28 クラウスの帰省 偽らぬ誠実
レオナルドは、貴族的な価値観のもとで育ち、軍人学校で学んだ。
ゆえに、そうした人々が何に価値を見出すのか、彼にはよく分かる。
社交界での評判や、クラウスから聞き出した人物像も加味すれば、「理想の軍人」と謳われるクラウディウスの価値基準は、「王国の利益に資するかどうか」だと考えるのが自然だった。
そして、その佇まいや纏う空気で、それを確信した。
レオナルドは今日、「クラウスを実家に顔を出させるため」にアイゼンハルト伯爵家を訪れた。
そこで“偶然夕食を共にできた親友の父”から“遊びに来た息子の友人”として、茶に誘われた。
――それが単なる建前に過ぎないことは、互いに理解していた。
レオナルドの来訪の目的は、アイゼンハルト伯爵家との縁を結ぶことと、「クラウスの傍にいることに他意はない」と明確に示すことだ。
一方クラウディウスもまたレオナルドの真意を測るべく、夕食の場に姿を見せた。「会わない」という選択肢もある中で、あえて対面の機会を設けたのだ。
レオナルドは、マルグリットとの会話の中で「ただの友として隣にいる」と、迂遠ながらも伝えている。
クラウディウスも、その意を当然理解していた。
こうして双方、目的はすでに果たされていた。
もはや、これ以上言葉を交わす必要はなかった。
だが、レオナルドはこうも考えていた。
もし自分が一定以上の評価に達しているのならば、クラウディウスは「その先」を求めるはずだ。
「本当に他意はないのか」或いは「本心であったとして、アイゼンハルト伯爵家としてはどう関わるか」を、もう一歩踏み込んで見極めようとするだろう。
そのときは、ここで声がかかる。
先ほど席を立つまでの間、レオナルドがひと呼吸置いたのは、クラウディウスの誘いを待っていたからだった。
声がかからず、夜が静かに過ぎるのなら、自分はそれに値しなかったということだ。その判断を受け入れるほかない。
最低限やるべきことは済んでいる。あのまま何も起きなければ、彼は至らぬ己を省みて、ただ精進するつもりだった。
――結果として、クラウディウスはレオナルドを呼び止めた。
その瞬間、レオナルドはわずかに緊張から解放されたことに気付いた。
しかし安堵の息を吐くことなく、正しく貴族としてそれに応じた。
レオナルドは、執務室へと通された。
「正式な客」でもなければ、ただ「談話」を交わすわけでもない。
――それなりに高く評価されている、と彼は感じた。
だが同時に、これは“認められた”のではなく、“試すに値する”という段階にすぎないことも、よく理解していた。
彼は、クラウディウスに敵うと考えてはいない。敵いたいと望んでいるわけでもない。
自分と、クラウスと、クラウディウス。この三人にとって、より良い未来を描くことを望んでいる。
だからこそ、この場におけるレオナルドの「勝利」は――『クラウディウスからの信用』。その一つだけ。
クラウディウスに対し、口先での駆け引きや、飾った言葉は意味をなさない。
ならば、ただ誠実であればいい。
彼が「レオナルド」という人間を正しく見極めてくれれば、アイゼンハルトにも軍にも害をなす者ではないと、理解してもらえるだろう。
レオナルドは、クラウスをシュヴァリエ侯爵家に取り込むつもりはない。
今回のように『ちょっとしたきっかけづくり』程度には使うが、政争に巻き込むつもりも、私的な利益のために用いるつもりもない。
友として隣にいる。それだけだ。レオナルドに、裏などない。
ゆえに、すべての問いに誠実に答える。
自分という人間が、どんな存在かを正しく伝えるために。
……クラウスに魅せられたという、その一点だけを除いて。
レオナルドはクラウディウスに「この上なく好都合な存在」と認識されたい。
これは事実であり、クラウディウスが正しく状況を読み取れば必然的にその結論に至る。
レオナルドとクラウスの先ほどのやり取り、そして使用人やマルグリットから伝わるであろう日中の様子。
クラウスはレオナルドに心を開いている。レオナルドの意見に耳を傾けるということだ。
由緒あるシュヴァリエ侯爵家の子息という重みを背負ってなお、貴族令息の中で高く評価されている。
それだけの能力を持つ。クラウスを正しい道に導けるということだ。
クラウディウスの意を汲むと示す、弁えた態度とその有り様。
アイゼンハルトとの友好関係を求めている。クラウディウスの意に反すること――仮にクラウスが王国へ害となる行動を取ろうとしたとき、それを許容しないということだ。
