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59 実地演習 英雄たちの休息

 渦の消滅の知らせが広場に届くと、歓喜の声が広がった。


 クラウスもまた、胸を撫で下ろした。

 渦の発生直後、数人の商人が犠牲になってしまった。

 それでも、それ以上の被害は防げた。目の前の人々が、無事でいられた。

 その事実に、心から安堵していた。


 そんな中、教官がクラウスに声をかけた。


「クラウス、ちょっといいか。……部隊の方々には許可をとっている。少し話がしたい」


「はい。大丈夫です」


 クラウスは、顔に疑問符を浮かべながら教官に答えた。


「こっちに来てくれ」


 そう言って、広場から外れた通りへと誘導する。

 ケイランは二人の様子に気が付いてついてこようとしたが、教官が手で制した。

 それに対し一瞬迷いを見せたものの、ケイランはすぐに頭を下げ、了承の意を示した。


「どうしたんですか?」


 きょとんとしたままのクラウスに、教官は静かに告げた。


「お前には黙っていたが……アイザックは死んだ。レオナルドが渦に到着するより前に、ブラッドファングに殺された。街の防衛のため、君を動揺させたくなくて、嘘を吐いた。これは私の判断で、ケイランが黙っていたのも私の指示だ。すまなかった」


 クラウスは、その言葉の意味をすぐには受け止められなかった。


 ……アイザックが、死んだ?


 なぜ? ブラッドファングにやられて。

 どうして? 最前線で戦ったから。


「アイザックは、子供を守って死んだ。軍人としての役目を果たした。……誇ってやってくれ」


「は……い……」


 クラウスはそう返したが、胸の内にはまだ、言葉だけが宙を漂っていた。


 ケイランは、二人の様子を気にかけながらも、即応部隊の指示に従い、事後対応に当たっていた。

 渦が消えたからといって、「はい、解散」とはいかない。

 街の人々の中には、まだ恐怖から抜け出せていない者もいれば、今回の被害の小ささゆえに、渦という存在を甘く見てしまった者もいる。

 そして、少ないとはいえ、確かに命を落とした者たちがいた。


 そうしたすべてに対応するため、ケイランや部隊の面々は人々を順に家へと帰しながら、夕刻から死者を悼む場を設けるので、もう一度広場に集まってほしいと呼びかけた。


「十六時から“送りの焚き火”を行います。どうか、皆さんも参加してください」


 送りの焚き火とは、軍人の中に死者が出たとき、その魂を送るために行う、簡易な儀式だ。


 焚き火を囲み、大鍋で煮たスープや焼いた肉など、皆で同じものを食べる。

 そして、共に祈り、共に笑う。

 安心して旅立ってほしいと伝えるために。

「お前たちはよくやった」と讃えるために。


 本来は軍人だけで執り行うものだが、今回は街全体を巻き込むことにした。

 この儀式で、街にとってのひとつの“区切り”を作るのだ。


 だから今回は、アイザックだけでなく、渦に巻き込まれて命を落とした商人たちにも祈りを捧げる。


 送りの焚き火を行うこと、そしてその内容を街の人々に伝えると、皆が了承の意を示した。

「その準備を手伝わせてほしい」と申し出る者も少なくなかった。


 その光景は、レオナルドたちが守ったものだった。




 日が昇り切った頃、レオナルドとクラディアンを含む八名が、街へ戻ってきた。

 残る四名は、血の匂いに引き寄せられた野生の獣を警戒し、クラディアンの判断で現場に残されていた。


 レオナルドは、目立った外傷――というより、もはや「怪我」と呼べるような傷すら負っていなかったが、念のため教会で医師の診察を受け、そのまま休息を取るように言われた。

 即応部隊と合流した時点で、学生である自分の役目は終わったと考えている彼に、異論はなかった。


 教官やクラウス、ケイランも、そろそろ休むように言われるだろう。

 そう思いながら、彼は教会へと向かう。


 中に足を踏み入れると、昨日から続いていた魔獣との戦闘が嘘のように、そこは静けさに包まれていた。

 天井の高窓から射す光が、冷たい石床を淡く染めている。


 そこには、現場で保護された子供と、その子に寄り添う女性の姿があった。


 街そのものには脅威が届かず、教会での手当てを必要とする街人はいない。

 渦と遭遇し、街まで逃げ延びた商人の一部がここで治療を受けはしたが、いずれも命に関わるような怪我ではなかった。

 そのため彼らはすでに去り、医療関係者と彼女たち以外に、人の姿はなかった。


 レオナルドは、子供と女性に軽く微笑んだのち、医師に状況を伝え、簡単な診察を受ける。案の定、手当てを必要とするような怪我はなかった。


 だが、疲労は確実に蓄積していた。


 その場にいた医師も、子供や女性も、レオナルドに教会を明け渡し、静かに外へ出ていった。

 街を救った英雄とも言える彼に、心置きなく休んでほしかったからだ。


 用意された寝床を使うように促されたが、レオナルドは怪我人用に常備されていた毛布を一枚だけ借りて、教会の隅に腰を下ろした。


 軍人学校の生徒であると同時に、彼は高位貴族の令息でもある。

 誰が出入りするとも分からぬ場所で、無防備な姿をさらすことはできない。


 目を瞑り、仮眠と言えるかどうかという程度の休息に入ろうとしたその時、教会の扉が開いた。

 そこから現れたのは、先ほど思い浮かべていた三人のうちの二人――クラウスとケイランだった。


「レオナルド! ……おかえり」


 クラウスは、彼の姿を見つけるなり瞳を揺らし、駆け寄る。

 その様子に、レオナルドは小さな違和感を覚えた。だが、それよりも――


「眠い。クラウス、十五分でいい。そこに座ってろ。動くときは起こせ」


「はぁ?」


 声を上げたのはケイランだった。

 クラウスは、一切の疑問も抱かず、レオナルドの指示通りに、大きな体でちょこんと座った。


 クラウスは大きい。その身体を近くに置けば、自然と視界を遮る衝立となる。

 加えてレオナルドは、クラウスの持つ“野生の勘”を誰よりもよく知っていた。

 危険があれば、即座に反応する。そんなクラウスが傍にいれば、自分に危険が及ぶはずがない。

『親友だから』などという甘ったるい理由ではなく、ただの事実と合理の積み重ねによって、彼はこの行動に出た。

 ――その根底に、「クラウスは決して自分を害さない」という“信頼”があることに、彼はまだ気付いていない。


 クラウスが指定された位置に腰を下ろしたのを確認すると、レオナルドは目を閉じ、すうっと眠りについた。


 ケイランはまだ納得がいかなかったが、今回、誰よりも働いたのがレオナルドであるのは確かだ。

 その眠りを妨げることはできなかった。


 ケイランはひとつ息を吐き、用意された寝床に横たわる。

 そして「お前も休めよ、クラウス」とひと言だけ残して、瞳を閉じた。


 クラウスは、眠ることができなかった。

 ただ疲れ切った様子で眠るケイランと、寮と同じように静かな寝息を立てるレオナルドの気配を感じながら、一人、俯いた。

せっかくの三連休なので、土曜~月曜まで毎日更新いたします。

次回は明後日6:30予定。

タイトルは、「ただの戯れであっても」です。

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