水色の少女
「うっさい! うっさい! うっさい! あんたはアタシの言う事を聞いていればいいのよ!」
聖女宮にあるランゼの私室に怒鳴り声が響いた。
「誰のおかげでここにいられると思ってんの!?」
「アタシを誰だと思っているの! やれって言ったらやるの!」
「出来なかったって馬鹿なの!?」
荒い息を吐き肩を張らせたランゼはその可愛らしい顔を歪め、倒れ込んでいる少女に罵声を投げかけながらドレスの裾を持ちその足で少女の腹部を蹴り上げた。
鈍い音と共にくぐもった悲鳴を上げ、苦痛に表情を歪める少女──カレンにランゼは更に罵声を浴びせ続けた。
「も、申し訳、ありません⋯⋯も、もう一度行って──」
「もういいわよ! パーティーが始まっちゃうでしょ! セルジークが迎えに来るのだからさっさと支度を済ませて!」
乱暴に鏡台前に座ったランゼは「化粧のし直しよ!」と言いながら自分の中にいる悪魔にも悪態を吐く。
⋯⋯あんたも、何なの!? 中途半端なものを渡して⋯⋯
──我は我が聖女のみ欲する──
⋯⋯だから! あんたを受け入れてやってるんでしょ!⋯⋯
──我が聖女は我のもの──
悪魔からの答えはずっとこの調子だ。
この内なる悪魔から貰い、アレクス達に使った「記憶の種」。それは彼らの記憶を書き換えるもの。最初は良いものをくれたと喜び、ランゼはこの種でアレクス達の中にあるキャラスティと過ごした記憶をランゼと過ごしたとの記憶に、セルジークに攫われた記憶をランゼを追って自らこのフリーダ王国へと来たと書き換えた。
思わぬ副産物だったのはキャラスティがランゼがよく知らない貴族と結婚したと彼らが思い込んでいた事だ。
都合が良い事だった。なのに、キャラスティは彼らとはもう関係ないのだとランゼが言っても何故か彼らは揃って「好きだった」のだと憂いていた。
「ゲーム」が終了した今、ランゼには彼らがランゼに対して持っている嫌悪を好意寄りに変える事はできても感情をコントロールするまでの「祝福」の力はなくなってしまっている。記憶の改竄をしても感情は操れないのかとランゼは爪を噛んだ。
それに、記憶を書き換えた事によりランゼの知らない彼らの記憶とのズレが起きてしまっていた。
ランゼが知るのは「ゲーム」の「イベント」だけ。種によって改竄できたのは「ゲームシナリオ」に関わる記憶だけなのだ。
アレクスのキャラスティと街歩きをした記憶は「ランゼと街歩き」していたのに建物の角からランゼが飛び出してくるおかしなものとなってしまっている。
シリルの記憶はダンスレッスンがあんまりな評価な上、ランゼは寮に入っていないのに寮でのレッスンをした後にもらったクッキーをまた作って欲しいと言われて答えに困る事態に陥った。
ユルゲンの記憶改竄では失敗した。キャラスティに服飾の道へ行きたかったとの夢を語ったらしいがその理由をランゼは知らない。姉がいる情報は「ゲーム」で得ていても何故ユルゲンが服飾の道へ行きたい夢を持ったのかランゼは全く分からないのだ。うっかり「針仕事が好きだなんて侯爵令嬢には似合わない趣味ですね」と笑ったところ同じように笑うと思っていたユルゲンに眉を顰められてしまった。
テラードの記憶。実は彼が一番分からない。キャラスティがテラードに対して起こした「イベント」は連れ去りイベントのみで好感度が関わるものでは無かったのにキャラスティを「特別」な女性だと言うのだ。理由を聞いてもへらっと笑うだけだった。
そしてレトニスは元々がキャラスティに対しての気持ちが強すぎて上手く記憶が改竄されていない。その為、まだランゼと出会っていない頃にキャラスティが発生させていた「イベント」の記憶がランゼに置き換わった事により筋が通らなくなってしまっている。
