アレクス・ハリアード
ポカポカと温かい微睡。
少し硬めの感触と頭を撫でられる柔らかな揺らぎにキャラスティはその身を任せていた。
そんなキャラスティの頬を何かが優しく掠め、ふわりとしたムスクの香りが鼻腔を刺激する。
その香りに誘われるように瞼を開くとそこには── 陽の光に輝く金色の髪と瞳があった。
「んん⋯⋯? っんぎゃーーーっ!」
キャラスティは叫び声を上げながら飛び起き、距離を取ろうとその身を捻った。
「コラっ急に動くな! 落ちるだろう!」
転げ落ちそうになった身体を支えられて益々近くなった瞳にキャラスティの心臓は跳ねた。
──な、なんで膝枕!?
動揺のまま硬直するキャラスティを見下ろした金色の彼、アレクスは寂しそうに目を細め、流れるように抱き寄せた。
彼の体温に包まれてこれを拒んでしまえば傷つけてしまうとキャラスティは気が気ではない⋯⋯が、いくら夢だとしても近すぎるのではないか。
「申し訳ありません!」
「夢でまで怖がらせたくはない。夢ならば⋯⋯怖がらないでくれ」
掠れた声。アレクスは夢でまで人に怯えられる事を恐れているのだとキャラスティはぎこちなくもその身を任せるように緊張を解く。
ざあっと風が通り「いつもの中庭」の風景が変わった。
小さなお茶会。
あれは⋯⋯初めてアレクスと言葉を交わした日。
目頭を押さえて微笑むアレクス。
あの複雑な笑い方をしたのは⋯⋯テスト結果を告げられた日。
皆が集まりたわいもない時間を過ごしたいつもの中庭。
「学園に通っていて、こんな場所が⋯⋯この中庭がある事を俺は知らなかった」
「生徒会と公務とでお忙しのですから、こんな外れの中庭を知らなくても仕方がないと思いますよ」
王子様であり学園の生徒会長でもあるアレクスは華やかな表舞台の人。
本来ならキャラスティのような下級貴族を気にかける必要が無いように学園に忘れ去られた中庭を知る必要は無いのだから。
「そんな事はない⋯⋯知らなければならなかった事だ」
景色が王宮へと変わる。
人々が頭を下げた廊下を颯爽と歩くアレクスの姿。扉があればそこに控えた騎士が開き当たり前のように通り過ぎる。
机に向かい差し出される書類を手にする。一言二言話しては次の書類へ。その間彼は書類を差し出す相手を見てはいない。
そう、彼の目には誰も映っていない。
アレクスは生まれた時から王子様。誰もが傅く存在だとしてもキャラスティに違和感が湧いた。
「彼らが傅く事、俺は当たり前だと、当然だと思っていた。けれど、俺は支えられていた。彼らは俺を「相応しい態度」で尊重してくれていたのに⋯⋯当然だと捉えていた」
また景色が変わる。
今度は薄暗い部屋だ。部屋の中央に置かれた寝台の上には少年が横になっていて、彼の顔色は悪く、呼吸も荒いように思えた。
医者らしき人物が出て行き、入れ替わりに入ってきた侍女達は慌ただしく薬や水を用意している。
「あれは俺の幼い頃。マーティンと同じくらいの時だ。俺はあまり健康ではなかった」
苦しそうに咳き込んだ幼いアレクスは泣きそうな表情でシーツを引き上げ、子供の身体には大きすぎるベッドに一人、丸まった。
「あの時から⋯⋯俺は人に嫌われるのが怖くなった。病弱な俺はいつか必要がないと言われるのだろうか。彼らは俺が「王子」だから心配している。「王子」ではなくなったら誰も⋯⋯俺を見なくなるのだろうか。そう考えてしまってからは健康になってからも、俺は「王子」でいる間は傅かれる事は当たり前だと彼らを見なくなってしまった」
言葉を詰まらせたアレクスの震えが伝わってくる。
