52 実地演習 背を預け、背を支え
レオナルドに背を任せたケイランは、ぐったりとした教官を抱え、子供のもとへ引き返した。
彼らの姿を目にした子供はビクリと驚き、じっとケイランを見つめる。ケイランはその視線に気づき、「大丈夫だよ」と微笑みかけた。
教官を地に降ろしたケイランは、一頭の馬へと目を向ける。
教官を自分の馬に乗せることにしたため、使わなくなった鞍を一瞥し、その手綱に手を伸ばした。
「ちょっと借りるよ」
ケイランは手綱の片端を留めていた金具を外し、革紐を一続きに引き抜いた。
その間も、子供の視線はずっとケイランに向けられていた。
「もう少し待っててね」
そう声をかけると、ケイランは子供を抱き上げ、自身が乗ってきた馬に乗せた。
子供の頭をひと撫ですると、そっと離れ、先ほど外した手綱を教官の体に回す。
背負うように担ぎ、その胴と自分の体を結ぶため、紐をきつく締めた。
「……ん……?」
かすかな呻きとともに、教官の身体がわずかに動く。
「目が……覚めましたか?」
安堵と戸惑いが入り混じった声で、ケイランが背後に声をかける。
教官が状況を把握しようとする気配が、微かに背から伝わった。
「……ここは……? 私は……」
「馬を留めた場所です。これから街に戻ります。レオナルドが残って、戦っています」
「レオナルドが? 大丈夫なのか?」
「大丈夫です」
教官が納得するよう、ケイランは力強く断言した。
反面、彼は思う。自分は今日、何度この言葉を口にしただろう。
そして、そのうちいくつが、他人に向けてではなく、自分自身に向けて放ったものだったのか。
誰にも気付かれぬよう、小さく苦笑する。
「一応このまま括り付けますが、できれば意識はなくさないでください」
「すまないな」
しっかりと結び終えると、教官を背負い直し、馬にまたがる。
「落ちないでくださいね」
「あぁ」
子供を前に抱え、背で教官を支える。
腕の中の、小さな体温。背から伝わる、確かな鼓動。
それらを感じながら、ケイランはふと、アイザックが胸の中に沈んでいったときの感覚を思い出す。
――それでも、今は前を向く。
一度だけ深く息を吐き、ケイランは手綱を取った。
急ぎながらも慎重に。彼は、街を目指して走り出した。
渦から遠ざかり、街の門が見えてくる。
門の前には、二人の街人が立っていた。
物見塔からケイランたちの姿を確認し、迎えに出てきたのだろう。
「お帰りなさい! 大丈夫ですか!? ……怪我をしてる! すぐに手当てを……」
駆けてきた若者が、隣の中年男性に視線を送る。
「街に入ったらすぐ診ましょう」
中年男性が、肩にかけた布袋をガサゴソと漁る。
中には包帯のようなものや小瓶が詰まっている。どうやら、医療関係者のようだ。
心配そうな彼らに答えたのは、教官だった。
「問題ありません。このまま教会に向かいます。――それよりも、街の方はどうですか? 避難は済んでいるでしょうか」
「ええ、問題なく。皆広場に集まりました。役人さんの指示に従って、数名に街内の見回りもさせています」
「ありがとうございます。……広場にいるクラウスに、我々が戻ったことを伝えてもらえますか? それと、街人を不安にさせたくないので、我々の負傷については誰にも言わないでください」
「分かりました! お二人の帰還はもう広場に知らせてあるので、教会に向かうことだけお伝えしますね」
「もう知らせてある……?」
教官の言葉に「はい」と答える街人の視線を追って、ケイランは物見塔の上を見た。
すると、こちらに向けて敬礼をする青年が目に入る。
――自分がここを出てからの短時間で、ここまでの体制が築かれていたのか。
ケイランは、ぼんやりとそう思った。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
教官とケイランが礼を伝える。すると彼らは、慌てたように頭を下げた。
「いえ、こちらがお礼を言わねばならない立場です」
本当に感謝しています、と言う彼らに頭を上げさせ、ケイランたちはそのまま、教会まで馬で向かった。
先ほど話した街人の様子からも感じたが、街は、想像よりも落ち着いていた。
レオナルドの演説は、街人の心にしっかり届いていた。
しかし大抵の場合、時間が経てば、心に灯った決意も揺らいでいく。混乱を起こす街人が出ても仕方なかった。
だが、そこには“名”が効いた。
アイゼンハルトという“王国の盾”の名、そして、シュヴァリエという高位貴族の名。
一般の街人は知らずとも、各地を巡り、貴族の情報も持つ商人にとっては、“王国の盾”はこのうえなく頼もしい存在だった。
そして彼が皆を守ると、高位貴族が保証した。
街人からの信頼のある商人が、アイゼンハルトの強さや在り様、シュヴァリエの立場や誇りについて語る。
すると、街人も「そんな方々が守ってくださるのなら」と自らの安全を信じた。
クラウスの見た目が年齢にそぐわず強面だったことも、街人たちに頼もしさを印象づけただろう。
レオナルドの演説と、クラウスの存在。
その言葉と姿が、街人たちの心を支えていた。
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