忌々しい。何がキャラスティだ。どこまで邪魔をするつもりなのか。彼女のせいでまたも上手くいかない事ばかりだと、ランゼは苛立つ。
どうして、どうして、どうして。どうして上手くいかないのか。
「⋯⋯カレン、さっきはごめんなさいね」
「い、いいえっ! 私が悪いのです!」
「そうね、言ったことができない貴女が悪いのよ。だから今度はしっかりやるのよ。夜は彼らを絶対に外へ出さないようにしなさい」
そう、彼らは何度か夜に脱走を試みているのだ。朝になると帰って来るがこう何度も脱走されては面倒だと今は夜になると北にある塔へ閉じ込めている。
逃すものか。記憶の辻褄が合おうと合わないと彼らはランゼのもの。
ランゼは深紅のドレスを纏った自分に微笑みかける。
──さぁ、今日の私も可愛い。
記憶のズレそんなものはどうでも良い。ランゼにとって彼らは自分を飾るアクセサリー。好きな時に身に付け周りがランゼを羨ましがる顔が見られれば良い。
「セルジーク様がいらっしゃいました」
かけられた声に微笑み返してランゼは内心悪態を吐く。
カレンが失敗したせいで今夜も国王を落とせなかった。この国の最高権力者である国王を何度も聖女宮の宴に招待しているのにハミルネ王妃の妨害により一度も来た事がない。
一度でも聖女宮に来れば悪魔の力を借りたランゼの「魅了」で国王が落とせるのに。
国王の寵愛を得ればより一層の贅沢が出来るというものなのに。
セルジークの腕を取るランゼの後ろ姿。
蹴られた腹部の痛みを押さえてカレンは無表情のままくるりと方向を変えた。
彼女が向かう先。それはアレクス達が居る聖女宮北側の塔。
塔へと向かって歩くカレンの口端がくっと上がった。
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聖女宮の北にある塔は「聖女」が祈りを捧げる場として造られた。
塔の造りは一階部分に守衛所、台所、水回り。二階に使用人達の部屋。三階から五階にかけて個室が並び最上階が「祈りの間」になっている。
「ご気分は、いかがですか」
コポコポと淹れられる紅茶の香りが「祈りの間」を満たす。
聞かれるまでもない。誰もが不機嫌に首を振った。
「⋯⋯良く、ないですよね」
「君に当たっても仕方がない事だが、囚われの身である以上気分が晴れる事はないだろう」
アレクスは自嘲気味に笑う。
彼らがこの国で目覚めた時、一番最初に出会ったのはカレンだった。
カレンはアレクス達をハリアード王国からこのフリーダ王国へと連れて来るようセルジークに指示したのはランゼだとその時に語った。
わざわざそんな事を教えるカレンに何を企んでいるのかと警戒を見せた彼らに彼女は「私は敵であり味方」だと微笑んだのだった。
「聖女宮を出ると言う行動の禁止されているのは外的要因。それだけなら皆様であれば抜け出す事が出来なくはないのでしょう。皆様が出ようとしないのです。内に根を張っている「記憶の種」を取り除かなければ「出よう」としないのです。日が昇るとここへ戻って来てしまうのです」
カレンは毎晩こうしてやって来てはアレクス達の状況、外の状況、ランゼの動向を語る。
「皆様は昼と夜とで「記憶」を変えられているのです」
そう、アレクス達は夜には正しい「記憶」に戻るのだ。
「記憶の種」は昼の間、ランゼに書き換えられた記憶の花が咲き、夜にその花を閉じる。花が閉じてアレクス達は正しく自分の置かれた状況を思い出す。
「感情を操られた時も不愉快だったが「記憶」を変えられるのも腹が立つ」
「まったくだよ! 僕、姉様を笑われて腹が立ったのに怒らなかった⋯⋯それをおかしいって思ったのに。キャラちゃんはそんな事言わないよ」
「辻褄の合わない記憶は⋯⋯悪夢を繰り返されているようだな」