それはまるで泣くのを堪えるかのように唇を引き結び、必死に感情を抑えているように見えてキャラスティも言葉に詰まってしまった。
『アレクス様は王子様なのだから当然です! そしてアレクス様は私の祝福で誰よりも幸せな王子様になるのよ!』
暗転した空間に響く声の主はもう分かっている。彼女は未だアレクス達を「ゲーム」の攻略対象者として見ているのだ。
アレクスはキャラスティに縋るように抱き寄せている腕に力を込めた。
『アレクス様は悪役に惑わされているんです! 「ヒロイン」である私が助けてあげます!』
「⋯⋯助ける」
アレクスは眉間を寄せて弱々しく自嘲する。
不機嫌に見えるこの癖はいつから付いたのか⋯⋯。王子だから。王子らしく。王子である為に付いた癖。
これは「王子」としてどうして良いか分からなくなったアレクスが弱い自分自身を守る為の防衛行動。
「俺は助けられるほど、弱い「王子」なのか? 助けを求められるのが「王子様」なのではないのか?」
更にアレクスの腕に力が入った。
助ける、助けられる事への葛藤。「王子様」である事に囚われたアレクスは助けを求める事すら許されないのだろうか。
──そんな事はない。
少なくともキャラスティの周りには一人で何もかもを背負う人は居ない。
誰かを助けたいと思い、誰かに助けて貰いたいと思う事は弱い事ではないと知っている人達の方が多いのだ。だから、その手を差し伸べてくれる人がいるならば迷わず掴む。
アレクスも苦しい時、その手を伸ばして良いはず。
「──助けて貰える時は助けて貰えば良いのです。助ける時は助ければ良いのです」
誰でも一人では出来ない事がある。キャラスティはそれを知っている。だからこそお互いを助け合う。それが友人や家族なのだ。
シリル、ユルゲン、テラード、レトニス。彼らはアレクスが「王子様」であっても「王子様」でなくてもきっとアレクスを助ける。それは自分もだとキャラスティは微笑んだ。
「私では何の助けにもならないと思いますが」
「──キャラと出会って、君を通して世界を見るようになってから、俺の世界は変わった。君の目を通した世界を俺は知りたいと思った。君が居てくれて⋯⋯良かった」
『目を覚ましてアレクス様! 貴方はそんな事を知らなくて良いの! 「王子様」なんだから! いい加減悪役は消えなさいよ! 本当に忌々しい! あんたなんか何も出来ない、何も無いくせに!」
「⋯⋯ああ、目が覚めたよ。何も出来ないからこそ、弱いからこそ⋯⋯手を取り合う──」
絶叫へと変わった声に向かってアレクスがゆっくりと顔を上げた。
「──向き合う。それが俺の「王子様」だ」
『何を言って! ──っ! きゃあああぁぁ──!』
力強いアレクスの声に暗闇に金色の稲妻が走り彼女の悲鳴が響き渡った。
暗闇に金粉のような光がキラキラと舞う。その中で振り返ったアレクスの表情はどこかスッキリとして、明らかに何かを決意したものだ。
「俺は弱い「王子様」だ⋯⋯けれど助けられながら助ける「王子様」が居てもよいだろう?」
「アレクス様は弱さを知る強い「王子様」ですよ」
笑うアレクスにキャラスティはシリル、ユルゲン、テラードに続いて彼も「ゲームの王子様」から解放されたのだと感じた。
キャラスティとアレクスに自然と笑みが浮かぶ。
「ゲーム」と言う馬鹿馬鹿しいものに振り回された中で育んだ「信頼」がある。
古い体制、身分、立場とこれからも上手く行かない壁に幾度となく遮られ、何度も打ちのめされても自分達はきっと乗り越えられるだろうという確信めいたものをアレクスは覚え、一人ではない事をキャラスティは思い出させてくれたと繋ぐ手に力を込めた。
