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53 実地演習 託されたもの

 教会に着いたケイランたちが馬から降りていると、知らせを受けたクラウスが広場から駆けつけた。


「ケイラン! 教官!」


 巨体に似つかわしくない足の速さ。険しい表情に混じる、“心配”の色。

 ケイランは、あまりにもクラウスらしいその姿に、日常の匂いを感じて、張り詰めた心をわずかに緩めた。


「……ん? ケイラン、その子は……?」


 ケイランが抱える小さな子供の姿に、クラウスは不思議そうに首を傾げる。


「生き残りだよ。……馬車の中で、身を潜めてた」


 ケイランは、そっと子供を抱きしめた。その小さな背を包むように、そして、自分自身の心を静めるように。

 そして、ゆっくりと地に降ろし、子供の頭を撫でる。


 クラウスは、その様子を見つめながら、わずかに瞳を揺らした。

 子供が見た景色の壮絶さを、その痛みを、想像してしまったのだとケイランは気付いた。


 ――クラウスは、優しすぎる。


『あいつは強者であるがゆえに、無自覚に他者のつらさに寄り添ってしまう。過剰に、な。あいつの強さはそれだけの余裕を生む。……だが、いつか、それに苦しむだろう』


 レオナルドの言葉が、ケイランの脳裏に浮かんだ。


 俺たちの中で、最も「強い」のはクラウスだ。

 けれど、あの凄惨な場で、迷いなく冷静に動けるのはレオナルド。

 もしも俺に街を率いるようなの能力があれば、俺ではなくレオナルドが前線に向かっただろう。

 そうしたら、アイザックは――


 そんな思考を遮ったのは、誰かの驚いた声だった。


「あらあら! 早く手当てをしなきゃ!」


 声が聞こえた方向を向くと、高齢の女性が子供の姿を見つけて小走りで寄ってきた。

 心配そうに目を細めるその表情に、ケイランは安心した。この人なら、この子を任せても大丈夫だと思えた。


「行っておいで。怪我を診てもらおう」


 そう声をかけると、子供は少し戸惑ったような顔をした。

 その理由を探るように子供の瞳を覗き込むと、女性が優しく言った。


「お兄さんたちはね、まだ大事なお仕事の話があるの。だから、先に中で待っていましょう。大丈夫よ、すぐに来てくれるから」


 その言葉に、ケイランは気付く。この子は、自分を頼ってくれていたのだと。


「中で待ってて。すぐに行くよ」


 子供は小さく頷き、教会の中に入っていった。


 子供を見送ると、クラウスがキョロキョロしながらこう尋ねた。


「アイザックは?」


 ケイランは一瞬、声を詰まらせる。

 すると教官が、それを埋めるように「アイザックは現地に残った。こちらに戦況を伝えるためだ。戦線からは離れている」と告げた。


 クラウスは、「なるほど」と納得を示した。

 そして、教官とケイランの怪我を見て、ぐっと顔を顰める。


「中まで運びます。早く手当しましょう」


 クラウスの言葉に、教官が『運ぶ……?』と疑問符を浮かべた。

 対してケイランはというと、クラウスの意図をすぐに察し、「俺は歩ける!」と慌てて言った。


 クラウスはケイランの返答に対し、「そうか?」と首を傾げながらも、教官を担いだ。それも、姫抱きで。


 流れるような動きだったため、教官はクラウスの腕の中に収まってようやく、“自分が姫抱きされている”という状況に気付いた。


「ん?」


 気付いたものの、まだ頭が追いついていないらしい。

 教官は成人男性であり、軍人だ。有体に言えば、重い。

 ケイランも確かに馬に乗せるのに教官を背負ったが、本人の協力があった。何より、持ち上げたのは馬に乗るまでの一瞬だ。

 それをクラウスは楽々と抱き上げ、「揺らさないように行きますね」と教会の中へ向かう。教官も想定外だっただろう。

 その光景に、「クラウスらしいな」とケイランは苦笑した。



 クラウスはケイランと教官を教会に残し、去っていった。

 というよりも、「こっちは大丈夫だから広場で務めを果たせ」という教官の言葉に従った、の方が正しい。


 クラウスがいなくなった後、ケイランは教官の瞳を見た。

 教官はケイランの気持ちを汲み取り、頷いたあと、口を開いた。


「クラウスは防衛の要だ。動揺は避けたい。……アイザックの死は、伝えられない」


「……はい」


 渦が発生した今、最も重視すべきはこの街の防衛だった。

 この場所さえ生きていれば、駆けつけた即応部隊の拠点として機能し、迅速に渦への対応が可能になる。


 道を繋ぎ、物資を捌き、負傷者を受け入れる。そんな運用は、秩序の保たれた街にしかできない。拠点があるかどうかで、対策の幅は大きく変わる。


 渦という災厄がいつまで続くかは分からない。

 だからこそ――王都と渦の間に在るこの街を、守る必要があった。

 長い目で見れば、「魔獣を倒す」ことよりも、「この街を壊させない」ことの方が、よほど重要だ。



「簡単に手当てをしたら、私は前線に戻る。ケイランはクラウスを支えてくれ」


「そんな! 無理ですよ!」


 教官は、どう見ても満身創痍だった。


「戦えなくとも、先ほど言ったアイザックの役目を果たす者はいた方がいい」


 戦況によって、街へのサインを出せるものがいた方がいい。ケイランもそれを理解している。だから、言った。


「それなら、私が行きます」


 彼は、自分の左胸に拳を添えた。

 軍人式の敬礼の形で、命令してくれと言外に伝えている。


「君は怪我をしているだろう」


「教官ほどではありません。……その状態の教官が行くより、私の方が幾分マシです。教官は、クラウスをお願いします」


「……分かった。ケイラン、渦の元に戻り、レオナルドの補佐と状況の共有を頼む」


「はっ」


 ケイランは強く、自身の左胸を叩いた。

 魂の在処を示すように。何が在ろうと責務を果たすと、誓うかのように。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

「いいな」と思っていただけたら、【☆☆☆☆☆】をぽちっとしてくれると嬉しいです。


通常更新は火曜・木曜ですが、展開の都合上、明日の夜にも1話公開予定です。

次回のタイトルは、「備えあれば」です。

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