偽りの記憶
キャラスティがレオネル専属侍女として西の王子宮へ入城して半月、ハリアードを出て一ヶ月ほど経った。
初めの一週間はフリーダ王国の習慣を学び、二週間目から仕事をしながらレトニス達の捜索に動き出したのだった。
レオネルに付いて過ごす王宮内での話と街へ出て聞いた話から分かったもの。それはこの国が「聖女」によって疲弊しつつあるという事だった。
王宮と街の噂では「聖女」は見目の麗しい男性を聖女宮へと集めては毎夜宴を開き贅沢三昧しており、また、「聖女」は街へ出ると貢物を要求し、高価なものを献上する者、好みの者を優先して「祝福」を与えているのだと聞こえて来た。
フリーダ王国は信仰の国。「聖女」は信仰の最上位に当たり、国民はその存在を神格化しているのだ。それなのに「聖女」は極個人的な嗜好で選り好みをしている。
人々は「聖女」のそんな姿は俗物そのものだと落胆し、フリーダ王家強いては信仰そのものへの不信感が広まりつつあるようだった。
「まだ表面には出ていないけれど、この国が良くない状態になりそうだって事は分かるわね」
豪華な金髪をお団子に纏め伊達眼鏡をかけ、外歩き用のワンピース姿のレイヤーが溜息を吐く。
これからレイヤーとリリック、ベヨネッタはレオネルのお使いで街へ出る。三日後の「聖女」が開く宴にレオネルが招待され、その時に献上する品を受け取りに行くのだ。
しかし、それは表向きの用事。
本命はセルジーク達と街歩きに出ている「聖女」がランゼである事を確かめる為だ。
フリーダ王国王宮は中央に国王と王妃の城。北に王太子宮、西に王子宮。そして、東側に聖女宮といくつかの離宮で構成され、其々の宮は独立の形を取っている。
その為、各宮で働く者達の宮の行き来は無いに等しく、まして聖女宮はそこで働いていた女性はたった一人を残して全て解雇され「聖女」を世話する使用人達は全て男性に入れ替えられた上に女人禁制の体を成しているのだから近付く事すら難しい場所となっていた。
「聖女」のその姿を確認したくとも出来ない。
キャラスティ達では近付く事が難しい聖女宮。唯一姿を確認できるのは「聖女」が聖女宮を出た時。
その「聖女」が街へ出ると言う情報をレオネルが入手し、レイヤー達がその確認へと街へ出ることになったのだ。
キャラスティはセルジークと面識がある為、不用意な接触を避ける意味でレオネルと残り、街に流れているもう一つの「噂」を確かめるべく「聖女」不在の聖女宮を探る。
そのもう一つの「噂」。それはハリアード王国の王子達が「聖女」を追ってフリーダ王国へ来ているのだと言う。
「噂」の口ぶりからは無事なのだと安心したが、自らフリーダ王国へ来たのではなく、聖夜祭の夜会でセルジークによって攫われた彼らが聖女宮から出ようとしていない事がキャラスティは気になった。
動けない状況なのか、もしくは力を増した「祝福」によって感情を操作されているか。
その場合⋯⋯キャラスティ達は悪役として再び彼らの目に映るのだろうか。
「大丈夫か? キャラスティ。顔色が良くない」
レイヤー達が出かけてすぐ、聖女宮へと向かいながら心配気に顔を覗き込むレオネルにキャラスティは頷く。
もう、怖くないはず。断罪に怯える必要はないはず。「ゲーム」は終了したはず。なのに、キャラスティの胸がざわつく。
「緊張してしまって⋯⋯」
「聖女宮では声を出すなよ。女だと分かられては面倒だ。僕様から離れないように」
胸のざわつきは締め付けているせいではないとキャラスティは息苦しく感じながら頷いた。
今のキャラスティは執事服を着込み、髪を一つに纏め、前髪で目元を隠したレオネルのお付きの「少年」の姿。
男性としては無理があってもまだ成長過程である中性的な「少年」だと強引に通せるとはレオネルの談だ。
「これはこれはレオネル様。漸く「聖女」の後宮へ入られるのですか」
「それは素晴らしい。「聖女」様もお喜びなられる。レオネル様はまだ幼いとは言えお美しい王子であられますゆえ」
「⋯⋯ははっ。この顔が「聖女」の好みか。残念ながらまだ入るつもりはないな。今日は新しく雇ったこの者に王宮を案内しているんだ」
この者。聖女宮の門を守る美形の騎士からの視線にキャラスティは頭を下げた。