その時、突然辺り一面が光に包まれ、視界全てがアレクスの髪と同じ金色に染まりキャラスティは眩しさに目を細めた。
キラキラと降り注ぐ光。そこに佇むアレクスの姿はどこか神々しく、キャラスティが「やっぱりアレクス様は王子様ですね」と思わず口にすればいつものアレクスなら眉間を寄せたのだろうが代わりに目を見開いた後、嬉しそうに照れた笑いを返してくれた。
「もう一つの目覚めの時間が来たようだ⋯⋯キャラ、一つ願いたい」
アレクスの願いと望み。その真剣な眼差しにキャラスティは頷いた。
「もっと国を知りたい。人を知りたい⋯⋯また、君と街へ行きたい。あの日、君は緊張していたが俺は楽しかった。今度はキャラにも楽しんでもらいたい」
「そんな事で良ければいつでもお供します」
「⋯⋯とも⋯⋯君も中々の鈍感だ」
「ど、どんかん⋯⋯」
光に溶け込み始めたアレクスが吹き出す。
「デートの誘いだ⋯⋯もう少し君と同じ時間を過ごしたい」
「で、でぇ⋯⋯と!?」
「キャラは驚いてばかりだな。「王子様」からの誘いだぞ?」
アレクスに取られた手が熱い。その熱さが全身に広がってゆく。
「俺はシリルが推してくる側室にしようと思えば出来る立場だが無理矢理にはしたくない。勤勉なキャラなら知っているだろう? ⋯⋯国王には公妾を持てる権利があると」
「何の話ですか⋯⋯」
確かにハリアード王国には側室と公妾の制度がある。ハリアード王国に於ける側室は古代から続くハリアードの血筋を絶えさせないために置かれるもの。正室に子供が出来なかった時には側室の子供が跡を継ぐ。正室に跡継ぎがいる場合は側室の子供は王家の一員として分家を興すのだ。
公妾は国王の寵愛を受けるのは側室と同じだがもし、子供が出来たとしてもその子供は王族にはなれない。また、公妾は既婚者である事が条件であり、子供はその公妾と夫の子共となる。
その公妾。ハリアード王国に於ける公妾は国王の相談役の意味合いが強い。あくまでハリアード王国での話だが。
王家の歴史でそう教わったけれど、それがどう自分に関係するのか訝しげなキャラスティの手を強く握ったアレクスは消える寸前に少し寂しそうな笑顔を見せた。
「今の俺の望みは街に行く事だ⋯⋯初恋の相手とな」
「はっ、はつ⋯⋯」
「ああ、初恋だ」
アレクスは「楽しみにしている」と笑い完全に光の粒子となって消えた。
残されたのは呆然とするしかないキャラスティだけ。
漸く言葉の意味と自分の状況を理解し、ヘナヘナと座り込んだ。
「初恋⋯⋯まさか、冗談よね⋯⋯」
手の平に転がる「記憶の種」。ピシリとヒビが入るとサラサラと指の間から零れ落ちた。
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夜が深まり、肌寒さが強くなった。
カレンはアレクス達の毛布を掛け直していた手を止めた。
眠るアレクスの額に浮かんでいた「種」が割れ、黒い靄が窓から外へと逃げるように消えて行く。
頬に血色が戻り、その表情も穏やかになったアレクスにカレンは安堵の息を吐いた。
「残るはお一人です」
パーティーは既に終わった時間。微かに聞こえていた音も騒めきもおさまった月明かりだけの静寂の中、カレンはレトニスを見て小さく息を吐いた。
アレクス達皆、キャラスティに好意を持っている。それは彼らの「記憶」を守った時に察した。その中でもレトニスの想いはとても深いものだった。
「この世界でお姉さん⋯⋯キャラスティ様を深く⋯愛されている方」
時折うなされながら眠るレトニス。それは誰よりも切な気でとても苦しそうな寝顔だった。