シリルがキャラスティとのダンス特訓は楽しかったのだと苦笑を零すとアレクス達もランゼに塗り替えられた偽りの記憶は悪夢だと苦々しく笑う。
ランゼがアレクス達に植え付けた記憶はランゼにとって都合の良いものばかりだ。ランゼが望むようにアレクス達は動かされ、「ブローチ」に支配されていた時のように再びランゼの思い通りに動かされていると知った時は怒りでどうにかなりそうだった。
「⋯⋯私が出来た事は記憶の改竄を受けても皆様が忘れたくないと強く思われているものを忘れずにいられるようにする事だけでした。それだけ種の根は深いのです」
「でもまさかご結婚されたと思い込むとは思いませんでした」とカレンは揶揄うように笑う。
カレンが忘れないようにとアレクス達に施した力は「心の底にある願望で忘れたくないものを包む」のだと言う。
「効いて良かったです」と微笑むカレンにアレクス達は互いに咳払いをして視線を逸らした。
「そうそう、昼間。レオネル様とお会いになったのですね」
新しい執事を連れたレオネルがこの聖女宮へやって来た。
カレンがそれは初めての事だと零すと、アレクスとユルゲンは「レオネルは一人だった」と首を傾げた。
王子であるレオネルはいつも誰かしら連れている。聖女宮に入る時は二人、出会った時は一人。
気になるとカレンは目を細めた。
「⋯⋯甘い香り」
同じように首を傾げていたレトニスがあの時、レオネルから懐かしい香りを感じたと呟いた。
「男性が付けるには意外な香水だと思ったんだ⋯⋯あれはキャラが好んで付けてる香水と同じ。しかも緊張した時の香り方だった。何故あの香りがレオネルからしたのか⋯⋯」
「レトニス、一応突っ込むが、キャラ嬢の状態を匂いで判断できるお前⋯⋯高度だな。色々と」
呆れた声のテラードの言葉に全員が、本人が聞いたら顔を歪めゴミを見るようなその冷えた視線でレトニスを見下ろすキャラスティを思い浮かべて吹き出した。
そして同時に思い出す。
なんの変哲もない、なにも特別ではなかった。むしろその存在を知らなかった。知らないまま通り過ぎるだけだった光さす学園のいつもの中庭を。
窓の外を眺める彼らに一息吐いてカレンは席を立った。
そろそろ宴が終わるのだ。
「種の取り除き方はセルジーク様がお調べになっております。レオネル様についてもこちらで探ってみます。もう暫く大人しくなさっていてください」
「カレン嬢、なぜ君はランゼに仕えている? 何故我々に協力するような事をする。そろそろ教えてくれないか。君を信じて良いのか判断ができない」
「私はフリーダ王国の民。マーナリア様の信徒です」
「聖女」マーナリア。それはこのフリーダ王国の信仰の中心。
ランゼが「聖女」ならば仕えるのは当然の事だとカレンは微笑む。
「ですから、最初にお伝えした通り私は「敵であり味方」なのです」
こうして気遣いをくれるカレンは敵か味方か。その思惑と企み、全てが不透明で、何一つとして掴めないのに自分達は彼女に頼らざるを得ないのだ。
何か出来ることは無いのだろうか。
アレクス達は晴れない気分のままカレンが出て行った扉を見つめ続けた。
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・
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「カレン」
「ハルトール様⋯⋯パーティーは終わったのですか?」
「いや、まだ。彼らは?」
「いつもの通りです」
ハルトールは北の塔の最上階の灯りを見上げて安堵の息を吐く。
「彼らに「言葉」を与えられてはフリーダ王国とハリアード王国の間で戦になってしまう。「言葉」が与えられそうになったら⋯⋯頼みます」
