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60 実地演習 ただの戯れであっても

 ゆっくりと瞼が持ち上がる。

 教会の高窓から差し込む光が、ほんのりと視界を照らした。おそらく、昼を過ぎた頃だろう。


 隣の気配が動いていれば、自分は目を覚ましていたはずだ。

 ということは、こいつは何時間もそのまま座っていたらしい。


 視線を向けると、クラウスは数時間座らされていたことなど気にもしてないかのように、「起きたのか」とだけ言った。


 よく躾けられた大型犬でも、多少の身じろぎはするだろうに。何時間もじっと座らされれば、普通、文句のひとつやふたつあってもおかしくないのだが。

 そんな様子のかけらもないクラウスに、レオナルドはそれを指摘せず、「あぁ」と短く応じた。


「ケイランは……まだ寝てるか。教官は来てないのか?」


「あぁ。誰も来てない」


 “学生”ではない教官は、今も何かに駆り出されているのか。

 街の人々とも顔見知りである以上、緩衝材としてちょうどいい。そのように、判断されたのかもしれない。

「教官にも休みが与えられる」という自分の読みは、外れたようだ。


 そう結論づけながら、レオナルドは「ん……」と身体を伸ばした。

 すると、クラウスがどこかぼんやりしていることに気付く。


「クラウス、どうかしたか?」


 だが、その問いに反応したのは、別の声だった。


「あれ? 朝……じゃないよな?」


 ケイランが目を覚ましたらしく、まだ眠気の残る声で言葉を返したのだ。


「昼だな。顔でも洗って一度広場に顔を出すか」


 レオナルドの言葉に、ケイランが「そうだな」と同意した。

 そして思い出したかのように、彼は付け加える。


「あ、レオナルドには言い忘れてたけど、夕方から街の人たちと“送りの焚き火”をするから」


 その表情は、「うっかりしていた」と語っている。


 ケイランにしては珍しい。それほどに疲れていたのか。

 そんな感想を抱きながら、レオナルドは「分かった」とだけ返して立ち上がり、扉に向かう。


「教会の裏に井戸があったはずだ。使わせてもらおう」


 そう言うケイランに、レオナルドは首を横に振った。


「借りなくていい」


「なんでだよ」


「その必要がないからだ」


 答えになっていない答えに、「はあ?」とケイランが眉をひそめながら、レオナルドの背を追う。


 レオナルドが両手で扉を押し開けると、初夏の匂いを含んだ風が、室内へと流れ込んだ。


「おい、クラウス。来ないのか?」


 ケイランとは対照的に、どこかぼんやりとしているクラウスに、レオナルドが声をかける。


「行く」


 短くそう答えたクラウスの様子に、レオナルドははっきりとした違和感を覚えた。

 しかし――


「おいレオナルド、立ち止まるなよ。行くんだろ?」


 背後からケイランの声が飛ぶ。

 今は、彼がいる。それに、そろそろ部隊とも合流すべきだ。


 レオナルドはひとまず問いを保留し、歩き出すことにした。


「教会の裏手に回ろう」


 そう言うと、ケイランが不満げに顔をしかめた。


「やっぱ井戸を使うんじゃねーか。それなら一応、街の人に声かけた方がいいだろ」


「井戸は使わない」


「……どういうことだよ」


「こういうことだ」


 ――ビシャ。


 レオナルドは魔術を使い、容赦なくケイランの顔に水を浴びせかけた。


「ははっ」


「お前、魔術で!?」


 ケイランは驚きで声を上げた。

 顔を洗うのに魔術を使う――そんな発想は、彼にはなかった。

 当然だ。魔術は貴族のもの。平民にとって、それは手が届かない事象。

 “貴重”という言葉さえ当てはまらない。

 触れたいと願うことすらない、彼にとっては“世界の外”にあるものだ。

「井戸水でできることを、魔術の水で行う」など、あり得なかった。


「もう一度かけるか?」


 そう言って笑ったレオナルドに、ケイランはパクパクと口を開け閉めした。


 レオナルドにとって、この戯れには理由があった。


 本来なら、街の井戸を借りてもよかった。街人に断りを入れねばならないが、それはさほど面倒ではない。

 むしろ「水を使いたいので井戸を貸してほしい」と言えば、きっと街人が汲んできただろう。

 だから、井戸を借りなかった理由は“手間”ではない。


 ――ケイランの“心の距離”を測り、調整することだった。


 ケイランは、レオナルドの戦いを見ていない。

 だが、跡を見た。散乱する魔獣の屍の山を。レオナルド一人がそれを成したという現実を、見た。


 もちろんケイランは、授業で幾度もクラウスやレオナルドの戦闘を見ている。

 けれど、実戦の中で積み上げられた骸は、その「差」をより具体的に突きつけた。

 そして、それを生んだ「魔術」という、自分には持ち得ない力に対し、おそらく畏れを抱いただろう。


 レオナルドは、それをただの「恐ろしい力」のままにしてはいけなかった。

 自分や――クラウスを、遠い存在にしてしまわないように。


 だからあえて、魔術という力を、こうして日常の中に落とし込んだ。

 顔を洗う程度の、ささやかな用途で。


 魔術とは、そういうこともできるものだと、印象を変えるために。

 レオナルドは、まるで遊びのように魔術を使った。


 言葉通り、もう一度水をかけてやると、ケイランは呆れたように笑った。

 その笑い声は、徐々に大きくなり――ケイランの中で絡まっていた何かが静かにほどけていくのを、レオナルドは感じ取った。

次回は明日朝公開予定。

タイトルは、「功績のさばき方」です。


また、本作とは全く関係のない短編『親父は剣聖だったけど、俺は違いますから 〜世界なんて勝手に救ってくれ〜』を公開しました。

よければ覗いてみてください。

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