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51 実地演習 理のもとに

 渦が纏う雰囲気は変わらず、次の魔獣がすぐに生まれる気配はない。


「さて。検証ついでに、いくつか仕掛けるか」


 視線を渦の周囲へ向ける。事前に地図で確認していた谷の地形を思い出しつつ、レオナルドは歩みを進めた。


 まずは足場の工作。渦の発生地点から十数歩の範囲にかけて、土に魔力を注ぎ込む。地中に水を生成し、“たっぷりと水を含んだ土”へと変える処理だ。


 地面の表層は柔らかくなり、踏み込めば泥濘に足を取られる。重心が崩れれば、隙も生まれる。


 その泥の上には、さらにいくつかの地点で薄氷を張った。魔獣の脚なら容易に踏み抜けるが、それゆえに走りにくい。滑りによる一瞬の遅れは、命取りになり得る。


 氷の厚さや位置を変えながら、こうした“足場の罠”をいくつかの地点に設置していく。


 十数歩という距離は、渦のサイズ――馬二頭分ほどの大きさの魔獣が跳躍してきたとしても、最低一度は足を踏み入れる範囲。そして、この後に援軍が来たとき、彼らの足場を妨げない距離を計算して決めたものだった。


「……邪魔だな」


 レオナルドは作業の途中、荷馬車と遺体が魔獣の踏み台になり得ることに気付いた。跳躍距離を伸ばされる可能性がある。


 一部の地面を凍らせ、その氷面を利用して荷馬車と遺体を滑らせ、邪魔にならない場所へ寄せる。

 崩れそうな遺体は、商人の馬車から布を拝借し、包んでから抱き上げて運んだ。


 その中には、アイザックの姿もあった。

 生気を失ったその顔を見ても、レオナルドに特別な感慨は浮かばなかった。

 ただ、他の者と同じように運び、布をかけ、静かに寝かせた。


 レオナルドは、アイザックを嫌っていたわけではない。むしろ、好ましく思っていた。

 軽口は叩くが不真面目なわけではなく、基礎能力が高い。誰とでもすぐ親しくなれる点は、レオナルドやクラウスの不得手を補っていた。

 実際、クラウスと気が合う彼を、レオナルドも気に入っていた。


 それでも、彼に“悲しみ”はない。


 レオナルドにとって、他人は、そして自分自身さえも、“駒”でしかなかった。

 軍人として、貴族として、必要なら誰であっても“使う”。

 それが正しい選択であるならば、情は挟まない。

 ……唯一その理屈を揺るがせる存在には、まだ気付いていなかった。


 ゆえに彼は、“アイザックの死”を数ある損失の一つとして数えた。



 アイザックたちを移動したついでに、レオナルドはいくつか大きめの氷も転がした。


「ブラッドファングも冷えてるし、これで腐敗は多少遅らせられるだろう」


 家族のもとへ返すとき、少しでも“マシな形”であったほうがいい。

 それは自身の情ではなく、“他人の感情”への理解に基づく判断だった。



 その後、彼は各所に魔術陣を描き始める。

 詠唱を用いれば時間的ロスが生まれ、無詠唱では高い集中を強いられる。

 その点、魔術陣を使えば発動時の負担が少なく、魔力効率も良い。加えて、適性の低い系統も扱いやすい。


 利点は他にもある。発出場所を選べることだ。

 魔術陣には魔力の流れと魔術の展開式――術の構成要素が刻まれている。魔力さえ通れば瞬時に魔術が構築されるため、遠く離れた場所からでも発出が容易だ。

 どの魔術陣を起動するか選び、発動のための適切な魔力を送れば、簡単に魔術が発現される。


 レオナルドは、自身の魔力特性に合わせて魔術陣を調整している。そのため、一般的な魔術陣よりも制御精度が高く、遠距離でも問題なく発動できる。


 敵の出現場所が把握でき、準備する時間もあるのだから、魔術陣を描かない理由がなかった。


 レオナルドが想定する『悪い方』、すなわち飛翔型の魔獣への備えとして、渦の近辺に〈氷槍〉〈炎矢〉〈風刃〉〈土弾〉それぞれを発出する魔術陣を描いた。

 他にも、複数系統の複合魔術や大火力魔術の魔術陣を、効果を最も発揮する位置に仕掛け、どのような魔獣が出現しても対応できるよう準備をした。

 いずれも、魔力を通せば即座に発動する。

 魔獣の性質に応じて、最適なものを選べばいい。


「それにしても、出ないな」


 ここまでの間に何体か生まれていてもおかしくない。

 だからこそ、罠の設置をしながらも、決して警戒を緩めることはなかった。

 長く魔獣が生まれないとき、その次に出現する魔獣が強大になるか渦の変質が起こることが多いと資料では読んだが――


「あぁ、なるほど。これはどちらかと言うと『悪い方』だな」


 先ほどまでは動きのなかった渦が今、だんだんと裂け目を広げ始めた。


「検証が再度必要になる」


 魔力を緻密に動かせる彼は、自身の魔力支配の範囲を明確に認識している。ゆえに、渦から魔力の流れが生まれ始めたことに気付いた。


 魔術を使うにあたり、あれに干渉されるのは面倒だ。


「干渉される前提で、構築を考えるか」


『大きな魔獣が生まれるかもしれない』という状況で、魔術が使用できないのは困る。

 それならば、自分自身がこの環境に適応することこそが最適解だと、レオナルドは判断した。


 言葉では簡単でも、実際にはひどく難しい事柄だ。

 しかし、普段から生活の中で緻密な魔術制御の訓練を行なっていたレオナルドからすると、“可能”と断言できることだった。


「魔力と集中力を温存しておいたのは正解だった」


 多少、本気で向き合う必要がある。

 温度を乗せない瞳は、目の前の難題に対し、「カチリ」と焦点を当てた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

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次回のタイトルは、「背を預け、背を支え」です。

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