41 事の顛末
(なんで隠れちゃったんだろう。私の馬鹿……)
思わず執務机の下に隠れてしまったのは、反射行動だ。その可能性は限りなく低いことを理解しながらも、もしかしたら私を追いかけていた子爵が入ってきたのかもしれない……という可能性がとっさに身体を動かした。
「かけなさい」
(……ナディルさま)
「……失礼いたします」
耳に馴染んだ殿下の声。隠れ場所から出ようかと思ったけれど、殿下に応えた消え入りそうに細い声に、それを取りやめた。
(こんなところ、殿下以外の人に見つかったらまずいよね)
一緒に来た相手が私を私だとわかったりすると更にまずい。
私の頭の中のリリアは、『王太子殿下に見つかるのもまずいです!』と目を吊り上げているけれど、そこはスルーだ。
だいたい、私にこんな格好をさせたのは殿下なのだし、追いかけられて殿下の執務室に逃げ込んだことは大正解だと思っている。
盗み聞きをするつもりはないのだけれど、室内が静かなせいで図らずも耳を澄ませることになった。
(……これは不可抗力なんですよ。先に私が隠れていたんですから! ナディルさまたちのほうが後から来たんですからね!)
心の中で言い訳するのにもだんだん慣れてきた気がする。
どさり、と窓の外で何かが落ちる音がする。にゃーんという鳴き声で猫だとわかった。
その音は思いのほか大きく響いた。
なのに、二人はどちらも口を開く気配がない。
奇妙な……どこか緊張を孕んだ沈黙が室内を支配していた。
(相手は誰なのかしら?)
二人の様子を覗きたいけど、執務机の下に隠れた私にとって、視界が開けているのは彼らがいるのとは逆方向だ。執務机の足元には板が張られていてまったく見えない。だからこそ私の姿を隠してくれているのだけれど、今はすごくもどかしい。
「……異母兄上……本日は、お忙しいのではないのですか?」
あにうえ、と呼んだということは、ナディル殿下の弟ということ。でも、シオン猊下でもアル殿下でもないから、残るはお一人だけ。
(……エオル殿下?)
会ったことがあるのに顔をはっきりと思いだすことのできない第四王子殿下だ。
「確かに忙しくはある。だが、それらを置いてもそなたと話さなければならないだろう」
びくっと空気が震えた。たぶん、エオル殿下が身を震わせたからだ。
「い…いったい、僕にどのようなご用事で……?」
先に口を開いたのはナディル殿下だった。
「……そなたらの陰謀の後始末について話すために呼んだのだ」
「え? 陰謀?」
心の底から不思議に思っているという声音だった。
(陰謀?……つまり、この間の狙われたこととかのこと?)
なぜ、エオル殿下が? と不思議に思った。エオル殿下がグラーシェス公爵妃に何らかの恨みを抱くほどのかかわりがあるように思えなかったからだ。
カツカツと規則正しい足音が近づいてきて、執務机の前で止まる。
殿下は、机の上から幾つかの書類を選び出すと、それをエオル殿下に渡したようだった。
「そなたの側近が、王宮に不審者を招き入れた件の口書きだ」
「口書き?」
「供述書と目撃者の証言をまとめてある。……そなたの側近であるファーサルド子爵は、グラーシェス公爵妃の命を狙った、ということだ」
「お待ちください。ローヴェはそんなこと……」
「したのだよ、エオル」
しません、と言いたかったのか、するはずがないと言いたかったのか……でも、最後まで言い切らないうちに、その言葉はナディル殿下に阻まれた。
殿下はまったく激昂することがなくいつも通り冷ややかで、その言葉には反駁を許さない強さがある。
「目撃者の証言がある。そして、そなたの側近は、そなたの命でそれをしたのだと言っている」
「え?」
「子爵は、公爵妃の襲撃犯を宮中に入れる時にそなたの名前を使ったのだ」
「わ、わたしは知らないっ。異母兄上っ、私は本当に知らないのですっ」
「……そなたが知っていようと、知らなかろうと、それはどうでもいいのだ」
(え? どうでもいいんだ?)
思わぬことを言われて唖然としているエオル殿下の様子が目に浮かぶような気がした。
「そなたの側近が、そなたの名を出して引き入れた以上、それはそなたのしたことと同じだとみなされる」
「……そんな……」
ガタンと大きな音が響く。たぶん、エオル殿下が床に膝をついたのだろう。
「エオル、そなたは何も知らなかったと言うが、そなたの望みが王位であったこと……そなたたちが最終的には私の地位を侵そうとしていたことは複数からの証言で明らかだ」
はっと誰かが……おそらくはエオル殿下が……息を呑んだ。
(え? エオル殿下、王太子になるつもりだったの?)