「勿論です⋯⋯「聖女」の言葉は本来は智と恵をもたらすものですが聖女様の言葉は⋯⋯」
「ええ、あれは「悪魔」の言葉です」
セルジークは「聖女」から言葉を与えられハリアード王国からアレクス達を攫って来た。あんな力は悪魔の力だ。
カレンはさっと表情を曇らせた。
教会に迎えに来てくれた「聖女」。美しく優しい微笑みに彼女は「聖女」マーナリアの生まれ変わりなのだと心を躍らせた。
側付きに置かれ「聖女」の為に奉仕できるのだとカレンは幸せだった。
しかし、「聖女」に付いて幸せだったのは短かった。暫くして「聖女」は聖女宮の女性使用人を解雇し、好みの男性を集め身の回りを飾り始めた。
そんな「聖女」に失望を感じ始めながらも心を誤魔化していたカレンはある夜、夢を見た。
夢に現れたのは「聖女」マーナリア。その神々しさに手を伸ばすとマーナリアは憂いた表情を見せカレンへと残酷な言葉を発したのだ。
──あの子は「聖女」ではありません。「聖女」は「 」よ。どうか、女神様を探して──
「女神様を探して⋯⋯」
「マーナリア様のお告げですね。カレン、辛い思いをさせてしまいますが耐えてください。兄上が女神様を見つけたのかも知れません」
「本当ですか!? それは、どなたですか! どこにいらっしゃるのですか!」
「カレン⋯⋯」
声を荒げたカレンの口元に人差し指を翳しハルトールは小さく頷いた。
「ハリアード王国で出会った女性がいるそうです」
「その方の、お名前⋯⋯は」
「この世界ではキャラスティ・ラサーク。その魂の名前は「サクラギ」だと」
「キャラスティ様⋯⋯どこか、で⋯⋯あ!」
ばっとカレンは塔を振り返った。
聞き覚えがあるはずだ。それはアレクス達が忘れたくないと願った名前。
── 男性が付けるには意外な香水だと思ったんだ⋯⋯あれはキャラが好んで付けてる香水と同じ。しかも緊張した時の香り方だった。何故あの香りがレオネルからしたのか──
レトニスの言葉を思い出す。女性をしかも体調的なものを匂いで判別出来る彼に少し引いたが重要な事なのではないか。
新人執事を連れたレオネルは彼らと出会った時に一人だった。しかし、そのレオネルからキャラスティの香水の匂いがした。
それは、近くにキャラスティが居たからではないのか。
カレンは目を見開きハルトールを振り返る。その表情に驚いた彼にカレンは唇を噛み締めて俯き、そして顔を上げた。
カレンの瞳に宿るのは決意。カレンはマーナリアの信徒としてこの国を守らなくてはならない。それが自分の役目だ。
「レオネル様とお会いしたいです」
「分かった。なんとかしよう」
「私は「聖女」様を裏切っているのでしょうか⋯⋯」
カレンの言葉にハルトールは目を細めた。
ランゼが「聖女」なら彼女を疑い彼女の意に反する事をしている。
ランゼが「聖女」でなければマーナリアの教えに反した偽者を「聖女」として崇めているのだ。
どちらにせよ裏切り行為なのだろう。
「私は、マーナリア様の信徒です。「聖女」様に尽くすのが私の使命」
「カレン、貴女の忠誠心は素晴らしい。ですが、時には「聖女」の言葉を疑う事をマーナリア様は許してくださると僕は思います」
ハルトールがカレンを真っ直ぐに見つめて紡いだ言葉。それは自分自身にも言い聞かせているようだった。
カレンはそっと胸の前で手を組み、祈りの言葉を口にする。
──どうか、お導きください。
夜が深まり、パーティーが終わったのだろうランゼの笑い声が聞こえた。
カレンはハルトールと別れ急いで戻る途中に塔をもう一度振り返った。最上階の灯りはまだ付いている。
「カレン!」
「はい! ただ今!」
カレンはキュッと唇を噛み、自分を呼ぶ声の元へ駆け出した。




