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37 グリーン・モーニング

「……え? このまま?」


 私にとっては波乱に満ちた一夜が明け、さあ自分の宮に戻ろうとしたら、殿下に帰らぬように言われた。


「ああ。……この際だからとラナ・ハートレーは大掃除をすることにしたそうだ。だから、建国祭が終わるまで、君はこちらに滞在するように」

「はい」


 だいたいの場合、私にノーを言う権利はない。

(とりあえず、不満はありません。今のところ……)


「それで、私はどうしていれば良いのです? 予定では、今日から儀式と行事がぎっちりと詰まっていたと思いますけど……」

「君は、体調を崩して己の宮で休養をとっていることになっている」

「……わかりました」


 いつも思うことだけれど、私の虚弱さの半分は殿下の陰謀によってできているのではないだろうか?

 私がひ弱だということは皆が知っている。

 よく熱を出すし(その三分の二くらいは熱をだしたことになっているだけだけど)、風邪をひいて寝込むことも多いし(その半分くらいは風邪をひいたことになっているだけだけど)、よく倒れたりもする。(倒れるのはだいたい本当)

 だから、私が体調を崩して部屋から出てこなくても、またか、と思われるだけなのだ。


「……それで、その間は……」

「ほらよ、姫さん。これに着替えてくれ」


 どうしましょうか?と問いかけた時、幾つもの衣装函を何段にも重ね持ち、足で扉を開けて入ってきたのはフィル=リンだった。

(この行儀の悪さが許されているフィルがすごい)


「これは……?」


 乱暴に置いたせいで半分開いた函からのぞいている上着に首を傾げた。


「ここにいる間、姫さんでいるわけにはいかねーだろ。だからさ」

「……だから、これを着ろと?」

「おう。うちの弟のお古で悪いんだけど!」

「……フィル=リン」


 冷ややかな声がした。これまで聞いた中で一番冷ややかな……聞いているだけで背筋がぞくりとするような氷の声音。


「おまえは、ルティアに何をさせるつもりなんだ」

「何をって……変装させるだけだって。あんたじゃねーから何もしねえよ。俺はまだ生命が惜しい」

「遊びじゃないんだぞ」

「わかってる。別に遊びのつもりはねえよ。ただ、あっちもバカじゃねえし、念には念を入れといた方がいいだろ。まさか、姫さんがこんな格好してるなんて誰も思わないだろうよ」

「……ルティアはアリエノールではないのだぞ」

「わーってるって。でも、最高に意外性があるだろ。……あとは、そうだなぁ……。俺の縁で王宮にあがった従者見習いってことにすればいいんじゃないか? 裏が取りにくくて、後ろ盾として絶対に無視できない程度の権力はある。まあ、虎の威だけどな」

「なんで、私のルティアをおまえの縁にしなければいけないのだ」

「……あんた、どこまで独占欲発揮するつもりなの? 今、問題なのそこじゃねえから!」

「うるさい。……あと、現実的な話をするならば、この手の顔はおまえの血筋からは絶対に生まれない」

「だから、俺の縁と言っていてもうちの親族や身内ばっかりじゃないだろ。親しい者の親族を依頼されて推挙したってパターンもあるんだし……あと、女官見習いや侍女の格好だと連れ歩けないが、この姿ならば共に連れていける」

「……そうだな」

「……???……」


 二人の間で交わされる言葉の意味がよくわからない。いや、言っていることはわかるんだ。でも、その真意がよくわからない。

 ため息をつき、先に口を開いたのは殿下だった。


「……ルティア。とりあえず、今日一日、その恰好をしていてくれ」


 不本意極まりないという表情だ。


「わかりました」

「んじゃ、こっちこっち」


 フィルに誘われて、隣室へと移動する。

 そこに待っていたのは見慣れた制服の侍女たちだ。私の身支度を手伝ってくれるつもりなのだろう。

(……さっき着替えたばっかりなのに)