ちょっとまって、利用されただけなら何とかなりそうだけど、自発的な意思があったのなら、それって重罪になるよね?
王太子の地位を狙う、というのは、国家騒乱罪、あるいは国家転覆罪……下手をすれば大逆とされてもおかしくない。
「私よりも己の方が王太子にふさわしいのだと常々口にしていたのだと聞いた」
「それは……」
エオル殿下が口ごもる。
(え? 本当に口にしていたの? エオル殿下ってバカなの?)
ナディの双子の兄弟というくらいしか知らないけれど、本気で己の方がナディル殿下より上だと思っていたのなら頭が弱いのではないかと疑うところだし、本気ではなかったとしてもそんなことを口にするなんて随分と軽々しい振舞いだ。
(ナディル様以上にこの国の王太子に……ううん、この国の国王にふさわしい人なんていない。それは、別に私の……妻の欲目っていうわけではないと思う)
「……そなたが私に代わりたいと望んだのが先か、あるいは、ファーサルド子爵が野心を抱いたのが先か……それはわからぬ。だが、そなたの意を汲んだファーサルド子爵は、随分といろいろな人間を動かしたようだ」
(いろいろな人間?)
「先頃のグラーシェス公爵妃の襲撃、それから、夜会で騒ぎを起こしたローデリア、アルハンにも余計なことを吹きこんだな?」
それは問いかけの形をとってはいたけれど、殿下には確信があるのだろう。
「アルハンのレオンからは注意喚起の使者が来たし、西のフェルディスからは証拠の書簡付でわざわざ公爵本人が釈明に来たぞ」
「ぼ、僕は……僕は……」
カタカタとエオル殿下が小さく震える衣擦れの音がする。
「何よりもそなたの最大の罪は、我が妃を……アルティリエを狙ったことだ」
(……私……?)
「アルティリエの護衛が体制が手薄になる機会を狙っていたのか? ああ、そなたらが計画した襲撃は未遂に終わっている。子爵はまだ捕えていないが時間の問題だろう」
(……リリアのする『大掃除』ってそういう大掃除だったんですね。……うん、知ってた。リリアだもんね)
だからこそ、私は念には念をいれて男装までさせられて隔離されていたのだ。
(私の容姿を知っている人間は少ない。……だから、こんな簡単な変装くらいでも気づかれない。
「僕はアルティリエ妃を襲撃してなどいないっ。ただ、ローヴェは僕の恋心を憐れんで……姫を連れ出してくれる、と……手荒な真似をする気はなかったんです」
「つまりは拉致だな……」
殿下の態度はたいへん冷ややかだった。
「拉致なんか、そんなことをするつもりは……」
「本人の合意がない以上、そなたのやろうとしていたことは拉致であろう。あるいは、誘拐か……どちらにせよ犯罪には違いない」
ナディル様は容赦なく言葉の刃をつきつける。
(……このマスターキー、逃げるのに使うつもりだったのかな)
長衣の隠しポケットにしまったマスターキーを上からそっと押さえた。
「異母兄上、わたしはただ……恋しく想っていただけなのです。襲撃だなんて大それたことは考えておりませんでした」
哀願の響きが混じる。
(……こいしく? 何を?)
肝心なところを聞き逃していたのか、意味がよくわからなかった。
「だが、後宮を襲撃した者たちは間違いなく命を狙ってきたそうだぞ。……全員の刃に毒が塗ってあったそうだ。……アルティリエは身体が弱い。ほんのわずかでも触れただけでも生命の危険があるだろう」
「毒……?」
そんなはずがない、と口の中で呟く。
「つまり、事態はすでにそなたの思惑を無視したところにあり、到底、手が届かぬということなのだな」
くつくつとナディルさまは喉の奥で嘲るように笑った。それはいっそ上機嫌にも聞こえるほど。
(なんか、『無能』と罵る声が聞こえてきそうな……)
「エオル」
耳に心地の良い声が、エオル殿下の名を呼んだ。
「はい」
「他の罪は減じられることはあれど、アルティリエを狙ったことだけは絶対に許されないであろう。覚悟するが良い」
「……はい」
消え入りそうな声でエオル殿下はうなづいた。
「追って沙汰する。己が宮で謹慎するが良い」
「……はい……」
小さな衣擦れの音がして、エオル殿下が立ち上がった気配がした。
「特に監視を付ける気はないが、身は慎むように。この上、さらに罪を重ねるようであれば、罪一等を減じることもできぬであろう」
罪一等を減じるとは、死罪となるところを減刑するという意味だ。
(……王族は通常の法で裁くことはできない。でも、たぶん、王太子の地位を狙ったことは大逆になるのではないかしら?)