レオナルドをクラウスの隣に置けば、価値観の「誤り」や「感情的な行動」が矯正されるか、あるいは制御される可能性がある。
少なくとも、単純で愚かな息子が、国の不利益となるよう他者に利用されることは防げる。
「貴族として正しくクラウスを導き、制御できるレオナルド」は、クラウディウスにとって歓迎すべき存在だ。
……だからこそ、レオナルドは、「クラウスに魅せられた」ということを、絶対に気取られてはならない。
「力を扱うべき者が、力の意思に引きずられる」
「力を制御すべき者が、その力に情を抱く」
「貴族としての理よりも、『クラウス』という一個人を優先する」
そんな者を、クラウスという“危うい力”の傍には置けない。クラウディウスなら排除する。
――レオナルドがクラウディウスの立場なら、間違いなくそうする。
「家」や「国」に損害を与える可能性のあるリスクを、放置などしない。
レオナルドは本当に、「クラウスに魅せられた」という一点だけを除き、何ひとつ隠さなかった。
クラウスを恐れていないこと。
クラウスと親しくしていること。
好感を持っていること。
これからも友人でいたいこと。
問われるがままに、事実として。感情を込めるのではなく、ただの報告のように話した。
クラウディウスがクラウスを下げる発言をしたとしても、それはレオナルドからしても正当な評価であり、特段肩入れすることはなかった。
レオナルド自身も、クラウスが「貴族的でない」「甘すぎる」「単純だ」と評されることは当然だと考えている。
評価にズレを感じたら自分の見解を伝えたが、過度なフォローはしなかった。
そのうえで、自分とクラウスは友人だと、ただそう伝えた。
問題はない。
貴族なら「国」のために、「家」のために、「友」など切り捨てられる。
貴族とはそういう生き物だ。
だから、正しく「侯爵家次男のレオナルド」ならば、正しく「貴族令息」のレオナルドならば、いざというときクラウスを切り捨てる。
友が、クラウスが、「国」を害するとき、「正しく貴族」であるレオナルドはクラウスを処断する。クラウスが暴走したとき、その命を断じてでも止める。
それならば、レオナルドはクラウスと近しくしていても問題ない。
クラウディウスは、そう結論づけるだろう。
レオナルドはいつだって、物心ついたときから「侯爵家次男のレオナルド」だった。
たしかに、クラウスに心を動かされ、「ただのレオナルド」が生まれてしまった。
感情が揺れ、自然に笑い、怒るようにもなった。
好戦的な部分が顔を出すこともあったし、降りかかる火の粉をうっとうしいと払いのけることもあった。
それでも、レオナルドの“在り方”は変わっていない。
彼の核は常に「侯爵家次男・レオナルド」だった。
実際、いざというときには、クラウスに正しい選択をとらせるつもりでいた。
それが国のためでも、クラウスのためでもあると考えていた。
言葉を尽くし、ときには拳も使いながら、クラウスを正しい方向に導く。その覚悟があった。
王国を思い、クラウスを誤った道に進ませない。
その一点において、クラウディウスとレオナルドの価値観は完全に一致している。
――ゆえに、クラウディウスはレオナルドを「正しく貴族令息」とし、クラウスのそばに置いても問題がないと判断する。
そもそも、クラウスとクラウディウスは同じ方向を見ている。
クラウスもクラウディウスも、「民」を、「国」を、守ろうとしている。本来、対立する必要はない。
対立が生まれているのは、クラウディウスがクラウスを「感情をコントロールできない」「努力をしない」「劣った息子」と認識しているからだ。
そして、クラウスが、クラウディウスの冷徹な選択を理解できないからだ。
レオナルドからすれば、クラウスが甘ったれたことを言っているだけで、二人の見ている方向は同じなのだ。
レオナルドは、クラウスの心に寄り添いながら、クラウディウスの価値観に賛同できる。そこには、矛盾がないから。
クラウスとクラウディウス、その二人が持つ「理想」は同じなのだ。
だからレオナルドは、クラウディウスがその高い観察眼を以てして、ただ正しくレオナルドを評価してくれれば良かった。
――そしてレオナルドは、無事、クラウディウスの信用を勝ち取った。
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次回のタイトルは、「黙して交わす剣と扇 」です。