 貴族女性の着替えの回数が多いのは承知しているけれど、内心うんざりしてしまうのは仕方がないことだと思う。

 深々と頭を下げた中に、己の侍女を見つけた。


「ミレディ!」


 私を見て目を大きく見開き、それから泣き出しそうな表情になる。

 思わず抱き着いた私を、ミレディはぎゅっと抱きしめた。


「……ご無事で……」

「ええ。……もう大丈夫。ごめんなさい、心配をかけて」


(……少し痩せたんじゃないかな)

 青ざめた顔色をベースメイクでごまかしている。もしかしたらあんまり眠れていなかったのかもしれない。よく見れば、目の下のクマもメイクでカバーしているし、口紅の色が少し鮮やかなのも血色良く見せるためだろう。


「いいえ……おまもりできずに申しわけありませんでした」

「ううん。大丈夫。ミレディのせいじゃないわ」


 巻き込まれただけだし、そもそも、王宮であんな事件があることがおかしいのだ。

 鬱々とした表情をみせるミレディに、笑いかける。


「終わったことはもういいの……さあ、着替えを手伝って」


 事件としては、まだ終わっていないのかもしれない。

 私は犯人を知らないし、目的もわからない。

 でも、私は無事に戻ってきた。

 ミレディも無事だった。

 だから、私たちの間では、これは『終わった』ことだ。

 心の中にはもやもやするものがあってすっきりとしないんだけど、必要なことがあれば、後で殿下が話してくれると思う。


「はい」


 たぶん。私の言いたいことはちゃんと伝わったのだろう。ミレディは表情をひきしめて、そっと礼をとった。




「お似合いですわ」


 ミレディと共に着替えを介添えしてくれたのはアーニャ……アンナマリア・エルレーヌ次期後宮女官長だ。


「……本当に?」


 ミレディに視線をやると、ミレディはもちろんですとうなづいた。

 目の前の大きな姿見の中には、私が ──── 痩せぎすの少年の姿で映っている。

 そう。少女ではなく……少年の姿で。

(……こちらでは、男性でも普通に髪が長いからな……)

 というか、むしろ男性の方が長く伸ばしている人が多いかもしれない。

 髪を伸ばすのは武人の嗜みであり、武人の覚悟を表しているとされているからだ。


「……おかしくなぁい?」


 くるっと回って見せる。


「お似合いです」


 アーニャはにこやかな表情で私に告げた。

 レース多めの白いシャツに白の細身のズボン、上に重ねる長衣はうすい藤色だ。

なるほどフィルの兄弟のものだというのも納得だった。殿下が着ているものほど装飾が華美ではなくて、でもとっても仕立てが良い。

(……ちょっとびっくりだわ)

 やや成長不良気味ではあるけれど、ちゃんと少年に見える。男装をしている女の子ではなく、ひょろひょろに細いけれどちゃんと男の子なのだ。

(……こちらでは、女性がズボンってほとんどないみたいだから、そのせいなのかしら?)

 長い髪は編んで飾り気のない濃い紫の飾り紐で結んだ。

 結んだ髪はわかりやすい貴族男性の証である。長さは人それぞれであるけれど、三つ編みにして首に回すのが正式な作法だという。


「お似合いではありますけれど、おいたわしくもありますね」

「なぜ?」

「王太子妃ともあろう尊い御身が、このような少年の姿に身をやつさなければならないなんて……」


 ミレディはため息をつく。


「別に私は構わないのだけれど、何か男装に禁忌でもあるの?」


 むしろ、ガウンよりもずっと動きやすいので、ちょっとクセになりそうな気がする。


「いえ、そういうわけでもないのですが……」

「……お小さいころ、アリエノール姫はよくこのような格好をなさっておりました」


 アーニャが、遠い眼差しで呟く。


「アリエノール殿下がですか?」


 ミレディが目を見張る。

 ダーディニア社交界における最高の淑女と噂される姫君が、少年の服を着たことがあるということがよほど驚きだったのだろう。


「今でこそ、最高の淑女だと名高い御方ですが、幼い頃はとてもやんちゃなじゃじゃ馬姫でした。よく四人兄弟なのだろうとか、間違って女に生まれたんじゃないかなんて言われていたのですよ」


