは、クラウスとの出会いがあったからだろう。


「楽しい……?」


 “あの”父と話して何が楽しいのか。

 クラウスには全く分からなかった。


「楽しいよ。閣下の考え方は、非常に興味深い。俺も自分を合理的な方だと思ってるが、閣下の『合理』には、まだ俺の見えてない世界がある」


「……真面目だな」


「そうか?」


 首を傾げるレオナルドを見て、クラウスは思う。

 それは結局、父との会話を楽しんでいるのではなく、“学び”や“試し”そのものを楽しんでいるのではないだろうか、と。


「閣下も俺の話から得るものがある。例えば――閣下からは見えない、アイゼンハルトでは得られない視点」


「アイゼンハルトでは得られない視点?」


「軍人学校だろうと軍だろうと、アイゼンハルトの目があれば、大体の者は行儀を良くするんだよ。当然だろ? だから、本当は手を入れたい汚れた部分が、どうしても見えにくくなる。そもそも、持つべきこともやるべきことも多く、現場にまで細やかに目を配る余裕は少ない」


 まぁお前は、閣下との仲もあるし、『アイゼンハルト』の中でも例外的な存在だからな。

 レオナルドは、クラウスが「俺は行儀の悪いヤツもよく見るぞ?」と問う前に、そう教えてやった。


「そして、能力が高く“理想”を理解し体現する者は評価され、出世し、結果として現場や、民に近い場所から離れてしまう。――こんなふうに、アイゼンハルトと縁があり、かつ、優秀な人間が現場にいるというのは、珍しいんだ」


 クラウスは「こいつの場合、自分で“優秀”って言っても鼻につかないのは、単なる事実として口にしてるからなんだろうな」と感じた。


「だから閣下も俺との会話に意義を見出してくれていて、会話が弾むというわけだ」


「ふぅん。それでしょっちゅう家に来たがるのか」


「……それだけじゃないさ」


 レオナルドは、ふわりとした笑みを返す。


『親友が育った家に行きたいんだよ』

 そう続けられてもおかしくない表情だった。

 しかし、クラウスは、その意味を正しく察した。


「母上との茶会も楽しんでるんだな」


「そうだな。奥様との情報交換は有意義な時間だ。あぁそれと、アイゼンハルト邸には軍人として学ぶべき教材も多いしな。書物然り、建物然り、兵然り」


「兵士たちのことを教材って呼ぶのは違くないか?」


「人でも物でも、そこに在ればなんだって教材になるさ。あそこには、俺の欲しい“学び”に通じるものが多い」


 この学びへの貪欲さは、どこから来るのだろう。


 レオナルドは勉強中毒なところがあるよなぁ、と、彼が「クラウスと並び立つために努力している」と知らないクラウスは、のんびりと思った。


「あぁ、次の休みは他所に出かけるぞ。奥様と服を見に行こうって話になってる」


「どんな会話をしたら、人の母親と買い物に行くことになるんだよ」


「お前が一気に成長しすぎて、着る服がないって話からだな。邸に置いてある服、仕立て直さないとサイズがないぞ」


 クラウスは身長も筋肉もすくすく育ったため、入学前に着ていた服はすでに入らなくなっている。

 母がクラウスの不在の間、「このくらい大きくなったかしら」と購入していた服も、着てみればぴちぴちだった。


 なお、軍人学校のシャツは訓練で穴を開けたり破いたりするので、しょっちゅう買い替えている。こちらは、クラウスは放っておくと「見えない場所だしまぁいいか」と申請しないことがあるので、レオナルドが注文している。


「別に、着るものはあるし……」


「兄君のお古な。あれだって、お前には小さい」


 家に帰ったときにどれも入らず、仕方がないので長兄が昔――と言っても割と最近まで――来ていた服を着たのだ。

 クラウスとしては、それで事足りてる。


「言うほどじゃないだろ。丈がちょっと短いくらいで」


 どうせ家にいるときしか着ないんだし、小指の爪程度のサイズ、構わないではないか。

 そう言うクラウスに、レオナルドは冷たい視線を向ける。


「由緒あるアイゼンハルトの子息が、丈の足りない服を着るなど許されるはずがないだろう。大体お前は――」


 説教モードに入ってしまった。

 クラウスは、あわあわとしながら、矛先を変えるための話題を探す。

 そうしてふと、不自然を見つけ、もにょもにょと反論をする。


「……お前と母上で買いに行くのか? 俺の服を?」


「それはおかしいだろう」と続けようとするクラウスに、レオナルドが重ねて返す。


「あぁ。アイゼンハルト邸に商人を呼んでもいいんだが、たまには息子と外に遊びに行きたいという、奥様の要望だ」


「俺も行くのか!?」


「お前が来なきゃおかしいだろ。俺と奥様にデートさせる気か? 奥様がいくら魅力的でも、閣下に喧嘩を売る気はない」


 至極真面目な顔で言うレオナルドに、クラウスは呆然とした。そして、何も発することができず、口を開けたり閉めたりする。

 するとレオナルドはクスッと笑い「冗談だよ」と言った。


「……お前の冗談はタチが悪い」


「そうか? まさか信じるとは思わなかったんだ。奥様とデートしたとしても、閣下は寛大な心で受け止めてくれる。だろう?」


「はぁ?」


 冗句であるべきは、そこじゃない。いや、そこも冗談じゃないと困るのだが。

 クラウスの表情に、レオナルドはもう一度笑いながら言った。


「だが、お前も買い物に行くのは決定事項だ。お前の服を買って、ついでに奥様のアクセサリーなんかも見るぞ。少し金を持って行って、奥様にプレゼントするのもいいんじゃないか?」


「えっ、いや」


「ま、何が喜びそうか考えておけよ。じゃあ俺はそろそろ寝るから。おやすみ、クラウス」


 クラウスは知っている。

 この『おやすみ』は、「俺はもう寝るから話しかけてくるな」の『おやすみ』だ。


 先ほどと同じように、パクパクと口を開閉したのち、クラウスは諦めたように、自身のベッドに潜り込んだ。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


次回は通常どおり火曜(6:30)予定。

タイトルは、「語る未来 軍人の在り方」です。

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