まじまじと見られては何かボロが出てしまう。あまり見ないで欲しい。
「ほう、なかなかの美しさだな。どこか女性的ではあるが」
「いや、この中性的な容姿なら「聖女」様のお眼鏡にかかるかも知れない」
この騎士達もランゼの力に惑わされている。うっとりとした口調とどこか焦点の合わない視線。この二人からはじっとりとした気持ち悪さが滲み出ている。
嫌でも認めなくてはならないとキャラスティは手の平に爪を食い込ませた。ランゼの力はハリアードにいた時より増大している。この場に術者であるランゼが居ないのにその力が持続しているのだから。
「聖女宮を見学したいのだが、入れてもらえるか」
「レオネル様と新米執事殿ならば歓迎します。もっとも女性は入らせられませんが」
「ああ、我々にはお美しい「聖女」様だけが居れば良いからなあ」
ランゼを思い恍惚の表情を浮かべる騎士にキャラスティはゾッとする。
それが彼らの本心からのものであれば好きにすれば良い。けれどそれが操作された感情であるのなら、人を人とも思わないランゼの行動にキャラスティはただひたすら嫌悪を感じるだけだった。
「ここにいる奴らはみんなあんな状態だ。僕様はまだ子供である事が幸いして母上の加護を強く受けているらしく影響を受け辛いらしい⋯⋯兄上達は⋯⋯「聖女」が居ない、聖女宮でない場所なら、正気なんだが⋯⋯」
レオネルは「悔しい」と何度も口にする。
王子である前にまだ力を持たない子供のレオネルの侍女として一緒にいる中で彼は夜になると不安からなのだろう、兄達を救いたいと泣いているのを何度か慰めていた。
レオネルは聖女宮の使用人達とすれ違うその度に繋いだ手の平に力を込めて来る。
キャラスティは応えるようにその手を握り返してあげるだけしか出来なかった。
「あいつらは何処に居るんだ⋯⋯」
聖女宮の庭に出たレオネルとキャラスティは手入れされた花々を鑑賞する素振りをしながらレトニス達を探して辺りを窺う。
今回聖女宮へ来たレオネルとキャラスティの目的、それはランゼの影響の有無と彼らの身の安全を遠目から確認する事なのだ。もし、ランゼに操られた状態だとしたらこちらが何を言っても無駄であるし、意図しない火種を生む事に繋がってしまう。
慎重に耳を澄ませ、目を凝らしながら庭の散策を暫くしているとふと、奥の方から声が聞こえ、咄嗟にレオネルはキャラスティを生垣の陰へと押し込んだ。
「あれー? レオネル君だあ」
「あ⋯⋯お前達」
「なんだレオネルもここに入る事になったのか?」
現れたのはユルゲンとアレクスだとキャラスティは生垣の陰で身を強張らせた。
「お前達、何ともないのか?」
「何の話だ。ここ以上に安全で安心できる場所はないだろう?」
──ああ。キャラスティは落胆する。
アレクスとユルゲンはランゼの「祝福」の影響を受けている。だとすれば残りの三人も同じだろう。
「⋯⋯お前達は、ここで何をしているんだ」
「えー? 何って僕達はランゼの王子様だもん。居て当然でしょ?」
「ああ、ランゼが突然ハリアード王国を出てしまったからな、俺達がここに来る事にしたのだろう? レオネルと一緒に帰って来ただろう」
二人の言っている事がおかしい。レオネルとキャラスティは言葉を失った。
アレクス達は聖夜祭の夜会でセルジークによって火柱とともに攫われ、フリーダ王国へと連れ去られたのに、彼らの記憶ではランゼを追って自らフリーダ王国へと渡り、その際レオネルと一緒に帰って来た事になっている。
「あっちにレトニス達も居るからおいでよ。同じ王宮に居るのになかなか会えなかったよねえ」
「ついて来い、ハリアード学園の中庭のような場所がある。あの庭にはお前も良く来てランゼに可愛がってもらっていただろう?」
「は? 何だそれ⋯⋯お前ら⋯⋯キャラスティを忘れたのか?」
「キャラちゃん? ⋯⋯キャラスティ・ラサーク?」
「キャラを? ⋯⋯あ、キャラスティ? ラサーク子爵家の令嬢だったが、今は──いや、それより何故お前が彼女を知っている?」
キャラスティは確信する。彼らの記憶がなんらかの力でもって書き換えられていると。
彼らがキャラスティと過ごした学園の中庭での時間と出来事の記憶はキャラスティの部分だけがランゼに書き変わってしまっている。