 噂だけ聞くと、美しく聡明なとてもお姫様らしい姫君なのだけれど、まったく違う話もよく飛び出てくる。


「……妃殿下」


 少しだけ柔らかい表情でアーニャは言った。


「妃殿下の御母君であるフィア様……エフィニア様は、いつか、そのような少年の格好をして、思いっきり庭を走り回りたいと常々おっしゃっておりました」

「……それは叶わなかったのですか?」

「はい。……エフィニア様も妃殿下と同じようにそれほどお丈夫ではありませんでしたし……それに、それを許す環境ではありませんでしたから……」


(……つまり、アリエノール様が例外ってことなのね)

 タイミングが悪いのか、私はまだアリエノール姫とお会いしたことがない。噂でしか知らないのだけれど、どうもいろんな顔をお持ちの方だと思う。

 母の話になったせいか、それとも何か思い出があったのか、空気がしんみりとする。


「……ところで、本当は今日参加するはずだった行事を教えてもらっていいかしら」

「妃殿下? それを知ってどうなさるおつもりです?」


 アーニャが首をかしげる。


「別にどうもしないわ。……アルティリエ王太子妃が欠席なのは、公式発表なのだし」


 ただ知っておきたいだけだ。


「……朝食後、本日付けをもって辞任する枢密院メンバーとの謁見。その後、西宮聖堂にて聖職者との打ち合わせを兼ねた謁見を終え、儀式を二つとりおこないます。後、東宮にて王族と謁見し、東宮内にて儀式が一つあります。そして、王宮聖堂の祈りの間にて儀式を執り行い。その後に王太子殿下、並びに妃殿下は共に潔斎に入ります」

「……王太子妃はどこまで欠席なの?」

「王宮聖堂での儀式からご参加になります。おおよそ、目安としては夜の八過ぎですね。それまでは現在のお姿でご一緒するようにとのことでございます」


(……王太子妃が不参加の理由は何だろう?)

 どうせこの格好で同行するのなら、別に王太子妃アルティリエでもいいはずだ。なのに、それを避ける理由は何だろう? なぜ、休養をとらなければならないんだろう? 何にせよ、また殿下が何かをなさるということなのだろうけれど……。

(……なんか、嫌だな)

 心の中にモヤモヤしているものがある。

 すっきりとしないし、違うのだと何かが心の片隅で訴える。

(……除け者にされているのが嫌っていうか……いや、除け者っていうのとはちょっと違うんだけど……)

 今までは、殿下のなさることの理由をあえて知ろうとは思わなかった ──── 殿下なら悪いようにしないと思っていたから。

 もちろん、今だって殿下は悪いようにしないと思っている。

──── 信じていないわけじゃない。

 ただ、知っておきたいのだ。

 殿下が私ゆえにしたことを。

 あるいは、殿下が私ゆえにすることを。

 それがどんなことであれ、私が知らないままでいていいことではないと思う。

 何ができるわけではない。……でも、私はちゃんと見ていなければいけない。

(……そっか、もやもやしていたのは、そういうことか)

 教えてくれるのを待つという姿勢は、逃げているように感じられたのだ。

(……よし)

 私はぎゅっと拳を握り締めた。

 