でも、殿下の口ぶりではそれ以上に私を狙ったことが問題となるようだ。
(唯一のエルゼヴェルトだから……)
私の感覚としては絶滅寸前の希少生物といったところ。
「……はい。肝に銘じます」
パタンと小さな音をたてて、扉が閉まる。
(……いなくなったよね……)
耳を澄ませて、ナディル様以外がいなくなったことを再確認して、私はそーっと隠れ場所から這い出た。
「……ナディルさま」
振り向いたナディル殿下は大きく肩を震わせ、私を見て凍り付いた。その秀麗な顔は、すべての表情が抜け落ちてしまったかのようだった。
なぜ私がここにいるのか理解できなかったのだろう。
「……ルティア? なぜ?」
それでもすぐに気持ちを立て直したのは、さすがナディルさまと言うべきだろう。
「ファーサルド子爵という人に追われて……」
その前にフィル=リンとはぐれたり、いろいろとあったのだけれど省略した。だって詳しく話したら、フィル=リンだけじゃなくて私まで怒られそうだったから。
「……それで、エリニア=ネルケという女官に助けてもらって、ここに逃げ込みました」
ちょっと端折りすぎかとも思ったけれど、間違いではない
「エリニアに?」
ナディル殿下は、少しだけ考え込む表情になった。
「はい。それで、このマスターキーを託されまして……」
私は、鍵を出してみせる。
「それで、エリニアは?」
「わかりません。私、追われて逃げだしたので……」
私はふるふると首を横に振った。
殿下が手を伸ばしたので鍵が欲しいのかと思ったら、殿下はまたしても私を抱き上げた。
「……ナディルさま!」
「……何だ」
「私、次からは自分で歩くと申し上げたはずですが」
「それはわかっているが、非常事態だ、許せ」
(これ、非常事態なんですか?)
哀しいことに、私の感覚は麻痺しつつある。ちょっと追いかけまわされたくらいなら、なんだまたかと思えるようになってきた。
「……君は私が目を離しているといつも危険に陥っているな」
無造作に扉を開け、殿下の足は迷いなくどこかを目指している。二回くらい角を曲がっただけで、私は自分がどこにいるのかわからなくなった。
「危険と言えば危険ですけれど……」
そこまで言うほどでもないと思う。
殿下はため息をついて私を見て、それから首を振った。
「あの……どこへ行くんですか?」
「君の宮だ。……もう戻っても問題ない」
「ありがとうございます」
できれば早く着替えたい。少年の格好をするのは動きやすいけれど、ちょっと落ち着かないのは私の感覚がこちらの感覚と馴染みつつあるからだろう。
「……ナディルさまが最初から大掃除のことを教えてくだされば、私あんな風に子供っぽく拗ねたりしませんでした」
「そうか」
「そうです」
「拗ねているのも悪くない」
殿下がくすりと笑う。
「そんなの……」
意味ありげな流し目をに見惚れそうになった。男の色気ってこういうのを言うんじゃなかろうか。
「……ナディルさま、これ、差し入れです。お昼、まだですよね?」
手にしていた籠を胸元におしつけた
あぶない、あぶない。危うく目的を忘れるところだった。
「ああ。ありがとう」
表情が目に見えて柔らかくなる。
「チーズと塩漬け豚の刻んだものを青菜と炒めてくるみを散らしたガレット。それから、フレッシュなチーズと生ハムと青菜のバケットサンド、ナッツをいれたクッキーも添えました。飲み物はチャイですね。生姜がきいています」
殿下のお好きなものばかりだったせいか、口元が綻んだ。
(……良かった)
喜んでもらえることが嬉しい。
「そういえば、前夜の晩餐会でお出しした塩漬け豚の煮込みはどうでした?」
この建国祭のイベント週間に、私は何品かのレシピを提供したのだ。己の手で作っていないとはいえ、やはり評判は気になる。
そんな他愛のない話をしていれば、宮に着くのはあっという間だった。
扉の前で、殿下はこほんと咳ばらいを一つした。
「ところで……」
「はい?」
「……君の護衛のはずのフィル=リンはどこに行ったんだ?」
「えっと……その……」
ど、どう答えれば一番いいんだろう
「ルティア?」
「あ、はい。その……ちょっとはぐれてしまって……」
ぴきっと殿下のこめかみがひきつった。
ごめん、フィル。隠しとおせなくて。