その気味の悪さに身体の先端からじわじわと奪われて行くキャラスティの体温。彼らの話をこのまま聞き続けてしまうと寒くて凍えてしまうのに。耳を塞ぐ事ができない。
キャラスティがグッと込み上げる声が漏れないように手を当て歯を食いしばる口の中に強く噛みすぎたのか鉄の味が広がった。
「キャラがどうしたって?」
その声にキャラスティの心臓が跳ねた。
「レオネルはキャラを知っているのか? 彼女は元気⋯⋯なのかな」
何となくレトニスの歯切れが悪い。
その声はキャラスティの近況を知りたいが知りたくはない。そんな心情が含まれているようだった。
「元気、とは?」
「⋯⋯こっちへ来る前にキャラは婚約者だったエミール・シラバート伯爵と式を挙げてシラバート伯爵夫人になったんだよ⋯⋯」
「レトニス、キャラちゃんが好きだったもんねえ。振られちゃったねえ」
「うるさいなあ⋯⋯もう忘れたよ。忘れなきゃいけないだろ? もう、エミールさんのものになったんだから⋯⋯それに俺達にはランゼがいるだろう?」
「あははっそうだよねー」
レトニスは何を言っているのだろうか。誰がエミールと婚約していた? 誰が結婚して伯爵夫人になったと言うのか。
キャラスティは込み上がる吐き気を必死に抑え込んだ。その瞳は瞬きさえ怖くて出来ないと見開かれ、ポロポロと雫が零れ落ちる。
上手く息が出来ない。その息苦しさと胸の痛みにキャラスティは声を殺して蹲った。
書き換えられただけではなく捏造までされた彼らの記憶。
「ブローチ」に操られた時とは違い、キャラスティを蔑む事はなくともキャラスティが大切にしている記憶が彼らからすっぽりと抜き取られ、偽りの記憶が植え付けられてしまっているのだ。
キャラスティの耳に響いた「忘れた」。レトニスのその言葉がひどく胸に突き刺さり、抜けない。
「もし、キャラに手紙でも書くことがあったら伝えてよ──幸せを祈ってる。って」
「──あ、ああ、伝、える⋯⋯じゃあな、僕様は今日は見学に来ただけだ。そろそろ帰るぞ」
「そうか? まあ、三日後にはまた会えるからな。レオネルもその時に聖女宮への正式な入宮をランゼから許されるだろう」
「またねーレオネル君」
アレクスとユルゲン、レトニスが去る気配がするがキャラスティは生垣に影に座り込んだまま動けず蹲り続けていた。
レトニス達の記憶は奪われ、書き換えられ、偽りを作られた。
こんなにも胸が苦しい。こんなに辛いのなら本心では無いと分かっていた「ブローチ」の力で操られた彼らに罵られる方がましだ。そっちの方が何倍も何百倍も耐えられる。
しかし、記憶はそうは行かない。書き換えられた記憶を元にしたものは彼らの本心となってしまうのだ。
違う、分かっている。その記憶が本物では無い事を。それが彼らの本心では無い事を。
──あの時、島に迎えに来てくれたレト達も、こんな気持ちだったのかな⋯⋯。
忘れられる事がこんなにも苦しいなんて。この感情を彼らも知っているのだろうか。もし、少しでも彼らがキャラスティとの記憶を大切にしてくれていたとしたら⋯⋯。
レトニスとアレクス達がそうしてくれたように。
島で記憶を混濁させたキャラスティを引き戻してくれたレトニスとアレクス達に彼らが大切にしている「記憶」を必ず取り戻さなくてはならない絶対に⋯⋯。
「──か、──しろ──おいっ! キャラスティ!」
「⋯⋯レオ、ネルさ、ま」
レオネルに肩を揺すぶられたキャラスティは顔を上げた。
虚な目をしたキャラスティに「酷い顔だ」と眉を寄せたレオネルは「帰るぞ」とその手を引いて聖女宮を後にした。
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キャラスティとレオネルが王子宮へ戻ると先に戻っていたレイヤー達がうんざりとした表情で買ってきたのであろう菓子をもそもそと摘んでいた。
彼女達は憔悴したキャラスティに険しい表情を見せ「そっちも良くないみたいね」と大きな溜息を吐いたのだった。
「一言で言うと「気持ち悪かった」だわ」
「そうね、あれは無い。無いわあれは」
心底嫌だと言わんばかりに「気持ち悪い」と珍しく吐き捨てるベヨネッタにリリックは力を込めて同意する。