 着替えを終えて殿下の居間へと行く。

 フィル=リンの姿はもうなかった。 


「……ルティア」


 私の姿に殿下がパチパチと目をしばたたかせた。


「……お待たせいたしました」

「いや……。随分と面差しが変わるのだな」


 顔はそのままなんですけどね。

 ただ、少しだけメイクで印象をいじっている。

 眉を少し太くしてきりっとさせてるし、目元はややあがって見えるようにラインをいれた。それだけでもだいぶ違う。本当は髪の色も変えようと提案されたけど断った。


「殿下、少しお茶にしませんか?」

「……ああ」 


 殿下は手にしていた書類を机の上に置く。

 お茶にしませんか、と申し上げたけれど、ようは朝ごはんだ。

もちろん、昨日の今日で私がいつものように準備できたわけではない。でも、今の厨房の人員は私の育てた人たちが中心となっているから、だいぶ融通がきくのだ。



 緑、緑、オレンジ、緑、緑……色の濃い薄いはあれど、緑を基調とした色彩に、朝食のテーブルは埋め尽くされていた。


「…………………ルティア」


 殿下は三回くらいテーブルを見回した。


「はい」

「……何か、怒っているのか?」

「私が? ……なぜです?」


 何か私が怒るような理由がありましたっけ? とわざとらしく首をかしげる。


「……野菜ばかりではないか……?」

「はい。……私がいない間、殿下の食生活はそりゃあ酷いものだったとアーニャに聞きましたの。なので手っ取り早く野菜をとれるメニューを中心に作ってもらいました。一番の心配は野菜不足ですし……これで不足する心配はなさそうですね」


 私はにこやかに言葉を継いだ。


「冬なので使える野菜が限られていて、料理人たちに苦労をさせました」


 私の駄目押しの笑みに、殿下は無言で席に座った。

(──── まずは一つ勝ち)

 これ、殿下の真似ね。腹が立つ時ほど笑顔で威嚇して自分のペースで進められるような交渉の席に就かせる。

 殿下はこれがものすごい上手なのだ。


「まずはこちらは冬のブロッコリーの素揚げですね。殿下はあまりお好きな野菜ではありませんが、どうぞ、だまされたと思って召し上がってみてください。塩コショウだけですごくおいしいです」


 フォークを持った殿下の手が一瞬ためらったが、あっさりと口に運んだ。たぶん、これまでの信用のおかげだ

「……意外に食べられるものなのだな」

 思っていた以上に口に合ったのだろう。殿下のフォークはそそくさと冬ブロッコリーを自分の皿に移動させる。

(美味しかったんですね。良かった)


「意外に、は余計ですよ。冬のブロッコリーは甘味たっぷりでおいしいんです。それから、こちらはザーデと塩豚の炒め物、ザーデとソーセージのミルク煮、ラグナ人参のサラダと……ああ、これはザーデを練りこんだパンですね。……あと、今日のスープは冬豆のポタージュスープです」


実はどれも殿下がそれほど好きではない野菜ばかりだ。


「……ルティア」

「はい」

「どの件を怒っているのかわからないのだが……」

「別に怒っていません。心配していただけです」


 栄養のバランスが崩れると健康を損ないやすくなる。

 携帯糧食はそのあたりも考えられたものだけど、それでもやっぱり、携帯糧食なのだ。そのものを調理した方がおいしいし、栄養価も高い。


「ああ、それから……忘れていました。野菜ジュースです。手早く栄養がとれます」


 綺麗なカッティンググラスで出されたのは、ザーデとブロッコリーとラグナ人参をベースにした野菜ジュース……見た目はただの青汁だ。味付けはほんの少しのお塩だけだけど、この塩がちょっと特別で、適度な量をうまく使うとふんわり甘味を感じさせる塩味になる。

 何かに観念したような表情で、殿下はグラスの青汁ジュースを口にする。


「……これは……」

「何度も申し上げるようですけれど、野菜ジュースです。……いつでも手軽に栄養がとれます。……もし、どうしても携帯糧食を召し上がらなければいけない時はお申し付けくださいね。ここの厨房の者でも作れるようにしてありますから」

「…………わかった」


 それから、私たちは無言で野菜中心の朝食をとった。

 特に何も言わなかったけれど、お時間をいただけますか、という私の申し出に殿下は神妙な顔で姿勢を正してうなづいてくれたので、何かいろいろ反省して下さっていたのだろう。


「教えていただきたいのです」

「何をだ?」

「私が……アルティリエ王太子妃が儀式に参加しない理由です」


 一瞬身構えた殿下だったけれど、私の問いになんだそんなことかというような表情をして肩から力を抜いた。


「無理を推して、君が出席する理由がない」

「別に無理なんか……」

「重要度を考えれば明日が最も大切なのだ。君がどうしても出席しなければいけないものはないからな」

「……そうですか」


 何か怪しい。

 でも、それ以上追及できるほどの何かがあるわけではない。

 私は小さなため息をつき、とりあえず追及を棚上げした。

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