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58 実地演習 青い煙が上がる頃

 ミシミシ、と音がした気がした。

 実際には鳴っていなかったかもしれない。

 だが確かに、渦の気配が変わった。


 渦から現れたのは、これまでに見た中で最も大きな魔獣だった。

 

 トラグバイン。


 岩のような筋肉に覆われた牛型の魔獣で、馬四頭分の巨体を誇る。

 頭部に生えた巨大な角は、突進に特化したその性質を象徴していた。


 レオナルドは、クラディアンの言葉に甘え、戦闘には加わらず、後方から静かに状況を観察していた。


「〈障壁〉」


 クラディアンがトラグバインの進路を塞ぐように正面に立ち、〈障壁〉を展開する。

 この地形では、魔獣が進める道はそこしかない。


 トラグバインは咆哮を上げ、後肢の力を爆発させてクラディアンへと突進した。


 レオナルドが足元に仕掛けていた罠は、夜間の戦闘を経て氷が溶け、泥と化していた。

 けれど、それで十分だった。

 ぬかるんだ足場は、魔獣の推進力をわずかに削いでいる。


 ガツン、と音を立てて、トラグバインの角が〈障壁〉に激突する。

 その巨体の正面は岩のように硬く、剣を通しにくい。

 しかし即応部隊に加わるほどの実力者なら、側面や背面、関節部を狙って十分なダメージを与えられる。


 クラディアンが〈障壁〉を張って角から味方を守り、部下たちはその隙を突いて攻撃を仕掛ける。

 そういう戦い方か、と、レオナルドは戦場の後方から分析する。


 だが――


 レオナルドの耳に、隊員とクラディアンの声が届く。


「中尉! 一度〈障壁〉を解いたほうがいいのではありませんか? 魔力の消耗が……!」


「まだだ! 問題ない!」


 やはり、クラウスとは違う。

 あいつなら、もっと早く、もっと効率的に〈障壁〉を展開していた。

 いや、そもそも〈障壁〉など必要とせず、最初の一撃で力任せにねじ伏せていたかもしれない。


 つまらない観戦でもするように、レオナルドは欠伸を噛み殺す。

 昨日から休みなく働き続けている。そろそろ、まともな休息が欲しい。

 そんなことを、考えながら。



 数十分におよぶ戦闘の末、傷だらけとなったトラグバインは倒れ、同時に渦も消滅した。


 部隊の人間が息を吐くと、クラディアンが声を上げた。


「魔獣の死骸と被害者の遺体は、後発部隊に処理を任せる。皆は撤収準備に移れ」


 それからレオナルドに向き直り、軽く苦笑する。


「ほとんど貴殿だけで終わらせたな」


 レオナルドは答えず、ただ静かに微笑んだ。


「あぁ、すまない。そういうことにはしないのだったな」


 クラディアンの言葉に重なるように、部下の報告が届く。


「撤退準備、完了しました!」


 クラディアンが一瞬そちらに視線をやると、レオナルドがクラディアンに訊いた。


「馬が数頭おりますので、街へ連れ戻すのを手伝っていただけますでしょうか?」


 彼は、先ほどのクラディアンの言葉を“独り言”として処理した。それが、互いのための正解だった。

 クラディアンもレオナルドの意図を察し、「分かった」と短く返した。


「ありがとうございます。それと、街へ戦闘終了の信号を上げてもよろしいでしょうか」


「そうだな。頼む」


「承知しました」


 街にいるクラウスたちに知らせるため、レオナルドは信標弾を打ち上げた。



 物見塔の者は、その青い煙を見て、笛を鳴らした。

 歓喜を告げる音だった。


 旗を振る。何度も、何度も、「渦が消えた」と広場へ伝える。

「もう伝わっている」と返ってきたとき、彼は思わずその場に座り込んだ。


 役を任されたとき。使命に、緊張を覚えた。

 レオナルドが戦いに向かうとき。心強く思った。

 ケイランと教官が戻ってきたとき。現場の壮絶さに、足が震えた。

 即応部隊がやってきてくれたとき。助かった、と心から思った。


 そして今――完全に、脅威が消えた。


 彼はこの街の誰よりも高い場所で、誰にも見られぬまま、静かに座り込み、泣きじゃくった。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

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次回のタイトルは、「英雄たちの休息」です。

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