彼女達が見たものはこう、だ。
レイヤー、リリック、ベヨネッタはお遣いの品を早々に購入してから「聖女」達を探したのだと言う。
数件、目星をつけた店を覗いて彼女達は難なく見つかった。
立ち並ぶ高級店の一つに出来た人集り。一目「聖女」を見ようと、彼女から「祝福」を得ようと献上品を手にした人々が殺到していた。
遠目ではあったがその中心には「聖女」と王太子セルジーク、王子ハルトール。周りの取り巻きはレオン、アダム、ラファルだろう。
「ランゼ⋯⋯」レイヤーが小さく呟く。
遠くても分かる。桃色の髪、弧を描いた口元。忘れるわけがない。
愛らしく笑うランゼの元に沢山の高級品が積み上げられ、人々が熱狂する歪な光景をこれ以上は見たくないとレイヤー達がその場を離れようとした時だった。人垣の前列で騒ぎが起きた。
取り巻く貴族達を押し除けた一人の老夫が嘆願者を掲げながらランゼの前へと踊りでた所をラファルに取り押さえられたのだ。
「今、国民は疲弊してます! どうか皆に祝福を」
「聖女」はこの国では特別な存在。ランゼの振る舞いは「聖女」にあらず。必死にそう叫ぶ老夫。ランゼは彼を忌々しげに見下ろし、その足に縋ろうとした老夫をあろう事か蹴り倒した。
「気分が悪いわ。帰る」
そう言って立ち上がったランゼを先頭にして群がっていた人々は倒れ込んだ老夫をそのままに「聖女」のパレードさながら往来を闊歩して行ってしまったのだと言う。
「レオネル様、これが老夫からの嘆願者です」
「ああ、確かに受け取った。母上に必ず届けよう。それで、老夫に怪我はないだろうか」
「打撲を受けていましたのでお医者様に見てもらいました」
レイヤーは一通の嘆願書をレオネルに渡して「思い出すだけでも気分が悪い」と果実水を飲み干した。
リリックとベヨネッタも苦々しい表情のまま「そっちは?」と「聖女宮」での事を促した。
キャラスティが「聖女宮」で見て来たもの。
レトニス達は記憶を書き換えられ、偽りの記憶を植え付けられた状態だと報告すればリリックとベヨネッタは「厄介だ」と溜息を吐いた。
そんな彼女達に、自分達は溜息ばかりだとキャラスティは笑う。
聖女宮で見てきたもの。それはとても苦しく悲しいものだった。だからこそキャラスティは絶対に目を背けてはいけないのだと。
「こんなにも圧倒的に勝ち目が無さそうなのって反対に何をしても良いのかなって思えて来ない?」
覚悟は決めている。
キャラスティは大切なものを護る為にフリーダ王国へと来たのだ。
「キャラ? 変な事考えてないわよね?」
リリックが不安そうに顔を上げる。ベヨネッタも眉を寄せ、レイヤーは少し怒っているようだ。
キャラスティが考えている事、覚悟している事。それはリリックにもベヨネッタにも「変な事」なのだ。レイヤーには「許さない事」になるのだろう。
それでもキャラスティは決めてしまっている。
上手く行くとは思えない。けれどやるしかない。サクラギであるキャラスティしか出来ない事。
学園の中庭でのランゼに襲われる夢を見た時、弓を引く意味とその弓に込めた力に気付いた。
キャラスティにはこの世界を「リセット」する力があるのだと。そして、その力を使うには施行者の命が必要なのだと。
世界そのものをリセットしてしまえばレイヤー達は「悪役」となってしまう。レトニス達はリリック達を嫌ってしまう。
だから、キャラスティはランゼだけをリセットする。
「変な事なんて考えてないわよ」
ヒョイっとテーブルの菓子を口に放り込みキャラスティはパンパンと手を鳴らした。
「レトやアレクス様の記憶を取り戻してハリアードに連れて帰るんだもの」
「それは、キャラも⋯⋯一緒よね?」
ベヨネッタが眉を寄せた。
キャラスティはそれに対しての明言を避け、ニコリと笑い誤魔化した。
その日の深夜。キャラスティ達は王妃ハミルネからの呼び出しを受けた。
そこでハミルネから渡された一対の弓矢を手にしてキャラスティは確信する。
「破邪の弓」これはリセットボタンだ。
リセット者とリセットボタンが出会ってしまった。
「時は近い」キャラスティはその重さを感じながらハミルネに向い強く頷いた。




