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50 実地演習 氷の静謐

 レオナルドは、現場が見えた段階でこう思った。


「想定の中では、悪くない方だ」


 このとき、アイザックの遺体はまだ確認できていなかった。

 それでも、満身創痍のケイランと教官の姿は視界に入っていた。


 にもかかわらず、レオナルドはなんの感情も抱かずに、ただ『悪くない方だ』と結論づけた。


 レオナルドにとって、“牙獣種の変異種一頭”の存在は、想定の範囲内であり、十分に対処可能な事柄だった。


 彼にとって『悪い方』の想定。


 たとえば、飛翔型で素早く、氷魔術が効きづらい魔獣が複数現れ、各々が散開してしまうケース。

 あるいは、魔術で仕留めきれないほどの数が同時に出現し、しかも足の速い個体ばかりで構成されているケース。


 そうなれば、渦の近くで食い止めきれず、魔獣が街にまで到達する可能性が高くなる。


 なお、渦の大きさからして、大型の魔獣が出ることはないと見ていた。

 だが、もし渦が拡大し、レオナルドの火力では仕留めるのに時間がかかる個体が現れた場合、それもまた『悪い方』の一つだった。




 渦の現場へ向かう途中、岩陰にうずくまる子供の姿が視界の端に入った。

 そこは馬を繋ぐのに適した岩場で、ケイランたちも利用した場所だ。

 レオナルドもそこで馬を降り、ロープを回して手早く括りつける。


 傷だらけで怯えきった子供を見ても、レオナルドは「可哀想だ」とは思わなかった。

 生存者がいたこと、そして“軍人”として守るべき対象が渦の近くに“在る”という事実だけを認識した。


 感情に流されることなく――いや、心が揺れることすらなく、「もう少ししたらお兄さんたちが戻ってくるから、ちょっとだけ待っててくれ」と、子供に安心を与えるよう笑顔を浮かべた。


 そして即座に切り替え、岩場を上る。ケイランたちとは異なり、高所から戦地へと赴いた。


 視界に入ったのは、教官に乗り掛かるブラッドファングと、それに向かっていくケイラン。


 体当たりしたケイランが弾き飛ばされ、ブラッドファングの姿がクリアに見えたその瞬間、レオナルドは迷わず〈氷礫〉を叩き込んだ。


 彼が〈氷礫〉を選んだ理由は、大きく分けて三つある。


 一つ目は、氷魔術の使用が合理的だったから。

 レオナルドは氷魔術を得意としており、最も精度が高く、再現性にも優れる。

 ブラッドファングは特定の属性に耐性を持たない。ならば、得意な系統で確実に叩くのが最も効率的だ。

 彼は他系統の魔術も扱えるが、それはあくまで“選択肢”であり、“選ぶ理由”がなければ使わない。


 二つ目は、渦の影響を考えた“安全策”として。

 レオナルドは自身の魔術制御能力を正確に把握している。だが、“渦”の近くで魔術を行使するのは、今回が初めてだった。

 わずかでも魔力干渉が起きれば、それは術の挙動に影響を与える。

 〈氷槍〉のように、魔力によって形状と軌道を維持する術は、干渉を受けて軌道が逸れるおそれがある。そうなれば、味方に深刻な被害を与えかねない。

 そのリスクを最小限に抑えるため、レオナルドは質量型の術――拳大の〈氷礫〉を選んだ。

 〈氷礫〉は魔術で氷塊を生成し、それを物理的に飛ばす術であり、飛翔中の挙動は魔力ではなく物理法則に従う。

 魔力干渉の影響を受けにくく、制御も安定している。

 殺傷力では〈氷槍〉に劣るが、狙えば戦意も骨も砕ける。


 三つ目は、教官とケイランへの配慮だった。

 命を懸けて時間を稼いだ相手を、一撃で屠れば、“差”が過剰に際立ってしまう。

 それは、当人に無力感を与えるだろう。あるいは、レオナルドに畏れを抱かせるかもしれない。

 そのどちらも、これまで築いてきた「人間関係」が無駄になる可能性がある。


 ケイランという有用な友人も、教官という現場で機能する人材も、“価値ある縁”だ。

 自らそれを損なう理由は、どこにもない。


 力を誇示しすぎないために、レオナルドは〈氷礫〉を選び、ケイランをこの場から離れさせた。




 ケイランの姿が見えなくなると、ライトブルーの瞳から感情が消えた。

 そこに在るのは、この場における“最適解”だけを冷静に見極める目だ。


「ブラッドファングの毛並みは鋼鉄並みで、斬撃を通しづらい。これは剣だけでなく魔術でも同じだ。顎力が強く、鋭い爪を持つ……だが、それだけだ」


 斬撃が効かないなら、他の手段を取ればいい。

 近距離戦に強いなら、遠距離から叩けばいい。


「〈水球〉」


 レオナルドは、まだふらついているブラッドファングの頭上に大きな水の球を出現させた。

 それが落ち始めたのを見計らい、彼は氷の魔術を放つ。


「〈氷結〉」


 そして着弾の瞬間、水ごとブラッドファングを凍てつかせた。


「……この距離なら、魔力干渉はこの程度か。多少の注意は必要だが……問題ないな」


 彼は常に合理を基準に動く。

 〈水〉系統の初歩〈水球〉と、氷魔術の基礎〈氷結〉を、無詠唱ではなくあえて簡易詠唱で使ったのは、渦による魔力干渉が、自身の魔力支配にどの程度影響を及ぼすかを、正確に測るためだった。

 基礎中の基礎を用いることで、魔力の流れを確認したのだ。


 ブラッドファングなら、殺すのは簡単だ。

 どうせ魔術を使うのなら、そのついでに検証も済ませておこう。

 ――ただ、それだけの判断だった。


「一応、他の系統も簡単に試しておくか。……あぁ、その前に」


 凍りついたブラッドファングに視線をやる。


「爪と牙は売れるはずだ。毛皮も……短時間の凍結なら、問題ないだろう。街の補填に回そう」


 レオナルドは岩の縁を蹴り、ブラッドファングへ真っ直ぐ飛び降りた。

 落下の勢いとともに、鋭い刃を首元へ振るう。


 もはや『斬撃を通しづらい毛並み』など関係ない。

 氷と化した首元は、「ザクリ」と音が鳴るより早く砕けた。

 支えを失った頭部は、重みに逆らえず、ずるりと滑り落ちる。


 首を刈り取るその姿は、まるで死を司る神のようだった。

次回の更新は明日6:30予定です。

タイトルは、「理のもとに」です。


また、先日、本作とは全く関係のない短編『好きになった彼女は、前世で婚約破棄した相手でした 〜今世をかけたセルフざまぁ〜』を公開しましたので、そちらも覗いてみてくださると嬉しいです。

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